プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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性暴力は 個人の大脳内での妄想と、合意のうえでの少人数のなかでだけ 正当化される【加筆あり】

■いわゆるポルノ作品については、以前私見をのべたが、“日本製「性暴力ゲーム」欧米で販売中止、人権団体が抗議活動”(2009年5月8日03時02分 読売新聞)、“性暴力ゲーム、ネット販売中止”(2009年5月12日 読売新聞)といった「作品」となると、個人の趣味とか、表現の自由とか、「実写じゃない仮想空間にあるから、被害者が実在しない」とか、そういった次元にないとおもう。■性暴力は、あらゆる 方向性において(批判的に検討するばあいは、例外として)、個人的に 妄想として たのしむケースと、合意のある 少人数の あいだでだけ、こっそりと たのしむケースだけが、正当化される。それが仮想空間であろうと、なまみの心身を 素材としようと。■だから、かりに 会員制であれ、不特定多数が アクセス・購入できるような形態での 性暴力ポルノのたぐいは、厳罰をもって規制しなければ ならない。性暴力を正当化するイデオロギーとして コピーされていくからね。

■ただし、「「女性や少女への暴力をテーマにした産業が日本で高収益を上げ、『ロリコン』と呼ばれる少女の児童ポルノ市場も巨大化している」との声明を発表。「日本政府はなぜレイプを奨励するかのようなゲームの流通を止めないのか」と政府の対応にも批判を向ける」といった 運動の論理は、無用な混乱をまねいているとおもう。■性暴力を正当化するポルノ画像と、少年・少女等への性的欲望を 妄想として 仮想空間で 「物語」化するポルノ作品とは、別個に規制すべきだ。前者は 基本的に厳禁、後者は マニアだけが アクセスできるような 制度の厳密化によって みたくない層が保護されるといったぐあいに。■はっきりいって、「『ロリコン』と呼ばれる少女の児童ポルノ市場」という くくりかた自体に、実写/仮想の 区分がなく、また ポルノ作品総体と、「女性や少女への暴力」が同義であるかのような論理は、まずいとおもう。 ■否定されるべきは、「同意のない異性・同性に 性的暴力を実行したい」という妄想の実践を正当化するような あらゆるイデオロギーと作品であり、「同意のもとで異性・同性のカップルないし小集団が、性暴力というパフォーマンス(と、そこで展開する心身の物理的・心理的ありよう)を素材に 性的に興奮すること」、および「幼児をふくめた未成年とか、高齢者に対する性的妄想を仮想空間ではたすこと」は、個人・小集団の「趣味」の問題である。前者と後者は、厳密に 区別しないと まずい。

■さらに極端に個人主義的な見解をあえて しめしておくなら(ハラナが個人的に是認しているわけではないが)、後者(同意のもとでパフォーマンスとしての「性暴力」ごっこ)において、過失致死や嘱託殺人だって、正当化される可能性があるとおもう。■刑法上禁止されていようと、「あだうち」する個人がいるだろうことと同次元で、「確信犯」として、あるいは、なりゆき上で、過激なプレイゆえに 死にいたるという事態が結果としてもたらされたばあい、それを 罰することは、単に「社会通念という意味での大衆的な秩序意識」のための犠牲として、過失致死罪やら殺人罪とかが適用されるだけで、かりに罰則規定をつくったところで、「犯罪」を規制できるはずもないからだ。自殺を禁じても(たとえば、いきのこった親族も罰せられるといった、共同責任でおどした幕藩体制でも)、自殺者はなくならないようにね。
■もちろん「幼児をふくめた未成年とか、高齢者に対する性的妄想を仮想空間ではたすこと」に、利用者が「同意」という要素をからめる(あるいは、利用者の動機を正当化するために、ストーリー展開として、制作者が「同意」というプロセスを くみこむ)となれば、それは かなり複雑な問題ではある(人間観・イデオロギー、といった次元で)。■しかし、そういった妄想が、いかに自己中心的であろうと、「暴力的なのはイヤだ」という美意識のもと、「同意」というプロセスによって 妄想を合理化しようという意識を全否定してはいけないとおもう。むしろ、「同意」というプロセス=妄想によって、「性暴力」を否定している点に、かれらの 「まともさ」「良心」が 確認できるのであって、たとえば「仮想上の児童ポルノも、広義の性暴力の正当化」みたいな論理で全否定するのは、知的野蛮だとおもう。■くりかえしになるが、こういった「妄想」の世界は、そこで 「素材」化されている 「弱者」にあたる層が、みないですむよう、厳格な「かこいこみ」をおこない、けっして「まよいこむ」といった事態がおきないよう、制度化が必要だろう。
■これは、これらポルノ作品を「思想信条の自由」だとか「表現の自由」だとか、「内心の自由」といった次元で正当化したいのではない。そうではなくて、以上のような「妄想」系の世界は、それこそ 規制によって 壊滅させることは、事実上不可能であり、だったら、「現実的に暴力的でないのなら、どうぞご勝手に(そのかわり、かたぎの世界に絶対にでてこないでください)」という対処が、もっとも現実的だとおもうからである。■まあ、ウィニーとか、おかしなソフトができてしまった現在、世界中に 私的な妄想空間が モレだし バラまかれるという、巨大なリスクが誕生したことも事実。「個人の趣味」を私的にパッケージした私用パソコン、といった「安心」は、できないのも現実なのだが。


●「◆日本製「性暴力ゲーム」 内外の抗議を受け販売中止/豚インフルのゲーム?/男の子牧場/裁判員ゲーム」(『てらまち・ねっと』2009-05-18)
“性暴力ゲーム、規制議論を”(2009年5月13日 読売新聞)
●旧ブログ「ポルノ」関連記事
●旧ブログ「オーウェル『1984年』私論」「オーウェル『1984年』私論2
●旧ブログ「森岡正博/荷宮和子新刊(読書ノートその2)




【2009/11/02加筆=「放送コード」とかと同様、形式的な規制で偽善的アリバイをつくろうとする、FC2 BLOGの「禁止キーワード」制により、コメント欄から「本文」欄に避難(笑)】


たばこ、健康のためにも欧州並み値段に…厚労相
11月1日22時50分配信 読売新聞
 長妻厚生労働相は1日のフジテレビの番組でたばこ税の増税について、「たばこは健康の問題もある。ヨーロッパ並みの金額にする必要がある」と述べ、2010年度税制改正での実現に意欲を示した。

