プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』3

野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』1、および、のつづき。

■本書は、「挑戦」といった空疎な表現ではなく、意識的に「挑発」という表現を副題にえらんでいる。つまり、あらかじめ 「こしがひけるような層」を あいてにしていないのだ。■いいかえるなら、「おお、『挑発』って、なにするつもりなんだよ(≒おれさまを、おこらせることができるのか? なまいきそうな連中だ)」とか、「『挑発』とか、おもしろそうじゃん(笑)。どれどれ、ヒマつぶしによんみるか?」といった層こそ、第一の「標的」であり、こわごわと 「おそろしげだが、しるひとぞしる野村氏の編著らしいから、一応めをとおしておこうかな…」といった層は、第二の「標的」でしかない。■前者は、なめているがゆえに 読解力=想像力さえそなわっているなら、まさに衝撃をうけて、だまりこんでしまうか、「改心」させられるはずだし、後者は、あらかじめ 自分たちの身体性が 野村氏らの挑発にのりきれないというか、どうせなっとくしきれず、あとあじのわるさだけ体験するだろうことをあらかじめ想定して かまえている層なので、おそらく かわりようがないからだ(たとえば、旧ブログ記事「野村浩也,無意識の植民地主義」で批判しておいた、社会学者のような御仁たち)。■野村氏たちにとって、お上品な啓発活動なんてのはありえない。「植民者」たちに強烈にゆさぶりをかけ、その一部が「改心」するなら 大成果。もちろん、「植民者」の自覚がない層の 虚をつくかたちで、うちのめすのなら、最大の成果といったところだろう。

■では、本書は 一般読者を全然あいてにしない 巨峰なのだろうか? ■実は、軽妙かつ秀逸な コント的記事がちゃんとおりこまれている。■「コラム 憲法九条漫才「沖縄に九条ってあるの?」(ウチナーヤマトゥグチにて)知念ウシ+宮里護佐丸」と、「コラム ユタヌヤーカラタイムトラベル2004――古琉球人は未来の沖縄の夢を見たか 知念ウシ+座安松」のふたつだ。 ■「ウチナーヤマトゥグチ」とは、沖縄版クレオール日本語といってよいが、野村氏による「日本人への説明文」(pp.215-6)が、実にあじわいぶかい。■NHKの「朝ドラ」『ちゅらさん』を、ただおもしろがってみていた層は、写経してよむとよかろう。■野村氏は、前者について「以下のテクストは、これ以上日本語に翻訳すべきではないし、翻訳してはならない」とのべてている。その意味をかみしめるためにもね。■後者は、上下2段組になっていて、下段には「日本語訳」がつけてある。旧ブログで紹介した比嘉清『うちなあぐち賛歌』(三元社)と同様、対訳が必要とされる言語体系の意味をかみしめたい。
■ちなみに、「知念ウシ+宮里護佐丸」という登場人物には、「ちにんうしぃ」「なーじゃとぅぐさまる」という ふりがながふってある。日本語的におこせば、そういった表記法しか おもいうかばないってところだろう。■「知念ウシ+座安松」には、“chinin ushii”“zayasu matsu”というヘボン式ローマ字が。■これらの固有名詞と発音・表記についても、実はおくがふかい。

■と、少々、おどろおどろしい紹介になってしまったが、純粋にエンタテイメントとして、たのしめる。思考・思想の柔軟性があれば、そして、読後感に ホロにがさをあじわえればのはなしだけれど。
修学旅行のいきさきとして、いまだに沖縄は人気がおちていないようだが(『日本人という自画像』という本では、「9・11テロ」騒動で、急にキャンセルした「本土」の学校関係者が、徹底的に批判されているけど)、新城俊昭『高等学校琉球・沖縄史』(地方・小出版流通センター)と、このふたつのコラムぐらいは、よんでいくべきだとおもうよ。最低でも、引率の先生ぐらいはね。■そうでないと、米軍基地を周囲から「保護」しているフェンスをみても、牧志公設市場を見物しても、なにもわからないとおもうよ。■沖縄戦の歴史的経緯を、教科書的にお勉強したって、歴史性なんてつかめない。【つづくかもしれない】

