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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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天皇陛下ご即位20年 国民の「臨時祝日」はなし(産経)=「ムダ」とはなにか60

「皇室」関連記事の続報。



天皇陛下ご即位20年 国民の「臨時祝日」はなし 
10月31日2時38分配信 産経新聞

 天皇陛下のご即位20年を記念し、今年11月12日を祝日にするようすすめてきた自民党は、民主党の協力が得られないとして同日を祝日にすることを正式に断念したことが30日分かった。
 即位の礼が行われた同日を祝日にするための臨時祝日法制定に向けて、超党派の奉祝国会議員連盟が発足し、与野党足並みをそろえた形で解散前の通常国会に法案が提出されていた。解散によって廃案となったことから、今国会への再提出が模索されたが民主党の党内調整が終始難航。官民挙げた奉祝行事が相次いで催されるなかで、「国民の祝日」が流れる結果となった。
 奉祝行事をめぐっては昨年6月、経団連や日本商工会議所、連合などからなる「即位20年奉祝委員会」(会長・日本商工会議所の岡村正会頭)が設立。政府が内閣主催による即位20年の記念式典の開催を閣議決定したことなどを受けて、同日を臨時祝日にする法律制定を目指す超党派議連が発足していた。
 議連には450人を超える国会議員が加盟。民主党からも鳩山由紀夫首相が副会長に、小沢一郎幹事長は顧問として役員に就任していた。鳩山首相は会合にも顔を出し、制定に意欲を示すとともに党内調整を“約束”していた。
 自民党や公明党は、党内手続きを済ませたうえで、今年6月には鳩山首相側から「法案を正式に出してくれたら(民主党としても)対応する」と提案があったこともあり、議員提案で法案を衆院に提出していた。
 しかし、旧社会党系議員や日教組系議員を抱える民主党が、8月の総選挙前に国家観や天皇観をめぐる路線対立を表面化させたくないという事情があって、法案は審議に至らずに廃案に。その後も臨時国会冒頭の制定に向けて関係者による調整が図られたが、民主党内で結論は出ず、実務面や日程上、成立は困難と判断した。
 皇室に関連した祝日には、皇太子さまの結婚の儀の平成5年6月9日、即位の礼が行われた平成2年11月12日などがある。

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■「即位20年」っていうんだが、「三回忌」「七回忌」じゃあるまいし、即位日をいれてかぞえるって、発想がわからない。「20年目がはじまる」って、いわうのか?■しかし、1990年11月12日から20周年ってのが、普通の人物のかんがえる「即位20年」じゃないか?
■いずれにせよ、まえのとしにきまっていない平日を、いきなり「臨時祝日」として、休日あつかいにする(でも、式典とかに動員される層は、休日ではない)といった乱暴が、どうして まかりとおるのか?
■ま、民主党内に いろいろな部分がかかえこまれているから、完全に ながれたということらしいが、これで自民党政権がつづいていたら、成立していたかもしれないってことだよね。まったく迷惑なはなしなんだが、ともかく よかった。

■税金を「ムダづかい」されることには、ものすごく問題を感じるが、国税のつかわれかたなんて、どうせムダだらけだろうから、ここでは、あまり こだわらないことにする(生活困窮層は、そんな悠長なことをいっていられないはずだし、右派のみなさん=自覚はないだろうが、王党派は充分右派だよ=は、貧困対策・失業対策以上に意味のある、皇室がらみの式典がありえるか、わかりやすく説明をこころみてほしい)。■そういうふうに、ながしてしまっても、「やりたいひとだけ、かってに おいわいしときなさい(反対者はもちろん、のりきでない部分も動員無用=不可)」という原則が、列島全土で維持されるよう、監視する必要はありそうだ。神道系の私学だって問題だろう。だって、神社神道と国家神道とは本来(前近代はもちろん)別個のはずで、戦後のばあい、皇室の宗教行事に国税が拠出されること自体憲法違反っぽいんだから、神主さん養成機関だって、皇室行事に全面的に賛成するのがスジとはいかないはずだ。まあ、ほとんど尊皇派だとはおもうけど。

