■旧ブログから 再三とりあげてきた、
日米間の「密約」問題。直接には「
発信箱:密約告白ラッシュ=伊藤智永(毎日・外信部)」「
核持ち込み密約:米核持ち込み、密約文書引き継ぐ 村田元次官「外相に説明」(毎日)ほか」、および「
けっして真相追究キャンペーンにいたらない沖縄密約文書問題」などの続報。■『朝日』の記事から。
沖縄密約、文書の「写しとった」 元外務省局長が陳述書2009年8月26日5時0分
72年の沖縄返還に伴って日米間で交わされたとされる「密約文書」をめぐる情報公開訴訟で、原告側は25日、当時の交渉責任者だった元外務省アメリカ局長の吉野文六氏(91)が「(密約文書の)写しはとったと思う」と述べている陳述書を東京地裁に提出した。
国は「文書は存在しない」と繰り返しているが、吉野氏の証言は少なくとも当時は文書があったことを示唆しており、この日の法廷で杉原則彦裁判長は、沖縄返還をめぐる文書の保存と廃棄の実態について具体的に示すよう国に求めた。
訴えているのは、作家の澤地久枝さんや立正大講師の桂敬一さんら25人。
吉野氏は陳述書で「相手国が公開したような文書まで秘密にする必要はない、そう考えて事実をお話ししています」と述べている。当時、米側と、(1)表向きは米側が「自発的に支払う」とされた軍用地の原状回復費400万ドルを日本が肩代わりする(2)沖縄にあった短波放送「アメリカの声(VOA)」の中継局の国外移転費1600万ドルを日本が秘密裏に負担する――などの密約を交わし、自分で文書にサインしたことを認めたうえで「(外務省の)局長室で署名したのですから、写しはとったと思います」などとしている。ただ写しをどう保管したのかは「分からない」という。
原告側は同日、吉野氏の証人尋問を請求。杉原裁判長は請求を採用する意向を示し、具体的な期日も指定した。
ただ民事訴訟法上、元公務員に対して職務上の秘密について尋問する場合は、所管省庁の承認が必要とされている。承認を求められた省庁は、公務に著しい支障を生ずる恐れがなければ拒めないともされており、杉原裁判長は「外務省の承認は得られる、と期待している」と述べた。近く手続きを進める。
一方、被告である国側はこの日、原告側が開示を求めている文書について「最終的な合意文書ではなく、外交交渉の途中において、米国側が経過を示すために作成した備忘録などに過ぎない」と主張。仮に外務省や旧大蔵省が文書を取得していたとしても、当時の文書管理規定にもとづいて「現在までの間に廃棄されている可能性が十分に認められる」などと主張した。(谷津憲郎) ----------------------------------
■当然、こういった組織は体質的に権力犯罪をくりかえし、かくしとおそうとする。こちらは、おなじ『朝日』の「東京本社版」1面トップ。
日本、「核密約」文書の再機密化要請 公開した米に2009年8月26日3時48分
日米両国の「核密約」の根幹部分が記された公文書が99年に米国で公開された際、日本政府が米側に公開を取り消すよう要請していたことが分かった。文書は、核兵器を積んだ米艦船や航空機の日本への立ち寄りを事前協議なしに日本が認めることを確認した内容。日本からの要請の直後、米国務省によって再び機密指定されていた。
当時の政府関係者が匿名を条件に経緯を証言した。米国の公開文書を封印するよう日本側が求めた事実は、日本政府が「核密約」の存在を国民の目から隠そうとしたことを示している。「核密約は存在しない」という一貫した日本政府の主張が崩れ、情報公開の観点からも批判を招くことは必至だ。
問題の文書は、60年の日米安保条約改定を前に、核兵器を積んだ米艦船や航空機の立ち寄りや通過をそれまで通り認めることを日米で確認した59年の「安保条約討議記録」など。60年6月に米国務省北東アジア部が作成した「議会用説明資料集」の中に含まれていた。当時のハーター国務長官が、議会に安保条約改定の批准承認を求める際の答弁用資料として用意されたと見られる。
米国の公文書は原則として作成から25年を超えると公開の対象となる。「資料集」は99年秋までにいったん機密指定が解除され、全文が公開された。しかし、「討議記録」など密約に関連した部分だけが、同年12月13日付で再び非公開文書に指定され、公開文書から削除された。「安全保障上の機密情報」が含まれていたことが理由とされた。
元日本政府関係者は「文書の公開を知って、ただちに(機密指定の)解除を取り消すよう米側に申し入れた」と証言する。「米国の文書公開の判断はずさんだ」とも指摘し、公開の際に日本側の事情が考慮されていなかったとの見方も示した。申し入れは、外交ルートを通じて行われたという。
ただ、問題の文書は、非公開となる直前の99年11月、情報公開に取り組んでいる米国の民間研究機関「ナショナル・セキュリティー・アーカイブ(NSA)」の研究員が、米国立公文書館でコピーを取っており、それを入手した朝日新聞が00年8月に全容を報道した。コピーがなければ、今なお内容が明らかになっていなかった可能性が高い。
