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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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ビーガン(徹底的ベジタリアン)でない層が 無自覚に差別する異文化(イルカ漁)

■「「捕鯨文化」派と、「生命至上」派」の続編。



イルカ漁、米で物議 和歌山舞台の映画、潜入・隠し撮り

2009年8月22日14時38分

 【ニューヨーク=山中季広】和歌山県太地町でのイルカ漁を隠し撮りしたドキュメンタリー映画が今夏、米国内で上映され、物議をかもしている。見た人の多くは「イルカを殺す場面の残忍さに衝撃を受けた」との反応を見せ、主要紙もイルカ漁を批判する論調がほとんどだ。
イルカ漁1
太地町沖でのイルカ漁の場面=米NPO「海洋保護協会」提供


 題名は「ザ・コーブ」(入り江)。米動物愛護家リック・オバリー氏の手引きで、潜水や夜間撮影、難所登り、DNA解析などを得意とする約20人が5年間に計7度、太地町に潜入。地元漁師の「妨害」や警官の「尾行」をかわして、立ち入り禁止の浜でイルカが血をふきながら殺されていく場面を撮影するという筋書きだ。

イルカ漁2
迷彩服を着て撮影する監督ら=米NPO「海洋保護協会」提供

  
 映画は、日本では規定頭数内のイルカ捕獲が合法であることに触れてはいるが「太地町で捕獲されたイルカが世界各地のイルカショー水族館に輸出されている」などと「告発」している。



イルカ漁4

 ルイ・サホイヤス監督(52)は朝日新聞の取材に、「太地町と交渉したが、撮影は許されなかった。許可なく潜入したのは事実で、次に訪日したら不法侵入や業務妨害で訴追されるかもしれない」と説明。映画には、オバリー氏が和歌山県警の聴取を受ける場面もある。監督は「イルカ漁の実態をほとんどの日本人は知らされていない。日本の人々に状況を伝えるには、他に方法がなかった」と話している。

 米国では7月末に封切られた。観客の多くは「勇気ある調査報道」といった印象を持つようだ。ニューヨーク市内の映画館で息子(13)とともに見た母親(46)は「これはむごすぎる」。夫婦で見た60代の男性は「残虐な漁師たちが許せない」と話した。

 米紙や映画誌には映画を絶賛する声ばかりが並ぶ。ニューヨーク・タイムズは「きわめて秀逸なドキュメンタリー作品。海がイルカの血で染まり、(鑑賞した人の)目は涙であふれる」と論評した。

 すでに上映中のカナダや豪州などに続いて、フランスなどでも公開される予定。

■町長「コメントできない」

 和歌山県太地町の三軒一高(さんげん・かずたか)町長は「そのような映画を撮影に来たことも知らないし、見てもいない。コメントできない」と話している。

■捕獲枠内なら合法

 イルカ漁は国際捕鯨委員会(IWC)が禁止する商業捕鯨の対象外。日本では、水産庁が海洋資源調査に基づいて年間の捕獲枠を決めている。捕獲枠を配分された道県では枠内でのイルカ漁が認められている。

---------------------------------------
■失礼ながら、迷彩服をきてまで潜入、撮影を敢行した「正義感」が、おかしい。■以前「【転載】星川 淳@屋久島発 インナーネットソース号外(09.06.17)」といった記事を紹介したからといって、反捕鯨運動を支持しているわけではない(笑)。

■個人的には、「「人間とは、肉をたべるベジタリアンのことだ」というのは正論だとはおもうが…」や「資源消費という次元でくらべれば、農産物/畜産物/魚介類は連続体である」など(コメント欄もふくめて)で、かいてきたこと以上のことをつけくわえる必要性を感じない。
■ソボクに不可解なのは、こういった「正義感」にこりかたまるひとびと(活動家はもちろん、映画の観客をふくめて、反捕鯨などであつくなる層)は全員、ビーガン(vegan)など、徹底した非肉食派なのか?という点。■もし、クジラやイルカ、ないしは、イヌなどを食す文化を野蛮視しながら、ウシ・トリなどを ムシャムシャ食す集団の一員なら、どうかしている。単に、異文化に対する無理解という、知的野蛮。
■もちろん、伝統的食文化から きれてしまった クジラ漁・イルカ漁を伝統文化といいはって維持しようとするひとびと、やすっぽいナショナリズムや欧米への劣等感のウラがえしで、食文化ナショナリズムで感情的反発をかえす層に くみする気にはなれない。たとえば オキナワで ヤギをたべるのは現在(進行)形だが、イルカ漁をしなければいけない層は皆無だろう(Google「名護  ヒート狩り」)。「現在(進行)形」でなくなった生活文化を、「伝統文化」といいはって、保護しようというのは、少数派のアイデンティティ維持以外の目的では、不毛だ。とりわけ、「少年時代は…」式のノスタルジーで感情的に回帰現象に合流するのは、おかしい。■まあ、ハラナのばあいは、学校給食にでた「クジラの竜田揚げ」が、なつかしがるほど うまいという感傷にふけることができない、という個人的事情もあるかもしれないが(笑)。