●旧ブログ「沖縄戦」関連記事
●旧ブログ「植民地 沖縄」関連記事
●旧ブログ「9・11テロ」関連記事
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テーマ : 軍事・平和 - ジャンル : 政治・経済

タグ : ハイパー独裁 1984年 真理省 安全 ナショナリズム

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コメント

TBが通らないようですので、こちらに失礼します。

『植民者へ』の紹介というか何というか、今できる範囲で書いてみました。つくづく、重たい問いかけを突きつけてくる一冊だと思います。
ベストセラーになってほしいです、真剣に……。

ありがとうございました

仲@ukiuki さま


「植民者」として「ポストコロニアリズムという挑発」に吹っ飛ばされる(2)

ありがとうございました。■まったく同感です。

■Google の検索結果は、
http://www.google.co.jp/search?q=%E9%87%8E%E6%9D%91%E6%B5%A9%E4%B9%9F+%E7%B7%A8%E3%80%8E%E6%A4%8D%E6%B0%91%E8%80%85%E3%81%B8%E2%80%95%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86%E6%8C%91%E7%99%BA%E3%80%8F&num=20&hl=ja&rls=GGLJ,GGLJ:2006-29,GGLJ:ja&start=80&sa=N
と、おさむい反応のまま、広報活動に成功していませんが、おたがいがんばりましょう。■われわれヤマトゥンチュには、その責務があります。

「神奈川>沖縄」で植民地化が進行している?

http://d.hatena.ne.jp/sumita-m/20080926/1222407806
http://postcolonialwriting.blogspot.com/2008/08/blog-post_22.html
もうひとつの問題は、「日本本土」を一枚岩的に扱い、植民地=沖縄と対比させている点である。私見では、東京とアメリカが共謀して作り上げた真の植民地は、沖縄県というよりは神奈川県のほうだからである。たとえば、横浜開港は香港やカルカッタの開港と対比されるべきだし、横須賀市と相模原市は日本の軍都として建設され、今では米軍基地となっている。極めつけは、県民がペリー来航を大いに祝い、東京とアメリカに郷愁の念を抱いていることだろう。ちなみに相模原南部に私は住んでいるが、祭りの踊りは「阿波踊り」である。こういう土地こそ植民地と呼ぶのに相応しい。沖縄植民地論を展開している学者たちがそろいもそろって、東京のお膝元が植民地であることを何故見抜けないのか。なかには、神奈川で暮らしたり勉学したりした「無意識のコロン学者」がいるのではないか。


■ポストコロニアリズムについての理論的妥当性はおくとして、厚木基地や横須賀基地が、沖縄に集中する米軍基地問題と同列、いや前者の方が深刻だって認識には、あきれる。■ま、もちろん、横須賀を母港とする原子力空母が事故をおこすとか、巨大なリスク要因ではあるし(http://www.news.janjan.jp/living/0807/0807150059/1.php http://www.book.janjan.jp/0811/0811161586/1.php)、それをおちょくった記事さえある(http://blog.iwajilow.com/?eid=877466)。■しかし、現在、沖縄以外の米軍基地周辺で、海兵隊員による暴力という不安がつきまとうとか、戦闘機が墜落して大事故がおきるかもしれないといった危機感が切迫している地域があるだろうか? 離着陸の回数だって、民間人の生活空間との距離だって、同列にあつかうのは、まずいんじゃないか? 「横浜米軍機墜落事件」(1977年)、「町田米軍機墜落事故/大和米軍機墜落事故」(1964年)という、いたましい事件をふまえてもね。■米軍は、沖縄以外では重大事故を絶対おこさないようにしよう、といった、「綱紀粛正」がはたらいているような気がしてならない。
■沖縄では「宮森小学校米軍機墜落事故」(1959年)という大惨事が、記憶されつづけている。「沖国大米軍ヘリ墜落事件」(2004年)みたいに、おもいださせる事故が、ときどき おきてしまうから。■神奈川周辺で、そういった記憶がどのぐらい維持されているだろうか?
■こういった、現実的なリスク論、地域の不安の現実から遊離したポストコロニアル理論とやらの有効性には、疑念がぬぐえない。■いや、「支配を感じていないという 感覚マヒ自体が、植民地の完成ぶりをしめしている」という皮肉自体は わからなくもない。沖縄だけでなく、日本列島全体が米軍の植民地だというのは、ハラナの持論だし。■しかし、神奈川だって植民地なのに、沖縄とヤマトの二項対立しかとりあげないから、破綻している、みたいな議論自体が、沖縄に米軍基地が集中しているという、厳然たる政治=差別から、めをそらそうといった防衛機制をかぎとってしまうんだが、ちがうだろうか?■神奈川の方が無自覚で能天気な分、沖縄より深刻な軍事植民地だ、みたいな、一見かしこげな皮肉っぽいヘリクツをはくことが、ポストコロニアル文学研究とやらなのだったら、そんな理論、いらんわな。それなら、たくさん本をよむことによって、こざかしくなるということだとしか、おもえないから。■そんなもの、大学周辺で、まわりの 不勉強な、あるいは、少々リクツによわい先生方に対する優越感にひたる効用はあっても、植民地状態から解放するための 具体的な「ごりやく」なんて、ありそうにないし。
■この先生に、ひとこと、もうしあげておこう。その「私見」とやらを、基地周辺の住民にむかって、といてまわられたらと。アルコールがのめるなら、居酒屋でいいですよ。そこで、住民がみんな、神奈川はホント深刻だねぇと、うなづいてくれるかどうか、たしめしてみては?


