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Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「DNA確度低く、自白必須」 足利事件の地検内部資料(朝日)

「DNA確度低く、自白必須」 足利事件の地検内部資料

足利事件関連記事続報。



2009年10月19日3時0分

 90年に女児(当時4)が殺害された「足利事件」で、再審開始が決定した●●●●さん(63)について、宇都宮地検が捜査段階で、DNA型鑑定の確度が低いため「自白」がなければ逮捕できないという方針を警察に示していたことが、朝日新聞が入手した内部資料でわかった。

 ●●さんが一審公判の途中で足利事件について否認に転じた際、検事が再び「自白」を迫ったことが取り調べを録音したテープで明らかになっているが、DNA型鑑定の確度が低いという認識を持ちながら「君と同じ体液を持っている人が何人いると思っているの」などと追及していたことになる。弁護団は誘導的な取り調べがあったとして、録音テープを「法廷で再生すべきだ」と主張、21日から始まる再審公判で証拠として調べるよう求める方針だ。

 朝日新聞が入手した内部資料は、一審公判中の92年3月に、宇都宮地検が上級庁あてに作成した捜査報告書。弁護側がDNA型鑑定の信用性に疑問をさしはさんで証拠採用に同意しなかったため、公判に鑑定人を呼んで証人尋問する直前の時期だった。

 捜査報告書の中で、地検は●●さんを逮捕・起訴する前の捜査の経過を記載。DNA型鑑定の結果が「確率としては1千人に1.244人」と低かったため、「ただちに被告人を検挙するには問題が残る」として、警察に「被告人を任意で調べて自供が得られた段階で逮捕するよう指示した」と書かれていた。

 捜査報告書にはまた、DNAの構造に関して「現在では高校の教科書にも出てきているが、26年も前に高校を卒業した検事は学校で学んだことがなく、目下、高校生物の受験参考書を買い求めて悪戦苦闘中」と、知識の浅さを告白するような記述もあった。

 92年12月8日の取り調べを録音したテープでは、前日に突然否認に転じた●●さんに対し、検事が「DNA鑑定で君の体液と一致する体液があった」と、「自白」を迫り、●●さんが「絶対に違うんです」と反論すると、検事が「君と同じ体液を持っている人が何人いると思っているの」と問いつめ、「自白」させる様子が録音されていた。

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■ちなみに、今月号の雑誌『WEDGE』には、ヤメ検弁護士による「取調べの全面可視化 導入で闇に消える真実 減らぬ冤罪」(井康行)という記事がある。■組織犯罪を理由に全面可視化は被疑者をおいつめ、結局事実をあきらかにできないなどというんだが、証拠として保存することと、傍聴者らへ開示してしまうこととは別個のはずで、意地でも、密室を維持したい検察の意向をくんだ政治的発言は、みぐるしい。■全面的な記録化をするかぎり、とりしらべはもちろん、法廷の運営などが全面的に変更を余儀なくされるのは当然であり、いままでの構図を前提の「ダメ」論は、全然説得力がない。■ヤメ検系弁護士やらの、検察擁護論は、カンベンしてほしい。そして、こういったキャンペーンによって、新幹線出張のサラリーマンなどが「洗脳」さて、世論を形成してしまうのは、おそろしい。


●日記内「可視化」関連記事
●旧ブログ「可視化」関連記事
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タグ : 真理省 1984年 ハイパー独裁

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コメント

失敗から、まなべるかどうか…

「飯塚事件の再調査はどうした?」(http://sapporo-hide.cocolog-nifty.com/hitokoto/2009/10/post-63db.html
 ↑ ■要するに、「死人に くちなし」ということ。処刑によって、警察・司法の まちがいは、永遠にただされないことがあるという現実。
■「最大多数の最大幸福」という功利主義にたつ層は、「ごくごくわずかの冤罪の被害者は いるかもしれないが、慎重になりすぎて、凶悪犯罪者が断罪されなかったら、犯罪抑止にならないし、被害者・家族がうかばれない」などと、死刑制度を合理化するわけだ。わずかであれ、まちがって、あるいは、でっちあげられて国家による殺人の犠牲者になってしまったかもしれない被疑者のこと、それに加担させられた刑務官のことなど、当然かんがえることもなく。
■あと、こういった議論であつく死刑擁護論をかたっている相当部分は、自分たちが、犯罪被害者になる確率がどのぐらいかなどは、かんがえていない。いや、実際には、「自分のところには、おきない」って、タカくくっているんじゃないか? 自分の周辺でおきない程度の殺人事件等を、社会正義といった論調でかたれる感覚ってのは、それこそ偽善だとおもうんだが、自覚は当然ないよね…。

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