■「人種」幻想や、こういった「生活文化」幻想から、ひとびとが自由になるのは、いつのことだろう…。




【関連記事】
“豪ブルーム市、太地町との姉妹都市解消 イルカ漁に抗議”
AFP 2009年08月24日 18:54 発信地:メルボルン/オーストラリア
●上記記事関連ブログ
  ・太地町よ、他国の食習慣に抗議することの思いあがりに抗議せよ![21世紀日記]
  ・The Cove[◆◇続・ヒトリゴト帳◇◆]
  ・イルカ漁に抗議 太地町との姉妹都市解消[デイリーニュース]
  ・豪ブルーム市、太地町との姉妹都市解消!![マイルド]
  ・イルカ漁に抗議、豪ブルーム市、太地町との姉妹都市解消[エコロ エコノミー.ニュース]
  ・アボリジニ(先住民)を虐殺した人々の国に行ってはいけない。[裸族のたわごと]
  ・うまそうなイルカちゃん[パイプと煙と愚痴と]
  ・国民性の違い[Heavens Door]
  ・日本人も知らないイルカ漁[ニュース定食おかわり自由]


“ヘルプアニマルズ - イルカを殺さないでください”
 ↑「イルカは魚ではありません」とか、イルカの処理を「非人道的な殺し方」などとして、関係者の残忍さを強調するサイト(「サカナは イルカとちがってくっても残忍でないのか?」 とか、ウシ・ブタなどの「食肉加工センター=屠場」は「非人道的な殺し方」をさけている現状によって是認され、自分たちの肉食も正当化できるのか? 等々、ツッコミどころ満載)

●Google“The Cove”
●「イルカ追い込み漁について詳しく知りたいと思います。
●Google“イルカ漁 動画”
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベジタリアニズム

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タグ : ナショナリズム 食文化 ベジタリアン

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コメント

反捕鯨に誤解あるようですがたとえば有名な反捕鯨団体などは鯨を食べてはいけないという主張はしていないことは知ってますか?反捕鯨を訴えるなら肉は食べるなという指摘は的外れです。
この件では多くの日本人が誤解して実態のないものをたたくわら人形たたきをしてます。
中には鯨がかわいそうというのりで反捕鯨の人も個人ではたくさんいるでしょうが。

