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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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東海村JCO臨界事故10年

■ウィキペディア「東海村JCO臨界事故」を転載。リンクは取捨選択・一部さしかえしてある。


 東海村JCO臨界事故(とうかいむらジェイシーオーりんかいじこ)は、1999年9月30日、茨城県那珂郡東海村で、JCO(株式会社ジェー・シー・オー)(住友金属鉱山の子会社)の核燃料加工施設が起こした臨界事故被曝による死者2名を出した原子力事故である。

概要

 1999年9月30日、JCOの核燃料加工施設内で核燃料サイクル開発機構高速増殖実験炉常陽」向けの燃料加工の工程中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生。この反応は約20時間持続した。これにより、至近距離で致死量中性子線を浴びた作業員3人中、2人が死亡した。
 事故は、製品であるウラン溶液(硝酸ウラニル)を均質化する工程で発生した。溶液は本来、中性子が外に抜けやすいよう細長く作られた(形状制限された)「貯塔」で均質化を行う事になっていた。しかし、「沈殿槽」と呼ばれる、ずんぐりした形状で周囲を冷却水のジャケットに包まれた装置を使用したために、発生した中性子による反応の確率が高くなり、臨界状態に至った。


事故の推移

 午前10時35分に、転換試験棟で警報が鳴り、午前11時15分に、臨界事故の可能性ありとの第一報がJCOから科学技術庁(当時)にもたらされた。そして11時52分には、被曝した三人を搬送するため、国立水戸病院に向けて救急車が出発した。東海村による屋内退避を呼びかける広報が始まったのは、12時30分からである[1]
 国際原子力事象評価尺度はレベル4で、周辺の多数の住民が緊急避難を強いられた。テレビでは当時の内閣総理大臣・小渕恵三が周辺住民に向かって外出しないようにと呼びかけた。現地では事故現場から半径350m以内の住民約40世帯への避難要請、500m以内の住民への避難勧告、10km以内の住民への屋内退避/換気装置停止呼びかけ、現場周辺の県道、国道、常磐自動車道の閉鎖、JR東日本の常磐線水戸 - 日立間、水郡線水戸 - 常陸大子・常陸太田間の運転見合わせ、陸上自衛隊への災害派遣要請といった措置がとられた。以上の措置は全て日本で初めてである。10km圏内の屋内退避勧告の発表は午後10時半、解除されたのは翌日午後4時半だった。
 JCOのわずか400m北側には常磐自動車道の東海パーキングエリアがあり、ここの利用者も危険にさらされていた。行楽シーズンの昼間であり、常磐自動車道を閉鎖するまでには大勢の観光客が出入りしていたはずだが、この利用者に対する健康調査はおこなわれなかった。
 事故原因は、旧動燃が発注した高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料加工(UF6をUO2粉末に再転換)の中間工程を担うJCOの杜撰な作業工程管理である。JCOが常陽用の燃料を加工するにあたり、国の管理規定に沿う正規マニュアルではなく「裏マニュアル」を運用しており、例えば、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程では、正規マニュアルでは「溶解塔」という装置を使用した手順だったが、裏マニュアルではステンレス製バケツを用いた手順に改変されていた。事故当日はこの裏マニュアルをも改悪した手順で作業がなされていた。具体的には、最終工程である製品の均質化作業で、臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器(貯塔)を使用するところを、作業の効率化を図るため、別の、背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器(沈殿槽)に変更していた。
 その結果、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水が中性子の反射材となって溶液が臨界状態となり、中性子線等が大量に放射された。これは制御不能の原子炉が出現したようなものである。ステンレスバケツで溶液を扱っていた作業員の一人は、「約16kgのウラン溶液を溶解槽に移している時に青い光が出た」(チェレンコフ光)と語った。「うちが起こした事故はうちで処理しなければならない。」(社長・工場長談)とJCO関係者らが、数回に分けて内部に突入して冷却水を抜き、連鎖反応を止めることにより事故は終息した。中性子線量が検出限界以下になったのが確認されたのは、臨界状態の開始から20時間経った午前6時半だった。水抜き作業等で被曝した人は計18人、その後のホウ酸水注入で被曝した人は6人だった[2]。この事故の現象は戦時中陸軍が行っていた核兵器研究の理論に近いものだった。(日本の原子爆弾開発参照)

