プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評
メール:sociologio2007@yahoo.co.jp

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力8)

■だいぶあいてしまったが、「メタ言語論(素描力・批評力・反撃力)」シリーズのつづき。■「Wallerstein」氏による『[重]塾講師のつぶやき』の記事から。


無関係接続 00:43
terracao氏のブクマより。

だめな譲歩レトリックには大別して2タイプあって、「無関係接続」と「論理的矛盾」があるとおもってる、最近

示唆に富むブクマだ。譲歩構文とは「Aという見方もある。しかしBだ」という構文で、単に自説を一方的に述べるだけではなく、対立する意見にも目配りしていることを示せる点で、説得性が増す。しかし使い方を誤ると論理的思考が欠落しているようにも見えるもろ刃の剣である。

今回terracao氏のブクマコメントに従って「無関係接続」と「論理的矛盾」を検討しよう。

「無関係接続」とは、本来逆説的な関係に無いものを「しかし」で結んで譲歩構文を作る例。典型的なのが「今回の事故は痛ましい。しかし私はかつて危ない操船をする漁船を見た」というもの。今回の清徳丸とあたごの衝突事件には自分が見た事例は無関係だ。自分が見たことがある危険な操船を行うマナーの悪い船の存在は確かに問題で、それはそれで論じられるべき問題ではあろうが、今回の事故で清徳丸にも責任があることの傍証にはならない。清徳丸にも責任があることを立証したければ、清徳丸の操船の詳細を提示しなければ説得力はない。今回自衛隊が全面的に非を認めているのであるから、自衛隊の方に多くの責任があることは動かせないだろう。

もう一つ「無関係接続」の例。譲歩構文だけとは限らない。本来関係のない問題を絡めるのは基本的に「無関係接続」の範疇に入るだろう。「今回の事故は痛ましい。だからイージス艦は不要だ」。私は自分の脳内では教条的な左翼で原理主義的な護憲論者である、と妄想している(笑)。この問題に絡めて自衛隊そのものを非難したい気持ちはものすごく分かる。だからこそそういう物言いが鼻に付くのだ。イージス艦の必要性の問題は今回の事故とは何の関係もない。今回の事故があろうとなかろうとイージス艦の配備の問題は論じなければならない。今回の事故の問題を論じる時に関係のないイージス艦配備の是非を持ち込むのは、この事故を政治利用する行為と批判されるべきであろう。さらには自衛隊の存在意義にまで議論を広げるのはどう考えてもフェアではないだろう。自衛隊に対する批判が度を越している、と考えるのであれば、事故をイージス艦の配備の是非やさらには自衛隊の存在意義まで、本来無関係な問題を無理やりに接続して議論を広げる「無関係接続」そのものを批判するべきであって、漁船側の責任を論っても、自衛隊の誇りを維持することには全くつながらない。

「無関係接続」がなぜ起こるのか、と言えばおそらく理由は二つあるだろう。一つは思考力が足りないため、その二つが無関係であることが理解できないこと。もう一つはだまそうという意思があること。思考力が足りないのか、人格が卑しいのかのどちらかなのだ。というわけで私も気をつけたい。
……



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テーマ : みんなに紹介したいこと - ジャンル : ブログ

「捕鯨文化」派と、「生命至上」派

■先月かいた記事「「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」というのは正論だとはおもうが…」の関連記事。■『朝日』の記事から転載。


シー・シェパード、また調査船を攻撃 日本側3人負傷
2008年03月03日13時47分

 水産庁に入った連絡によると、日本時間3日午前7時10分ごろ、南極海で調査捕鯨をしていた日本鯨類研究所の調査母船、日新丸(8044トン)に対し、米国の反捕鯨団体「シー・シェパード」の船が側面から近づき、異臭を放つ液体入りの瓶や白い粉の入った袋を投げ込んだ。乗組員1人と同行している海上保安庁の保安官2人の計3人が目に液体が入るなどの軽傷を負った。