 一方、古川元久内閣府副大臣は1日のNHKの番組で、ガソリン税などの暫定税率について「廃止する」と述べたうえで、地球温暖化対策税(環境税)について検討する考えを示した。

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■こういった議論をきかされると、財源確保のためのヘリクツなのか、おのれらの自覚できない潔癖主義の合理化にもとづいたパターナリズムなのか、よくわからなくなりますね。
■タバコやアルコールは、依存性や毒性によって、現在のWHOのの規制基準なら、禁止薬物に分類されているだろうというのは、マリファナ解禁論などによってたつ、反パターナリズム系の議論。■要するに、あまりに風俗にとけこみすぎた歴史的経緯があるんで、禁止しても「禁酒法」時代みたいな皮肉な結果がでそうで、実効性がないから、規制をあきらめた、という刑事学的な配慮と、財務当局の「財源確保」論という、利害の一致ですよね。
■でもって、ギャンブルのばあいは、大半を禁止して、公営のレースだけ、税金と併用して自治体とかが公用にするって、合理化してきたと。■パチンコスロットなどもそうですが、在日コリアンを差別してきた、うしろぐらさもあって、その利害を全否定できない。警察とかも、(天下り先とか)利害関係者になってしまって、ズブズブの当事者として、とても規制なんてできない。■依存症患者がどんどん破綻して家庭破壊がおきようと、「個人の自己責任」論で、放置する…。こんな感じでしょうか?■ちなみに、エロを規制しようしてきた警察当局の「識別」作業が、わらえることは、再三指摘されてきましたね。そういった作業の過程・理念自体が、エログロそのものだと。そして、その境界線設定が恣意的で、戦前の思想犯とりしまり(特別高等警察等、思想警察)=発禁・スミぬり規制と同様の、わらえる本質であることは、事実だとおもいます。■かれらは、「良家の子女の保護・健全育成」をくちにしますが、そういったものに「汚染」されてしまうような層が、もともと「健全」なのか、それ自体が微妙な法益だという自覚がない。■戦後のばあいなら、「保護・健全育成」「規制」をくちにしているオッサンたち=保守系自身の「みもち」が 実際によろしくなさそう(セクハラ・パワハラとか、バリバリおかしていそう)という、わらえない皮肉がありますし。

■こうかんがえてくると、一貫性のある施策ってのは、うてないとおもうんですよ。というか、パターナリズムも公的機関による収奪+官僚の省益護持体制も、全部否定するなら、①トバク・クスリ・エログロのたぐいは、全部自己責任で解禁してしまう。ただし②依存症患者を放置した、トバク業者や医師・薬剤師等は、厳罰の実刑にする。③依存症患者を顧客にすることをもくろむ業者は、終身刑を最高刑にした厳罰でのぞむということで、購入者の属性を自己申告の「18歳以上/未満」といった、ザルをゆるさない。…って感じでいくか? ■ちなみに、最後のは全然実効性がないっていう批判がでそうですが、児童買春などの問題は、「18歳未満であると識別しないでかったヤツがわるい」という機械論で処罰しているはずなので、「18歳以上で判断能力が普通にある人物である」との判断を結果論でやれば、おもしろいとおもいます。潜在的顧客の属性確認に失敗した業者は、どんどん受刑ということで淘汰されていくと(笑)。■いや、実際問題、不眠をかたる受診者をみぬけなかった医師は有罪…式に運用していったら、今回の結婚詐欺殺人事件だっておきなかったはずで、精神科医たちは反対するかもしれませんが、そのぐらいの責任をもたせたっていいはずです。■おなじように、依存症患者をうみだすような売却をおこなった業者は、医師たちに準じて結果責任をとうと。
■以上が、パターナリズムを廃して自己責任論で一貫し、かつ知識不足で破綻する層を未然にふせぐための「施策」、ないし体制づくりのための「思考実験」です。
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タグ : ポルノ 1984年

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コメント

『サイゾー』(6月号)の

72~74ページには、わたしが参加した…もとい、わたしが興味ぶかく拝読した「世界一危険なロリコン座談会」という企画があります。オカズ…もとい、ネタとして参考までにどうぞ。

抑圧した場合の反動

個人的にはロリコン系メディアはろくでもない、ひどいと感じます。
ただし、それらをまったく抑圧してしまった際の反動・暴発等を考えるに、
それは合法と非合法の狭間に置いておくほうがいいだろう、とも考えるものです。

「売春業界」擁護論と 通底しますが…

■よく セックスワーカーの ひとびとの 生業としての擁護ではなくて、「性暴力がふきださないための安全弁」といった論法をもちだすひとびとがいます。■これは、「オトコの妄想系の性的欲望は おさえがたいので、暴発をさける必要がある」といった合理化です。
■もちろん、ポルノ解禁の空間で性暴力がへったという統計データをみた記憶もあるので、「ガスぬき」機能を全否定するものではありません。
■ただ、このての論理が、「利用者」「経験者」周辺からでているばあいは、要注意ですよね。その意味では、「利用者」「経験者」には位置しない ワタリさんの意見は、重要です。

■ハラナは、以上のような意味で「暴発」防止論には、くみしませんが、たとえば 宮台氏らが であい系サイト規制の際に問題提起したような、「抑圧」→「地下潜行」という問題を重視します。■おそらく ちからで おさえこもうとしても、「完全制圧」など不可能であり、それをやろうとすると、構造的に失敗して、一層みえにくい空間で、一層グロテスクで有害な事態が進行する危険性を予感します。■その意味では、ワタリさんの「合法と非合法の狭間」というグレイ・ゾーン維持論に賛同します。



■ところで、「世界一危険な…座談会」とは、いわゆる アブネー議論ですか? ■だれにとって「危険」であり、「世界一」というときの「世界」ってのは、モジどおりなんでしょうか?

お返事ありがとうございます。

>■ところで、「世界一危険な…座談会」とは、いわゆる アブネー議論ですか? ■だれにとって「危険」であり、「世界一」というときの「世界」ってのは、モジどおりなんでしょうか?