事故被曝者

 この事故では3名の作業員が推定1グレイ・イクイバレント[3]以上の多量の放射線を浴びた。そのため、ヘリコプターで放射線医学総合研究所(以下放医研)へ搬送された後、2名は造血細胞の移植の関係から東大病院などに転院し、集中治療がなされた。
 16~20グレイ・イクイバレントの被曝をした作業員O(放医研→東大病院)は、造血細胞の移植に失敗、事故から83日後の12月21日に死亡した。この線量は、核爆発時の爆心に匹敵する線量とされる。
 6.0~10グレイ・イクイバレントの被曝をした作業員S(放医研→東京大学医科学研究所付属病院→東大病院)は、造血細胞の移植が一定の成果をあげ、一時は警察の本事故捜査員への証言を行うまでに回復した。しかしその後、容態が急変、事故から211日後の翌年4月27日に死亡した。
O・Sの死因はいずれも、放射線被曝による多臓器不全である。
 短時間のうちに全身への8グレイ以上の被曝をした場合には、最新の医療でもほとんど手の施しようがない。
特に国内では、このような大量の放射線被曝をした患者の治療自体が初めてで、治療に当たった医師団も毎日のように発生する新しい症状に、試行錯誤をしながらの治療だったと証言している。また、最高線量の被曝をした作業員の場合は、細胞の遺伝子が強力な放射線によって破壊され、細胞の再生すら不可能だったとも言われている。
 推定1~4.5グレイ・イクイバレントの被曝をした作業員Y(転院なし)は、一時白血球数がゼロになったが、放医研の無菌室において骨髄の治療を受け、回復。12月20日に放医研を退院した。
 また臨界状態を収束させるための作業を行った関係者7人が年間許容線量を越える被曝をし、事故の内容を十分知らされずに、被曝した作業員を搬送すべく駆け付けた救急隊員3人の2次被曝が起こった。さらに周辺住民への中性子線等の被曝も起こった。

日本原子力史上初の刑事責任

 この事故では、同時に会社側の刑事責任も問われた。事故から約1年後の2000年10月16日には茨城労働局・水戸労働基準監督署がJCOと同社東海事業所所長の越島建三を労働安全衛生法違反容疑で書類送検、翌11月1日には水戸地検が越島所長の他、加藤裕正同社製造部長、小川弘行計画グループ長、渡辺弘製造グループ職場長、竹村健司計画グループ主任、その他製造グループ副長の6名を業務上過失致死罪、法人としてのJCOと越島所長を原子炉等規制法違反及び労働安全衛生法違反罪でそれぞれ起訴した。なお、製造グループ副長は現場責任を問われたが、現場に居て被曝し、労災認定された。
 2003年3月3日、6名に執行猶予付き有罪判決、JCOに罰金100万円の判決がそれぞれ言い渡された。水戸地裁は、「臨界事故を起こした背景には、長年にわたって杜撰な安全管理体制下にあった会社の企業活動において発生したものであり、その安全軽視の姿勢は厳しく責められなければならない」とし、さらに、「臨界に関する全体的な教育訓練はほとんど実施されておらず極めて悪質」と判断した。

事故の影響

 この事故の結果、JCOは加工事業許可取り消し処分を受け、ウラン再転換事業の廃止を余儀なくされた。管理側の事故隠し体制が明らかになり、原子力不信を招いた事件としても知られる。2003年3月3日の水戸地裁の判決はJCO側の敗訴だった。裁判の過程で科学技術庁の安全審査体制、及び発注者である旧動燃の要求の正当性に強い疑問が提示されている。
 この事故は国際的にも有名になり、同年10月12日に水戸芸術館にて開催が予定されていたソプラノ歌手バーバラ・ボニーの水戸リサイタルが中止された原因とされている[4]。また、農産物への風評被害があったとして東海村の農家がJCOに損害賠償を請求した[5]
 小渕首相は事故翌日の10月1日に内閣改造を行う予定だったが、事故を受けて延期。10月5日に改造を行った。
 日本の原子力産業で初めて死者が出たことや、核物質に対する理解が乏しかった1940年代から1950年代に頻発したものと同じ臨界事故であることなどから、各マスコミも「安全神話が崩れた」などとさかんに報道した。
 この事故を受けて、保安規定の遵守状況の国による確認、定期検査、主務大臣または原子力安全委員会への申告制度(いわゆる内部告発)が導入された。
 当時の陸上自衛隊は災害派遣要請に基づき対処を行った。その後、同年12月に原子力災害対策特別措置法が制定されたことを受け自衛隊法を改正、自衛隊の行動区分において「災害派遣」とは自然災害による派遣と定義づけ、原子力事故に起因する災害派遣は新たに「原子力災害派遣」を設け、別個のものとして対処することとなった。

……
参考書籍

JCO臨界事故と日本の原子力行政―安全政策への提言』JCO臨界事故総合評価会議(七つ森書館)
『JCO臨界事故その全貌の解明―事実・要因・対応』日本原子力学会JCO事故調査委員会(東海大学出版会)
『恐怖の臨界事故』原子力資料情報室(岩波書店)
朽ちていった命―被曝治療83日間の記録』(新潮社)

外部リンク

日本原子力学会
JCO臨界事故総合評価会議原子力資料情報室
JCOウラン加工工場での臨界事故JST失敗知識データベース
東海村JCO 臨界事故よくわかる原子力
東海村臨界事故 被曝治療83日間の記録(岩波書店) - 概要
「Tokaimura criticality accident, Japan」 - Encyclopedia of Earthにある「東海村JCO臨界事故」についての項目(英語)。

