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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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漢検協会事件:揺れる入試の漢検利用 1大学中止、大半は様子見(毎日・奈良)=「漢字検定」騒動、その後【その8】

「漢字検定」関連記事で、「学校の約3割、「漢検」見直す動き(読売)」の続報を一応。
■先日の『毎日』の奈良版。

漢検協会事件:揺れる入試の漢検利用 1大学中止、大半は様子見 /奈良

 背任事件で前理事長らが逮捕された財団法人「日本漢字能力検定協会」(京都市)が今年6、7月に実施する今年度第1回検定を巡り、県内の大学、高校が対応に苦慮している。毎日新聞の調査では、県内で入試などに漢検を利用しているのは6大学と4高校で、このうち事件を受けて取りやめたのは1大学だけだった。ただ、漢検への逆風が強まる中、変更しないところも様子を見ている状態だ。【石田奈津子】

 検定は各年度3回行われ、志願者は昨年度、全国で約289万人に上った。しかし、事件を受けて今年度第1回は大幅に減る見通しだ。文部科学省は特に対応方針を示しておらず、県教委学校教育課も「特に指示は出していないし、出す予定もない」と説明。各大学、高校の判断に委ねられている。
 県内6大学は、漢検について、大学入試で優遇措置を取っている。措置の内容はそれぞれ異なるが、得点化しているのは奈良大(奈良市)だけで、ほかはAO入試や推薦入試で選考の参考にする。
 このうち、畿央大(広陵町)は2級以上を教育、健康科学学部のAO入試で評価の対象としていたが、今年度は取りやめた。「不祥事を受けて、入試で公式に評価するものとしては値しないと判断した」と言う。





 一方奈良大は、社会学部の推薦、一般入試で準2級以上を加点しており、「不祥事は大学の運営上の問題。漢検の試験が不正だったわけではない」として変更しない方針だ。
 天理大(天理市)は、国際文化学部で漢検2級以上を一般推薦の該当基準の一つにしているが、「あくまで基準の一つ」とし、帝塚山大(奈良市)も「今年度の試験の方針は既に決めており、来年度以降は改めて検討する」として、ともに今年度の取りやめは見送った。
 一定の級以上の漢検を追加の単位として認めている高校は、大学入試の優遇措置がどうなるかを見守っている。県立奈良情報商高(桜井市)は「大学入試での漢検利用は変わらないところが多いようだ。生徒の進路保障の一つの手だてとして続ける」方針。希望者への団体受験をしている県立大淀高(大淀町)も「進学にプラスになる可能性がある」として、今年も続ける。

【関連記事】
漢検:前理事長親子背任認める供述「甘んじて受け入れる」
漢検:志望者が3割減 40校が団体受検中止や中止検討
漢検協会:「入試有利」虚偽PR HP掲載の10校
漢検協会:「今年の漢字」も架空発注 前理事長代表会社に
社説:漢検逮捕 文科省の監督甘かった
毎日新聞 2009年6月3日 地方版

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前回のべたことと一見、あい反するようだけど、ホントに 教育上意味があるなら、あるいは選抜上便利なら、協会がどういった体質であろうが、関係ないはずだ。
■しかし、漢字検定を選抜にもちいてきた大学などは、基本的に、「漢字力とは いかなるものか?」という、文化資本の政治性を全然検討してこなかったんじゃないかとおもうんだけどね。ちがうかな?■英語検定についても、おなじだけど。学生・生徒たちの勉強の目標・基準になる、って正当化はできるよ。しかし、そうやって「到達度」として測定される「学力」なるものの本質が、ちゃんととわれたことがあっただろうか?■たとえば、つぎのようなブログ記事は、かんがえさせられるはず。というか、これに反応しない教育関係者は、はっきりいって くさっているとおもう。


受験本位モデルVS習得ー活用ー探究モデル ふり返り366日【08/5/10】

 習得ー活用ー探究モデルが提起される前から,子どもや保護者による「受験本位のモデル」は厳然と存在していました。
 テスト・入試で問われるような知識・技能を習得→テスト・入試の場で活用→全く別のことを探究
 未履修問題にしろ,中学生,高校生の授業の受け方にしろ,受験のための「効率」を重視した戦略を実行する子どもが多くなります。
 塾の教師は子どもや親が採用しているこの「受験本位モデル」に合わせて仕事をすればいいのに対して,学校の教師は,この「受験本位モデル」を覆すような授業をしなければならないわけです。
 なぜなら,教師が目指している「目標」が子どもや保護者のそれと異なっているからです。
 子どもに,「この能力はテストでは測定できないだろうな」「自分のこの能力を教師にわかってほしいな」という実感をもたせ,「では授業やレポートで力を発揮しよう(評価してもらおう)」と思わせることができるかどうか。
 ここでいう「評価」は,点数化のことではなくて,「優れた能力があってすばらしいな・・・他の子どもにも同じような力を付けさせてあげるにはどうしたらいいだろう」と思うことです。
 受験対応なら覚えさせるか理解させればそれでOKですが,学習指導要領に示された目標を達成するためには,生徒をよく理解し,教材研究をし,発問をしっかり練ったり,子どもの活用場面の段取りを考えたりと授業の組み立てをととのえ,実践する・・・そして評価に基づいて不十分な過程を見直していく・・・そういう取り組みが必要になります。
 「教材研究をする」とあっさり書きましたが,これにかかる労力は尋常なものではありません。
 「この本(資料)を一斉に読ませればいい」という単純な話ではありません。
 ほとんどの教師が行き詰るか不十分なのが「教材研究」で,それができずしびれをきらすと楽な「受験本位型指導」を行ってしまうのです。
 受験本位型指導を貫徹している学校では,受験科目ではない教科等でたとえ眠っていたり,他の教科の学習をやっていたとしても,決して注意してはいけないことなども徹底されているのでしょう・・・。

