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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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「年収4000万円」と引き換えにしたもの(遙 洋子)

■『日経BPオンライン』の連載記事 遙 洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」の先日の記事を転載。


「年収4000万円」と引き換えにしたもの
Author 遙 洋子 【プロフィール
Keyword 年収4000万円 結婚 独身 孤独死 ジェンダー・ギャップ指数 男女平等

 最近、銀幕を飾った往年の美人女優が60代で亡くなった。

 病気を患い独身で死んだということだけで、「壮絶孤独死」とメディアに書かれる。60代にもなれば病気のひとつやふたつあって不思議ではないし、独身なのだから、死ぬ時だってひとりなのは想定内だ。

 なぜ、死ぬなり「孤独」と書かれなければいけないのか。ならば生きている時から「壮絶孤独生活」と取材し、「孤独に散歩」「孤独にお洒落」と記事を書けばいい。

 生きている時には書けなかった独身への冷ややかなまなざしが、死んだとなると解禁したように牙をむく瞬間だ。

 腰を低くして「結婚できないんです」「こんな私でよかったらどなたでも」と負けを認めていても独身は生きにくい。ましてや、「私は美人、年収4000万以下はだめ」と豪語する独身への風当たりは小気味よく激しかったはずだ。

 そのタレントが結婚したということは、彼女が世間に突きつけてきたある種の本音を封印したことになる。本音を貫き通すのはなかなか難しい。社会の承認を得たほうが余程楽な生き方なのである。


 「お金より愛」はつまり「本音より建前」であり、その方が楽に生きられることを鑑みれば、誰もそれをとやかく言う権利はない。それが仮に「本音から次なる本音へ」だったとしてもだ。

 やれ、挑発的な独身女性が結婚しただの、往年の美人女優が孤独死しただのとメディアは一時にぎわったが、私が最近気になる記事は、世界経済フォーラムが今回出した世界各国の男女平等の度合いを指数化した結果だ。

 これは「ジェンダー・ギャップ指数」といい、政治・経済への女性の参画機会などを問うものだが、日本は世界130カ国中98位で、先進国では最下位だということ。

 アジア諸国では日本より上位に、タイ(52位)、中国(57位)、ベトナム(68位)シンガポール(84位)、インドネシア(93位)などがある。

 学歴を積み、医師になった女性が言う「やはり愛」にホッとする世間といい、また、まれなる大成功を芸能界で納めた女性に“孤独”と烙印を押すメディアといい、日本が先進国最下位たるあり様はテレビで容易に発見できる。

 女性が成功してもそれを認めようとしない世間がある。

 男女平等はあくまで風潮や気配や流行であって、数値が、日本の女性の社会参画は先進国最下位だと示している。

 こんな深刻なことがビッグニュースにならず、サラッと流されていく危機感のなさが、最下位たるゆえんだ。

 私たちはおめでたい国に住んでいる。

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■この文章の冒頭は、「「年収4000万以下の男性とは結婚しない」と豪語していた医師でありタレントでもある女性が、「やっぱり、お金より愛」と言って結婚した。」ではじまる。■少々トバすと、つぎのような刺激的な文章がつづく。


…彼女がしてきた発言は少なくない女性たちが胸に秘める本音である。

 4000万円は現実離れしているが、つまり医師でありタレントでもある女性の年収よりも高額ということ。今よりいい暮らしができるなら結婚してもいい、を代弁したに過ぎない。

 「私は美人」もまた、なかなか女性が言えない乙女心だ。

 コンプレックスはいろいろあれど、お洒落して化粧してヒール履いて「わ。美人」と思うことで自分の背中を押して出かける女性は少なくないはずだ。

 化粧品市場は「私ブス」と思う女性がたくさんいるから充実しているのではない。「わ。美人」と思いたい女性たちの、華やぐ感情の市場と言っていい。

 はしたなさを避け、謙虚を装うことで本音を隠してきた女性たちの、その本音を世間に平然と突きつける行為が、そのタレントの魅力だったとも言える。

 彼女にとっての「お金より愛」は、結果としてそんな世間に迎合したということになり、“結婚”は、社会の承認を得る生き方を選んだということなのだ。

 そもそも独身でいることはそれだけで向かい風が強い。

 独身で恋人と手を組もうが、独身で子供を産もうが世間は冷ややかだ。だが、同じ行為を結婚してからすると世間はもろ手をあげて歓迎する。まったく同じ行為をしているのに…

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■「おめでたい国」が、独身女性たちが いきづらい、「ロクでもない国」らしいことは、よくわかる。女性タレントの結婚と病死という、「幸福」・「不幸」を報じたメディアと それを 定番のネタとして 受容しただろう大衆意識が 下劣であることも よくわかる。■しかし、分析の細部には異論がのこる。

■①「独身でいることはそれだけで向かい風が強い」のは、遥洋子さんにとって、女性のばあい、ということになりそうだが、ホントに そうだろうか? ■もちろん、芸能界では、まちがいないんだろう。そして、メディアが おもしろおかしく とりあげるような有名人については、事実なのだろう。しかし、「オスの負け犬」たちは、有名人でなくても 「独身貴族」として、うらやましがられているだろうか?