■それと、おそらく無自覚な防衛機制として、米国の植民地である日本、日本の植民地である沖縄、という二重構造を、否定したいという動機が、みえかくれする。つまりは、ヤマト人が、自分たちの安全保障やら、対米追従姿勢から、沖縄に基地を集中して迷惑施設=リスクをしょわせているという加害者性をうすめたいんだとおもう。■その意味では、この先生、野村先生たちの議論が、ポストコロニアル文学理論上、おとっているだの、現状認識として事実誤認があるだのといった、論証ができないと、まずいんだとおもう。
■いや、むずかしいことは わからんので、それが妥当なのかもしれないという前提で議論をすすめるにしても、(1) われわれ 不勉強な層にも、わかるように立論してくれ、ということ。(2) 野村先生たちが、「ヤマトンチュは、植民者にほかならない」と、つきつけたことに対して、「いや 二項対立は事実認識として、このように まちがっている」と、反証してほしいこと、(3) でもって、それに成功したとして、加害者性が はたして 否定できたのか? って疑問にこたえる説明責任をはたすことだね。■たとえば、普天間飛行場なみの基地施設が、どんどん神奈川あたりに移設されて、それこそ、ヤマト:オキナワ=99:1ぐらいの比率に是正されないかぎり、野村先生たちの告発は、ただしいんじゃないだろうか? ちがうという根拠は、どこにあるんだろうか? 全然わからんのだが。■これは、不勉強だからだろうか? アタマがわるい、ないしは、アタマをつかおうとしていないからだろうか? しかし、そういった知的水準の人間が人口のほとんどをしめるのなら、それにあわせた説明責任が、知識人にはあるんじゃなかろうか? 全然疑問がはれないんだが、どんなもんだろう…。

追加

■もちろん、「自衛隊の米軍下請化が進行:追記あり」(『辺野古浜通信-photo-』2008/11/18 http://henoko.ti-da.net/e2281140.html)にもあるとおり、日本列島の植民地化は、オキナワだけの問題ではなく、神奈川あたりでも、ちゃんと進行中であることは、いうまでもない(http://www.rimpeace.or.jp/index.shtml)。■でも、ときどきの演習がニュースねたになる神奈川かいわいと、米軍関連の話題が紙面からきえることが ありえないオキナワと、どうして前者が問題が深刻なのか? やっぱり説明責任あるとおもうよ。■ポストコロニアル文学研究とやらが、そんなにすぐれものであるなら、その有効性・射程を立証するためにね。


●吉田 健正『「軍事植民地」沖縄 日本本土との「温度差」の正体』(高文研 http://www.koubunken.co.jp/0400/0385.html
●「沖縄だけでなく、日本の米軍基地周辺は植民地である」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/2180
●「人類館と無意識の植民地主義」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/154


リンク(旧ブログ記事)追加

●「野村浩也,無意識の植民地主義」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/101
●「吉田健正『戦争はペテンだ』」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/284
●「転載:沖縄振興策の評価(読売新聞 沖縄)」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/613
●「沖縄は基地を拒絶する」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/324
●「サンフランシスコ講和条約55年」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1649