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■①この事故は、原子力行政の末端の企業がしでかした不祥事みたいな うけとられかた、そして、おきまりの 集団ヒステリー的な風評被害をへて、ほぼ完全に忘却という、最悪のおわりかたをしている。■しかし、以前もかいたとおり、これらは、原子力行政の体質というか、かれらがいうほど安全管理は徹底していない構造のもたらした必然的破綻のひとつだとおもう。■実際このあとも、東海村周辺にかぎらず、業界全体として危機管理体制がデタラメだという構図しかうきぼりにならなかった(旧ブログ「原発」関連記事)。■失敗学的な徹底的検証と、それをいかした危機管理システムの進展はあったんだろうか? 発表がないところをみれば(真剣にとりくんだのであれば、当然大々的な広報があったはず)、結局、この事故の収拾作業をおえて、あとは わすれてしまったんだとおもう。“ハインリッヒの法則”にてらして、「ほかにも ズサンな部分があるはず」みたいな姿勢での検証なしにね。

■②つねづねのべている、「原発テロよりも原発震災」といったコピーをふりかえるなら、こんな地盤のゆるい列島に、多数の原発をつくってきた 原子力行政全体が まちがっているという結論しかでないはずだが(「安全性神話」は、たびたび「反証」されているはずだし)、「原発震災よりも人為ミス」といった、おそろしい「つなわたり」状況なのかもしれない。■右派や政府がながしてきた、一連の「北朝鮮の特殊工作部隊が潜入して、原発テロをひきおこした…」といった、地政学的に無意味な被害妄想(「トラの子 ニッポン」を破綻させては、もともこもないので)に即した避難訓練は、<<原発震災<<人為ミスという、もっとずっと確率のたかい現実的なリスクを、二重に はずした(めを そらさせる)愚行ということになる。
■たとえば、ほぼ1か月まえのつぎのような記事。

「5号機が他よりも揺れた原因が不明」というのは、極めて深刻です。これが本番の東海地震だったら、想定よりも激しく揺れる5号機は大事故を起こしていた可能性があります。

要するに、中部電力は地震と地質が原発に与える影響について、理解していない部分があまりに多いのです。

中部電力、経済産業省、静岡県、テレビ・新聞、電力労連らが「浜岡原発の安全は確保されている」というのは、「想定の範囲内だったら大丈夫」だという意味で、東海地震が突発的な大きな規模になったら、その限りではありません。

今回の金融危機であまりに大きなリスクを負いすぎて、多くのアメリカの金融機関が破綻したのを思い出してください。自分勝手なリスク計算をして、起こりうるリスクを無視すれば、いつかはこうなるのです。

以前も書きましたが、今回の地震で浜岡原発が大事故を起こさなかったのは単なるラッキー、偶然です。中部電力が、5号機の揺れの大きさについて説明できないのがその証拠です。

浜岡原発の行方、つまりこの日本という国家の存亡は、運次第です。
〔「浜岡原発 被害の様子を公開」『ストップ浜岡原発@ブログ』2009/08/26〕
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■④政府関係組織が信用ならないだけでなく、中部電力等、原発で地域に送電している電力会社全部が信用ならないとみたほうがよかろう。■ちなみに、首都圏地域は、原発震災によって 御前崎にふきすさぶ南西風によって、いずれ壊滅状態におちいると推定されている(「▼02.8.6、浜岡2号機がメルトダウンを起こしていたら……放射能の風はこうして首都圏まで流れてくる!」←)
浜岡原発シミュレーション
■つまり、首都圏地域は、浜岡と東海村に はさみうちされるかたちで、巨大リスクに包囲されていることになる。■横須賀港にでいりするアメリカ海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンでおきるかもしれない人為ミスをふくめると、“NIMBY”をきめこんでいるつもりの首都圏住民こそ、「しらぬがホトケ」というか、まさに「ハイパー独裁」のとりこといえそうだ。



日本で最初に原子力の火が灯った村として有名である。1957年に日本原子力研究所(当時)東海研究所が設置され、日本最初の原子炉であるJRR-1が臨界に達して以来、多くの原子力関連施設が集積することとなった。現在は日本原子力研究開発機構(旧日本原子力研究所及び旧核燃料サイクル開発機構が合併)、日本原子力発電東海発電所・東海第二発電所など多くの原子力施設が村内に存在し、また近隣の那珂市や大洗町にも大規模な原子力関連施設が存在する。東海村を中心とした茨城県の太平洋沿岸部は日本の原子力産業の重要な拠点となっている。東海村以外に、「原発銀座」「原子力の街」と呼ばれる市町村は、敦賀市六ヶ所村が有名である。