 水産庁によると、日新丸は2日朝から、シー・シェパードの船による追尾を受け、丸1日が過ぎた3日朝から妨害工作が始まったという。妨害は約1時間にわたって続き、現在もシー・シェパードの船は日新丸と並走している。シー・シェパードは今年1月にも活動家の2人が捕獲調査船の第2勇新丸に制止を振り切って侵入して身柄を一時、拘束される事件を起こしている。身柄を豪州政府側に引き渡した直後にも瓶を投げつけるなどの妨害をしており、昨年11月に日本を出発した今回の調査捕鯨船団に対する、シー・シェパードによる妨害工作は今回で3度目となる。

 6日からはロンドンで国際捕鯨委員会(IWC)の中間会合が行われる。捕鯨賛成派と反対派の対立で、冷静な議論ができない状況となっているIWCを正常化させるのが目的。会合にはシー・シェパードの船籍があるオランダと、母港となっている豪州の代表も出席する見込み。水産庁の成子隆英遠洋課長は「会合で、船舶の安全を守る観点から、抗議や、なんらかの提案を申し入れることはありうる」としている。

    ◇

 町村官房長官は3日午前の記者会見で、米国の反捕鯨団体シー・シェパードの日本船への妨害行為について「誠に許し難い行為だ。日本政府として強く非難する」と述べた。さらに「最後の寄港国である豪州に遺憾の意を表すとともに、旗国のオランダ等に対して有効な措置を講じるように申し入れを行う」と語り、今後、関係国に妨害行為についての対応を促す考えを示した。

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テーマ : 食に関するニュース - ジャンル : ニュース

「ひきこもり」を推計する意義

都が初の推計 ひきこもり2万5千人

 東京都は22日、都内に在住している、ひきこもりの人は推定で約2万5000人との調査結果を発表した。

 都は昨年9月から10月に初の実態調査を実施。15歳以上、34歳以下の男女3000人のうち、1388人が回答、10人がひきこもり状態だった。対象世代約349万人に当てはめて推計、出現率は1000人当たり約7人となった。

 10人のほか、相談機関などのひきこもり状態の18人の聞き取り内容を加えて分析したところ、ひきこもりは男性が7割を占め、きっかけは「職場不適応」と「病気」が各25%で最も多かった。 厚生労働省研究班の2004年度調査では、ひきこもり状態の人がいるのは全国で推計約32万世帯。
[ 2008年02月22日 18:36 速報記事 ]

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■いわゆる『スポニチ』の記事。■いや、スポーツ新聞だから、スポーツ以外のネタは水準がひくい、なんていいたいからではない。そうではなくて、「ひきこもり」の実態を地方自治体など行政組織が「推計」することの意義を、かんがえてみようということ。

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テーマ : 気になったニュース - ジャンル : ニュース

有名人による失言=メタ言語論(素描力・批評力・反撃力7)

■掲示板やブログのコメント欄の実態は、最初の話題が現実にメタ言語の連鎖になっているわけではないし、「あらし」があったりすることで、議論があらぬ方向にそれていくことが すくなくない。■いや、むしろ その方が一般的かもしれない。それは、通常の会話がどんどんそれていくのはもちろん、もともと話題が設定されていたはずの対談やらシンポジウム自体が、おもったような方向に議論が進展しないのだから、そういった規制がない領域では、当然の展開だろう。■しかし、いわゆる「あとだし」の絶対的優位は支配的である。
■もちろん、最初の発信者が、「土俵」づくりをしてしまい、そのあとの発言者の「批評」「反撃」をほとんど封殺してしまうばあいも、ないではない。しかし、それは実に困難である。すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこんだ立論は不可能にちかいからだ。■たとえば、すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこむかのような学術論文の周到な構成も、その大半は、予想外の「批評」「反撃」をひきだすことになる。というか、予想外の「批評」「反撃」をひきだすことに成功しない学術論文は、無視・黙殺された存在ともいえる。■つまり、支配的な「土俵」をつくる運営者はありえるが、こと、特定の話題について、すべての「批評」「反撃」を「想定内」の要素として、あらかじめおりこむ「土俵」を設定して、封じてしまうことは、まずできない相談だ。■ひとは、絶対神のように全知全能ではないから。

■そして、なんといっても、いわゆる「あとだし」の絶対的優位が典型的に確認できるのが、「有名人による失言」へのツッコミである。■最近の話題でいえば、歌手の倖田來未氏のラジオ番組での「35歳以上のお母さんの羊水は腐ってくるんですよね」発言問題だろう。