もう一件追加(これも全部旧ブログ記事)

●「軍事植民地としてのニホン/オキナワ」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1969
●「新崎盛暉,未完の沖縄闘争」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/262
●「迷走する普天間基地返還」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/148
●「反対派をクルマでひいて、ケガさせても逮捕する名護市・名護署」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1093

新城俊昭『ジュニア版琉球・沖縄史―沖縄をよく知るための歴史教科書』

沖縄史、若者に照準 新城俊昭教諭・沖縄歴史研究会代表 2008年9月9日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-136070-storytopic-1.html

 沖縄の歴史教科書や副読本づくりに取り組む新城俊昭宜野湾高校教諭(沖縄歴史研究会代表)が、中学生以上の若い世代向けに「ジュニア版琉球・沖縄史―沖縄をよく知るための歴史教科書」を作成している。沖縄の先史時代から現在までの歴史の流れを、写真と図を多用し、かみ砕いた内容でまとめている。新城教諭は「琉球・沖縄史を通し沖縄を取り巻く社会状況や課題を、沖縄の子どもにも県外の人にも理解を深めてほしい」と話す。昨年「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が開かれた9月29日までに発行する方針。
 同書は当初、小学校高学年向けの内容を予定していたが「大人も意外と沖縄の通史を知らない」「県外の人にもっと沖縄のことを知ってほしい」との意見を取り入れ、より詳細なデータを付け加えて中学生以上を対象にした。新城教諭は「県民大会に参加し、県外の人にも沖縄の子どもに対しても発信が足りなかったと感じた。理解してもらう努力をしなくてはならない」と作成の動機を話す。
 同書では通史を一通り紹介するだけでなく、興味をひく事項を掘り下げて追究したり、クイズ形式で基本的な沖縄の知識を問うなど、多角的に歴史に触れられるよう工夫。沖縄が現在抱える課題にも触れている。
 平和学習の教材としても活用できるよう、沖縄戦や基地問題の分野を充実させた。新城教諭は「沖縄だけで戦争があったと思っている子どももいる。(1931年の満州事変に始まる)15年戦争からの流れが分かるようにしている。『集団自決』ではその悲惨さを伝えるために金城重明さんの手記を引用した」と説明。「まとめとして沖縄戦の特徴と沖縄戦から何を学ぶか、県民にも問題がなかったかを問い掛けている」と話す。
 新城教諭は「自分自身を知るためには足元を知る必要がある。歴史と対話し考える力、批判する力を養ってほしい」と話し「歴史に翻弄(ほんろう)された沖縄から学ぶ部分は大きい」と県外にもアピールした。
 同書は編集工房東洋企画から5000部発行。A5判オールカラー368ページで、定価1500円(税別)。9月29日までに県内書店に並ぶ予定。県内小中高校には寄贈する方針。問い合わせは編集工房東洋企画098(995)4444。(熊谷樹)



近現代史に力点 「琉球・沖縄史」ジュニア版完成 2008年9月25日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-136524-storytopic-7.html

「ジュニア版琉球・沖縄史―沖縄をよく知るための歴史教科書」

 中学生以上の若い世代向けに沖縄の先史時代から現在までの歴史の流れを紹介した「ジュニア版琉球・沖縄史―沖縄をよく知るための歴史教科書」がこのほど完成した。29日までに県内書店に並ぶ予定。執筆者の新城俊昭宜野湾高校教諭(沖縄歴史研究会代表)は「学校の教育課程で沖縄の歴史を体系立てて学ぶことは時間的にも難しい。副読本としてだけでなく授業外の学習や読み物としても活用してほしい」と話す。
 同書は図や写真を多用し、興味をひく事項を掘り下げて追求するなど多角的に歴史に触れられるよう工夫している。また沖縄戦を含む近現代史に200ページ近く費やし、現在沖縄が抱える課題につながる歴史的事実も紹介している。
 新城教諭は琉球・沖縄史を学ぶ目的を「沖縄を主体に日本や世界の歴史を学び、これを分析する力を養い、過去の歴史に正しい評価を下す歴史観を培うことにある」と説明し「自分自身の足元を掘り返すことはどう生きるかを考えるチャンスになる」と呼び掛けた。
 同書はA5判オールカラー368ページで編集工房東洋企画が発行。定価1500円(税別)。問い合わせは編集工房東洋企画098(995)4444。