その点は、あとで(できれば本日中に)お返事いたします。

とりいそぎ、おしらせまで。

で、お返事です。

同誌の対談の結論部が要点をまとめているとおもいますので引用します。(シ・学・給・3はおのおのの匿名です)

シ ただ、ロリコン本人がいくら「自分は安全だ!」って主張しても、人の親から見れば、絶対安心はできない存在なんですよね。要するに、我々は社会的には迷惑な存在なんですよ。

給 ですね。ロリコン友達の間でも、「オレに娘ができても、絶対お前には会わせない!」って話をよくする(笑)。

3 ただ、「安全なロリコンもいる」という認識は持ってほしいんですよね。

給 まあでも、それは無理だろうなとは思いますけどね……。

学 我々に対して理解ある社会になればいいのですが、希望は薄いかなとも思います。

シ ほかのセクシャル・マイノリティと違って、対象とする相手が力の弱い人間である以上、社会に理解を求めるのも限界があるのでしょう。社会的な差別や排斥は当然すべきではないとは思いますが、「疎まれてしまう」ことに関して、ロリコンはある程度自覚的でなければならないと考えます。

学 ただ、単純所持を違法とするのは表現の自由を奪うことにつながるので、絶対に反対ですね。

給 そうですね、それは別問題かと。

シ なんにせよ、これだけ子役タレントが多く、その商品が供給されている時代はかつてなかったわけで、今がロリコンにとっては一番幸せな時代だとは思います。

わたしなりに解釈すると

1.ロリコンの全員が年少女性の人権を侵害する人間であるというわけではないが、ロリコン以外の構成員による社会にとっては疑惑をいだくのは無理のないことかもしれない。
2.ロリコンの一人として社会にうとまれたくはないが、ロリコンである以上、うとまれることは覚悟しなければならないようにおもえる。
3.児童ポルノ(貝枝注:「ポルノ」の定義があいまいである点はここでは不問に付す)の単純所持禁止には反対。
4.ポルノというほどではない範囲で供給される少女の画像が豊富である現代はロリコンにとって幸せな時代。

ということですな。
タカマサさんのように「すみわけ」をうったえるところまでは到達していないですが、妥当な主張だとはおもいますが、どーですかね?

小生は理解できますが…

■「ロリコン友達の間でも、「オレに娘ができても、絶対お前には会わせない!」って話をよくする(笑)。 」という自虐的なツッコミが ものがなしい。■しかし、「ほかのセクシャル・マイノリティと違って、対象とする相手が力の弱い人間である以上、社会に理解を求めるのも限界がある…。…「疎まれてしまう」ことに関して、ロリコンはある程度自覚的でなければならない」という認識には、共感できます。

■技術的にどう実現可能かは ともかくとして、「すみわけ」は不可避だとおもいます。

自虐的であることがひとつの美学にならないかぎり現状の閉塞感は打破できないんでしょうか?しかしそれでも理解できないのは

「おれはロリコンだ」という告白が、みずからの身を危険にさらしつつ主義を通している点において「おれはイケメンだ」(http://bogusne.ws/article/120002704.html)に匹敵するカッコいい告白として認識されるような風潮が、社会のなかのごく一部にでもひろがらないかぎり、つまり自虐的であることがひとつの美学にならないかぎり現状の閉塞感は打破できないんでしょうか?しかしそれでも理解できないのは、ほかのマイノリティのうち、スポーツオタクのように自分が人権侵害をしている自覚のない外道ではなく、社会からうとまれる宿命を永久に脱することはできないのではないかという自覚が多少なりともある個人や集団同士は連帯できないものなのでしょうか?いや、そうしたうとまれた個人や集団同士が「おれ(たち)は●●よりはマシだ」という、あしのひっぱりあいをするのもわからなくはないので、それゆえに「自虐的であることがひとつの美学にならないかぎり現状の閉塞感は打破できないんでしょうか」という上記の問題提起をおこなたのですが、どーですかね?タカマサさん。

つまり

問1
自虐的であることがひとつの美学である、という認識が社会の一部にでもひろがらないかぎり現状の閉塞感は打破できない、という貝枝の仮説は真か偽か?

問2
問1の仮説が真ならば、そのような風潮をすこしでもひろげるための方法はあるのかないのか?あるとすれば具体的には何か?

問3
問1の仮説が偽ならば、自虐的であることが美学でないという社会において、自分が社会からうとまれる存在であるという自覚がある個人・集団が連帯するための方法は具体的に何か?

という問いに対するタカマサさんのご意見をうかがいたいです。

いずれにせよ、すみわけは不可避というタカマサさんのご指摘には異論はありません。
ともあれ、『サイゾー』の座談会も、かなり核心をついているように感じますし、タカマサさんが「ものがなしい」と評した「自虐的なツッコミ」も、妊娠というネタを用意しておいた『悪女伝説2』(http://www013.upp.so-net.ne.jp/ymurakami/guide/bad_girl.htm#AKUJO2)に匹敵するイタさが、貝枝的にはツボですが、貝枝の感性自体がかなり少数派だとおもえるので共感してくれるひとは、あまり存在しないんだろうなぁ…

画像をageておきますので

参考までにどうぞ

http://retrocomputerpeople.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_fba/retrocomputerpeople/0712444299.png

って、どんどん関係の無いはなしになっていく如…

私見数件

「問1 自虐的であることがひとつの美学である、という認識が社会の一部にでもひろがらないかぎり現状の閉塞感は打破できない、という貝枝の仮説は真か偽か?」
 ↑ ■これは、真偽いずれか判定不能だとおもいます。その意味では、「反証可能性」(カール・ポパー)などの主張にそった、科学的命題たりえないとおもいます。■なぜなら、「自虐的であることがひとつの美学である、という認識が社会の一部にでもひろがる」→「現状の閉塞感が打破できる」という因果が成立するかどうかは、「現状の閉塞感」「打破」という計測・立証困難な状態をかかえているし、「自虐的であることがひとつの美学である、という認識」の定着範囲である「社会の一部」も、どのぐらいの質・量を設定するかで、全然ちがってくるとおもわれるからです。
■それはともかく、ただ、これらの「仮説」が「偽」なのかといわれれば、おなじように、決着がつかないでしょう。■だとすれば、「問2」「問3」の成立基盤自体がくずれさるだろうと。
■以上の論証の是非をご検討ください。まちがっていれば、また かんがえます。