●「「35歳でお母さんの羊水が腐る」 倖田トンデモ発言に批判」←コメント集
●「倖田來未の「羊水発言」 下品?無知?」←コメント集
●「「キレイな体」という「ピュア信仰」 倖田「羊水腐る」発言の背景?」←コメント集
●「「羊水発言」倖田を勝谷弁護 「悪意ない。謝ればいい」」←コメント集

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力6)

■「メタ言語論(素描力・批評力・反撃力)」シリーズの 「」「」「」「」「」つづき。

■前回、ウェブ上の「批評」行為が、無視できない質・量に達している昨今の状況を指摘しておいたが、「掲示板」や「ブログ」の「批評」的側面は、「素材(対象言語)」に対する「記述言語」の一種という関係性にとどまらないものをかかえている。■それは、ある「記述言語」に対する「批評」(メタ言語)という連鎖が、あくまで可能性ではあるが、無限に(半永久的に)つづきうるという点だ。それは、電子情報としての完全複写とはちがう次元で、「生産的ミスコピーの無限連鎖」という構造である。■玉石混交にめをつぶるなら、掲示板は、ある話題を起点に延々と議論が連鎖していく可能性をひめているし、ブログのコメント欄も同様に、連続的なかきこみがありえる。■おおくは、「ネット・イナゴ」の「来襲」による「炎上」といったばあい以外、10件つづけばおおい方だろうが。

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「メタ言語論(素描力・批評力・反撃力5)」

■「メタ言語論(素描力・批評力・反撃力)」シリーズの 「」「」「」「」つづき。
■禁欲的に対象を「素描」することの困難さと、それよりはずっと「おてがる」な「批評」行為の政治性=権力性を「素描」してきたが、「批評」行為が、批評家・評論家解説者コメンテーターあるいは、新聞・放送局などの解説委員といった、いわゆる専門家とか、ジャーナリスト記者ニュースキャスターなど報道関係者*などにかぎられないことは、いうまでもない。■これら、専門家・報道関係者は、出版会社編集部や放送局編集部(報道部)などにコネクションがあるという意味で特権的な層だったが、インターネットの大衆化によって、そういった、資本や権威にうらづけられた「しきい」というものが、急速に相対化されたからである。

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力4)

文芸評論家音楽評論家美術評論家野球評論家といった「評論家」のなかで、比較的わかりやすい例をあげておいたが、実は「評論家」とよばれる先生方には、ほかにも、経済評論家株式評論家・政治評論家・軍事評論家といったさまざまなものがある。「評論家が対象とする事物には特に制限があるわけではなく、文学、政治、経済などあらゆる事物が評論の対象になる。そのため、毎年のように新しい肩書きの評論家が登場してくる。」といった見解さえあるほどだ。■では、なぜ前回まで、そういった「先生方」をあげなかったかといえば、経済動向・株価動向・政治動向・軍事動向などは、社会現象ではあっても、表現行為としてくくるのには、ムリがあるからだ。「21世紀初頭の日本経済がしめすパフォーマンス」とか、「日米両軍が合同演習でみせたパフォーマンス」といったことへの論及を「メタ言語」ということは可能だが、このシリーズでとらえようとしている、表現行為への言及(論評)という次元では、あまりに擬人的すぎる。
■いささかこまかくなるが、文学・音楽・美術などは、制作者が着想した あるテーマの表現形(シニフィエのためのシニフィアン)であり、それ自体が「言語」(ウィトゲンシュタインのいう「言語ゲーム」の実践形式の一種といった次元で)である。だから、これら芸術作品の批評行為は、典型的な「メタ言語」といえるだろう。■みせるスポーツについての「スポーツ解説者」等も、「言語ゲーム(われわれの言葉を機能させ意味を成さしめる規則)」をモジっていうなら、あるスポーツのルールとは「競技者がゲームを機能させプレイを成さしめる規則」であり、それにそったプレイ(実践)への論及は、やはり「メタ言語」にふさわしい。

■このようにみてくると、文芸評論家音楽評論家美術評論家といった芸術系の表現物に対する論評と、野球評論家といった競技についての評論・解説活動に大別してするなどしつつ、その「権威」の基盤を分析する意味があるだろう。

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力3)

