プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「対談 集団自決をめぐって」(『うらそえ文藝』第14号)

■『うらそえ文藝』の最新号がでた。

■読者によりけりだとおもうが、やはり 「めだま」は、特集の「対談 集団自決をめぐって」(上原正稔星雅彦)の衝撃力だろう。

■さっそく 右派系のメディアは、おおよろこびで とりあげている(“うらそえ文藝」による証言と手榴弾の論考”)。■いわゆる“慶良間諸島”“集団自決”せよという、軍命が「なかった」ことが、そんなに うれしいらしい。■大江健三郎岩波書店といった、リベラル系ブランドをねらいうちした、訴訟で、右派のギャラリーたちは、さかんに 当事者たちの名誉のことを とりざたしていたが、なんのことはない、帝国日本の末端が、明確な指令をだして、死にいたらしめなかったらしいという「事実」が確認できれば、「安心」できるのだった。
旧ブログ記事集団自決」関連記事、およびこの日記の「集団自決」関連記事で、再三かいたとおり、問題は、明確な指令があったかどうかではない。「明確な指令」がなかったからといって、帝国日本と、日本軍の名誉が回復されるわけでもない。
■かりに 明確な命令がなかったにしろ、そして、じもとで召集された防衛隊員たちや村の首脳部が「玉砕」をのぞみ、赤松隊長にそれを制止されたとか、手榴弾の供給をことわられたとか、梅澤隊長に いきのびるように説教されたといった証言が、かりに事実にせよ、日本軍が現地住民を、そういった心理においこむほど絶望的な状況にまきぞえにした事実は、全然きえない。■「制止」とか「拒絶」といったことで 良心的にふるまったつもりであれ、それまでの現地「守備隊」の無責任な作戦・行動が、「自決」を当然視する構造的暴力となって 現地を支配していたのであり、赤松隊長らの言動をいくら 好意的にふりかえろうと、無意味なのである。
■しかし、右派たちは、“赤松嘉次”“梅澤裕”という、もと軍人たちが、「援護法」でむくいるために 自決命令をだしたという虚言につきあったという美談をさかんに、ほめたたえ、あたかも 現地の守備隊や背後の大本営などが、名誉と至誠にみちた組織であったかのような妄想を再構築しようとしている。 ■その意味では、上原正稔星雅彦両氏の 対談 および論考は、右派たちを無用によろこばせることはあっても、沖縄戦の意味づけを正常化するための 作業に、はたしてなりえているか、疑問がのこる。大江健三郎“沖縄ノート”が、したじきにした、『鉄の暴風』が、いかに デタラメな作品であり、それを 発行しながら、まともに 自己批判をしてこなかった、沖縄タイムス社の体質とか、ライバル社である琉球新報社もあわせて、当時の生存者への ききとり調査を おこたった/さけて とおってきたという道義的責任は、たしかにある。それを あえて 批判した両氏は、えらいとおもう。■しかし、それは、とりもなおさず、ヤマトの 右派たちを カンちがいさせるだけにおわりそうな危惧をおぼえる。おふたりに、そういった リスク認識が おありだったか?■年輩の、「勇気ある」現地知識人の 発言が、どのような展開へと むかうのか? それが、注目される(もちろん、こういった 微妙な問題に無関心かつ鈍感な、自称リベラル層は、問題の所在をしることなく、すぎさるような気もするが。右派が「はしゃぐ」ことで、議論が まえむきに すすむか、それは わからない)。


●「「集団自決」(強制集団死)」(『海鳴りの島から 沖縄・ヤンバルより…目取真俊』)
●「[宮平秀幸新証言?]」(http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/
●Google“宮城晴美”
●Google“宮城初枝”
●Google“金城武徳”
●Google“比嘉喜順”
●Google“照屋昇雄”
●Google“宮平秀幸”
●Google“大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判”

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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

タグ : ナショナリズム 真理省 1984年 沖縄戦 証言

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おもったとおりの展開

http://blog.with2.net/site.php?id=514420
■ 狼魔人日記 の情報

サイト名称 : 狼魔人日記

URL : http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925

紹介文 : 沖縄在住の視点で、政治、歴史、を語る

カテゴリ : 政治 (100%) - 46位 / 548人中

※表示されている順位は重複を含まないため実際の順位より低くなる場合があります。

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05/12 07:00 : パンドラの箱は遂に開いた!『うらそえ文藝』の英断!
【以下略】

--------------------------------
■星さん・上原さんたちは、結局「歴史修正主義」的策動に、ガソリンをそそいでしまったような気がする。