誤解だと判断した理由を簡明にご指摘ください

■たとえば反捕鯨団体の一部は、生態系を破壊しない商業捕鯨でなければよい(たとえば、北極圏内の狩猟民族の在来文化のような形態であればよし)とか、「非人道的な殺害方法ではなく、苦痛を最小限にとどめればよい」とか、いろいろ微妙な理念をおもちなのかもしれません。■ただ、もうしわけないのですが、反捕鯨団体の主張を詳細に分類しようといった興味関心はありません。
■いずれにせよ、本文中にリンクしたサイトほかをみれば、クジラ漁・イルカ漁に猛烈に反発している層・団体のおおくに通底している論理・感情は、「残酷さ」「非人道性」というものだとおもいます。そして、そこで もちだされる「(正当化の)論理」をささえている素材のなかに、「クジラ・イルカたちは たかい知性をもっているから…」などが、あがってくることは、よくしられた現象です。■しかし、これらの「動物愛護運動」が、たとえば欧米のウシ・ブタ・ニワトリの大量消費文化と、あたかも矛盾がないかのように かたられ、捕鯨文化などを野蛮視・蔑視することが正当化されているのなら、その不徹底な人間中心主義の矛盾を指摘するほかありません。所詮恣意的に肉食の対象にしてきた各地の人類文化なのに、自分たちが理解できない食文化の恣意性だけなじるとか、自分たちの恣意性を臆面もなく無批判に正当化している(いや、正当化しているという意識さえない)からです。■したがって、「鯨がかわいそうというのり」と、どの程度ちがうのかはともかく(すくなくとも、当方は、そういった軽率な分類は、過去記事をみても、していないはずですが)、欧米の反捕鯨論の相当部分は、論理的に破綻していて、その自覚がない無残なものだとおもいます。■しかし、ビーガンをはじめとする、獣肉・トリ肉消費の忌避(動機はなんであれ)を徹底しているベジタリアンたちが、クジラ漁・イルカ漁をたしなめるのなら、一応矛盾はないといったまでです(かれらの一部は、北方少数民族の毛皮加工などを例外として、皮革製品に反対するでしょうし、医学・薬学用の動物実験にも反対するでしょう。それは、ハチミツや球根さえたべないといった、究極のビーガン・非殺生主義として、一貫性はたしかです。当方は、窮屈すぎて、とてもついていけませんが)。
■以上のような文脈で、うえの文章はありますので(過去記事もふくめて)、当方の「誤解」があるとすれば、どのあたりなのか、具体的におしめしくださればさいわいです。

■一方、本文でもかきましたとおり、在来漁法とは全然異質な商業捕鯨までも、民族文化だなどと、一所懸命に正当化しようとする連中の、あさはかで軽薄なナショナリズムも、あきあきするわけです。かれらの反発とは、所詮は、欧米人に侮蔑されている東アジア民族の一種、という、屈辱的な位置づけが、自尊心をいたくきずつけるというもの。そんなもので、商業捕鯨まで正当化するのなら、それこそ、欧米の反捕鯨運動の、おもうツボでしょうに、そういった配慮さえできない。

■この両者は、死人まではだしていないまでも、ドッチもドッチの 最低の異文化接触の一種といっていいとおもいます。■もちろん、これも、当方が単純な事実誤認をおかしているとか、反捕鯨団体についての無知がもたらす致命的欠落があるとか、そういった危険性をまぬがれておりません。おきづきでしたら、ご指摘ください。

こんにちは。
なかなかよく考えてる記事ですね。
ただ、文章の量があまりに多すぎるな。
読者が反論しようとしても議論がしずらい。
この1/4ぐらいに文章の量を減らして、
もっと簡素に分かりやすく、言いたいことを的確に、
そういうカキコの訓練をした方がイイでしょう。


簡明な記述への変革のみちは、遼遠なり w

まあくん さま

■「1/4ぐらいに文章の量を減らして、
もっと簡素に分かりやすく、言いたいことを的確に、
そういうカキコの訓練をした方がイイでしょう

とは、具体的には、どの箇所をさして、おかきですか?
■このブログは、旧ブログ以来、超長文なのです。w■なにしろ 運営者の備忘録でして、転載記事も、ぬきがきではなくて、基本は全文転写ですし。資料集なのですよ。
■もし、こういった経緯・事情を充分おわかりのうえで、おかきなら、単なるイヤミ・おせっかいです。w■そういった 経緯・事情を充分おわかりでないまま、おかきなら、「検索によってたどりついた記事に関連して、4倍ぐらいの文章には最低あたって、もっと詳細かつ的確に背景の文脈を検討のうえ、コメントは慎重に、そういったカキコの訓練をした方がイイでしょう」となります。w

■当ブログは(現状として非常に差別的ではあるのですが)、資料全文とそれへのコメントをよむ時間をさけない層、よみとく基礎知識・トレーニングを確保できなかった層を、事実上こばんでいるのです(基本的には、運営者の備忘録なので)。■それは、基本的には、いけないことですが、「『だれにでもわかる』『時間も知識も必要とせず、すぐ利用できる』といった、知識のユニバーサルデザインを実践するほど、時代が成熟していない以上、啓発活動と 情報蓄積は、別個に分業するほかない」という現状認識と断念に、もとづいています。■当方に、そういった意味での「発信」が可能となる時期がきましたら、積極的にやります。

こんばんは。

個人ブログなので自由といえば自由なんでしょうが、
公開されているのだから、伝える工夫というか、
読者の読みやすさを配慮するほうがベターでしょう。

ところで、捕鯨やイルカ漁についてのことですが、
倫理観や感情論で「かわいそうだから止めるべき」と批判することは、
正当ではなく間違っていることだいうのが、ブログ主さんのお考えですか?

