■「
学力上位者に補習が差別的でないという論理2」などとは、正反対の議論をひとつ。■『朝日』の週末の記事から(図表の きれている右半分は、クリックで表示)。
児童養護施設中学生、塾費用は国・自治体が全額負担2009年7月18日15時4分
児童養護施設で暮らす中学生が学習塾に通う費用を国と自治体で全額負担する制度が今年度から始まっている。施設で暮らす中学生の中学卒業時の就職率は8.3%(06年度)と、中学生全体の10倍以上。塾通いを支援することで、高校進学率を伸ばし、その後の自立を促すのが狙いだ。

厚生労働省によると、07年10月現在、全国564の児童養護施設で3万846人が暮らす。うち、両親がともにいない子は1割弱。6割は親はいるが虐待を受けた子だ。
高校に進学しないときは、自立援助ホームに移るなどして引き続き生活指導や就労支援を受けられる場合もある。ただ、定員が十分ではなく、中学卒業と同時に自活しなければならない子も多い。
しかし、就職しても、虐待の影響で精神的に不安定になったり、人間関係につまずいたりと自立の道は険しいという。全国児童養護施設協議会(全養協)の調べでは、04年3月に中学を卒業して就職した子の約3割が、1年以内に職を変えている。
特に虐待を受けた子にとって、心の傷を癒やし、社会に適応していくためにも高校3年間は必要な時間だとして、全養協は進学のための学習支援の拡充を国に求めてきた。
補助の対象となる中学生は約7千人いる。通えるのは、英・数・国・理・社の5教科を教える学習塾。入会金や授業料に加え、講習会費、教材費、模擬テスト代、交通費などすべての費用を国と都道府県や指定市など児童養護施設を所管する自治体とで半額ずつ負担する。国は今年度予算として約7300万円を盛り込んでいる。
都市部では、塾に行かないのはクラスで施設の子だけ、という中学校もあるという。全養協の制度政策部長で二葉学園(東京都調布市)の武藤素明施設長は「学力を伸ばせるだけでなく、友だちと同じように通えるということは大きな自信になる」と話す。
東京都の少子社会対策部育成支援課によると、6月末現在、都内では8施設から計約100万円の申請があったという。(三島あずさ)-------------------------------------------
■この記事には、つぎのような 誤解にみちた反応がある【改行等は、かってに編集ずみ】。
2009年07月18日
塾費用を公費負担だなんて… 「中学生ママの日記(63287)」
児童養護施設で暮らす中学生が学習塾に通う費用を国と自治体で半額ずつ全額負担する制度が今年度から始まっているそうです
施設で暮らす中学生の就職率は中学生全体の10倍以上塾通いを支援することで高校進学率を伸ばし、その後の自立を促すのが狙いだとか
都市部では塾に行かないのはクラスで施設の子だけという中学校もあるそうですが、税金の使い方が根本的に違うと思いません?
施設で生活していなくても経済的に困っていて、塾へ行けない子がいるという現実はどうなるんでしょう?
高校進学にかかる費用の公費負担には異議は有りませんが、でも塾代は不公平だと思います
中学校での勉強だけで高校へ進学できないなら、それを見直す方が先ではないでしょうか?
これは施設の子が云々ではなく、教育費を大きな負担と感じている世帯全体にメリットがあり、税金を投入する価値もあると思います
特定の人達の利益ではなく、国民全体の為になるように使って頂きたいと私は思うのです-------------------------------------
■完全に、ひがみ根性から感情論を展開している。
児童養護施設などの設立経緯とかに無理解なまま、「特定の人達の利益」とかいってしまえる感覚は、こわい。■「施設で生活していなくても経済的に困っていて、塾へ行けない子がいる」というのは、一部ただしいようにみえるが、生活保護世帯せよ、それに準ずる世帯として学費補助をえている世帯にせよ、保護者がいるという決定的な部分をみおとしている。■きっと、こういった ひがむ層は、生活保護受給自体をズルいと感じ、「経済的に困っていても、保護をうけらない子がいる…」などとして、弱者救済全体を否定したがるにきまっている。こういった「市民意識」が、
水際作戦を横行させてきたのだが、自覚などないだろう。
■ずいぶんまえに、「
リスクとしての教育格差」という文章で、現代日本で中卒学歴/高校中退でおわることが、巨大なリスクとして わかものに のしかかることを強調しておいた。■はっきりいって、中卒のばあいは、職業選択の自由が実際上ないのである。とれる資格もかぎられるし。
■つぎのように、一見かんがえている風の ツッコミもこわい。
2008.04.21
公費による塾代の立替は全体を救わない …
先日見かけたこのニュースを題材として取り上げてみます。
・塾代を無利子融資、東京都が低所得世帯向けに全国初の試み
融資だからタダであげるわけじゃないし、格差解消や住民呼び込みの為に自治体が出来る具体的な方策としては妙案かも知れません。
しかしながら違和感を感じましたので、なぜなのかを考えてみたいと思います。
塾という私的機関に生徒が通う費用を公的機関が助成すべき事なのかどうか、という点が一つ。
瑣末な例を一つ挙げるなら、その塾が東京都外にあっても良いのでしょうか?