■来年の11月12日も、紅白まんじゅうを学校や町内会でくばるような連中がでないよう、監視する必要があるね。まんじゅう代が、どこから拠出されるかだって、ちいさな問題ではない。
■たとえば、「コンビニ加盟店ユニオン:加盟店主、労組を来月結成 30人話し合い 岡山(毎日)ほか」でとりあげた、コンビニ加盟店ユニオン加盟店主たちを孤立化させ、未加盟のコンビニオーナーたちを動揺・沈黙させようとはかったらしい、「みどりの基金」幹部たちが、その募金収入の一部を流用して、セブンイレブン本部の意向をうけたアンケート調査をやったらしいことがスキャンダル化している(「10月6日(火)メールBOXで届いた文書。」「みどりの基金を今後どうしていくか考えよう 」)。利用客が、おつりの小銭を募金していった「浄財」のはずだが、なんのことはない、くみあいツブシの資金に流用されたうたがいがはれない。■募金が 最低限の事務費用以外に流用されないよう監視しなければならないというのは、いろいろな団体で指摘されていることではあるが、皇室関連で予算執行・拠出される税金は徹底監視すべきだろう(もともと、「皇室」の「私有財産」とやらの でどころ・利用自体を、歴史的に会計監査・公表すべきだとおもうが)。


●ウィキペディア「即位の礼
●Google“即位の礼”
●Google“貧困率”
●Google“貧困線”
●シリーズ 「ムダ」とはなにか
●旧ブログ→livedoor移転版「ムダ」とはなにか
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コメント

税制についてはそもそも収入に比べて支出を論じた文献自体がすくない件について

『現代思想』(2009年5~6月号)で「税制について」という論文を書いた立岩真也さんにちなんで題名をつけたんですが、題名をまねしても貝枝が書くので内容はいつもの水準です。

で、本題ですが、

>■税金を「ムダづかい」されることには、ものすごく問題を感じるが、国税のつかわれかたなんて、どうせムダだらけだろうから、ここでは、あまり こだわらないことにする

とのことですが、そもそも財政学の研究の蓄積においては、「だれからどれだけ税をとるべきか」という収入面の議論は頻繁になされ、おおくの先行研究があるのに対して、「何にどれだけつかうべきか」という支出面の議論は、そもそもあまりなされておらず、先行研究自体がすくない、という指摘を某経済学者にききました。より具体的には、その経済学者のしるかぎりでは、ある時代にある地域(国家だったかな?)で軍事費が以上に増えた、という問題提起が、知るかぎりで唯一の支出の実態を詳述した論文だった、という指摘をききました。
たしかに、北欧諸国を模範とすれば、おそらく支出面においてもおおすじにおいて不備のない財政政策になるとはおもいますが、収入面はともかく支出面は研究自体がすくない、という難点を報告しておきます。

(いや、もちろん『サンデー毎日』(10.25号104ページ)における斎藤貴男さんの指摘にある様に、シャウプ勧告が実現せずに、富裕者優遇の税制になってしまった日本は、だれから税をとりたてるかという収入面でも問題ありまくりでしょうが…)

生産業者中心主義と同形か?

■故 梶田孝道(社会学者)は、省庁も学問も、生産者(受益者)中心主義であり、利害調整や利益追求のための機能を基本的にはたす。公害やら薬害やらの受苦層のための対策は、省庁も大学も、ちからを集中できない体質がある、って、20年以上もまえに批判しました(『テクノクラシーと社会運動』)が、いまも大同小異でしょう。■おなじように、財政学も、税金の入口・出口の量的問題は経済学的に整理しようとするけど、質的な問題は、てをださないんじゃないでしょうか? てをだすやいなや、研究者の倫理性の質がとわれますからね。
■生産/消費、上流/下流、等々の段階・領域問題と、量的次元/質的次元の問題とは、別個に属するようにみえるとおもいますが、実際には、通底しているとおもいます。なぜなら、薬物をふくめた工業製品や農産物等生産物の効率化・増産化などにだけ関心がむかい、その毒性だの廃棄処理問題に全然関心をむけられない体質ってのは、要は、量的関心しかもてない思考体質=質的な良否・善悪を判断する倫理性が欠如しているってことだからです。