■②独身で恋人と手をくむ行為に対して、ひややかな「世間」とは、どこだろうか? 恋人同士であるか、結婚しているか 周囲に自明になっているような プライバシーが あまり まもられていない空間では、てをつなぐ夫婦自体に、周囲は好奇の目をそそぐのではないか? ■もちろん、これが前項同様、テレビがおいまわすような 有名人の独身女性か、有名人カップルかの比較なのだ、といわれれば、それまでだが。

■③「独身で恋人と手を組もうが、独身で子供を産もうが世間は冷ややかだ。だが、同じ行為を結婚してからすると世間はもろ手をあげて歓迎する。まったく同じ行為をしているのに」というのだが、既婚者が恋人と手をくんで、ひややかな視線をあびないだろうか? ■いいかえれば、法律婚か事実婚かにかかわらず、ひとびとは、安定的な異性関係を是認し 自由恋愛を敵視しているのであって、「まったく同じ行為」という社会的位置づけをしていないのではないか? ■生物学的におなじ行為です。といいはるなら、合意のもとの性愛行為も、セクハラも同一になってしまう。「社会的認知」「当人間での合意」「生物的な行為」は、それぞれ別個の次元に属する。

■④芸能人は、こういったフライバシーにかかわるゴシップ自体を、ネタ・人気の一部として、「素材」化する業界人ではないか? ありていにいえば、マレなる心身をもちあわせてしまった特殊な人物として、やきもち・あこがれの対象として特別視される存在である。■逆にいえば、一般人のプライバシーがゴシップ化するというのは、相当な犯罪など、かなり非日常的な事態が発声したばあいにかぎられる。いわば、芸能人が人口比でマレなように、一般人のプライバシーにスポットがあたるのは、よほどの奇行ないし凶行にみまわれたばあいだろう。■みもふたもない いいかたをするなら、一般市民がギラン・バレー症候群孤独死しようと、社会面のベタ記事になるかどうか微妙だろうし、「私は美人、年収4000万以下はだめ」と、そのヘンの「美人さん」が くちばしったら、完全に変人あつかいされて おわりだろう(そういった女性に、「年収4000万」以上の男性が よってくる可能性は、おそらく0)。■ひとりで闘病する もとタレントが、闘病記を うりものにしないかぎり、メディアは、利害だけでなく それをプライバシーとして ふれないのであり、大衆が それを「孤独死」として やすっぽい同情を一時的によせそうなら、「商品」として浮上するだけということ。それなりの「有名人」になってしまえば、完全な逃亡をはからないかぎり、「幸福」「不幸」双方が、死後さえも、とりざたされてしまう「有名税」をしょってしまうという宿命はどうしようもない。大衆の「民度」があがらないかぎり。■そして、大衆の「民度」があがってしまえば、有名人の相当部分は、その存在理由をうしなって消滅する運命にあるはず。

■⑤女性の社会進出の水準≒男女平等の水準と、芸能人の異性関係のゴシップの水準は、みための相関はあろうけれど、そんなことを指摘しても無意味だ。たとえば、相当ゴシップずきとおもわれる アメリカ・イギリス両国は、日本列島よりずっと女性の社会進出がすすんでいるだろうが、そういった他国との比較をしないで、なにか明確な相関があるかのような論法は詐欺的だろう。■遥さんが、「芸能人にしては、ちょっとしたフェミニズム理論家」といった、ギャップ感以上の「商品価値」をうちだして、ながいきするためには、ふたりの芸能人の幸・不幸のとりあげられかたをもって、「ジェンダー・ギャップ指数」と接合して、なにかをかたったかのような演出では、ダメだとおもう。■遥さんに対応するような、男性学タレントが皆無らしいという非対称は、ここでは おくが。
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コメント

夫婦かどうか

>独身で恋人と手を組もうが、独身で子供を産もうが世間は冷ややかだ。だが
>同じ行為を結婚してからすると世間はもろ手をあげて歓迎する。

とりあえず、風景としては、手を組んだカップルが役所に婚姻届を出しているかどうかはわからないから、夫婦で手を組んだって別にもろ手をあげて歓迎はされないんじゃないかしら。
女性誌なんかで「いつまでも恋人夫婦」なんて特集はあるから、夫婦で手をつなぐのがいいことだという価値観は一部にはあるでしょうけど、世の中、そんなに他人の婚姻関係を気にするかなあ。少なくとも、わたしの母親世代は、人前で夫婦がべたべたなんて「はしたない」ことです。

それより、この場合の夫婦って事実婚も含まれるのかなあ。今はそんなに紙の上の結婚至上主義ではないと思うけど。
「恋人」より「夫婦」が安定的って観念はあるだろうけど、仮面夫婦みたいのもあるから、婚姻関係絶対という感覚は、思ったほど強くないのではとも思います。

夫婦を包囲する視線

> 少なくとも、わたしの母親世代は、人前で夫婦がべたべたなんて「はしたない」ことです

>> 恋人同士であるか、結婚しているか 周囲に自明になっているような プライバシーが あまり まもられていない空間では、てをつなぐ夫婦自体に、周囲は好奇の目をそそぐのではないか?

■実際、てをつないであるく夫婦は、ごく少数ですよね。


> この場合の夫婦って事実婚も含まれるのかなあ。今はそんなに紙の上の結婚至上主義ではないと思うけど

■「事実婚」への許容度は、地域差・学歴差とかが、
劇的に関与しているとおもいます。ごくあたりまえの空間と、トンデモの空間と。■まあ、むかしだって、事実上の夫婦を容認する空間は、かなりあったとおもいますが。
■しかし、「入籍」ってマジックワードが「現役」であるように、いまだに「妻の座」だの「妻子」だのといった、法律上の血縁関係は、しぶといとおもいます。■離婚しそうなこと、事実上破綻しているという事実をかくそうとする女性は、たくさんいますし。

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