プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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言語表現・連合関係・文化資本

■日本語教育にたずさわる人物による『日本語の風景』の昨年の記事。

2007年5月12日
ぐっすり美人

電車に乗ったら、広告はやはり多い。満員の車両のなかに身動きもできないままにいると、つい広告のせりふを繰り返し眺めてしまう。言葉表現のサンプルはここにあり、と感じて、いつもながら感心する。
めざせ! ぐっすり美人

そばにいる学生は、指差して説明を求めてくる。キャッチフレーズは簡単で、「めざせ!ぐっすり美人」とある。初心者の学生なので、どうやら分かったのは、美人だけ。あとの平仮名言葉は、分かりそうで分からないという。命令形だの、擬態語だとと、言語教師なら普通のクラスなら一通りタッチしておかなければならないことを思い切って簡単な形で伝えてみた。そこで、はじめて気づいたのだが、そういった知識を持っていても、このフレーズの意図するところが伝わらないんだ。いうまでもなく「虞美人」という言葉が下敷きになり、その響きがあるからこそ、「ぐっすり美人」が生きてくる。そのようなことは、言語の環境で生活すると、自然に身に着いてくるものだが、これをいざクラスの知識として伝えようと思えば、どうしても無理が出てしまう。

言葉を外国語として教えると、表現と表現のうしろにあるものをどこまでカバーしなければならないことだろうか。いつもながら考えさせられるテーマである。
……

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■「言葉を外国語として教えると、表現と表現のうしろにあるものをどこまでカバーしなければならないことだろうか。いつもながら考えさせられるテーマ」というのは、そのとおりだろう。■ハラナ自身、十数年まえ日本語学校でアルバイト講師をやっていたので、よくわかる。
■しかし、「いうまでもなく「虞美人」という言葉が下敷きになり、その響きがあるからこそ、「ぐっすり美人」が生きてくる」といいきられてしまうと、「ホントそうか?」と ツッコミをいれるほかない。
ウィキペディア虞美人

虞美人(ぐ・びじん ? ~紀元前202年?)は、虞姫(ぐき)ともいい、秦末から楚漢戦争期の女性。

生涯
項羽の愛人。虞は姓である(漢書)とも名(史記)であるともいわれ、美人も後宮での役職名であるともその容姿を表現したものであるともいわれる。小説やテレビドラマでは、項羽の妻として描かれ、虞は姓であることから虞姫と紹介されているものが多い。

項羽との馴れ初めについては、史記にも漢書にも一切記載されておらず、ただ垓下の戦いで、劉邦率いる漢軍に敗れた傷心の項羽の傍には、いつも虞美人がおり項羽は片時も彼女を放すことがなかったと、初めて紹介されている。

劉邦軍により垓下に追い詰められ、四面楚歌の状態になって自らの破滅を悟った(思い込んだ)項羽は彼女に、

「力は山を抜き、気は世を覆う。時利あらずして騅逝かず。騅逝かざるを如何せん。虞や虞や汝を如何せん。」(垓下の歌)
と歌い、この直後に垓下から脱出する。

小説では、項羽の足手まといにならぬために、虞美人は自殺しているが、『史記』および『漢書』では、その後の虞美人について、一切記述されていない。

また、虞美人の自殺云々についても、女性の貞節が口うるさく言われるようになった北宋時代からそのような話が出てくるようになったといわれる。

しかしながら、自殺した虞美人の伝説は、ヒナゲシに虞美人草という異名がつく由来となった。
……

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■ハラナは、「ああ、そういった故事があったっけ…」という印象しかうかばない。■当然、「いうまでもなく「虞美人」という言葉が下敷き」なんておもいうかばなかったし、「その響きがあるからこそ、「ぐっすり美人」が生きてくる」なんてこともなかった。

■(1) ハラナのことを「教養のないヤツ」といいはるのは かってだが、それは平均的な日本人の教養にケチをつけることになるだろう。■というより、「虞美人 (宝塚歌劇)」「項羽と劉邦 (小説)」「項羽と劉邦 (横山光輝)」といった大衆版や、高校の漢文などの経路が「過去」化した現在、それが常識的な教養とは到底おもえない。■最近の「教養」論でくりかえしのべられているように、「教養」とは、特定集団にとっての「常識」なのであって、漢文教育によって当然のように故事をまなぶとか、大衆芸能によって「常識」としてしるといった回路がないかぎり、継承は自明のものではない。むしろ、エリート文化をふくめて下位文化の一種と化すだろう。「言語の環境で生活すると、自然に身に着いてくる」といった断言は、空疎にきこえる。

■(2) すくなくとも、留学生にこういった「故事」をあてがうのは、ムリがあるというものだろう。■いや、中国の古典的知識が「日本語文化の不可欠の伝統」などとはいえない現在、中高生にあてがうのを当然視するのも問題を感じる。■ちなみに、「虞美人草」は漢字変換の対象となっているが「虞美人」は登録していない辞書がおおいのではないか?「虞美人草」だって、漱石の小説の表題になっていなかったら、登録されていたかどうかあやしいとおもう。「ヒナゲシの別名」なんて知識が「常識」とは、とてもおもえないし。

■(3) 「グッスリ ビジン」のなかに「グビジン」というオトをかぎとるのは、ソシュールの「association(連合)」の一種だと一応いえるだろうが、この水準になると、「虞美人」についての故事知識があっても、なぞなぞ的な暗号解読のたぐいになるのではないか?■「なぞとき」されて、はじめて「なーるほどね」となるといった水準のね。
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