■もちろん、松下幸之助の資本主義論(水道のように良質な工業製品を大衆に供給し、生活向上をはかる)って経営哲学などは、単なるフォーディズムをこえた、合理化論であり、たとえばマルクス経済学周辺が全否定できるようなものではないはずです。たとえば、レーニン・毛沢東などは、社会主義体制の生産ラインにも不可欠と絶賛したことでしょう。■しかし、たとえばパナソニックの工場生産が なにも問題をはらんでいなかったかといえばそうではないわけで、労働者への圧迫などは実在したようです。
■どこが問題か? 簡単です。松下幸之助ら資本家がどんなに「消費者第一主義」をうたおうと、それと労働者の人権尊重は一致しないことが大半だからです。実際、「良質の製品を安価に提供」という論理は、「良質かつ低価格の労働者供給地へ」という、生産拠点の移転など、労働者本位じゃなくて、わがままな消費者本位であり、かつそれに対応しようという経営者・投資家本位の運動でしかかないと。■ここに通底しているのは、ひたすら「量的追求」です。「製品の質的向上」というんだけど、それは同業他社の類似商品との市場競争とか、いわゆるイノベーションによる、ほかの消費形態への奔流との競争のための、「量的シフト」でしかないんです。「たくさんうって、たくさんもうける」ための手段としての「質的向上」であって、もうからなくなれば、(「ニーズがきえた」などと)ほうりすてるし(生産中止や修理・調整等の放棄)、ほかがうれるとあらば、少数者のニーズがあろうと、無視すると。
■おちついた まともな生活のための、まっとうな商品を生産しつづける、という体制は、大企業の大工場では、所詮ムリなんですよ。そして、「つかえなくなったら(あきたら)廃棄する」という消費者を大衆市場(大量消費)としてあてにする、大量生産・大量廃棄のシステムにあっては、本質的な方向で「質的」追求の哲学は維持できないと。「もうからなきゃ、やれない(慈善事業じゃないんだから)」という「量的追求」体質のなせるわざです。

■財政学者の社会学(知識社会学・科学社会学・教育社会学・政治社会学…)+教育経済学+社会心理学とか、意義がありそうです。

『世界』(2008年4月号)は

「格差社会と増税論議――『消費税しかない』は本当か?」という特集です。税つながりで参考までにどうぞ。

皇賊つながりで


非国民通信でも

アゲたネタですが(http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/694f54ed899c6862030c5bcd61e7703b)、「アッテンボローの雑記帳」(http://rounin40.cocolog-nifty.com/attenborow/2005/10/post_8c16.html)にある

>今度結婚する紀宮サヤコなんぞ一億数千万の持参金まで国庫からかっぱらおうとしている。

という記述はスゴイので、ここに最敬礼もとい再掲しておきます。一億数千万か、やるなぁヤサコタン。…あ、まちがえた。それじゃ『電脳コイル』(http://www.toranoana.jp/mailorder/article/04/0010/15/92/040010159226.html)だわ。

正論ですが…

……皇賊なんぞ廃止すればすべての問題は根本から解決されるのだ。労働者Lさんが「一ヶ月一億円生活」でも書いていたが、奴らのために一人あたり一月一億円もの血税がドブに捨てられているのだ。今度結婚する紀宮サヤコなんぞ一億数千万の持参金まで国庫からかっぱらおうとしている。どこぞの大学で研究員をしているのだから、自分の結婚資金くらい自分で貯めろと言いたい。こんな連中は即刻クビにしてしまうのが国家財政の改善のためにも良いのだ。

 はっきり言おう、我々庶民にとっては、平安時代の摂関政治以来、天皇なんぞは千年以上無縁で生活してきた伝統があるのだ。それがたかだか近現代の140年四代しかない支配者面をしてのさばることが我慢ならない。日本の伝統に従って、天皇なんぞはいつでも殺したり退位させたり出来る状態に戻さなければならない。

 小泉の「改革」によって公務員の労働条件を切り下げることを求めた人々は、一番税金を無駄遣いしている天皇一族、皇賊の廃止こそ求めるべきではないだろうか。大体あんな一族によって江戸城に虜にされている、アキヒトの妻「皇后」美智子が愛読していた本は何か。名前は忘れたが孤独にさいなまれていることを顕わにする書名を上げていた。チビ天ナルヒトの妻雅子が鬱病になるのもすべて天皇制が悪いのである。こんなものは即刻廃止して、憲法第一条から八条を削除すべきである。