■それと、「偽」と判断できなさそうな予感と並行して おさえておくべき点として、「自虐」系の意識が、けっして 単純な「ゴーマン」やら「暴力的暴走」に対するブレーキ(制御)機能をはたしそうだという、積極的位置づけです。■古今東西の独裁者がくりかえした言動の厚顔無恥ぶりや、亡国(もとい某国)の官僚独裁=寄生体制なども、はじをしらない点、自分たちの本質のモニタリングを欠如させている点で、同類のものです。■対照的に、「自虐」系は、基本的に少数・無力なのですから、自分たちの政治・経済・文化的資本(資源)を暴力的に発揮できないのです。
■自民党周辺の政治関係者・支持者などは、「社会民主主義系の連中だって、おいしい政治経済的資源にあずかれば、あっというまに おなじ あなの ムジナのはず」「連中が清廉潔白にみえる(ふるまえる)のは、たかれる既得権がないような、トホホな位置にとどまっているから」という、きめつけがあるはずです。■まあ、ひと(というかオヤジ)のさがは、オウム真理教をふくめたインチキ宗教教団の首脳部の同質性やら、企業家たちの相当部分の、にたりよったりの「腐敗」ぶりとして、普遍的かもしれません。が、しかし、「自虐」系の層は、現時点で、トホホな社会的位置にあるのであって、「冷静にモニタリングしたとき、わらうほかない われわれ」という、結構まともな「自画像」をかけているとおもいます。■それは、はずるべきではなく、充分長所だと(笑)。

■ちなみに、「自虐的」というのは、「新しい歴史教科書をつくる会」周辺のような、あきらかな誤用を論外とするなら(なぜなら、リベラル右派はもちろん、左派の記述した「日本通史」等が、ナショナリズムにもとづいた共同幻想にすぎず、「想像=創造の共同体」であることは、実証史家自身が自覚的に方法論を展開するようになったからですが…)、業田良家『自虐の詩」(じぎゃくのうた)とか、倉田真由美『だめんず・うぉ~か~』的な世界が想起されそうです。■しかし、元祖「自虐」系といえば、尾崎 哉(おざき・ほーさい )、石川啄木やら太宰治あたりなのであり、そこには、(1) 自負と反比例する社会的位置、(2) とりまく環境=社会構造への失望と並行した、苦境を自力で打開できない無力さへの諦念、という、心理的屈折があるとおもいます。
■もともと、実存としての少数派が被差別者から解放されようという運動は、当然の人権獲得闘争です。しかし、美学だの趣味だのといった次元でのマイナーさとか、被差別性について、そういった「闘争」の合理化をはかれるかですね。■そっちの方が問題だとおもいます。文学や考古学あたりが、「基礎研究に予算よこせ」運動したばあいに、「優先順位問題として、切迫度はいかがですか?」と、財務当局にツッコミをいれられたりとか、ワーキングプア層からの「いいご身分で」系のもっともな批判をあびたとき、きのきいた 反論をくりだせるかとも、つながりますが。

■「関心」の「優先順位」問題ともからみますね。

http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-629.html
http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-665.html

納得しますが、そのうえでつけたすとすれば…

>■以上の論証の是非をご検討ください。まちがっていれば、また かんがえます。

おっしゃるとおりだと納得します。もうすこし時間をかけて再考すればタカマサさんの論理にどこかとりこぼしがあると感じるようになるかもしれませんが、いまのところは異論がおもいつきません。

で、

>しかし、美学だの趣味だのといった次元でのマイナーさとか、被差別性について、そういった「闘争」の合理化をはかれるかですね。

という点も納得します。
その意味でロリコンの人権擁護に優先して労力をさくという政治判断は優先順位をまちがっている愚をおかしているという気もします。
ただ、ロリコンをめぐる議論はそれとむしろ逆な意義があるようにも感じます。「逆」といういいかたは妥当ではないかもしれませんが、要するに「ロリコンこそ、ほかのすべてのマイノリティの解放をおこなうための尖兵たりうるのではないか」ということです。つまり、タカマサさんも「ものがなしい」と評したように、あらゆるマイノリティのなかでもっとも疎外されうるしその自覚をせざるをえないマイノリティがロリコンであるなら、「われわれロリコンこそ、マイノリティ中のマイノリティとして、ほかのマイノリティを解放するための使命をおっている」という使命感をいだくロリコンが一定程度存在してくれるのではありますまいか?
つまり、第一に、ほかのマイノリティよりも突出した疎外からのがれられないというマイノリティ性においてはマイノリティのなかのマイノリティであり、それでいて第二に、ほかのマイノリティほどさしせまった生活の困難にない点において「いいご身分で」といわれても仕方のない余裕をもっているロリコンこそが、ほかのすべてのマイノリティを解放するために前線にたつには最適の立場にあるように感じるのですが、どーですかね?

いや、そのような立場にたっているからといって実際に使命感をいだくロリコンがどれだけいるかは不明ですし、使命感をいだかなければならない理由もないのですが、わたしも一人のロリコンとして…もとい、わたしがかりにロリコンであれば、そのような政治的立場におかれているという自覚にもとづいてできる範囲でほかのマイノリティとの連帯をする「かなめ」になろうとするように感じます。
という私見ついては、どーですかね?タカマサさん。

というかすくなくとも

マイノリティである自覚がある人間同士でのあしのひっぱりあいだけは回避したいです。優越感にひたりたいとか防衛機制とか、人間の心理にやっかいな心性がいろいろ存在するのは回避できないとしても、そのうえでなお、あしのひっぱりあいを回避する方法が、なにかないものかと。
そのうえで、どのような理由でマイノリティという立場におかれている個人や集団が「かなめ」として適しているか、とか、そもそも「かなめ」が必要なのか、といったといもあるでしょうが、前述の理由からロリコンは、政治・経済・社会的理由から、「かなめ」たりうるマイノリティの資質をもっているように感じるのです。

かんがえてみるとロリコンって

すごく特殊な立場にいるような気がします。
つまり、上記の要約をすれば、マイノリティのなかのマイノリティでありながら、そのマイノリティ性によって生活の根幹をおびやかされるわけではなく余裕がある、という2つの属性をもっているのですから。

それゆえやはり、「ロリコンはすべてのマイノリティの解放の尖兵たりうる」という命題は理論的にはただしいように感じます。どーですか?

