プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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「メタ言語論(素描力・批評力・反撃力5)」

■「メタ言語論(素描力・批評力・反撃力)」シリーズの 「」「」「」「」つづき。
■禁欲的に対象を「素描」することの困難さと、それよりはずっと「おてがる」な「批評」行為の政治性=権力性を「素描」してきたが、「批評」行為が、批評家・評論家解説者コメンテーターあるいは、新聞・放送局などの解説委員といった、いわゆる専門家とか、ジャーナリスト記者ニュースキャスターなど報道関係者*などにかぎられないことは、いうまでもない。■これら、専門家・報道関係者は、出版会社編集部や放送局編集部(報道部)などにコネクションがあるという意味で特権的な層だったが、インターネットの大衆化によって、そういった、資本や権威にうらづけられた「しきい」というものが、急速に相対化されたからである。

* ニュースキャスターなど報道関係者は、客観報道に徹するといった姿勢を強調することがおおいが、「アンカーパーソンは言葉で批判するのではなく、データの選定で批判するべき。」といったセリフでしめされるように、新聞・雑誌報道と同様、編集作業過程の取捨選択と記事化自体が、まぎれもない権力行使であり、これらは「客観報道」「禁欲主義」のなをかりたカムフラージュというべきだろう。かれらは、私見をまじえていないといいながら、データの取捨選択・加工によって実質的に私的な政治信念をまぎれこませ、それを視聴者・購読者におしつけている。抵抗できるのは、批判精神や疑念をもっているばあいだけといえる。
 これら「禁欲主義」が形式的にキッチリまもられているばあいは、「報道」という形式をとった「素描」にあたるとおもう。「素描」に徹する報道関係者は賞賛にあたいするとおもうし、批判をそえるかどうかといった「批評」力の次元をうんぬんする必要がないはずだ。いいかえれば、「アメリカではかつて、アンカーがニュースに対する私見を述べても良いか否かという論争があった。…しかしクロンカイトの「戦争継続反対」発言(1968年)とそれを一つの要因とするジョンソン大統領の再選出馬断念、そして以後のクロンカイトの絶対の中立という一連の経緯を転機として、この論争には終止符が打たれ、アメリカのテレビジョンジャーナリズムでは「絶対の中立」の原則が定着する」といった経緯・てん末自体が、「素描」に徹することができないジャーナリズムの本質をよくしめしている。「番組構成に対するアンカーの発言力が強く、かれらが事実上のプロデューサーのような役割まで果たすアメリカでは、アンカーがどうしても自己の意見を表明したい場合、番組の構成に微妙なアクセントをつけることで無言のうちにそれを示唆するという手法が稀に行われることがある。一本のセグメントの後にアンカーが厳しい表情で1〜2秒間沈黙したり、セグメントの末尾を愛する者を戦場で失った遺族の顔に光る大粒の涙のクロースアップ映像でまとめるなどといった手法がこれにあたる」なんてのは、情報の取捨選択なんかではなくて、加工にもとづくキャンペーン工作としかいえまい。



■もちろん、インターネット時代の「批評」行為の中心は、「掲示板」と「ブログ」である。なかでも、「2ちゃんねる」をはじめとした大小の匿名掲示板と、人気ブロガー(匿名・本名をとわず)の存在意義はかなりのおおきさをもつようにおもえる。■これらによって、芸能人や政治家など有名人への容赦ない批判が、言語の読解能力(翻訳能力)の限界まで、それこそ世界中につたわる条件がそろったからだ。その破壊力のおおきさの実例としては、「耐震偽装疑惑」を一挙にメジャーにした「きっこのブログ」であるとか、安倍前首相を実質退陣においこんだ立花隆氏の、「メディア ソシオ-ポリティクス」の一連の記事などが、あげられるだろう。■これらは、単純に事件の「素描」をこころみたものではなく、あきらかに「批評」をめざして配信されているし、それに刺激された市民が、また匿名掲示板やブログ等で「批評」行為を連鎖させていくという構造が巨大なうねりをもった。
■ハラナの周辺でも「岐阜県裏金問題」や「フェロシルト」問題とか、「てらまちさん」というブロガーがいなかったら、ああいった全国ネタに「昇格」しなかっただろう事例はいくつかあげることができる。■てらまちさんの最初の配信が「素描」にとどまっていても、ハラナほか周辺のブロガーが「批評」行為をくりかえし、そのうち新聞記者さんたちも、記事化すれば読者がそれなりに反応するって実感をもてたんじゃないかとおもう。検索エンジンをかければ、上位にあがったわけだし。【つづく】
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