1999年9月30日に東海村JCO臨界事故が発生した。村内では、施設の周辺住民の中性子線被曝や風評被害など、様々な影響があった。……
〔ウィキペディア「東海村」〕
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■⑤ちかくの日立市が完全な企業城下町であるように、東海村は、原子力行政に依存した行政・市民生活空間といえる。しかも その依存度は、事故後もおわっていないことは、人口推移で一目瞭然(32727人-1995年→34333人-2000年→35450人-2005年)。■「不安だが、しかたがない」という、NIMBY依存体質は、深刻な事故をへても 全然かわっていないことをしめす。

■保守系の媒体でさえも、微妙な姿勢しかだせない深刻な事件。

【10年目の教訓-東海村臨界事故】「誇り」に差した影
9月22日7時56分配信 産経新聞
 「世紀をひらく原子の火」-。昭和38年に発表された「茨城県民の歌」の3番はこの下りから始まる。そしてこう続く。「あたらしい光をかかげ」「あすの文化をきずく」…。

 31年、茨城県東海村に日本初の原子炉を備えた原子力研究所の設置が決定した。35年には商業用原子炉で国内初の臨界に成功。東海村は、日本の原子力分野の最先端を走っていた。まぎれもなく茨城の「新たな光」であり、「誇り」であった。

 だが10年前の平成11年9月30日、その光に暗い影を差す大惨事が起こる。

 東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」で発生した国内初の臨界事故。死者を2人を出し、村内には「裸の原子炉」が出現し約20時間以上も中性子を放出した。国の対応の遅れもあり、日本中が混乱に陥った。東海村産の農作物は一時、値段が半分以下に下がり、周辺自治体の観光客は激減。JCOで裏マニュアルを作成していたこと、作業員がその裏マニュアルすら無視したことなど数々のずさんな点が明らかになり、「あまりにも非常識」とマスコミから批判された。

                 × × ×

 あれからまもなく10年。「新しい光」と歌われた原子力をめぐる論争が、その発祥の地で繰り広げられた。

 今年9月13日の村長選挙。4選挙を目指す現職の村上達也氏(66)と元県職員で新人の坪井章次氏(60)による一騎打ちとなった選挙戦は、原子力政策が最大の論点となった。

 村上氏は臨界事故当時、村長として現場で事故処理の陣頭指揮を執った。事故の経験から、新たな原子炉の建設には慎重な態度を示す「慎重派」。対する坪井氏は新たな原子炉の早期誘致を掲げた「積極派」とされ、原子力政策をめぐる両氏の主張は真っ向から対立した。

 村上氏は選挙戦で「原子力エネルギーから原子力科学へと、学術研究を重視する施策への変更」を主張。一方で「原子力発祥の地を誇りとする東海村にとって、第3発電所を持つことの重要性を、改めて認識」ともしたが、マニフェストには「次世代を担える原子力エネルギーの活用を検討」と、終始、原子炉誘致から距離をおいていた。

                 × × ×

 選挙結果は意外な僅差となった。有効投票総数1万9330票のうち、村上氏が768票差で勝利。村民は再び、新たな原子炉を必要としない村政運営を選んだ形だが、敗れた坪井氏は「一騎打ちでこの票差は大きい」と振り返る。

 坪井氏は「村内に新たな原子炉を必要とする声も大きくなっている」と分析。さらに、村内の原子力推進派の意見をこう代弁した。

 「村上氏の再選で、今後4年間、新たな原子炉の誘致など、エネルギー関連の施策が全く進まないことになる。東海村は50年間、原子力と付き合ってきた。“原子力の東海村”は、このままでいいのか」。

                   ◇

 国内史上最悪の原子力事故から間もなく10年を迎える。この事故から何を教訓とし、東海村がどう変化したかを振り返る。(前田明彦)

                   ◇

【用語解説】東海村臨界事故

 平成11年9月30日午前10時35分、東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の転換試験棟で、濃縮ウラン溶液を均一化する作業中、作業員が規定の7倍近くのウラン溶液を注入したことで核分裂が連鎖的に起こる臨界状態に達し、中性子線が放出された。臨界状態は約20時間続き、周囲350メートル以内が避難、10キロ圏内に屋内退避要請が出た。転換試験棟にいた作業員3人が重度の被ばくをし、うち2人が死亡。周辺住民や救急隊員、JCO社員ら633人が被ばくした。国際原子力事象評価尺度は国内最悪の「レベル4」。平成15年には、JCOと事業所長ら社員6人(当時)に有罪判決が下され確定した。


【10年目の教訓-東海村臨界事故】確実な「安全」求めて
9月23日7時57分配信 産経新聞
 昭和41年、茨城県東海村で国内初の原子力発電が始まって以降、原子核の転換によってエネルギーを生み出すという最先端科学に基づく作業は、安全性の確保に向けた試行錯誤の繰り返しでもあった。

 今月19日、同村文化センターで反原子力団体などが集まるシンポジウム「問い続けよう!JCO臨界事故」が開かれ、「脱原発とうかい塾」の相沢一正代表が、ある住民アンケートの結果を発表した。