理論的には、そうですが…

重要なのは、「きもちわるい」と感じる多数派が わるいということではなく、不愉快な経験をしないですむ権利をもつということ、「趣味は趣味として、特定少数のマニア内部のなかに封印すること」なのだとおもいます。■ですから、マイノリティ解放の理論とは、やはり別個に論じるべきでは? 「いきづらさ」とか、「世間体(セケンテー)」とか、そちらを問題化するなら、「ユニークフェイス」(特異な容貌をかかえた少数者の自助団体)がとりくむ課題みたいな もっと切実で深刻な課題がたくさんありそうですし、個人的な内面・趣味の問題の「権利」は、「当局に捕捉されないように、自己責任でかってにおやりなさい」という「正論」に、反論しづらいとおもいますし。
■もちろん、「ポルノ系作品が犯罪を誘発する…」ウンヌンの議論には、反対しますけど、それだって、外国人や精神・知的障碍者が 統計的にごくごくマレにひきおこす「犯罪」に対する、「一般市民」の差別意識・不安の問題(「体感治安」)の方が切実な課題だろうとおもいますし。■これは、理論的な次元ではなく、かなり優先順位のたかい課題のはずです。生産的な議論をするなら、そちらの方では?…

お返事ありがとうございます。ただ、意図がつたわっていないようです。たしかに

解放すべき、より深刻な問題をもっている個人・集団がロリコン以外にいることはおっしゃるとおりだとおもいます。ですので、むしろロリコンこそ、(1)マイノリティのなかのマイノリティでありながら(2)解放されるべき優先順位はひくい、という特殊性にかんがみ、自身の解放よりも他のマイノリティの解放を優先する自己犠牲をはらいうる立場にあるとおもう、ということです。おおげさにいうなら、ロリコンこそ自己犠牲をはらってほかのマイノリティの解放を優先するという使命を神からうけた尖兵だ、と。つまり、ほかのマイノリティのうち、タカマサさんのあげられたようなユニークフェイスなど深刻な状態にある人は「マイノリティのなかのマイノリティ」という属性はロリコンとおなじでも「余裕がない」という属性がロリコンと対照的ですので。つまり、ロリコンほど、自己犠牲をしてでも自分以外のマイノリティを解放する、というやくわりに適したマイノリティはほかに存在しないのではないだろうか?ということです。

で、生産的であることに関していうなら

>生産的な議論をするなら、そちらの方では?…

とのことで、生産的な議論にむけて上記の書き込みからつなげるなら、ロリコンが理論的にあらゆるマイノリティ解放の尖兵たりうる可能性があるなら、ロリコンには自己犠牲してでもほかのマイノリティ解放の「尖兵」あるいは「かなめ」としてのやくわりを期待することですべてのマイノリティの解放のための運動効率をあげることができるのではないか、ということです。
実際にそのようなやくわりをになってくれるロリコンがどれほどいるのか?もしかしたらひとりもいないのではないか?という疑念はわたしもぬぐいされないですが、理論的にそのやくわりをになえる特殊性があるのがロリコンである、という命題が真ならば、その様なやくわりをロリコンに期待することも、とてつもなく無茶であるわけではないのではないでしょうか?

生産的なモデル?

■ごく普通の市民が もちあわせていない嗜好・指向で、大半の反応が「気色わるい」「危険」といったものである領域の「愛好者」「支持者」たちが、単なる自己弁護ではなく、通底する被差別性・偏見等について整然と冷静な議論を整理・展開する意義は否定しません。

■ただ、ごく単純にモデルを提供するなら(あらたな妄想マニアをうみだしそうなネタで、気がひけますが)、▲(1) いたいけのない 生物系キャラをサディズティックに せめさいなんで くるしむようすを たのしむ ロールプレイング・ゲームの愛好者の「指向性」「趣味」は、閉鎖空間以外で容認されるか? ▲(2) いたいけのない 生物系キャラが 利用者の妄想をよろこんで受忍し性的になぐさみものになる というストーリー展開の ロールプレイング・ゲーム(たとえるなら「家畜人ヤプー」系か?)の愛好者の「指向性」「趣味」は、閉鎖空間以外で容認されるか? ▲(3)(4)上記二項の実写風CG版のケース…
 ↑ こんな思考実験は、いかでしょう? いや、もはや閉鎖空間では、実現ずみだったりして(汗)…

わたしのかき方のせいかもしれませんが

私の書き方がヘタクソなのかもしれませんが、拙文の意図は、ロリコンにはむしろ自分の権利擁護運動よりも他のマイノリティの権利擁護運動をせよ、でもっておまえらロリコンの社会的受容はあとまわしだ、と期待してよいのではないか?そしてそのような期待をしてよいマイノリティはロリコンのみなのではないか、ということです。タカマサさんの思考実験(1)~(4)は、そうした拙文の意図とはむしろ逆に、ロリコンの告白を社会はみとめられるか、というといかけの様に感じますが、そう解釈してよいですかね?もしそうなら拙文の意図を誤解しています。再度もうしあげれば、ロリコンほど、マイノリティのくるしさを実感しつつ、同時にマジョリティにちかい余裕をもっている、特殊な、ねじれた立場の存在はほかにいなさそうであるので、自分の権利擁護運動をすっとばして他のもっと深刻なマイノリティの権利擁護運動にまい進してほしい、それを期待しうるおそらく唯一の存在があなたたちなのだ、といいたいのです。

いえいえ、それは誤解です。

■暴力性と無関係であるといえそうなロリコン・アニメ系と同形なののは、(2)だけのはず。それ以外は「個人的趣味であるかぎり無害」とはいいきれないとおもいます。■そういった 暴力性とか、実写系の「不快」問題とか、素材データの収集の問題点などが(1)~(4)の比較検討によって本質が浮上するはずです。■これらの思考実験のうえで、「常識的感覚による不愉快さ」問題と偏見の関係性を整理し、単なる自己弁護ではない議論が展開されていることを論証する。…
■このように、「常識的感覚」の徹底的な解剖がおわらないうちは、「気色わるい」という「合理化」となってしめされる 少数者への暴力的言動・処遇の 問題性が 整理できません。■アスペルガー周辺のひとびとが、障碍のもつ構造を解明されることで ラクになるという はなしは、よくききますが、そういった意味での 解放論ではありません。■少数者を包囲して、あたかも暴力的な処遇や無視が当然であるかのような合理化がくりかえされることを差別というように、これら解放論の本すじは、多数派の意識の解剖なのですから。
■ロリコン・アニメ・ファン層周辺の 自己言及(再帰)的 解明作業が意味をもつのは、以上のような意味で、「気色わるい」とされる「趣味」「指向」が、周辺の政治的・文化的布置関係のなかで整理され、不毛な誤解が消滅するはずだからです。■ロリコン・アニメ・ファン層周辺の 自己言及(再帰)的 解明作業に、期待ができるとすれば、そういった自助努力ですね。もともと周辺の多数派が、自発的に「多文化主義」的に解放され、寛容になっていくはずないし、実際「有害無益」っぽい趣味と連続性があることから、攻撃を誘発しがちなのは、ある意味宿命なので。■これらの諸問題に 自己弁護的でなく、普遍主義的な整理図式をだせないと、「すみわけ」の擁護・制度化もできないでしょう。だって、周囲の「有害無益」論に、説得力をもって抵抗できないのですから。
■そして、これらのことに こたえられる図式が誕生すれば、それこそ、自分たちには本来全然責任のない 被差別集団の諸問題も 一挙に解明され、多数派による「気色わるい」論の全面的のりこえが可能になるはずです。■その意味で、ロリコン・アニメ・ファン層周辺は、実際期待がかかるとおもいます。
■しかし「自分の権利擁護運動をすっとばして他のもっと深刻なマイノリティの権利擁護運動にまい進してほしい」という期待は、もてそうにありません。w