■初回で「素描/批評」のちがいは、記述の粗密ではなく評価行為(位置づけ)の有無であること、「記述対象を記述が完璧にうつしとることは原理的にありえないのだから」「メタ言語は、それがどんなに精密な作業であろうと、「素描」にあたる」ことを指摘しておいたが、実態としての記述の粗密は、評価を目的とする「批評」よりも、記述だけを主眼とする「素描」の方が精密になりがちだろう。■前回のべたような、「品評会」「選抜試験」等の序列化のように、公開される「批評」の記述水準は、順位や合否など、実にそっけないものにとどまることがすくなくない。
■皮肉ないいかたをするなら、質・量いずれの面でも、平均値・中央値・最頻値のいずれの点でも、「素描」群>>「批評」群かもしれない(笑)。禁欲的な「素描」群は、しばしば「放言」にすぎない「批評」群に、社会的影響力においておとることが、ままある。いや、それが大半かもしれない。■しばしば、詳細かつ精確な記述にもかかわらず、みずからの不充分さをきびしくせめる「記述」群が、かなり安易で無責任な放言にすぎない「批評」群よりも、かるくあつかわれる(すくなくとも、大衆的な影響度としては、あきらかにちいさい)というのは、なんとも あとあじがわるいといえる。■この皮肉な構図を理解するためには、「素描」「記述」双方の表現者・消費者を解析する必要がある。              

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力2)

■批評というと、音楽批評・文芸批評・科学批評など、さまざまなものがイメージされるだろう。■これら批評行為の一部は、文芸評論家音楽評論家美術評論家野球評論家といった「評論家」等として総括される生業・肩書きとして制度化(権威化)したものもある。

■しかし、「位置づけを目的とする評価行為」という風に定義するなら、おどろくほど ひろい表現行為がふくまれる。学力試験などの採点行為、判決調停など法的な判定作業、スポーツなどの審判、論文審査・コンクール審査や各種懸賞制度、人事査定など、第三者がある評価行為をくわえるものは、総じて「批評」の一種にふくめることが可能になる。
■入学試験の判定結果などは、具体的な論評がなされず、単に数量化可能な序列が公表されるだけかもしれないが、非公開ながら判定会議では優劣を決する「根拠」が合理化装置としてもちだされるのが普通だ(そうでなければ、ボスなど有力者の恣意的な「このみ」による独断ということになる)。■すくなくとも、博士号授与や文学賞選評のように、なぜ「合格」と判定したかの根拠を、審査委員がのべねばならない制度はすくなくない。むしろ、入学試験や採用試験などは、近年の情報公開の風潮がたかまる以前は、判定過程がブラックボックス化されて、恣意性の有無が問題化されないですんできただけとおもわれる。

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メタ言語論(素描力・批評力・反撃力1)

■記述主義的な、言語表現の出典・用例をあげることはできないが、「メタ言語」って表現は、本来言語学あたりのやっていることを、記号学的に説明するための術語だったとおもう。コンピューター業界あたりの用法ではなくて。■「記述されるがわの対象言語/記述するがわのメタ言語」という関係性としてね。英和辞典のばあいなら、「英語表現=対象言語」「日本語記述=メタ言語」って感じ。

■とりあえず、もっとも包括的・体系的に説明しているとおもわれる文章を一部転載。

メタとは何か? 自己言及の世界の危険と不思議そして語ることの重要性

……
<メタとは何か>
 メタ(meta)は、古代ギリシャ語のmetaに由来する接頭語であり、以下のような複数の意味を持ち、かつ複数の意味を結び合わせたものになっている。
(1) 後ろの、背後の(after, later, behind)
(2)〜を超えた、高次の、包括的な(beyond, higher, transcending)

(3) 〜ついて〔記述する〕(about, descriptive)
(4) 変化(change, transformation) 
(5) 〔化学において使われて〕メタ… ←"〜の間(between)"
いくつかの接頭語メタ(meta)のつく言葉をあげて、上記の意味合いを考えてみる。
メタフィジックス〔metaphysics〕:アリストテレスの著作のうちで、哲学の基礎的な領域(第一原理〔第一の哲学〕、存在論〔オントロジー〕)に関するものは、『自然学(φυσικ? 〔physika〕、英語ではphysics)』の後に配置されていたことより、アリストテレスが命名したのではないが、ТΑ ΜΕТΑ ТΑ ФΥΣΙΚΑ  (自然学の後の巻)と呼ばれた。その後、ギリシャ語の接頭語メタが上記の(1)の意味以外に(2)の意味を持つことから、アリストテレスの哲学の基礎領域という意味を汲んで、「自然学を超えたもの」(超自然学)と理解され、日本語では形而上学と呼ばれている。