 それによると、平成11年の「JCO臨界事故」後の原子力に対する村民の考え方が、事故前には「推進派」が半数以上を占めていたが、事故後は「廃止派」が4割近くに及んだという。相沢氏は「被曝(ひばく)をともなう原子力事故は起こる」ことを住民が意識していると訴えた。

 確かに、事故をきっかけに村民の原子力に対する意識は180度変わった。だが、相沢氏らが「事故が風化しつつある」と懸念するように、月日がたつにつれ、「だんだん原子力に対する抵抗感が薄れてきている」(村関係者)こともまた事実だ。

                  ◇

 村内で原子力への抵抗感が和らいでいる要因として、臨界事故以後、国や地方自治体が事故を教訓として、さまざまな施策を実行に移したことがある。

 同村村松の原子力科学館の一角には、古めかしい鉄製の容器が展示してある。「(臨界)事故を真摯(しんし)にみつめ、風化させず、二度と繰り返さないための教訓に」と、県や村が設置したJCOで使われていた沈殿槽の原寸大のレプリカだ。また、事故を検証するとして、村長や村民が当時を振り返る証言映像や、臨界事故に関する解説パネルを閲覧できるようにした。

 事故後の11年12月には、国会で原子力災害対策特別措置法が成立。首相を本部長とする原子力災害対策本部からの指揮系統を確立するなど、“有事”に対応する仕組みも作られた。

 村内には原子力オフサイトセンター(緊急事態応急対策拠点施設)が設置されたほか、同村では毎年、総合防災訓練と健康診断が実施されている。

                  ◇

 だが、事故当時に取材にあたったNHK放送文化研究所の七沢潔氏はシンポジウムで「何も教訓は生かされていない」と切り捨てた。JCO臨界事故は「その後の雪印乳業集団食中毒事件、JR福知山線列車脱線事故といった、日本の『安全崩壊』現象のはしりだった。その安全の切り崩しは、経済効率を優先したことが原因だ」。国をはじめとする行政側が万全の体制をとっても、民間企業が利益追求をする以上、確実な「安全」がないことを暗に示唆した。

 事故後、さまざまな組織ができ、村民の意識も変化した。だが、そこから何を教訓として何を学んだか、関係者は今も考え続けている。(前田明彦)


【10年目の教訓-東海村臨界事故】(下)危険と恩恵  
9月24日7時56分配信 産経新聞
 「東海村のように財政が豊かだったら」-。地方自治体の財政難が叫ばれる中、近隣自治体の首長は異口同音にこう漏らす。

 人口3万6868人(8月1日現在)の茨城県東海村の平成21年度一般会計の当初予算は約184億円。茨城県内で同程度の人口を持つ茨城町(3万4763人)の同年度当初予算が約99億円、行方市(3万8302人)が約142億円ということを考えれば、この村がはるかに豊かな財政状況ということが読みとれる。

 他の首長がうらやむ村財政を支えるのが年間約80億円の固定資産税収入だ。その半分以上は、村内に12カ所ある原子力関係の事業所からもたらされる。

 “原子力の村”だからこその恩恵はほかにもある。原子力発電所や関連の深い施設がある地域に国から交付される「電源立地地域対策交付金」。毎年10億円前後の収入が計算できる。この資金を活用して、村は学校や体育館などの教育文化施設を充実させることができた。

   × × ×

 だが、その“打出の小槌”にも限界はある。土地、家屋、償却資産の価値に基づき、年ごとに算出される固定資産税は、建設から年数がたつにつれ減少。事実、東海村の原子力関連施設からの税収は年々減少している。

 その一方で、国政の大きな変化に伴い、「原子力エネルギーの必要性は、今まで以上に高まる」という見通しも強まってきている。

 鳩山由紀夫首相は22日にニューヨークで開かれた国連気候変動サミットで、「2020年までに温室効果ガスを1990年比25%削減する」との中期目標を表明。事実上の国際公約として、今後は国全体で脱排ガス政策が進められることは必至だ。二酸化炭素を排出しない原子力利用は、時代のニーズに合致する。

 こうした状況を追い風に、村内の原子炉の誘致を主張する「積極派」は、新たな原子炉の誘致を訴える。

   × × ×

 先日の村長選で敗れた原子炉誘致「積極派」の候補、坪井章次氏(60)は「固定資産税など収入が減少していく以上、いずれ何か手を打たなければいけない」と主張する。

 一方、「脱原発とうかい塾」の相沢一正代表は反原発のシンポジウムでの講演で、「JCOの事故を境に、さまざまな人の人生が変わってしまった。それほど大きな事故であった」と、原子力の恐ろしさを説く。

 東海村に限らず、原子力の推進派と反対派の主張が歩みよることはない。だが、原子力と50年にわたり共存してきた東海村は、臨界事故を経験し、その“恩恵”と“危険”の両方を知った。そこから得た教訓で、今後どのようなような原子力政策を進めていくのか。低炭素社会を目指す1つのモデルケースとして、全世界からの注目が集まっていると言っても過言ではないだろう。(前田明彦)