99年12月当時、小渕内閣の河野洋平外相の下で外務事務次官を務めていた川島裕・宮内庁侍従長は先月、核密約問題についての朝日新聞の取材に「コメントする立場にない」と述べている。(倉重奈苗)
◇
〈安保条約討議記録〉 60年の日米安保条約改定の際に新設された「事前協議」制度の具体的運用について、当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使の合意を記録した文書。事前協議について「米軍機の日本飛来や米海軍艦艇の日本領海・港湾への進入に関する現行の手続きに影響を与えるものとは解釈されない」と明記。核搭載米軍機や艦船がそれまで通り自由に日本に飛来・寄港できることを担保する内容で、「核密約」の根幹を記した文書とされる。この解釈については63年に、当時の大平外相とライシャワー駐日大使が秘密会談で改めて確認している。
◇
■我部政明・琉球大教授(国際政治学)の話 米国務省の正式な手続きを経て公開された外交文書が再び非公開となることは異例で、日本政府の関与を聞いて、やはりそうだったのかという思いだ。核密約を確認した63年の大平正芳外相とライシャワー駐日米大使(いずれも当時)の会談記録もいったん公開された後、非公開になっている。日本政府の関与が疑われるケースはほかにもある。
情報公開をめぐっては「原則すべて公開」の米国とは対照的に、日本は「公開するものを選ぶ」のが実態だ。特に改定日米安保条約、沖縄返還協定、日米防衛協力などの分野の記録の重要な部分は公開されていない。我々研究者は、米国の公開資料を通じて日米交渉の経緯をやっと知ることができる。いつまでも国民に知らせることができないというのはなぜなのか。また「ない」と主張し続けるのなら、なぜその部分が日本にはないのか。説明責任が政府にはあるのではないか。----------------------------------
■前日の、おなじく『朝日』1面記事(トップではない)も。
核持ち込み「議論あった」 外務次官、密約調査に含み2009年8月24日22時48分
核兵器を積んだ艦船などの日本立ち寄りは核の「持ち込み」に当たらないとの日米の密約について、外務省の薮中三十二事務次官は24日の記者会見で、持ち込みの定義をめぐり、「そのときどきの話はあったと承知している」と述べ、日米間で見解の相違があり、議論があったことを認めた。今後、密約をめぐる文書の有無を調査するかについても含みを持たせた。
総選挙での政権交代をめざす民主党は、密約問題を追及する構え。鳩山代表は米国でも調査したうえで、半年から1年で結論を出す方針を打ち出している。また、鳩山氏は首相就任後、米側に「持ち込み禁止」の確約を改めて求めるとしている。これまで「密約はない」と完全否定してきた外務省が、民主党政権が現実味を帯びる中、姿勢を修正しつつあるとも言える。
薮中氏は、日米間で事前協議が必要となる持ち込みに「立ち寄り」が含まれるかどうかなどについて、「かつていろいろなやりとりがあったということは、我々としても聞いている」とも述べた。ただ、「それが密約うんぬんという話ではない」として、密約はないとの基本的な立場は崩さなかった。
米国の核兵器をめぐっては91年、ブッシュ大統領(当時)が艦船や潜水艦に積む戦術核兵器の撤去を打ち出し、92年には米政府が撤去完了を宣言。これ以降は、日本に立ち寄る米軍艦にも核兵器は搭載されていないことになる。薮中氏は「91年以降、通常艦船に載せないということを含め(持ち込みをめぐる議論が)今の問題としてあるわけではないと私は理解している」とも強調した。
民主党が求める密約の調査に関し、薮中氏は「今この時点で特にそれを具体的に何か考えているわけではない」とした。外務省はこれまで密約について「存在しないということに尽きる」などとの立場を繰り返し表明。薮中氏は6月29日の会見でも「存在しないものについて改めて調査することは今考えていない」と述べていた。(鵜飼啓)----------------------------------
■「
発信箱:密約告白ラッシュ=伊藤智永(毎日・外信部)」でも紹介したとおり、メディアの一部は、外務省関係者がOBを中心に「告白」しはじめたことの ウラをかたりつつある。そろそろ「白状」してもよさそうな「状況」がうまれつつあるという判断があり、そのうえで、なにか たくらみがあって 機密解除へと、うごいているのだろうと。■しかし、「
けっして真相追究キャンペーンにいたらない沖縄密約文書問題」などで しめしたとおり、メディアが本気で、真相追究キャンペーンを展開したためしがない。あたかも アリバイ的に報じては、読者層が (重要度に危機感がないからだが)わすれてしまうことを、まつかのように、フェードアウトしてしまう(もちろん、読者が「のぞまない」以上、商業紙としては、キャンペーンをうって「反政府」とにらまれて、記者クラブ的ぬるまゆ共同体から、