http://www.toyo-plan.co.jp/books/ryukyu/post_17.html
ジュニア版 琉球・沖縄史編集工房 東洋企画新城俊昭 著A5判 368頁定価1,500円+税ISBN978-4-938984-56-4
沖縄をよく知るための歴史教科書
 「沖縄学の父」といわれる沖縄研究の創始者・伊波普猷。氏は、みずからの生まれ育った地域には、先人の知恵や自分自身の存在理由を解き明かしてくれるヒントが詰まっていて、そこを掘り起こし見つめ直すことが、全てのものの見方や考え方を養う礎となるということを語っています。
 本書は「琉球・沖縄史」の教科書(入門書)として、沖縄の将来を担う若い人たち(主に中学生以上の若い世代)や、沖縄と関わりをもって生きてゆく人たちに読んでもらうため、かみ砕いた内容で歴史事実を記述し分かり易くまとめました。「琉球・沖縄」という豊かな歴史の泉を知ることで、将来あなたの力強い支えとなってくれる一冊です。




神奈川植民地論

なんだか完全に勘違いしていますね。

>それこそ、ヤマト:オキナワ=99:1ぐらいの比率に是正されないかぎり、野村先生たちの告発は、ただしいんじゃないだろうか?

こういう告発が100%正論であると認めていることから議論が出発している。

ところで沖縄の植民地と神奈川の植民地とは位相の違いを理解できていないようですね。

そもそも、私もそうだが、神奈川住民の多くは実は植民者である。被植民者の側にいる沖縄人とは、全然立場が異なっている。私は池澤夏樹がコロン(作家)であるように、やっぱりコロンなんですよ(立場が異なりながら、交流の可能性もあるのではないのか? それがポストコロニアル理論の発想でしょう)

もう一つは、神奈川県の生成である。神奈川・横浜・相模原あたりは、植民地化によって初めて形成された土地である。ある意味ではオーストラリアにも比べられるし、カルカッタとも比べられる。人もあまり住んでいない土地が外部から開発されてできたもの。(そういう土地で生まれた文学がポストコロニアル文学であり、ポストコロニアル文学研究だといえる)。

>野村先生たちの議論が、ポストコロニアル文学理論上、おとっているだの

劣っているというか、全然知らないんじゃないのでしょうか。ポストコロニアル理論は沖縄の現実を考えるのには、あまり向いていないということ。つまり、サイードなんかを利用せずに沖縄問題を議論すれば良いのです。もちろん韓国も植民地とは言い難いのでサイードを使う必要はありません。

骨の髄から宗主国文化に染まってしまっているのが、植民地の悲劇。他方、沖縄人は沖縄の歌や踊りをもち、沖縄語をもっっている。あんまり植民地化されていないのです。しかも、基地を愛していないね。

自慢じゃないけれど、神奈川県の人間は基地大好きの人も多い。もちろん在日ないしは在フィリピンのフィリピン人も基地が好きです。言葉も文化もありません。


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神奈川植民地論

なんだか完全に勘違いしていますね。

>それこそ、ヤマト:オキナワ=99:1ぐらいの比率に是正されないかぎり、野村先生たちの告発は、ただしいんじゃないだろうか?

こういう告発が100%正論であると認めていることから議論が出発している。

ところで沖縄の植民地と神奈川の植民地とは位相の違いを理解できていないようですね。

そもそも、私もそうだが、神奈川住民の多くは実は植民者である。被植民者の側にいる沖縄人とは、全然立場が異なっている。私は池澤夏樹がコロン(作家)であるように、やっぱりコロンなんですよ(立場が異なりながら、交流の可能性もあるのではないのか? それがポストコロニアル理論の発想でしょう)

もう一つは、神奈川県の生成である。神奈川・横浜・相模原あたりは、植民地化によって初めて形成された土地である。ある意味ではオーストラリアにも比べられるし、カルカッタとも比べられる。人もあまり住んでいない土地が外部から開発されてできたもの。(そういう土地で生まれた文学がポストコロニアル文学であり、ポストコロニアル文学研究だといえる)。