 ↑ ■基本的にまちがっていないとおもうんですが、深刻なのは、かれらよりも巨大な浪費がほかにもあるって現実です。公共工事や軍隊や兵器などですね。公共工事や軍隊が、失業対策だという合理化は不可能でないにしろ、そんな巨額の失対事業を延々とやっていいのかという問題と、想定すべき具体的脅威も実在しないのに「演習」やら「後方」の経費をひねりだすのかとか、あたりもしないミサイル防衛システムやら、専守防衛に不似合いなステルス戦闘機(http://harana.blog21.fc2.com/?q=%A5%B9%A5%C6%A5%EB%A5%B9)をかわされる非合理は、説明つかない。■ウソ・シミュレーション(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-210.html)によるインフラ整備は巨大詐欺行為だし…、いくらでも、巨大な浪費があって、皇室関連のムダづかいとか、ちいさいちいさい、というはなしになりかねない。

■もちろん、「象徴」として、ムダづかいをしていることは事実で、「象徴」として、禁欲的な消費生活をおくる責務はのこりますけどね。

>■財政学者の社会学(知識社会学・科学社会学・教育社会学・政治社会学…)+教育経済学+社会心理学とか、意義がありそうです。

名称的には御希望に合致しそうな分野として財政社会学という分野があるそうで、その分野の論考をすこし見ましたが(http://askide.web.fc2.com/oboegaki.pdf)、なんだか経済学の一分野としての財政学と同じ様な気がします。
まえに法社会学という学問についても、名称では社会学といいつつ実質はほとんど法学みたいだった、という批判をタカマサさんからいただいた様な気がしますが、でもってタカマサさんの批判はあたっているのでしょうが、なぜ社会学でないのに社会学をなのるんですかね?つーか、「社会学でないのに」という、わたしの印象がまちがってるんですか?

♪なぜ?どうしてそうなの~?
http://faoe.blog120.fc2.com/blog-entry-1124.html

天皇奉還もとい訪韓について

「私にも話させて」(http://watashinim.exblog.jp/m2009-12-01/)に、「天皇政治利用問題と天皇訪韓」(http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-26.html)という記事がでました。参考までにどうぞ。
いやしかし、韓国まで訪問するとは「天ちゃんの、どこまでやるの」(略称「天どこ」)という感じですね。
ちなみに元ネタは往年の人気番組「欽ちゃんの、どこまでやるの」ですが、これで天ちゃんがどんどんと増長して何かやらかしたら「天ちゃんのどんとやってみよう」になって、略称は「天丼」ということで、オチとしてはどうですか?

おふたり あわせて

匿名希望さま
> なぜ社会学でないのに社会学をなのるんですかね?つーか、「社会学でないのに」という、わたしの印象がまちがってるんですか?
↑■えーとですね。問題はふたつあって、①「社会学は、タテマエ上『共有財』であって、職業的訓練をへた社会学徒以外が援用するのは、当然」という構造の必然的帰結として、専門的訓練をへない法学者が、「法社会学者」として「業績」をつくってしまうのは、さけられないという現実。■②法医学が法学部内ではなくて、医学部内にあるように、専門性の交差する領域は、どちらかの学部・大学院にかたよる傾向があり、法社会学のばあいは、文学部社会学科・社会学研究科に法解釈学の専門知識を駆使できる人員が常勤スタッフとしてかかえこまれるような経緯が一度もうまれず、実質的に法学部・法学研究科出身者が実働部隊になるほかなかった。…という経緯だとおもいます。
■その結果、こういっては失礼ですけど、「デュルケームとヴェーバーの古典ぐらいはよみました」式の法学者が、社会学のモデルをひとつでもつかえば、法社会学を実践したことになる、みたいな現実もでてしまったと(有名な法学者も全員そうだとはいいませんけど)。■これは、結局、法学研究者が社会学研究科に内地留学するとか、社会学研究者が、法学研究科にでいりするとか、相互交流するしかないんだとおもいます。■失礼ながら、有名大学の著名な先生方が学会大会にあつまって、編集委員のもと学会誌を何年つづけようと、うえにあげたような問題は、解消しないとおもいます。■私見では、法現象を社会学的にまっとうに分析できる御仁としては、河合幹雄(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%B9%B9%E9%9B%84)先生ぐらいしか、みあたらないんですけどね。しろうとめですけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6(ウィキペディア「法社会学」)