納得しました。で、つけくわえると

>しかし「自分の権利擁護運動をすっとばして他のもっと深刻なマイノリティの権利擁護運動にまい進してほしい」という期待は、もてそうにありません。w

たしかに実際問題として期待はできないかも…
しかし唯一それをなしうる絶妙な立場にいるのがロリコンすなわちペドフィリアなわけで。
そんなわけで、ペドフィリアのテーマ曲をつくってみました。

♪ペドフィリア~ おれたちの~ 使命はおもい~
♪ペドフィリア~ おまえのちからを~ 信じる~

ちなみにもとネタは『さよなら絶望先生』(http://nyontaka.net/zetsubou/166s)で『サイバーブルー』と同様コケに…もとい絶賛されていた『宇宙空母ブルーノア』です。モノホンの歌詞は以下のかきこみの11と37~8を参照されたし。

http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ranime/1160355090/

対応にこまった事例

として『DAYS JAPAN』という雑誌が「日本」における暴力的な(演技ではなく実際に性暴力であったという)「ポルノ」について批判したとき、そういった事例をとりあげたこと自体に対する批判が女性読者からきた、という事例をあげておきます。自分のとおくにいるひとの被害はきくことができても自分と身近なひとの被害はきくのがくるしい、という心境のあらわれだとおもわれます。
で、その様な心境においこんでしまっている原因の一部は小児性愛者もとい男性であるわたし貝枝もになってしまっている、という巨視的な政治力学はそのはなしをきいた瞬間に把握できたのですが、では具体的にどの様な対応をとるべきなのかは、いまもってわかりません。その様な心境におちいった女性に「いや、不当なことは不当だと、一緒に批判しましょう」と檄をとばすのはまちがっているとおもいますし、かといって何もしないのも泣き寝入りを促進する様で問題があるし。
あえていうなら、社会全体をおおっている男性中心主義をひとりで転覆しなければならない様な、それ以外に解決策がない様な心境になってしまったのです。
なにかヒントをいただければさいわいです。
とりとめのないはなしですみません。

【以下、一部のかたは、不快な読後感をいだくリスクがありますのでご注意! 一部FCブログによる「禁止ワード」をさけるため、ふせ字】










ドキュメンタリー風作品をよそおって、実は、性暴力現場を実写してしまった(あるいは撮影が、性暴力の実写現場となってしまう)最悪の作品が横行している事実(被害者は、さまざまな理由で被害者であると主張しない)は、いのうえ せつこ『●●産業― 一兆円市場のメカニズム』(新評論 2002)など、その実態は、以前から指摘されているとおもいます。■もちろん、性暴力の被害者リスクがおおきい女性が、潜在的当事者として 話題化するのと、たとえば服役するといった 確率的に0にちかいケース以外被害者になる不安をかかえる必要のない男性が話題化するのとのでは、きかされる方が おおちがい。という政治性は、理解できます。■そのうえでですが、「自分のとおくにいるひとの被害はきくことができても自分と身近なひとの被害はきくのがくるしい」とは、「そういった事例をとりあげたこと自体に対する批判」をよせた女性の みぢかに、犯罪(性暴力現場の実写等)の被害者がいたということなのでしょうか? ■被害者や そのちかしい人物が、いまわしい記憶・トラウマをさかなでしないでほしい、とねがうことは、理解できます。■ただ、ポルノ業界で犯罪が頻発している実態があるとすれば、なおさら、「くさいものに フタ」ではなくて、女優志願者の女性たちにハイリスク領域を警告するなどの啓発効果は否定できないとおもいます。■『●●産業― 一兆円市場のメカニズム』といった刊行物のばあいも、興味本位でないことはもちろん、被害者女性たちへの(性労働の一種を職業を、いろいろ事情・動機はあれ、えらんだ女性たちへの、同性としての)共感と、犯罪者(業界人男性の一部)へのいきどおりが、執筆動機としてあるとおもいます。
■結論的には、当事者・関係者として トラウマをおっているひとびとは、ふれないですむ「めかくし」機能を、発表媒体はこらす必要があります(いのうえ氏の本のばあいなら、表題だけでパスする層がいるでしょう)。■しかし、そういった配慮をした媒体が、関係者から、「よんだら不快になった。どうしてくれる」といわれるのは、すじちがいだろうと。■もちろん、そういった被害者層にとっては、カウンセラーなど、精神的回復のためのプログラムが整備される必要はあります。ただ、問題を告発する媒体と、治療機能は両立できませんし、「この特集は、不快におもう層がいます」という、【ことわりがき】を明示するしか、対策はなかろうとおもいます。
■ちなみに、ウィキペディアのばあい、性現象に関する項目では、「この項目には性的な表現や記述が含まれます。ウィキペディアは未成年者を保護するための検閲をしていません。閲覧はご自身の責任で行ってください…」といった、ことわりをいれています。■雑誌・書籍等が、そういった「ことわりがき」を整備すべきというのは、たしかです(コンビニやビデオ店などで、「成人コーナー」だの「18歳未満は入れません」等の自主規制をするのと、同類の配慮ですね)。

お返事ありがとうございます。あと追加。

>批判」をよせた女性の みぢかに、犯罪の被害者がいたということなのでしょうか?