ブログ公開の方針と「自由」

> 個人ブログなので自由といえば自由なんでしょうが、
■犯罪を構成するような有害サイトでない以上、個人が運営するしないにかぎらず、自由なのは当然ですよね。■実際、「ただ ひとをきずつけるだけの差別的な表現」、「狂信的な一部の層のためだけの妄想的な信念」など、「思想信条の自由」「表現の自由」という法的な理念によって「保護」されているブログは、大量にありそうです。
■「自由」というのは、法的な自由、現実としての自由など、同列で論じることが無意味な多元的な概念です。



> 公開されているのだから、伝える工夫というか、
> 読者の読みやすさを配慮するほうがベターでしょう。

■うえでのべたように、個人が公開するブログの享受する「自由」のなかには、どの程度(質・量 両面で)のギャラリーに、どの水準で(これも質・量 両面で)理解をもとめるかという、「自由裁量」が当然ふくまれます。
■「表現のバリアフリー」をどの程度実践するかも、それが情報保障の責務をおった媒体であるかどうかなどで、はなしは全然ちがってきます。■たとえば、うえの本文も、コメントへの返信も、さしたる長文とは感じない読者層と、超長文として よむ気もおきない層と、相当なバラつきが想定できます。後者への発信を重視するなら、「簡明な短文で 1記事あたり1内容」といった限定をおこなっていく必要があるでしょう。
■しかし、「hituziのブログじゃがー」(http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/)のような簡明を追求したブログでさえ、1記事に複数の論点がもりこまれています。そして なにより、hituzi さんが、いかに やさしい かたりくちを かきつらねようと、「わからない ひとには、いくら かきなおそうが わからない」というのも現実だとおもいます。
【参考記事】http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-117.html
       http://tactac.blog.drecom.jp/archive/564

食文化の合理化と批判の正当性

> ところで、捕鯨やイルカ漁についてのことですが、
> 倫理観や感情論で「かわいそうだから止めるべき」と批判することは、
> 正当ではなく間違っていることだいうのが、ブログ主さんのお考えですか?

■そういった批判を「正当」であると信じてやまない層の知的水準には、かなり疑念をもっています。

■特定の倫理による批判と、感情論からの非難とは、全然別種だとおもいます。
■それはともかく、正当防衛や本能的な摂食行動以外の殺傷行為は、なんらかの合理化を必要とするものです。そして、その合理化=正当化は、大概失敗します。■本能的な摂食行動以外の殺傷行為として、文化的なものは、ギリギリ正当化がゆるされるものでしょう。たとえば、北極圏の狩猟民族が食料・衣服・住居用に、素材を確保する生活文化とか、アイヌ民族のイオマンテ(ヒグマの幼獣などの葬送儀礼)とかですね。■太地町で前近代におこなれていたクジラ漁や、名護湾でおこなわれていた「ピトゥ(ヒートゥー=ゴンドウクジラ)」漁とかを在来の生活文化ということは可能でも、現在、それをアイヌ民族の「イオマンテ」みたいに、地域文化・民族文化の継承のための不可避、って強弁するのは、困難でしょう。
■問題は、ベジタリアンでない市民が、異文化圏の食文化に対して、「かわいそう」だの、「非人道的」だのといった、「動機」「論理」でもって論難できるかという点。■本文など、過去にかいたことの くりかえしになりますが、「かわいそう」というなら、ウシ・ブタ・ヒツジ・鳥類・魚類・虫類など、くわれる動物は、「かわいそう」ではないのか? 「かわいそう」という 同情は、どこからやってくるのか?これは、食肉センター(屠場)ではたらく労働者の差別と、スーパーでパックづめ精肉をかう われわれ消費者、ニワトリを飼育して、後日ツブす授業実践と、ショックをうける生徒とか、教育上よろしくないと、なじる保護者などの問題と通底します。
■「非人道的」というなら、「人道的(残虐にはみえない)」な殺害方法・料理方法なら、それら「食文化」は正当化してよいのか? という問題が浮上します。■そして、この「人道的」ウンヌンが、人間同士の殺傷、たとえば戦闘行為や無差別爆撃やピンポイント爆撃の「誤爆」とか、処刑方法、容疑者制圧のための射殺とか、そういった現象群と通底することも、つけくわえておいて無意味ではないでしょう。