貝枝さま
■天ちゃん問題についての私見は、本日更新分(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-1054.html)に少々かきました。■ちなみに、「天丼」を「テンドン」とよませる社会的事実(実態)は直視しますけど、あしき慣用よみの典型例だとおもいます。なので、ハラナ的には、「天どこ」ないし「天どん」あたりかと。

お返事ありがとうございます。

お返事ありがとうございます。疑問がとけて非常にスッキリしました。

ただ、タカマサさんのお返事の問題ではなく、現状に対して、お返事いただいた内容を前提に気になる点を挙げると、以下の様な、ややこまかい点がある気がします。

さきに②についてですが、

> ■②法医学が法学部内ではなくて、医学部内にあるように、専門性の交差する領域は、どちらかの学部・大学院にかたよる傾向があり、

という箇所で比較材料にされている法医学の場合は、「法」→「医学」の順番なので「法の名を冠していても医学である」という状態で問題なさそうなのに対して、「法社会学」は「法」→「社会学」の順番なので、「法の名を冠していても社会学である」という状態でないと、看板にいつわりがある様な気がします。
極端な事例かもしれませんが、「政治経済学」という表現の場合はおそらく非常に頻繁につかわれ、それゆえ語義も拡散して厳密につかわれない表現とおもいますが、その「政治経済学」という表現でも、おおまかには「政治学と経済学の両方」というくらいの語義であって、「政治の名を冠していても経済学である」というわけではないのはしかたないとしても「ほとんど政治学ばかりで経済学とはいえない」というほどに政治学一辺倒ではないですよね。
なのに上記の法社会学(および財政社会学も?)は、実際社会学ではないのに「社会法学」(および「社会財政学」)ではなく「法社会学」(および「財政社会学」)の語順になっている点が釈然としないです。

で、もっと釈然としないのが①ですが、

> ①「社会学は、タテマエ上『共有財』であって、職業的訓練をへた社会学徒以外が援用するのは、当然」という構造

というご指摘です。ご指摘自体は事実なのでしょうが、その構造は社会学の学徒をみくだしている心性のあらわれの様な印象をいだいてしまいますが、わたしの印象はあたってますか?「社会科学」という表現をつかえば問題ないとおもいますが、「法社会学」のかわりに「法社会科学」とか「法学関連社会科学」という表現では、冗長すぎるでしょうか?

いずれにせよ、タカマサさんのお返事は、非常に明確に問題を解明してくれていましたので、たすかりました。

最後に、社会学のGaktもとい学徒が不憫なので、追悼のために一曲うたいます。

♪不憫ーん ビン ビン 不憫ーん ビン ビン 不憫ーん ビンビン 不憫のビン。

(もとネタは下記ページの30番参照)
http://yasai.2ch.net/middle/kako/1005/10059/1005914789.html

例示が適切ではありませんでした

匿名希望さま

法社会学(および財政社会学も?)は、実際社会学ではないのに「社会法学」(および「社会財政学」)ではなく「法社会学」(および「財政社会学」)の語順になっている点が釈然としない
 ↑ ■法社会学よりは、社会学者中心だけど、ハイフン(連字符)社会学としては どうよ?…的な色彩をおびている、ちょうどいい事例は、教育社会学界ですね。■日本教育社会学会の大会に数回でて体感したことですが、どうみても社会学ではない、あるいは社会科学をやっていると誤解している御仁(教育学者?)が大量に会員になり、しかも自由報告を大量にやらかしているのが、あそこです。■象徴的な事例をあげるなら、派遣業の典型である、家庭教師派遣会社、「株式会社日本家庭教師センター学院」の創業者、古川のぼる(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%B7%9D%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8B)さえも、報告者になっていたほどです。■かれが、本業の受験産業における派遣業を社会科学的に分析したことがあるというなら、きかせてほしいものです。あそこは、会員の紹介がないと会員になれないはずですから(ゲストでない報告者になっている以上、会員のはずです)、だれかが紹介の労をとり、理事会等で承認されたということです。■耳塚寛明・志水宏吉(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E6%B0%B4%E5%AE%8F%E5%90%89)・苅谷剛彦(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%85%E8%B0%B7%E5%89%9B%E5%BD%A6)…等々といった、そうそうたる社会学者を擁するあの学会も、すそのは、ひろすぎ、という実態です。