ブログ主さま はじめまして

当時の状況を想像できないのですね、あなたには。それと、慶良間に守備隊はいなかったんですけど。何をお読みになって偉そうなこと言ってるんでしょう?(ToT)/~~~

旧ブログなど、過去記事もよんでから、かきこんでくださいね。

■集団自殺においこまれたのは、沖縄戦という不毛な戦略持久戦による絶望的な状況が包囲していたからです。■そういった大文脈を無視できるからこそ、守備隊が命令をだしたかどうかだのに、こだわれるし、守備隊長の名誉だの、皇軍の責任だとかに、関心が集中していくんですよ。■そこで死んでいった住民の人権とか、苦悩とか、のこされた住民の記憶・人生とかが、二の次以下になってしまう。

■旧ブログからのくりかえしになりますが、日本軍が住民の集団死に責任がないかのような言動は、基本的に まちがっています。沖縄戦という愚劣な戦略がえらばれないかぎり、そして、皇民化教育によって自死を当然視するようになっていなければ、集団死など、ありえなかったのです。かりに、米軍が北上して、沖縄島周辺を占領したにせよ、「無血入城」になったでしょう。そして、日本軍は、もともと制空権などうしなっていましたから、沖縄戦がなくても、早晩全面降伏は必至でした。

■「偉そうに」などと、ひとのことを批判している暇があったら、裁判自体の不毛さを大文脈に即して検討してみましょうよ。■援護法で戦時動員によって犠牲になったかのように申請をしなければいけなった経緯とか、軍人たちが、それによって汚名をかぶったとか、そういったことなど、ケチなはなしです。■その際に、地元住民が歴史修正主義につごうのいい証言をしたからといって、それが全部まともなものだなんて、きめつけ自体が、政治的で、右派的です。
■わたしのような無名なブロガーに ちょかいだして、つまらん自尊心を確認しているひまがあるのなら、目取真俊さんあたりに、ケンカをうってきなさい。

■それはともかく、あなたがた歴史修正主義者(歴史的なデータをつまみぐいして、日本民族の栄光だの、皇軍の名誉だのを、「立証」しようと不毛な努力をくりかえす層)がなくならないかぎり、こちらも、そちらが こまるようなデータをまとめて配信しつづけていきます。■つまみぐいに立脚している議論は、所詮「立証」を完成させることが不可能ですからね。延々と反証しつづけてさしあげましょう。

ブログ主さま おはようございます

わけわからないたわ言ご苦労様です。何度も言うようですが、守備隊はいませんでしたよ。慶良間にいたのは水上特攻隊です。

>沖縄戦という不毛な戦略持久戦による絶望的な状況が包囲していたからです。

:確かに結果だけをみればそーいうことになる。そして、皇軍はすばらしい、帝国日本はよかった、なんて言うつもりは全くない。俺は右翼じゃねーもの。もっとも右翼でもそんなベタなこと言う奴は最近見かけないがな。でもね、住民の人権?苦悩?残された記憶?それらは米軍の仕業でしょ?あなた、御自分のブログの中で、当時の米軍について批判したことある?ないんだろーなー。日本軍さえこなければ無血入城してただろーってか。そーいうふーに机の上で汗かかない奴の論理構築なんてのは当時の大本営といっしょなんだよ、根が。

あなたも歴史の「もし」が好きなようだから言うが、日本軍が沖縄捨てて部隊を派遣しなかったら、米軍がガム噛みながら慶良間に上陸して住民は殺されずにすんだってか?本島上陸も艦砲なしで、海兵隊が上陸しても住民は死ななかった?あなたの「ご都合」によい歴史だこと。
私の「もし」では、日本軍がいなくても沖縄住民は虐殺されていたでしょう。そして人権は無視され、陵辱の限りをし尽くし、残された住民の苦悩などそっちのけ、野蛮な米軍のやりたい放題の沖縄が目に浮かぶ。そして、時は流れて、当時を振り返って、あなたは言う。「なぜ日本軍は沖縄を見捨てたのか」「本土を守るために沖縄にかまってる余裕がないなどと沖縄を蔑視していた」などと、結局は日本軍批判になるわけよ。右翼も都合よく歴史を見てるかもしれんが、自称リベラルのあなたやお仲間も同じなのよ。気づかないんだろーねー。

>裁判自体の不毛さを大文脈に即して検討してみましょうよ。■援護法で戦時動員によって犠牲になったかのように申請をしなければいけなった経緯とか、軍人たちが、それによって汚名をかぶったとか、そういったことなど、ケチなはなしです