その様な批判があったということ自体が伝聞で、実際に批判をしたひととはしりあいではなく、詳細もきけなかったのですが、その伝聞をつたえたひとがいいたかったのは、多分おなじ「日本」の事例をきいたことが不快だったのだろうという意味あいに解釈いたしました。でもって、「ポルノ」自体は環境セクハラ(という用語は適切?)とおもわれるほどに、この「日本」に蔓延しているので、そのことも関連しているのかもしれません。確約はできませんが、貝枝の解釈では「日本」と「外国」という区分が、その様な批判をした女性の意識のなかではつよかったのだとおもわれます。

当事者でないかたの批判は…

■ポルノ関連の話題が かりに「メタ言語(記述・対象化・批判…)」であっても、たとえば「環境セクハラ…」といった不快感を表明することは、批判ではなくて感情的非難ではないでしょうか? ■とりわけ、「外国ネタは冷静にきけるけど、日本の話題はなまなましすぎてイヤ…」等の論理は、感情論としては理解できるものの、差別問題を論じる資格のない層だとおもいます(当事者として不満をいう権利は当然保障されるけれども、冷静な議論をする要件をみたしていない)。■もし、ソボクに、《おなじ「日本」の事例をきいたことが不快だった》式の非難であるなら、たとえばタイなどでくりかえされている少女売春と日本人男性客については、鈍感だったりするのではないかと、疑念がわきあがります。

■「(性現象を冷静に)議論する空間自体に同席したくない」という、女性の当事者性は、当然尊重されるべきだとしても、雑誌の特集について、「なまなましい議論をよませるな」式の非難をくわえるのは、差別表現を冷静に議論しようとすることを全否定するようなふんいきと、通底する、ネジれを感じます。■貝枝さんにつたわった「伝聞」が、なにかの誤解であることを信じたいところですが…。

お返事ありがとうございます。

>貝枝さんにつたわった「伝聞」が、なにかの誤解であることを信じたいところですが…。

誤解であれば今回の議論は前提がくずれるんですが(仮定のはなしでしかなくなるんですが)、たぶん誤解ではないんじゃないかなぁ…。
だとすると、

>差別表現を冷静に議論しようとすることを全否定するようなふんいきと、通底する、ネジれを感じます。

というご指摘があてはまる場が、残念ながら存在することを意味しそうです。
ともあれ、「日本」の事例をとりあげていない号(『DAYS JAPAN』はその方がおおいとおもいます)に関しては共感していたのだとすれば、「差別には反対。ただ、身近な差別のなまなましい事例をみききするのはイヤだ」という心理(心性?心境?)をもつひとが一定程度いるのではないかとおもいます、すくなくとも「日本」には。
でも、ジャーナリズムはその様なひとびとにまでは配慮しなくて良いですかね?あと、わたしをふくむ強者たる男性も、不特定多数のひとむけの問題提起の場合は。

とりあえずは「啓発」活動しか…

■結局は、編集者・執筆者・読者が相互批判をくりかえしながら、おのれの水準向上をはかるほかないと。そして、その でだしは、やはり編集者の めくばりと責任感だとおもいます。■「イヤだといっても、事実は事実としてあることを直視しよう」という方向で。
■その意味では、「自覚」「発見」を体験したひとは、男性であれ、女性であれ、おのれの相対的優位が加害行為にならないよう、モニタリングをこころがけながら、自制した発信を注意ぶかくやっていくと。■きながに やるほかないでしょう。
■以前もどこかでかいたとおもいますが、劇的に事態が好転することがありますので、めげるのは、得策ではありません。

『DAYS JAPAN』の2008年9月号でした、

2009/08/23 20:13でとりあげた記事がのっていたのは。
34~9ページにある「アダルトビデオの中の犯罪」という記事です。
ちなみに、その号の冒頭の記事は地震と原発の関係についてです。

性に関する話題とは別だが、自己決定や保護主義(パターナリズム)に関して

先日めずらしくテレビをみていたら、橋下徹大阪知事が石原慎太郎東京知事と同様のカジノ構想をうったえていたべや。
で、その件についてネットでしらべたら『大阪日日新聞』には10月10日時点で上記の提案が報道されていたようだべや。

http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/091010/20091010043.html

オレにとってくやしいのは、普段は社民党とおなじく革新的な共産党が、

> この日の一般質問で阿部誠行議員(共産)がカジノ構想について「百害あって一利なし。法秩序への挑戦だ」と厳しく指摘した。

などという、感情論としかおもえない反論をしていた点だべや。一般的に革新的な左派が、娯楽に関しては右派よりも保守的になる傾向がある様に感じるんだが(公営ギャンブルを廃止した美濃部亮吉もと都知事とか)、一体全体なぜだべや?

タカマサさんが、その理由を知っていたら、おしえてほしいべや。

ちなみに、オレの名前は「だべや」であって、「ダブヤ」(http://blogs.yahoo.co.jp/sugimantaroprofit/30048135.html)とは無関係だべや。

コミュニズムは 合理主義的ユートピア論

なので、たとえば理性が とびそうなギャンブルとかは、廃絶すべき、ってことになるんでしょう。■過去に、生殖以外の目的での行為は厳禁。結婚した男女間でも、快感を体験しちゃいかん、といった、ムチャな倫理を信徒たちに おしつけようとした、一部のキリスト教の説教師たちとにた潔癖主義がありました。『1984年』のえがいた「社会主義」体制がそうでしたし、以前の中国共産党の性愛観なども、大同小異だったんでは?
■ギャンブルって、かねもちの馬主たちがスタンドから悠然と観戦する分には、「趣味」でおわりますけど、ギャンブラーの大半は、過去の脳内麻薬ドバドバ体験に完全に依存している状況ですよね。■まあ、その意味では、依存症を前提にした、かけごとの公営は、まずかろうと。まあ、まちがってはいないとおもいます。
■あと、公営ギャンブルも宝くじも、どっちも、庶民から税金と併用したかたちでの収奪ですよね。暴力団が社会的下層とか虚業家たちから、カネをまきあげるのも問題だけど、公的な自治体が収奪行為をやって、公金としてつかうからいいだろう、って、ひらきなおるのは、まずいっていうリクツが、美濃部さんあたりには、あったはずです。これについても、総論的には、まちがっていないとおもいます。■問題は、反対論が、そういった収奪問題よりも、ふまじめ、不道徳といった観点から、パターナリスティックに規制しようとしている点。■ま、その意味では、擁護論も廃止論も、別方向で、問題ありかと…。

