プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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インパール作戦中止命令65年

■日本陸軍の愚劣さを端的に象徴しているとされる、インパール作戦(1944年3月8日~7月3日)の中止命令から65年。そろそろ、帰還兵の存命者が舞台から退場する時期がきた。

■重要な人物名だけ記銘。

牟田口廉也牟田口廉也 インパール
久野村桃代久野村桃代 インパール
河辺正三河辺正三 インパール
東條英機東條英機 インパール


佐藤幸徳佐藤幸徳 インパール
宮崎繁三郎佐藤幸徳 インパール


アンサイクロペディア牟田口廉也
●旧ブログ「大東亜共栄圏」関連記事
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テーマ : 憂国 - ジャンル : 政治・経済

タグ : ナショナリズム 真理省 1984年

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コメント

牟田口閣下はチャンドラボースと共にインド独立に尽くされたというのに、近年の評価の低さは納得できませんね。
まさに反日的な動きではありませんか

みとおしをたてられない戦略・戦術は、無責任のそしりをまぬがれないでしょう

インパール作戦とインド国民軍の降伏(ウィキペディア「インド国民軍」)


インド国民軍は元捕虜だけでなく、東南アジア在住インド人からも志願者を募ったため、総兵力は約45,000人に達した。そして1944年にはビルマに移動し、「自由インド」「インド解放」をスローガンに、日本軍とともにインパール作戦に参加した。
インパール作戦で日本軍はアッサム州(現・ナガランド州)のコヒマを占領し、一旦はインパールに迫った。イギリス第14軍は日本軍の攻撃が始まるとアキャブ方面の第15軍団から2個師団をインパール、ディマプールに抽出し、第33軍団からも第2イギリス師団、第50インド戦車旅団、第14軍予備の第254インド戦車旅団の投入を処置した。同時に第4軍団にはインパールへ後退を命じたが、同軍団の第17師団は日本軍第33師団に退路を断たれて動けず、第50降下旅団はサンジャックで第31師団宮崎支隊に包囲された。マウントバッテン総司令官は3月25日には、戦局不利を認め、ロンドンの統合参謀本部に増援部隊の派遣を要請している。
だが、イギリス軍は当初から日本軍をインパールにひきつけて、補給線が延びきったところを攻撃する計画であり、実際に日本軍は食料や弾薬の補給が続かなかった上に、米国から供与された強力な火器を装備するイギリス軍の総反撃を受けて最終的には大敗北を喫した。インパール作戦に参加したインド国民軍は6000人、そのうちチンドウィン川まで到達できたのは2600人(要入院患者2000人)で、その後戦死400人、餓死および戦病死1500人の損害を受けて壊滅している。
この作戦は、制空権もない上に補給・兵站の問題を極端に軽視しており、軍内部でも反対論が続出するほどの完全に無謀な作戦であった…

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■日本軍の無謀な「大東亜共栄圏」構想につごうがよかった、スバス・チャンドラ・ボースらの構想をもって、牟田口らの暴走を正当化することが可能なのかどうか、牟田口らが批判されることに憤慨することが はたして「憂国」にあたるかどうか、具体的にご指摘ください。

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