>野村先生たちの議論が、ポストコロニアル文学理論上、おとっているだの

劣っているというか、全然知らないんじゃないのでしょうか。ポストコロニアル理論は沖縄の現実を考えるのには、あまり向いていないということ。つまり、サイードなんかを利用せずに沖縄問題を議論すれば良いのです。もちろん韓国も植民地とは言い難いのでサイードを使う必要はありません。

骨の髄から宗主国文化に染まってしまっているのが、植民地の悲劇。他方、沖縄人は沖縄の歌や踊りをもち、沖縄語をもっっている。あんまり植民地化されていないのです。しかも、基地を愛していないね。

自慢じゃないけれど、神奈川県の人間は基地大好きの人も多い。もちろん在日ないしは在フィリピンのフィリピン人も基地が好きです。言葉も文化もありません。


2009/04/03 08:47 | shakti(bagong.island@gmail.com) #SK0wx5hM(http://postcolonialwriting.blogspot.com/

「メタ言語論」的に コメント

■メタ言語論(素描力・批評力・反撃力)」シリーズ(http://harana.blog21.fc2.com/?q=%A5%E1%A5%BF%B8%C0%B8%EC%CF%C0)でかいたことと、ちょこっとからむが、ここでは、たちいらない。■確認すべきことは、匿名掲示板と ブログとでは、議論がおきる文脈(政治性)が全然異質であるという点。■掲示板のばあいは、それが個人のサイト内部のものでないかぎり、管理人の「私有地」ではなく、公共スペースだという性格をおびつづけているのに対して、ブログは、公開された時点で私的な「ひとりごと」の次元をこえてしまう点で、準公共スペースではあっても、あくまで「私有地」の一時的開放みたいな空間に とどまるということ。■だから、具体的根拠もしめさずに、「完全に勘違いしていますね」などと、のっけから ケンカをうるような かきこみと、ブログ管理者は対話をおこなう責任をもたない。ブログ管理者には、それ相応の礼儀をわきまえるという、お作法をわきまえていない人物なわけだから。■こちらとしては、かなり辛らつに批評したものの、だからといって、到底議論が冷静にすすむはずもなかろう、等々、認識上のミゾを直感したからこそ(時間の浪費も予想されたし)、批評の事実について、わざわざトラックバック等で「通告」する作業をひかえたのだが、どうも、つたわらなかったようだ(ちなみに、当該記事のばあい、コメント欄はあっても、トラックバック欄はない。コメント欄に うえのような主旨のかきこみをすることは、議論をふっかけるというよりは、ケンカをうることにちかいだろう)。

■さて、「こういう告発が100%正論であると認めていることから議論が出発している。

ところで…
」といった、論拠の欠如、ながれ上の飛躍をなんともおもわない人物が、研究者であるらしいというのは、おどろきである。■まさか、教育者ではなかろう。万一そうなら、パワハラをくりかえしているのではないか? なにしろ、論拠を具体的にしめさず(つまり、メンドくさがって)、なじるだけなじるのだから。


神奈川住民の多くは実は植民者である。被植民者の側にいる沖縄人とは、全然立場が異なっている。私は池澤夏樹がコロン(作家)であるように、やっぱりコロンなんですよ(立場が異なりながら、交流の可能性もあるのではないのか? それがポストコロニアル理論の発想でしょう)

もう一つは、神奈川県の生成である。神奈川・横浜・相模原あたりは、植民地化によって初めて形成された土地である。ある意味ではオーストラリアにも比べられるし、カルカッタとも比べられる。人もあまり住んでいない土地が外部から開発されてできたもの

 ↑ もともとの議論を批判したときに、「むずかしいことは わからんので、それが妥当なのかもしれないという前提で議論をすすめるにしても、(1) われわれ 不勉強な層にも、わかるように立論してくれ、ということ」といった ぐあいに、具体的論証をもとめておいたのに、やっぱり こりていない。■「植民地」概念に、ズレがあることが、あきらかなのに、そのミゾをうめようとはせず、ひたすら、自論にだけ よりかかっているわけだ。そのうえで、一方的に、あいてを「完全に勘違い」などと、きめつける。

