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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「現代のパラドックス 大量消費・廃棄を煽るエコ」(池内了)=「ムダ」とはなにか59

■2か月ほどまえの『中日新聞』の文化欄から。

■宇宙物理学者の池内了氏のエッセイの後半を転載。


 ……現代は直説法のパラドックスに溢れている。明らかに真理と反することなのに、臆面もなく真理であるかのごとくに語られているからだ。エコという接頭語がついたキャッチフレーズがその代表である。環境に優しいという意味で(その意味では真理である)エコが使われているのだが、その実は全くエコではなく、環境破壊をむしろ進める(真理に真っ向から反する)効果を持っているからだ。
 例えば、エコポイントを発行して電気製品を買い替え使い捨てを奨励し、エコカーの購入には破格の優遇措置を講じている。電気製品では消費電力が少なくなった、クルマでは燃費が向上したと宣伝し、それ自身はエコに貢献しているかのように見えるが、実はまだ使える製品を廃棄して買い替えを促し、売り上げを伸ばす戦術である。消費電力が減ってもその製品を作るのに投入された資源やエネルギーを考えれば省資源・省エネルギーになっていないし、いくらハイブリッド車となってもクルマの総台数が上回れば排気ガスはいっそう増えることが忘れられている。エコという言葉で環境破壊の元凶である大量消費・大量廃棄を煽っているのだからパラドックスとしか言いようがない。
 その背景には、百年に一回という不況を乗り切るという口実での大判振る舞いがある。病気になったときに麻薬を打つようなもので、一時的に回復したように見えて、ますます脆弱な体質になるのが必定だろう。それにもかかわらず、環境の健全性を訴えるエコという名をつけて体裁を繕っている。言葉と内実が食い違っているのだ。エコポイントに人々が群がっていることに、私は大きな違和感を持っている。




 かつてのパラドックス*は、常識に挑戦して深く自分の生き様を考えさせる効用があった。ところが現代のパラドックスは、明確に矛盾している事柄を言葉の美名によって覆い隠すために使われている。その結果、人々はパラドックスであるということを意識しなくなってしまった。
 この状況は危険な兆候に見える。明らかに言葉と現実が矛盾しているのに、それを平気で無視することが習い性になるからだ。さて、人類はいつまでこんな状態を続けられるのだろうか。

                 (『中日新聞』2009/08/05)

 * ①「貧しき者は幸いである」「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」など、一般に真理(ドクサ)とみとめられているものに反(パラ)する説として、宗教家がもちいてきた論法と、②「急がばまわれ」「負けるが勝ち」など、あきらかに矛盾してみえながら、よくよくかんがえてみると、ただしそうにみえる、おもに道徳家が多用した論法と、池内氏が二分した、古典的パラドックス(逆説)のこと。
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■タイヘン啓発的な、体制批判だとおもうし、「エコ」という接頭辞によって、事実をかくし、消費者をダマす企業家および政府当局の あざとさが、実に明瞭にしめされた文章だとおもう。事実認識については、異論がない。■しかし、これは はたして「パラドックス(逆説・逆理)」なのであろうか? 
■これは、詐欺師(ないし インチキ宗教家)による カモに対する集団催眠とでも いうべき構図であって、逆説でもなんでもないのではないか? 「戦争は平和である」「無知はつよさである」といった、『1984年』の舞台、オセアニアで くりかえされたプロパガンダ=「二重思考」が、強烈な皮肉となっていたように、「しらぬが ホトケ」ともいうべき、詐欺的集団催眠のグロテスクさ、カモたちの 思考停止状況を、ただ なぞっているだけではないか? ■一片の真理もない あけすけな詐欺を、オブラートにつつんで、にがさを ゴマ化すという 詐術は、たしかに、古典的な逆説・逆理と異質だろうが、である以上、「エコ・キャンペーン」とは、 パラドックスでもなんでもなくて、単に ウソと 思考停止/自己欺瞞による、グロテスクな共犯関係というべきではないか?
■あえて、グロテスクな たとえをするなら、保険金殺人のための結婚詐欺といった、「しらぬが ホトケ」「あとは 野とやれ 山となれ」式の ニヒリズムである。■おそらく、大衆=消費者は、みずからの自己欺瞞を直視しないですむよう、「じょうずに ダマして…」と こいねがい、よろこんで みずからの墓穴をほる「共犯者」になりはてているのだろう。現実を食視することが こわい(イヤである)がゆえに、めかくし・耳栓をしてくれる殺人者に 依存し、死におもむく。「エコカー」やら「エコ家電」をかい、つかえる自家用車や家電品をリサイクル市場にながしたあとは、大量廃棄に加担などしていないという、錯覚におちいれる。一部は市場化できずに廃棄されるだろうし、本来ならてをだせなかった層が、中古品を購入して 生活水準をあげ、総体としては 環境負荷をたかめる。新製品作成のための環境負荷だけではなく、リサイクル市場の回転率の上昇という意味で、確実に環境破壊に加担しているのだが、「めかくし・耳栓」が、その現実直視をできないよう、感覚マヒさせる。




●旧ブログ「「ムダ」とはなにか」シリーズ
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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 真理省 1984年 ハイパー独裁

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コメント

環境つながりで、おもいつくままにかきます。

送電を効率的におこなう、スマートグリッドというシステムがあるそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89

ただ、『エコロジストのための経済学』(ISBN-13: 978-4492313572)という本がある様に、環境問題は経済問題なので、スマートグリッドをつかおうがほかの技術をつかおうが、市場原理にまかせているかぎりは決して解決しないですがね。あと、環境保護を大義名分にした弱者きりすてに対しては『緑の帝国』(ISBN-13: 978-4876987245)という本がよいのではないかとおもいます、まだ読んでいませんが。

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