上記の(2)の意味をもとに、「ある対象について記述するもの」という(3)の意味で、メタ言語、メタフィクション(〔metafiction〕:フィクション〔小説〕についてのフィクション)、メタ文法(文法を記述する文法)、メタ数学(〔metamathematics〕:ヒルベルトが提唱した形式主義の数学で、数学自体を対象としてある数学を展開する数学〔超数学〕)等において、メタが使われている。
また、(4)の意味で、metamorphosis(変形、変容、著しい変化) metabolism(新陳代謝、物質交代、同化作用) があり、化学用語として使った(5)の例として、メタ化合物([meta-compound]:メタ位〔ベンゼン環の1位と3位の間を一つ置いた位置〕に置換基をもつ化合物)がある。
……

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死刑存続論への痛烈な皮肉

■旧ブログで それなりにかきためた「死刑制度」論の延長線上の議論。

■「一言メッセージ :面白き事なきこの世を陰鬱に。」というモットーでつづられているらしい『坑外のカナリアもさっき死にました』の、1か月ほどまえの記事。



『誰が』執行したのかも公表すべきだろ(笑)

死刑執行>氏名を公表…東京・大阪で3人 法務省方針転換
12月7日11時49分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071207-00000039-mai-soci

 法務省は7日、東京、大阪両拘置所で計3人の死刑を執行し、執行された死刑囚の氏名や犯罪事実を公表した。法改正の必要はないが、これまでは死刑囚の家族や、ほかの死刑囚への配慮を理由に実施しておらず、大きな方針転換となる。執行が適切に行われていることを国民に周知することで、死刑制度への理解を進める狙いもあるとみられる。

 死刑が執行されたのは、▽藤間静波(ふじませいは)(47)=東京拘置所収容▽府川博樹(42)=同▽池本登(74)=大阪拘置所収容=の各死刑囚。死刑は8月23日以来で、鳩山邦夫法相の下では初の執行命令。

 法務省は長い間、「死刑確定者の心情の安定、被害者の遺族感情などへの配慮」を理由に、執行の事実すら公表せず、問い合わせにも答えることはなく、報道機関の独自取材や市民団体の調査によって明らかになるケースも少なくなかった。

 90年代に入り、「聞かれれば執行の事実と人数は答える」とする法相が続き、中村正三郎法相当時の98年11月以降、「本日、死刑確定者○名に対し死刑を執行した」という形で公表されるようになった。

 しかし、「誰が、どこで執行されたのかを明らかにしないのはおかしい」との批判は強く、情報公開の是非は常に議論されてきた。今年8月就任した鳩山法相は省内の勉強会を設置し、死刑廃止団体の意見を聞く機会を設けるなど、制度改善にも前向きな姿勢をみせていた。今回の氏名公表も、勉強会で大きなテーマとして検討を進め、方針変更を決断した。【坂本高志】

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タグ : 死刑 刑務官 国家 犯罪

詭弁・合理化・誤謬2

■前便「詭弁・合理化・誤謬1」のつづき。■まずは、ウィキペディア「詭弁」の「概要」の転載。

日本語で日常的に使われる『詭弁』は、誤りである論理展開を故意に用いて、発言者に都合良く導き出された結論、およびその論理の過程を指す。発言者の「欺く意志」があってこその『詭弁』であり、『誤謬』とは区別される。

英語の『sophism』はもう少し意味が広く、形式論理の誤りや、(早とちりも含んだ)論理的飛躍も含まれる。否定的なニュアンスである事は日本語の『詭弁』と同じでも、発言者の不誠実さは定義に関係無い。

詭弁には、論理展開が明らかに誤っている場合もあれば一見正しいように見える場合もある。そして論理展開が正しいように見える場合、論理的には違反しており、誤った結論でも説得力が増してしまう。このため、説得や交渉、プロパガンダマインドコントロールのテクニックとして用いられることがある。