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■基本的に原発バンザイだったはずのメディアが、なんと はに ものが はさまったような、にえきらない いいかた。■地域の活性化と温暖化防止のためには、リスクをおして原発誘致だ! と、りきみたいのを、必死におさえているようす。実にコッケイ。




●旧ブログ「東海村」関連記事
●Google検索「東海村JCO臨界事故10年
●「東海村の原子力」(自治体による広報サイト)
粟野仁雄『ルポJCO臨界事故 あの日、東海村ではなにが起こったか』七つ森書館
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タグ : 真理省 1984年 ハイパー独裁 安全

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コメント

『シリーズ臨界事故のムラから4 原子力村』(那珂書房)

という本を買ってざっとよみました。いまだに重いテーマですな。

東京新聞(茨城版)記事を転写

http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20091004/CK2009100402000106.html
東海村原子力 推進派 村民の75% 茨城大院生調査 事故前と同水準に
2009年10月4日

 一九九九年に核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所で国内初の臨界事故が起きた東海村で、村民の七割超が原子力の推進を支持していることが三日、茨城大大学院人文科学研究科地域政策専攻の泉清志さん(54)が実施したアンケート結果で分かった。廃止派は一割超で、泉さんは「事故直後は厳しかった村民の原子力への感情が、現在は事故前の水準に戻っている」とみている。 (高橋淳)
 泉さんは今年五~六月、同村を介して自治会連合会や民生委員ら三百十六人に調査票を配り、二百五十八人から回答を得た。
 調査結果では「積極的に推進」(14%)「慎重に推進」(61%)を合わせた推進派は75%、廃止派は13%だった。事故の半年前と三カ月後に村が実施した調査の結果では、推進派は過半数から三割強に減り、廃止派が約一割から四割に増えていた。
 一方、泉さんは推進派の大部分が「慎重派」であることに着目。すでに存在する原子力を拒絶することは簡単ではないため、「『やむを得ないので、注意して進めてほしい』との意識が根底にある」と分析している。
 JCO東海事業所の認知度では「よく知っている」「ある程度知っている」が計68%、「名前は知っている」が30%に達した。「知らない」は1%で、村に立地する日本原子力発電東海第二発電所や日本原子力研究開発機構より少なかった。



http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20091004/images/PK2009100402100017_size0.jpg

カブキ・プレイとしての最高裁

原発作業被ばく訴訟:原告の敗訴が確定 最高裁が上告棄却

 東京電力福島第1原発での作業などで被ばくし、がんの一種の多発性骨髄腫になったとして、大阪市の元プラント建設会社社員、長尾光明さん=07年に82歳で死亡=が東電に約4400万円の賠償を求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(堀籠幸男裁判長)は23日付で、長尾さん側の上告を棄却する決定を出した。原告敗訴の1、2審判決が確定した。

 厚生労働省は被ばくと骨髄腫の因果関係を認め04年に労災認定したが、1、2審判決は「因果関係は認められない」として原告の請求を棄却していた。【銭場裕司】

……
毎日新聞 2010年2月24日 20時15分

JCOじゃなくて「もんじゅ」ですが

原発つながりで関連したネタとして。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100422-00000035-mai-soci

たんぽぽ舎より

たんぽぽ舎です。【TMM:No914】
                      転送歓迎です

   ☆☆★    5月1日(土)メーデーと     ★☆☆
   ☆☆★5月3日(月・休日)憲法集会で廃原発活動★☆☆

あなたもいっしょに参加・行動しませんか

〇 たんぽぽ舎は、毎年5月1日のメーデーと5月3日の憲法記念日に、
〔原発を早く廃止しよう〕行動をいくつかの団体と協力・共同しておこ
なっています。(メーデー行動は10数年に及ぶ)

〇 今年も「核開発に反対する会(槌田敦代表)」、「ストップ原発&
再処理・意見広告の会」、「劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク」の
皆さんと協力・共同で、2つの行動(5月1日と3日)に取り組みます。
1万人を超える多くの人々へ原発廃止と各団体の課題をアピールし、
働きかける共同行動です。
 ぜひ多くの人の参加・行動、協力を要請します。

〇 5月1日(土)は、メーデー労働者1万人を対象に朝9時からチラ
シを配り、署名を集め、11時から12時までは東京電力本店前で〔原発
やめて、放射能を出さないエネルギーへ、省エネと再生可能エネルギー
へ〕のアピール活動です。各団体の課題もアピールします。

〇 5月3日(月)は、日比谷公会堂での憲法集会に参加する多くの人々へ
〔原発は憲法をハカイする〕、〔「もんじゅ」運転再開やめよ〕プラス
各団体のアピール内容のビラを配り、署名をあつめる等の活動です。

「もんじゅ」運転再開NO!
「もんじゅ」Pu燃料輸送NO!