助成する費用は都民が負担するのですが、どう正当化するのでしょうか?
塾に通う金を助成(貸与)する原資があるなら、その資金で公立校の底上げをする方が本道ではないのか?
塾に通うことで期待できる効果とは、学力の向上、より競争率の高い大学や進学校への入学を通じて、より高い収入就職先に就職することで、階層の固定化を避けることでしょうか。
サッカーやテニスやゴルフといったスポーツプロを目指す子供達や、音楽や芸術方面でのプロを目指す(まぁこれも予備校とか進学コースはあるかもだけど)子供達に対しての助成はどうなのか。
調理師や理髪師やお笑い芸人などは?
塾は良くて英会話スクールはなぜダメなのか?
自治体が自らの持つ公的教育機関の教育という本来目的における効能を塾に劣ると見なしてしまっていること。
それが進学目的の教育だとしても、塾に出来ることがなぜ公的教育機関では出来ないと判断されたのでしょうか?
一口でその違いを言い切るなら、学力別の学級の編成と、(学力に合わせた)進学先に適応したカリキュラムの編成ではないでしょうか?……----------------------------------------------
■再三のべてきたとおり、習熟度別の受験指導という点にかぎったばあい、公立中学は、学習塾に絶対にかなわない。かりに匹敵するような実績をあげているとすれば、被差別部落や在日集住地などをかかえた公立中学の先生たちが、超人的なとりくみを成功させているとか、そういった例外的なケースだけ。それを単純に美化するのは、教員の日々の労働過多(過労死寸前や、要メンタルヘルス層の潜在…)を軽視し、私生活を否定し、ヒロイックな犠牲を要求するものだ。■端的にいって、労働量を半分にするために、人員と予算を2倍にするといった劇的な変革をおこなうのでないかぎり、ムリな はなしなのである。「全体を救わない」なんて、大上段から全否定するのは、卑怯な論法だ。
■一方、「塾を学校に」系の塾擁護論にクギをさしておいたように、習熟度別受験対策だけに特化して、ほかの責任をいっさいおわないできた受験塾は、学校的な職務を一部でもうけもった時点で、失速する。受験塾が、奇妙に効率的なのは、受験対策しかしないから。受験対策にしか期待しない生徒・保護者のニーズに特化して対応しているからだ。
■なので、普通の公立中学が、児童養護施設のコドモたちを高校進学させることに失敗してきた現状に、とりあえず対応するためには、塾代の支援は、現実的だ。■「
学力上位者に補習が差別的でないという論理1」「
学力上位者に補習が差別的でないという論理2」などでのべたのと反対で、弱者への とりあえずの救済措置は、学費免除・教材費補助や、補習授業の確保なのであり、後者が予算上困難なら、前者でいくほかないし、現状の公立校が受験対策で不充分なら塾の授業料を補助するのは、ごく当然の対応だろう。
■ちなみに、納税者うんぬんなどと、もっともらしい議論を展開しているつもりの論者たちは、ブラジル人学校や朝鮮人学校などへの補助や優遇措置なんぞも、「
「外国人学校への公金投入は違反」?」でのべたみたいな、ツッコミをいれたがるにきまっている。■軍事費や公共工事とか「
思いやり予算」…、各種公団など、巨大なムダには、大したツッコミをいれないくせに、弱者救済については、不当な保護などと、逆差別論を やかましく いいたてるのだ。■ワーキングプア層が ヤツあたり的にテロリズムとか右派にはしるならともかく、こういった論者は、おそらく経済的には中間層のはず。自分たちが理解可能な弱者にのみ同情的で、気に食わない層については、おそろしいほど冷酷で、財源だの不公平だのといった、「正論」がドンドンおもいつくらしい、ふしぎな人物たち。おそらく、「自分たちの血税がなまけもの(外国人…)に浪費されている…」といった被害者意識がつよいのだろう。■そして、こういった保守的な意識をやしなっておくかぎり、巨悪はねむりつづけ、財務当局は「水際作戦」みたいな、セコい「節税」を、ドンドンやれると。「
文明国病」だの「
英国病」だのといった論理で、新自由主義か新保守主義あたりの暴論を「正論」っぽくふりまわすことができる。「金持ち優遇税制によって、全体がうるおう」なんて、デマまでとばしてね。
■「正論」を展開するつもりなら、みんなが 苦もなく 高校卒業までたどりつけるような、予算措置(人員配置)を確保する。(「
公文」みたいな、スーパー補習塾(といっても、あそこは、
ドリルの自習が基本だが…)はともかくとして)受験に特化した塾なんぞにいかなくても、とりあえず公立高校に進学できるような うけざらをつくる。単に「高校全入」といった うけざらじゃなくて、高校で勉強することが、人生・実社会で やくだつような素養となること、中学までで、勉強がイヤでイヤでしかたがなくなっている…なんてことがない体制の延長線上に高校生活がある…、こういった次元に変革するということ。
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