■もし「人もあまり住んでいない土地が外部から開発されてできた」空間を「植民地」だという立論なら、それは 実に特殊なものであり、そういった議論が どこに根拠をもつのか、文献的に しめしてほしい(植民地論のプロではないので、やさしいヤツをね)。
■ハラナの認識では、歴史上の「植民地」に貫徹している普遍的共通性とは、先住者の存在を過小評価しつつ、「人もあまり住んでいない土地があいているから『開発』していいんだ」といった 強引な論理のもと 殖民・収奪などをくりかえすことで、基盤がつくられた空間の暴力過程である。■南北アメリカ大陸にしろ、オセアニアにしろ、シベリアにしろ、旧蝦夷地にしろ、みんな先住者がちゃんとくらしていたのに、どやどやと、はいりこんだ ところ ばかりと。■でもって、「人もあまり住んでいない土地」とかいいはるくせに、その実、奴隷労働など、タコ部屋をつくるなど、暴力団的な行為が反復されてきた。■そして、植民地の大多数が、圧倒的な人口移動によって先住者を包囲・無力化することで完成形となる点は、一応確認しておく必要があるだろう。

■しかし、植民地には、第二の類型がある。それは、南アフリカや 琉球列島・台湾・朝鮮などでおこなわれた、エリート主導による少数者支配である。■このタイプのばあい、「先住者」たちは かなりの人口ボリュームを維持した定住民であり(だから 植民者は人口比では、少数者のままとどまりつづけたりする)、歴史的経緯がちがっていたら、国民国家になって当然のような実体をもっている。事実、王国を前身とし、それによって民族意識の中核としてはたらき、独立運動を成功させるばあいさえある。■したがって、この類型にあてはまる空間については、「人もあまり住んでいない土地」なんて規定は、ハナからナンセンスだ。
■重要なのは、この第二の類型を植民地とみなさないという、かなり突飛な議論を展開することで、神奈川がどうの…、といった植民地論を展開していることに、自覚がない点だ。■ハラナが植民地論にしろうとだとはいえ、こういった かなり特殊な立論を当然視=正当化するような、しろうとにも わかりやすい文献なんて、なさそうだ、ぐらいは 見当がつく。

■では、現在の「神奈川県」という空間における、軍事植民地形成の過程は、どうかという点が、ひとつのこる。
■上山和雄 編著『帝都と軍隊』(日本経済評論社 http://ci.nii.ac.jp/naid/110002365553/)などをみても、現在の米軍基地の前身として、帝国陸海軍の基地や工廠(http://ja.wikipedia.org/wiki/工廠)などが政府によって整備されたことのインフラが重要なことがよくわかる。■それは、太平洋戦争末期に、対米前線基地として、急ごしらえで整備された飛行場などが、ハンパな破壊工作もむなしく、米軍に再整備されて、現在の在沖米軍基地となっている点と、ちょとだけにている。■その意味で、横須賀市などが、旧海軍と、米海軍によりそうかたちで現在があること、日産自動車など民間需要むけ生産拠点として経済の重心が変化したとはいえ、有事の際には、戦時中同様、軍需工業に転換する潜在力をひめていることは、すでにのべた(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-353.html)。■しかし、そんなことと、米軍が基地周辺の民間人居住地に対しておよぼす影響という意味で、横須賀市などが軍事植民地だというのは、かなり 特殊な立論だ。基地被害の統計とか、基地経済の地元への比率などをだせば、歴然とするのではないか?
■このような、横須賀のアメリカ海軍基地の存在などと、沖縄の海兵隊基地の存在などの異同の議論は、基地返還運動などでは、連帯が可能だろうが、深刻さという意味では、全然比較にならない。■それは、うえにのべた、「密度」の次元がちがうから。神奈川県民も、自分たちの意思でもって、米軍基地を返還させるのには難儀をしているが、それでも だいぶ返還されたといえるだろう。沖縄のばあい、基地面積がへっても、機能面でスリム化されたわけではないし、暴力的な海兵隊員の集住というリスク要因は、全然解消のメドがつかない(米軍再編で、今後は、わからないが)。■つまりは、NIMBY(http://harana.blog21.fc2.com/?q=NIMBY)構造として、双方とも「巨大迷惑施設」をおしつけられた、軍事植民地ではあるのだが、基地被害やリスクの質・量が、ちがいすぎるのだ。
■こういった点をみていったとき、「沖縄人は沖縄の歌や踊りをもち、沖縄語をもっっている。あんまり植民地化されていない」といった、「しったかー(半可通)」の認識にとどまったままで、「神奈川県の人間は基地大好きの人も多い。もちろん在日ないしは在フィリピンのフィリピン人も基地が好きです。言葉も文化もありません」といった、おそらく かなり乱暴な議論水準だろう放言によって、沖縄=軍事植民地論が無効であるかのような、ネジまげは、こまるのだ。■そして、こういった認識水準のままで、野村浩也 編『植民者へ―ポストコロニアリズムという挑発』などの議論を こばかにするような態度は、かりに ポストコロニアル文学理論にてらして妥当性があるにしても、「完全に勘違いしていますね」と、かえしたくなる。
■たとえば、中野敏男/波平恒男/屋嘉比収/李孝徳[編著]『沖縄の占領と日本の復興 植民地主義はいかに継続したか』(青弓社,2006年)の論者たちをまえに、神奈川県の基地周辺住民の方が、深刻な植民地化の典型例というべきです。あなたがたは、めぐまれている。などと、いいはなつ根拠と気概があるんだろうか? たとえば、新城郁夫「沖縄占領とゲイ身体政治 植民地の男性セクシュアリティ」などは、強烈な印象をのこすポストコロニアル文学といえるとおもうんだが、読後感は?(ちなみに、この論文は、『現代思想』2005年9月号初出だそうだから、ポストコロニアル文学の専門家を任ずる御仁が、未読とはとてもおもえないが…)