やること
 ◆ビラまき(原発は地球環境をこわす、原発は憲法をハカイする)
 ◆署名活動(「もんじゅ」運転再開やめよ、「もんじゅ」を廃炉にせよ)
 ◆パンフレット紹介(小林圭二著「もんじゅ運転再開反対・六ケ所村
  再処理工場 本格稼働を阻止するために」など)

■5月1日(土)午前中の行動
 メーデー労働者1万人へ「原発やめよう・自然エネルギーを」の
 ビラまきなど
 朝9時20分~日比谷噴水前 10時30分~12時まで 東京電力本店前

■5月3日(月)憲法記念日
「原発は平和憲法を破壊する」のビラを参加者へ配る。
 朝9時~たんぽぽ舎にてビラ帳合作業
 朝11時~日比谷公会堂前 12時30分~開会 15時30分デモ出発

※参加できる方は、事前にたんぽぽ舎あてご連絡を頂けると幸いです。


たんぽぽ舎より

たんぽぽ舎です。【TMM:No946】
                       転送歓迎です

たんぽぽ舎も参加している『廃原発ネットワーク・「9・30の会」』
よりご案内です。

───────────────────────────────
  臨界ヒバク事故を忘れず、原発事故を起こさせない!ために
  JCO臨界被曝事故11周年東京圏行動に参加賛同下さい
───────────────────────────────

二人の作業者が亡くなったJCO臨界被曝事故から、11年。
 事故の際、約150メートル離れた工場で被曝した大泉昭一・恵子夫妻がJCO
などを提訴した健康被害裁判は、5月13日最高裁により却下、大泉夫妻敗訴とい
う不当判決が出ました。しかし現地は臨界事故を語り継ぐ会を作り風化させな
い活動をしています。
 国は原子力事故の責任を認め、教訓を引き出すどころか、「もんじゅ」運転再
開、全国各地のプルサーマル計画強行など原子力事故の危険性を増す政策をと
りつづけています。
 しかも(欧米ではすでに破産した…広瀬隆)、地球温暖化を口実に海外への
原発輸出まで考える有様。このような状況を変化させるのは市民一人ひとりの
力です。  
 この事故を忘れない、風化させないことが原発事故を防ぐ大切な要素と考え、
9・30臨界事故11周年東京圏行動をおこないます。
 午前中の犠牲者追悼と抗議行動、午後の講演集会を成功させるために是非参
加・賛同をお願いします。
ご賛同いただける個人・団体の方は、実行委員会までご連絡いただけると幸いで
す。

          9月30日(木) 当日の行動

  午前10:00~11:00 犠牲者追悼と抗議行動
           経産省別館前 (地下鉄霞ヶ関駅C2出口)
  午後6:30~9:00 講演集会
  会 場:明大リバティータワー9階(1096号室)JR御茶ノ水駅下車
  講 師:槌田敦さん、大泉昭一さん・恵子さん

★当日、出店、ビラ、署名受け付けます。
 詳細は実行委までお問い合わせ下さい。

9・30臨界事故11周年東京圏行動実行委員会
連絡先:たんぽぽ舎内 TEL 03-3238-9035 FAX 03-3238-0797
〒101-0061 東京都千代田区三崎町2-6-2ダイナミックビル5F

たんぽぽ舎より

たんぽぽ舎です。【TMM:No960】
                       転送歓迎です

    たんぽぽ舎も参加している『9・30JCO臨界被曝
    事故11周年東京圏行動実行委員会』よりご案内です。

 ★今年もやります。JCO臨界被曝事故11周年東京圏行動★

 ◆再処理工場の2年延期と4000億円増資(電気料金)で、ますます
  核燃料サイクルの展望がなくなりつつあります。
 ◆「もんじゅ」では、3.3トンもの大重量物の落下(お粗末な事故)
  でお先真っ暗。一番大事な原子炉内で起きた事故。もう廃炉し
  かない…の声が高まり。
 ◆広瀬隆さんの『原子炉時限爆弾』が大きな反響を呼んでいます。
  9/22の出版記念会(八重洲ブックセンター)も盛況。
 ◆東京湾に浮かぶ原子炉=米軍・原子力空母反対の声が
  広がっています。
 ◆9・30JCO臨界被曝事故11周年東京圏行動のビラが広く
  配布され、いくつかの反応を呼んでいます。
 ◆政権交代が起きたけれども、原発推進政策は変わらない。
  こういう状況を変えるには市民の力!が必要です。
 ◆作業した二人がなくなったJCO事故を忘れず、原子力
  大事故を繰り返させないために今年も東京圏行動を行い
  ます。(9月26日の茨城での全国集会にも参加します)

     ★★9月30日(木)の東京圏行動へ★★

 1.朝の行動:午前10時~11時 経済産業省別館前にて
              (地下鉄霞ヶ関C2出口が近い)
   犠牲者追悼と抗議行動。
   経産省と保安院に対して申し入れも行います。
   参加者による献花とマイクアピールも歓迎します。
 
 2.夜の集会:午後6時~9時 明大リバティタワー
               (JR「御茶ノ水」駅、
        地下鉄「神保町」駅)で講演集会
 講 師 槌田 敦さん(核開発に反対する会代表)
     「常陽はもんじゅへつづく~核武装できる原子炉」
     臨界事故は「常陽」の燃料作りの課程で発生した!