こんにちは、ご返事ありがとうございます。

日本と欧米では文化が違いますけれども、盗みや嘘を禁じるといった基本的な倫理観は共通するものがありますよね。

人間が食べるために生き物を犠牲にするのは、かわいそうでも仕方のないことですが、そういう生き物を犠牲にするときに「なるべく苦痛の少ない方法で」という考え方も、日本と欧米で共通している倫理観だろうと思います。

なので、イルカ漁師が「なるべく苦痛の少ない方法で」ということを怠っているならば、倫理観や感情論で「かわいそうだから止めるべき」というのは、日本であっても欧米であっても、正当な批判だろうと思います。

アイヌ民族のイオマンテ、太地のクジラ漁、名護湾のピトゥ漁などのお話は、なかなか興味深く読ませてもらいました。

倫理観の普遍性

> 人間が食べるために生き物を犠牲にするのは、かわいそうでも仕方のないこと

■いえいえ、ジャイナ教や その影響といわれている仏教などにおける「アヒンサー(非殺生)」のばあい、そういった「仕方のない」という発想を否定しています。■ただ、一貫性があるかどうかは、別ですが。たとえば、ウィキペディア「アヒンサー」のつぎのような記述。
ジャイナ教におけるアヒンサーはベジタリアニズムを強調し、狩猟と祭式犠牲を禁じている。ジャイナ教徒は小さな昆虫や他の非常に小さな動物さえ傷つけないようしようと道からそれるなど、毎日の生活で極力植物を害さないようにと少なからぬ努力を行う。この方針に従い、農業それ自体と同様に、その栽培が小さな昆虫や虫を害することになる作物を食べることが慎まれている。自己防衛、刑法、戦争における暴力はヒンドゥー教徒とジャイナ教徒によって許されている。



> そういう生き物を犠牲にするときに「なるべく苦痛の少ない方法で」という考え方も、日本と欧米で共通している倫理観

■いえいえ、「海産物の おどりぐい」などにも みられるように、「なるべく苦痛の少ない方法で」食すべきだという倫理観は、全然普遍的ではありません。

http://ja.wikipedia.org/wiki/踊り食い

■「日本と欧米で共通している」
 ↑ ●「欧米」が一枚岩でなどないことは自明ですし(ヨーロッパ大陸と英国は別種ですし、アングロサクソンが英米で異質な面をたくさんかかえていること。さらに、ヨーロッパ大陸自体が、ローマ帝国の遺産という共通項以外では、ものすごい多様性をかかえています)、日本列島全体を一枚岩として把握していいかどうかは、文脈次第です。●そしてなにより、「欧米と現代日本という『先進地域』とよばれる時空で共通しているようにみえるから 普遍的である」といった論理による自明視ができないことも 事実です。●いわゆる「欧米では~」という、「出羽の守(でわのかみ)」の変種として、こういった比較論、一般化には、つねに警戒的でありたいとおもいます。

こんばんは、ご返事ありがとうございます。

ご指摘の宗教やベジタリアンのように、殺生に厳しい考え方では、「かわいそうでも仕方のないこと」では済まされないことがあるでしょうが、実践するのはなかなか大変なのではないでしょうか。

踊り食いとかを考えてみれば、なるほど、生き物を犠牲にするときに「なるべく苦痛の少ない方法で」ということが当てはまらないように見えますね。

しかしながら、太地でイルカが犠牲にされる様子は日本人から見てもショッキングですし、日本や欧米の食肉工場では家畜の処理方法に配慮がなされているらしいので、やはり「なるべく苦痛の少ない方法で」ということが当てはまるようにも見えます。

このことを、一体どのように理解すればよいのか、なかなか悩ましいものがありますね。

また、異なる文化の間で社会問題が起きているときに、双方の文化で共通する普遍的な概念があれば、それを軸にして解決の糸口が見出せるかもしれません。

「一般化に警戒的でありたい」というのはブログ主さんの個性ということで承っておきますが、そのような態度を取り続けていると、日本と欧米とで共通する普遍的な概念を、見落としてしまう恐れもあるでしょう。

