■批評というと、音楽批評・文芸批評・科学批評など、さまざまなものがイメージされるだろう。■これら批評行為の一部は、
文芸評論家・
音楽評論家・
美術評論家・
野球評論家といった「
評論家」等として総括される生業・肩書きとして制度化(権威化)したものもある。
■しかし、「位置づけを目的とする評価行為」という風に定義するなら、おどろくほど ひろい表現行為がふくまれる。学力試験などの採点行為、
判決や
調停など法的な判定作業、スポーツなどの審判、論文審査・コンクール審査や各種懸賞制度、人事査定など、第三者がある評価行為をくわえるものは、総じて「批評」の一種にふくめることが可能になる。
■入学試験の判定結果などは、具体的な論評がなされず、単に数量化可能な序列が公表されるだけかもしれないが、非公開ながら判定会議では優劣を決する「根拠」が合理化装置としてもちだされるのが普通だ(そうでなければ、ボスなど有力者の恣意的な「このみ」による独断ということになる)。■すくなくとも、博士号授与や文学賞選評のように、なぜ「合格」と判定したかの根拠を、審査委員がのべねばならない制度はすくなくない。むしろ、入学試験や採用試験などは、近年の情報公開の風潮がたかまる以前は、判定過程がブラックボックス化されて、恣意性の有無が問題化されないですんできただけとおもわれる。
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