     大泉昭一・恵子さん(JCO健康被害裁判元原告)

   ※資料代当日1000円、前売800円です。


◎臨界被曝事故11周年行動東京圏集会の賛同が集まっています。
9月22日現在、団体賛同が16、個人賛同が32になりました。
 まだまだ、賛同は受け付け中です。
 ぜひご賛同をお願いいたします。
 9・30実行委員会までご連絡を。
 団体賛同はチケット2枚進呈。
 
◎会場のご厚意で出店用の長机が3つ確保ました。
 机半分で500円です。まだ、若干余裕があります。
 希望団体はご連絡下さい。
 チラシ配布、署名コーナーも設置します。
 チラシは、140枚ご用意下さい。

 9・30行動(朝と夕)にご参加ください。 (アツミ 記)

主 催:9・30JCO臨界被曝事故11周年東京圏行動実行委員会
連絡先:たんぽぽ舎

たんぽぽ舎より

たんぽぽ舎です。【TMM:No965】
                       転送歓迎です

☆☆★たんぽぽ舎も参加している『9・30JCO臨界
   被曝事故11周年東京圏行動実行委員会』よりご報告です★☆☆

◆原子力事故を2度と起こさないために、行動!
◆9月30日(木)朝(追悼と抗議)と夜(講演会)の2つの行動に120人

●午前の行動
 9月30日(木)、雨の中、JCO臨界ヒバク事故11周年の経産省前行動をおこな
った。日本山妙法寺、NCC(日本キリスト者協議会)といった宗教者、山谷労
働者福祉会館、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワークなどの市民団体、たんぽ
ぽ舎、原発を考える品川の女たちの反原発グループ、日野のyさん、抗議の歌を
歌った市民など各団体・個人が様々な立場でJCO臨界事故と原子力の危険性に
ついて訴えた。
 事故が起きた10時35分に参加者全員が2人の死者に対して黙祷、献花の行動を
行い、社民党福島みずほ氏を通じて経済産業省、原子力安全・保安院、資源エネ
ルギー庁(係官2名)に対して申し入れ書(原発推進行政をやめよ)を手渡した。
 最後に経産省に向かってシュプレヒコールを行い、午前中の行動を終了した。
寒い中、参加いただいた13団体31名の皆さん、ありがとうございました。

●夜の講演集会
 18時30分から明大リバティータワーで行われた。最初に実行委員会を代表して
あつみ実行委員会代表が基調報告。
次に、事故を起こしたJCOに対し、健康被害裁判を提訴して闘った、大泉夫
妻が話された。大泉恵子さんは原子力文化振興財団がJCO臨界事故を振りかえ
るために住民に対して募集した手記に応募した文章を元に話された。事故によっ
て生活が一変し、裁判をしたが7年くらい経ってようやく事故に向き合えるよう
になった。被曝した私たちこそ体験を伝えていかなければならないと、話された。
 大泉昭一さんは「各県3名ぐらいずつ放射能に詳しい医者を置くべきと話は出
ているが一向に進んでいない。JCOの事故について言えば、これから晩発性の
被害が出てくると思う。私たちのまわりでも4名がガンで亡くなった。」と11年
経っても住民を苦しめる原子力の恐怖に対して実感をもって話された。事故を風
化させないため、臨界事故を語り継ぐ会を結成した。今後も頑張ると発言。
 なお、会場で集めたカンパ40,030円を大泉夫妻に渡しました。
 槌田敦さんは「日本の核兵器原料生産の現状と9・30臨界被曝事件」と題し
た資料をもとに講演。日本が一貫して核兵器原料生産の方法をたくらんでいたこ
と、臨界条件を無視した動燃の「ムリな注文」によってJCO臨界事故が起こっ
たこと、常陽の炉内破損、六ヶ所村再処理工場、もんじゅ(槌田さんはもんじゅ
・ふげん菩薩とはまったく異なるということで「にせもんじゅ」と表記)炉内落
下事故などで、日本の核兵器原料生産が行きづまっていることを話された。JC
O事故の原因は高速炉常陽の燃料製造(それは旧動燃のウラ金づくり)の過程で事
故が起きたことや、常陽の設計・製造についての原研内の共産党員らの主要な関
わりも初めて話された。
 その後、劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク、西村裁判を支援する会、ス
トップ原発再処理工場・意見広告の会、たんぽぽ舎、いろりばた会議の5つの団
体からのアピールと集会宣言(JCO臨界被曝事故を風化させず、忘れず、今日
の集会で学んだことを生かし、原発・核燃サイクルをやめさせるためさらに奮闘
する宣言)を採択して、終了した。
 参加者は88人プラス3人の講師で91人でした。(記 アツミマサズミ)

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