お返事くれてありがたいべや

詳細なお返事をくれてありがたいべや。

>パターナリスティックに規制しようとしている点

この点が、やはり問題だべや。オレとおなじ点を気にしてくれてありがたいべや。
そのうえで、

>依存症を前提にした、かけごとの公営は、まずかろうと。まあ、まちがってはいないとおもいます。

という点に関しては、オレとしては、依存症になるほどのひとは何らかの保護(支援?)の対象として、別の政策をつけくわえるべきであって、そうした政策(施策?)をつけくわえれば問題がなくなるとおもうべや。
その様な、二段がまえの政策に対する、タカマサさんのご意見をきけたら、なまらありがたいべや。

本文に加筆しました

ので、そちらを どうぞ。

納得したべや。

ありがたいべや。なるほど、さすがはタカマサさん。非常に納得できる内容だべや。

『週刊現代』(12月5日)号に

ギャンブル依存症に関する分析の記事がのっています。
刑法の賭博罪はわたしもなくするべきだとおもいますが、それがすぐには無理でもギャンブル依存症を社会問題として真剣にあつかうことならばすぐにでもとりくめるとおもいます。

ギャンブルネタ

シンガポール初のカジノ誕生=14日、観光客の誘致期待
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100211-00000103-jij-int

ギャンブルネタ

弱者の人権を徹底的に重視しているという主張ではありませんが、以下の文章はそれなりに納得のいく主張だと思います。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1432360534

ネット上で不特定多数が議論する機会があると、これだけの水準に到達できるのですね。

追伸

さきほど「はそれなりに納得のいく主張」と書いたのはベストアンサーにえらばれたものです。他にはしょーもない主張もあるとおもいます。ともあれ、参考までにどうぞ。

大阪ナショナリズムと公営ギャンブル擁護論が、ハナにつきますが

>石原知事の「お台場カジノ構想」の受け売りですね。

なんでも官頼りの東京よりもよりふさわしいと思います。


>カジノをつくったら、そいつらに格好の資金源を与えるだけじゃないか。

非合法ならそうですが、合法にしてきちんと管理をすれば彼らの出る幕はありません。わざわざアウトローのところでギャンブルする物好きはいないでしょう。
お酒を密造してマフィアが大儲けした禁酒法時代1920年代のアメリカを思い出してください。今暴力団がお酒を密造してますか?
競馬のノミだって公営ギャンブルの控除率が高すぎてむしろ彼らのほうが良心的だから需要があるわけです。

>大阪は今でも十分怖いところです。大した変化はないと思います。
>そもそも現在の大阪自体、物騒で近寄れないイメージがあるので、いまさら…という感覚が強いのが正直な意見です。

あいりん地区などの極端に治安の悪いごく一部の地域があたかも全域そうであるかのように捏造するメディアのイメージに踊らされている典型的な例ですね、
少なくとも東京よりは治安がよろしいです。東京は犯罪の発生件数を隠蔽して形だけつくろっているだけで、スリ万引きは日本一ですし、殺人だって日本一多いでしょう。なにせ人口も多いし外国人も多い、公共交通機関の車内暴力も日本一多い(大阪で聞いたことありません)カラーギャングも大阪にはなかった。 大阪も他の都会も犯罪が多いのは多いですが、それが大阪特有のものというには統計上有意な数値とはいえない範囲の誤差。
大阪の中心部に住んでいますが、いままで治安の悪さを感じたことは一度もありません、一般人が犯罪に逢う確率だってよそとさほどたいしたことはありません。外国に比べれば日本はどこも治安が良いといえます。

>大阪府民ではありませんが、現実に景品の現金化という違法行為がまかり通っているパチンコにくらべたら、国営のカジノを作る方がはるかに健全な気がするので賛成です

これが正しい認識でしょう。しかもカジノのほうがむしろ良心的です。
パチンコの控除率は10%強、競輪競馬ボートなどの公営ギャンブルに至っては控除率25%、対してカジノは2%程度。
(大規模な資本で参入する控除率2%の合法カジノに暴力団がそれ以下の控除率での参入はまずしないでしょう)
国際競争にさらされているので日本だけ控除率が上がることはおそらくないでしょう。(外国からお客が呼べない)
駅前やロードサイドに点在し脱税や北朝鮮への送金の温床であるパチンコより、特定地域に限定された国家が厳しく管理し財政にも寄与するカジノの方がよほど健全で社会にも貢献します。


 ↑ ●大阪に対する偏見・差別意識をぬぐう論理・データとしては、いいところもありますが、所詮は、東京への対抗意識にねざす反発の産物っぽい印象がぬぐえません。「なんでも官頼りの東京よりもよりふさわしい」とかいいますが、小生からみたら、石原都知事と橋下府知事のポピュリズムは酷似しています。中央政府をわるものにして、自治体の財政たてなおしイメージをうりにする(実は、アメリカとにた弱者きりすても、やっかみ意識にとらわれた選挙民への人気とりに巧妙におりこむ)手法とか。

●そもそも、小生が再三指摘してきた、公的機関が、バクチという形式で集金業務にいしそむことの倫理性や、依存症予備軍のリスクについては、毛頭配慮する気がないようです。●まあ、カジノ系は、貧困層は のめりこめない構造だとおもうので、競輪・競艇など公営ギャンブルよりはマシかもしれませんが、最近、カジノ解禁論などが浮上したのは、「チリもつもれば…」式の収奪装置が うまくはたらかなくなってきたから、集金さきを転換しようってことにすぎない気がします。
●景気向上による法人税・所得税の増収…といった夢想は、要するに大量生産・大量消費・大量廃棄を前提にした経済理論であり、それ自体は根本的な問題をかかえていますが、鳩山総理が最近、「法人税が各国にくらべてたかすぎ、消費税をあげるべき…」といったむねの、産業界よりの発言をしているように、権力者たちは、自分たちがフリーハンドでつかえる財源確保に余念がないようです(鳩山総理のばあいは、消費税を福祉目的にかぎると発言したようですが、消費税を3%から5%にあげるときも、財務省や自民党は、2%分を福祉につかうと、いいはったような記憶があります。そういった約束がちゃんと記憶され遵守される保証など、どこにもありませんね)。●まして、ひとびとの 「一攫千金」ねらいの さもしい心理に つけこんだ集金業務が、まっとうな すじに そっているはずもなく、こういったかたちで、大阪ナショナリズムをかたられると、「橋下知事を支持するような住民のおおいところの民度は どうよ?」などと、ツッコミをいれたくなります。●もちろん、東京・神奈川の首長たちをみれば、首都圏の民度は、おしてしるべしですけど、それに むきになって対抗心をもやす心理には、賛同しかねます。

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