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■「学習指導要領に示された目標を達成する」ことが、ホントに意味があることなのか、それ自体が大問題だ。ナショナリズムを結局相対化しえない歴史教育にしろ、政治性をとわない言語教育にしろ、問題だらけだとおもうし。■しかし、「受験業界関係者おごるなかれ」「託児所としての小学校」など、「学校・塾」関連旧ブログ記事でかいたとおり、なにか 上級学校の選抜試験やら 国家資格やらに とおせばいいというのではない機能を公教育機関がになわされていることは事実。■「漢字力」やら「英語力」の数値化できる部分だけ、目標にするような指導方針が、問題なしのはずがなかろう。
■したがって、偏差値をあげるために、合格率をきそいあう私学などは、私塾と大差ないといえるし、そういった競争原理から無縁でいられない公立校も、私塾とかなり連続性をおびている。■しかし、「数値として測定できないようなものは、成果じゃない」といった風潮は、大半の企業で空洞化=破綻した「成果主義」と同質のものであることも事実。■その意味では、全国学力調査の成績開示にこだわった保護者たちは、託児機能や数値化されない教育機能を無視した、おおばかものだといえるし、こういった「検定」、あるいは「資格試験」の合格率・合格者数に こだわる・誇示する教育機関というのは、商売としての私塾と同類だと、白状しているようなものだ。
■これは、「数値化される結果」に こだわる「商法」しか実質的にいきのこりようがない私塾をおとしめるものではない。そうではなくて、そういった私塾が到底できない領域をになうのが、公教育のはずだということ。営利追求しかとりようがない株式会社とはちがって、自治体やNPOが公益法人であるように。■そうかんがえたとき、「英検」や「漢検」を入試の代替物ととらえるとか、単位認定するとかしている公教育機関は、「外部化」「外部調達」といった合理化として、積極的に位置づけられるのかどうか、冷静にかんがえた方がよい。■かんがえようによっては、主婦・高齢者むけのカルチャーセンターよりも、公的機能をうしなっているかもしれないのだから。

■もちろん、「不安産業」の一部として、実質的に「就職予備校」的な機能を隠然とはたしてきた、高校・大学は、私塾との連続性をもともと かかえている偽善的空間だったし、だからこそ、いりぐち(入試)・でぐち(卒業認定)双方で、「受験本位モデル」と無縁ではいられなかったんだが。■そういった意味で、教育・研究双方が、そういった なまぐさいものと無縁であるかのように、演出し、かなりの程度、そう自己陶酔したまま さめないできた、国公立大学の教授さまたちの偽善ぶりは、すごかった(いや、いまだに すごい)といえる。


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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

タグ : 日本語 漢字能力検定

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コメント

資格ってほとんどがいかがわしいものだと思います。
ただ単にテストで人を忙しくさせたり、頭のかたい状態にさせているとしか…。
そのほうが学生運動や労働運動をやる暇も資金も思考力も目減りしますからね。
また資格による出世幻想もふくらむと、
いつも自分が競争勝者の立場になったところからものを考えるようになって、
連帯も切れやすくなるでしょうし。
実際にはテント村にも資格もち(スキルもち)もいるんですけれどね。
もちろん資格ビジネスは笑いが止まらない、と。

いわゆる「失業産業」の一種としての、資格ビジネス

■以前に、ワタリさんから「失業産業」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/2149)という指摘がありましたね(「専門学校、職業訓練、ハローワーク民営化など、失業者があるからこそ存在し、また場合によっては国からの予算もいただいている産業」)。■要は、《これで就職できるよ…》的なエサをまいて、失業層・半失業層・学生をカモにする「業者」であり、広義にとらえるなら、教育関連産業の大半(≒カルチャースクールみたいな業界以外)が これにあたると。
■あと、ワタリさんのご指摘どおり、古代より「分断して統治せよ」が、支配層の普遍的原則であり、連帯できない被支配層を、自分たちのしくんだ「土俵」にあがらせて、パフォーマンスを収奪するということですね。■たしかに これは、「蜘蛛の糸症候群」(石田雄 http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-656.html)などとして、被支配層の思考力を極端に抑圧する効用があります。不安をあおり、幻想的な希望をいだかせて、依存症的に支配する。■これを、生活のかてにするだけでも、かなり原罪がおもたいとおもいますが、これで私腹をこやすとなると、悪徳業者というほかない(まっとうな法律家をそだてて 「よなおし」をくわだてることと、「ビジネス」を両立させている、伊藤真さんなどは、「名人芸」ですね)。

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