普遍性の追求の意味

「まあくん」さま

■当方の主張の主旨をおおむねご理解いただけたようで、安心いたしました。
■捕捉するなら、当方は、厳格なベジタリアンやエコロジストのような ラディカルな相対化(人間中心主義からの距離化)には くみしません。■たとえば、「人情」として、「なるべく苦痛の少ない方法で」といった、「偽善的」な態度も、いたしかたないだろうと。
■ただ、われわれの そういった偽善的姿勢のほとんどは、所詮は人間中心的な発想にねざし、自分がなれしたしんだ地域文化の恣意性に無自覚にそっているということ。それへの相対化の意識をうしなえば、何度も指摘したような、不毛で野蛮な非難・侮蔑しかうまないだろうと。

> 双方の文化で共通する普遍的な概念があれば、それを軸にして解決の糸口が見出せるかもしれません
  ↑ ■「普遍的な概念」が あればよいのですが、これまでの歴史的経験からすると、そのほとんどは、西欧近代の哲学(世界理解)を「普遍」といいつのっただけでした。「動物愛護」だの「人権」概念も、そういった典型例です。■もちろん、当方自体が、これら西欧出自の概念から自由でありませんし、それを全否定できるような ふっきれかたには、到達しておりません。■しかし、「日本と欧米とで共通する普遍的な概念」なるものが、実在するのか、それは二重の意味で検討がかかせません。■くりかえしになりますが、①「日本」「欧米」という 「一枚岩」視(「本質化」「単純化」)した空間概念が成立するのか?■②「普遍的な概念」にみえるしろものは、西欧近代の恣意的創造物にすぎない危険性はないか?…です。


アカデミー賞:「ザ・コーヴ」受賞に和歌山反発(毎日)


 第82回アカデミー賞(映画芸術科学アカデミー主催)の長編ドキュメンタリー賞に日本のイルカ漁を告発した米映画「ザ・コーヴ」が受賞したことについて、和歌山県太地町の三軒一高町長と同町漁協の水谷洋一組合長は「漁は県の許可を得て適法・適正に行っている。(作品は)科学的根拠に基づかない虚偽の事項を事実であるかのように表現しており、(授賞は)遺憾だ。さまざまな食習慣があり、地域の伝統や実情を理解したうえで相互に尊重する精神が重要だ」とするコメントをそれぞれ発表した。

 捕鯨で知られる同町では、鯨類追い込み網漁としてイルカ漁にも町漁協の約10人が従事している。漁を許可している県などによると、今年の漁獲枠は2845頭。県の担当者は「江戸時代から約400年続く食文化なのに……」と困惑している。

 この映画を巡っては、町と姉妹都市提携しているオーストリラリアのブルーム町に抗議のメールや手紙が届き、提携が一時停止されるなど影響が出ている。しかし、町内には、「反発すれば、映画の宣伝になるだけ」という声も強く、関係者の口は重い。

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■イルカ=知的生物、イルカ漁=野蛮、と信じこんでいる連中に対する啓発活動は無意味だが、そうではない層への啓発活動・キャンペーンが必要なことは、あきらかだったはず。■その意味で、太地町などは、うまくたちまわっているとはおもえない。

伝統の創造者たちと、偏執狂たち

和歌山・太地町のほぼ全世帯に「ザ・コーヴ」のDVD届く
産経新聞 2月28日(月)21時26分配信

 日本のイルカ漁を批判した米映画「ザ・コーヴ」のDVDが、映画の舞台となった和歌山県太地町のほぼ全世帯の約1400世帯に郵送されていることが28日、分かった。町役場や太地町漁協などにも同日午後までに届いたという。

 同町によると、差出人は「海を考えるグループ」。料金別納郵便のパッケージの中に日本語吹き替え版のDVD1枚が入っており、「隠し撮りばかりがクローズアップされていますが、映画にはさまざまなメッセージが込められています」などの添え書きもあった。

 また、パッケージには返送先として、実在しない「消費庁」や「太地町市役所」などと記されていたという。三軒一高町長は「町民がDVDを見ても、映画が真実ではないと改めて思うだけ。送ってくる意味がわからない」と困惑した様子だった。

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/media/406248/

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