村八分にあうリスクをとりたくないのは、よくわかる)。
■いずれにせよ、「本家」のアメリカが情報公開している文書の存在すら、「しらぬ存ぜぬ」て、とおそうとする、その鉄面皮・厚顔無恥ぶりは、すごい。そして、それを黙認してきた、この列島の住民の鈍感さも、もちろん、民度のひくさとして、ひどい。
●「
国家神学者たちによる歴史埋設(「沖縄返還「密約」存在判断せず」琉球新報)」
●「
72年沖縄返還時、「核密約」示す米公文書を発見(読売)」
●「
西山氏の訴え棄却 沖縄返還密約訴訟(琉球新報)」
●Google検索「
加藤謙一裁判長」
●Google検索「
大坪丘裁判長」
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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済
タグ : 真理省1984年ハイパー独裁公文書
<核密約>米国が64年に再確認要求 日本側発言を受け(毎日)
核兵器を搭載した米艦船の日本への寄港などを事前協議の対象にしない日米の「核持ち込み密約」に反し、日本の閣僚が1964年9月、寄港を事前協議の対象とすると相次いで発言したことを米政府が問題視し、自民党有力者の大平正芳氏と密約内容を再確認していたことが、米公文書から明らかになった。
国際問題研究者の新原昭治さん(78)らが米公文書館の解禁文書を入手した。
60年の日米安全保障条約の改定で、核兵器の日本への持ち込みは事前協議の対象とされた。しかし、実際には核搭載艦船の寄港、領海通過などを容認し、事前協議の対象としないことが秘密裏に合意されていた。63年4月にはライシャワー駐日大使と大平外相が密約内容を確認している。
大平氏は64年7月に内閣改造で外相を退任。9月4日付の米国務省極秘文書によると、椎名悦三郎外相や小泉純也防衛庁長官、鈴木善幸官房長官が9月1~3日の国会答弁や記者会見で「核兵器搭載艦船の寄港は事前協議の対象」としたことを問題視。「秘密了解と明らかに矛盾している」として、「日本政府の可能な限り最高レベルに対し、米国の深刻な懸念を表明するよう求める訓令が発せられた」としている。
これを受け、ライシャワー大使が9月26日に自民党筆頭副幹事長に就任していた大平氏と協議したことが、後任駐日大使が米国務長官にあてた68年1月26日付の機密電報に記されていた。【足立旬子】
日米密約:「存在」法廷で初証言 外務省元局長(毎日)
沖縄返還(72年)の日米交渉をめぐる密約文書を開示するよう西山太吉・元毎日新聞記者(78)ら25人が政府に求めた情報公開訴訟の口頭弁論が1日、東京地裁(杉原則彦裁判長)であった。対米交渉に当たった吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)=横浜市在住=が原告側証人として出廷し、「米側と(密約を示す)文書を取り交わした」と密約の存在を証言した。一方、密約を否定している国は、一転して認否を留保する書面を裁判所に提出した。
吉野氏は報道機関に密約を認めていたが、法廷での証言は初めて。
西山氏らが開示を求めているのは▽本来、米国が支払うべき旧軍用地の原状回復費(400万ドル)▽海外向け短波放送「VOA(ボイス・オブ・アメリカ)」の施設移転費(1600万ドル)--などについて、日本が肩代わりすることを示す文書。米公文書館では開示されている。
吉野氏は「沖縄返還交渉にかかわり、リチャード・スナイダー駐日公使(当時)が作成した(密約を示す)文書に署名した」と証言。文書に署名されたイニシャル「BY」について「私が外務省局長室で署名した。写しを取り、外務省に保管していたはず」と指摘した。
米国の費用を日本が肩代わりする経緯について「(ベトナム戦争で)米の財政事情が非常に悪くなった。米議会には日本に金を支払う必要があるのか。もう少し返さなくても良いのではないかという状況になりつつあった」と説明。日本の事情については裁判所に提出した陳述書で「(当時の)佐藤(栄作)首相が沖縄は無償で返ってくると発言していたので日本が支払うことも難しかった」と指摘した。
また、密約の存在を認めた理由について、尋問の中で吉野氏は「米では公表されており、秘匿はできないという心境に入った。(秘密交渉の内容も)30年、25年か分からないが、一定の時間がたてば公表する制度を採用してほしい」と語った。
国側はこれまで「最終的な合意文書ではない」としてきたが、今年9月に岡田克也外相が調査を指示し、吉野氏の法廷での証言を認めていた。【臺宏士】
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毎日新聞 2009年12月1日 20時54分
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