>> ①「社会学は、タテマエ上『共有財』であって、職業的訓練をへた社会学徒以外が援用するのは、当然」という構造
> ……は社会学の学徒をみくだしている心性のあらわれの様な印象

 ↑ ■前項とからみますが、自称教育学者が「社会現象としての教育現象を『分析』したので、それは「教育社会学」という主張を全否定はできないのです。■「社会調査(世論調査)のウソ」といった表題の啓発書が大量にかかれるようになったとおり、統計学的処理の基本は、共有財のはずですが、広義のリサーチ・リテラシーというべき基礎知識をわきまえない「調査」は大量にはびこります。なにしろ、官庁統計の相当部分さえそうなのですから。■自称、教育学者や法学者たちが、社会現象の典型例である教育現象や法現象を「分析」したと信じれば、「●●社会学」の「誕生」です(笑)。■『反社会学講座』(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E5%BA%A7)が、実際には覆面社会学者によってかかれた社会学擁護論=啓発書=社会学入門であったように、社会学周辺の「モデル」は、本業の集団のあずかりしらない次元で誤用されており、事実上の疑似科学系詐欺として悪用も横行している実態があります。■しかし、高校の「現代社会」やら「倫理」やらで、社会学をかじらせることさえしないのですから、これは、わるい意味でのアナーキー(無法状態)が放置されていると。

■ふりかえれば、社会学をごぞんじない言語学者による、「ことばの社会学」やら、「言語社会学」という自称も、みられたとおり、「社会現象」を「分析」したという主観があれば、それが社会学の伝統に無関係であろうが、社会調査の手法などをふまえてなかろうが、「●●現象の社会学」は、どんどん誕生する宿命にあるのでした。なにも、法学界や教育学界だけの病弊ではないのです。■ましてや、法学者のように、自他ともに社会的地位・権威・自尊心がたかい集団のばあい、「社会学のイロハもごぞんじない」などと、「ハダカの王様」にむかってソボクな疑念をはさめるのは、無邪気なコドモたちだけだったろうと。■同時に、「よこはいり」層としての、社会学出身の研究者たちは、法解釈学の詳細や、法曹実務の運用実態については、しろうとなわけですから、それこそ、検死現場につれだされた法学者などのような、無力感があり、自信たっぷりに法現象・法制度を「分析」される法学者には、はたいろがわるかったのでしょう。■学界(学会)設立の経緯などは、ハラナ自身がしろうとなので、以上「憶測」にすぎませんが。



税に関する新旧の情報

おひさしぶりです。
ところで、税金の支出については2009年8月5日初版の『わたしの血税、どこにどう消えていく?』(KAWADE夢新書)という本がでていたむね、おしらせします。とはいえ、財政学者が税の収入面ばかり論じていて支出面を論じる者はごく少数であることは、いまだに対極としてはかわっていないとおもうんですが。…というか、そもそも上記の『わたしの血税~』さえも、財政学者じゃなくて公認会計士の書いた本であることが前書きにかかれており、さながら小児科医が不足しているので内科医画小児科の診療もしている様な状況です。なにやってるんだ?財政学者ども!

あと、新しい情報としては、日本評論社の『経済セミナー』(2010年10月・11月合併号)は「国の借金、何が問題?」という特集を組んでいます。財政つながりで、参考までにどうぞ。

税に関して追記

『誰から取り、誰に与えるか』(井堀利宏・東洋経済新報社)という本が2009年7月の時点で出版されていたのですね。わたしはつい数日前に知ったばかりですが。
というわけで、税とか公共経済学といった分野で本を書いている経済学者が、税の収入面のみならず支出面も論じている本も、あることはあるのですね、しかも現状分析だけでなく「べき」論まで。
ただ、いずれにせよ、そうした分野を論じる学者が少数派であるということは言えるとおもいますが。

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