>たとえば、中野敏男/波平恒男/屋嘉比収/李孝徳[編著]『沖縄の占領と日本の復興 植民地主義はいかに継続したか』(青弓社,2006年)の論者たちをまえに、神奈川県の基地周辺住民の方が、深刻な植民地化の典型例というべきです。あなたがたは、めぐまれている。などと、いいはなつ根拠と気概があるんだろうか?

当たり前だろうと言いたいね。こういう分からず屋の文章を読むと燃えるね。

ちなみに私の専門はフィリピンだが、沖縄はあんまり植民地化していないと断言できる。第一、アメリカへのLOVEが少ない。つまり、精神が奪われていないということだ。精神の故郷をもっているということだ。

あるいは、沖縄には伝統がある。踊りがある。酒がある。フィリピンの伝統というのはスペイン文化である。フィリピン人の踊りはディスコである。酒はセルベッサとビールである。(もっともココナッツ酒もある)。

RAPEされて出来た子供、そして、RAPEする人を愛する、あこがれる人、またRaPE語で話すことを誇りに思う人、それが植民地主義の根本問題ではないのか?

ところで神奈川はその内側からアメリカと日本軍部によって生成された土地である。帰るところは、強いて言えば、東京か。アメリカか。

故郷を守ろうと必死な沖縄人。大変だとおもう。帝国主義的暴力の悲劇である。だが、故郷がアメリカや東京である神奈川人は故郷は最初から失われている。そういう意味で本当の植民地の犠牲者なのだ。

ただし帝国主義的暴力の犠牲者はどっちかと聞かれたら、沖縄だろうね。神奈川人(コロン))は、ぬくぬくと温もっている。mixiをみると、厚木基地LOVEなんて言う人も多い。

ついでだが、フィリピン人も米軍基地が有れば良かったという人が多いよ。

ポストコロニアル系の住人には、セクシストなど こまったさんが おおい

■「植民地」概念の、特殊というより、ひとりよがりな規定にもとづいて、当事者のことなんか全然考慮しないような議論をどんどん展開できる神経には、おそれいる。■現地のひとびとが、軽侮する、距離をおくのは当然だろう。
■これでフィールドワークなど展開しているとしたら、なにを情報収集できているのか微妙だし、毎回調査公害をまきちらしているんだろう。まさに、無自覚な植民者・帝国主義者。

●『調査されるという迷惑―フィールドに出る前に読んでおく本』(宮本 常一+安渓 遊地,みずのわ出版 2008 ←再掲(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-983.html#comment2875

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