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詭弁・合理化・誤謬1

■Wallerstein氏が、今月下旬から、[詭弁学]というカテゴリーで、連載記事をはじめた。■ウィキペディア「詭弁」の記述を参考に、おそらく「だましのテクニック(詐欺)にあわないための自衛」作業を展開しているのだとおもわれる(矮小化しすぎていたら、失礼。)
■ハラナ個人は、ほとんど関心がない。というか、こういった、しろうとむけの論理学系の啓発的記述で、さえたものにであったことがないからだ。■おそらくそれは、単なる不勉強、ないし こちらの はやとちりなんだろうが、ともかく、「一向にオツムがスッキリした体験がない」というのが、実感だ。失礼ないいかたをあえてするなら、「数学・哲学周辺のかたがたは、おそろしく こむずかしいことにとりくんでいるあまり、われわれ門外漢を啓発する能力を消失させてしまっているのではないか?」とさえいいたくなる。

■Wallerstein氏がとりあげている、「前件否定の虚偽」とかもひどい。

A「反撃される覚悟が無いなら、苛めなんてやるな」

B「なら反撃される覚悟があれば、人を苛めて良いって事になるな」

Aの発言に対するBの返答は「XはYである。故にXではないならYではない」という形式の論理であり、これは論理学で前件否定の虚偽と呼ばれる。このタイプの推論は、XとYが論理的に同値の時のみ成立する為、恒真命題ではない。Bの発言は、「セイウチが脊椎動物だというのなら、セイウチでなければ脊椎動物ではないという事だ」と同じ論理構造である。これはBとしてはAの発言を「セイウチだけが脊椎動物である」と解していることになる。

なおこの虚偽は、仮言的三段論法においても適用される。「もしAがBならば、AはCである。しかしAはBではない。故にAはCではない」は、前件否定の虚偽となる。「AがBならば」という仮定をX、「AはCである」という結論をYと置けば、「XならYである。Xではない。故にYでもない」となり、前件の否定を前提とする論理となるからである。

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オーウェルがコミュニストかどうかなんて、どうでもいいじゃないか…

■だいぶまえの記事【写真等割愛:ハラナ注】。

G・オーウェルに関する機密文書公開、共産主義者説を否定
2007年09月12日 19:30 発信地:ロンドン/英国

【9月5日 AFP】小説『1984年(1984)』や『動物農場(Animal Farm)』で、国家が思想を監視する近未来社会を描いた英国の作家、ジョージ・オーウェル(George Orwell)は、自身が生前20年以上にわたり英国の国内情報活動を担当する情報局保安部(MI5)によって「監視」され続けていたが、MI5ではオーウェルを共産主義の主流派とはみなしていなかったことが4日、新たに公開された記録で明らかになった。

■ロンドン警視庁 VS. MI5の反論

 英公文書館が公開したオーウェルに関するMI5の記録文書によると、破壊工作取り締まりなどを担当するロンドン警視庁特捜部はオーウェルについて「先進的な共産主義思想の持ち主」とみなしていたが、ライバル部署にあたるMI5はこの分析に対し、異議を唱えていた。

 また、オーウェルがまだ本名のエリック・アーサー・ブレア(Eric Arthur Blair)で記者活動をしていた第2次世界大戦中、日曜紙サンデー・オブザーバー(Sunday Observer)の特派員として連合軍総司令部(Allied Forces Headquarters)を取材するために身元審査が行われた際にも、MI5はいかなる反対もしなかった。

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地図上の左右上下

■たとえば、京都市の「左京区」についてウィキペディアでしらべると、つぎのような記述をみかける。

「左京」とは、天皇の在所すなわち御所から見て左側の意。天皇は南面して玉座に座っていたので左は東になる。そのため地図上では右にありながら左京と呼ばれる。本来左京と言えば平安京(洛中)の東側のことであったが、京都市の行政区として生まれた左京区は鴨川左岸の洛東(洛外)地域にあたる。

■後半は意味のある記述だが、記述者が前半をわざわざかく必要をみとめたのは、「北上/南下」という、みなれた地図の上下(東西南北)感覚を自明視している(あるいは、そういった読者を当然視している)からだ。

■ちなみに、「なぜ地図は「北が上」なのか?」という掲示板は、実に勉強になる。

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