:怖いね。偉そうに何様だ?元軍人のじーさんが、本屋と作家と学者が「私の名誉を毀損した」として裁判やってるだけなの。それだけなの。自らの汚名をそそぐ努力をしちゃ悪いのかよ。元軍人には社会権もなんもなし。汚名きたまま死んでゆけ!ってか?それを「ケチくさい」だと?また、あなたは住民が援護法により給金で食べていけたことを「ケチくさい」と言える人間なわけだけど、もう一度言う!あなたのような人が大本営にいたんだよ。日本地図広げて大文脈で検討した結果が沖縄戦だったんだよ。それを私は、「偉そーに!」と言っているわけだ。

あなたが何人か知らないが、日本民族はクズで、長い歴史の中で栄光と呼べるるものなどなく、皇軍は当時の世界の軍隊の中で、最低のモラルに最低の作戦しか立案できなかったクズ軍だと思っていてもいいのよ。どーぞ。どーぞ。考える、思うことは自由だから。いい国に住んでるよなー。感謝しな。あなたの歴史観も「立証不可」なのに気づかないみたいね。ふふふっ。

目取真氏には彼のブログにコメント入れても削除されててねー。まっ、芥川賞作家様だから下々の相手はしないってことよ。岩波書店なら平身低頭だろーがな。


誤解しているらしい(もちろん自覚がない)読者層をまえにして

■「わけわからないたわ言」などと、ケンカごしの人物がいくら形式的に「敬語」をもちいたところで、冷静な議論になりようがないことぐらいは、わかりますよね。そういった文脈ぐらいは、ふまえているとして、かきます。おそらく、文意を理解できないとおもうので、ギャラリーむけですが(この手の、からみかたをする御仁は、ほとんど同質ですが…)。■したがって、「敬語」はギャラリーむけ。

■「日本軍がいなくても沖縄住民は虐殺されていたでしょう」←これは、皇民化教育が散々やらかした洗脳の典型的論理。わかい女性の投身自殺などを大量にうみだしたし、「集団自決」においこんだ、イデオロギーとして確認ずみのもののはず。■これが もちだされた時点で、大文脈をみうしなっているか、あるいは、みうしなわせることで 右派的な心情を動員できると計算しているかが、ほぼ確認できるとおもいます。■ちなみに、アメリカ軍が原爆をふくめた無差別爆撃をやらかすだけでなく、大量の戦争犯罪集団であることは、旧ブログ以来、延々とくりかえしたきたので、占領下の琉球列島でくりかえされた性暴力を免罪しようとか、日本軍よりマシだったなんて推定などは、全然する気がないことは、半年以上よんできたギャラリーには、自明のこととおもいますけど。

■「「なぜ日本軍は沖縄を見捨てたのか」「本土を守るために沖縄にかまってる余裕がないなどと沖縄を蔑視していた」などと、結局は日本軍批判になるわけよ。右翼も都合よく歴史を見てるかもしれんが、自称リベラルのあなたやお仲間も同じなのよ」」とか、「皇軍はすばらしい、帝国日本はよかった、なんて言うつもりは全くない。俺は右翼じゃねーもの」なんて、いっている時点で、無自覚なナショナリストです。ナショナリストであること自体は、わるいことじゃないし(周囲に対して差別的であるとか、暴力的でないかぎり、ある種、必然的な歴史的意識だし)、このブログでかかれていること自体が、ナショナリズムの典型例であることは、冷静なギャラリーには、自明の事実のはず(これらを「自虐的」などとしか解釈できないようなギャラリーは、冷静に議論する姿勢をはじめから、もちあわせず、もっぱら「監視」にきているだけのはず)。

■「目取真氏には彼のブログにコメント入れても削除されててねー」←この手の、自己満足的で不毛なツッコミしか 大量にこないとなれば、けずるのが、有名人の不可避の姿勢でしょう。■なにか、目取真さんが、つごうのわるいことを 抑圧する、たとえば、わるい意味での「岩波文化人」的リベラル左派なんだと、印象操作したいらしい。■こちらのギャラリーがどの程度権威主義的に岩波文化をみているかしらないが、当方が、岩波書店やごひいき執筆層の偽善性に無自覚だとして よんでいるのなら、「誤読」というほかない。大江氏の 偽善性・俗物性なんぞも、重々承知している。■しかし、それと、沖縄戦関係者が いまごろになって、「汚名をそそぎたい」などと、急に運動しはじめたことの、卑小さについては、別問題だし、大江氏などの俗物性とちがった有害性が否定できないわけですね。■大江氏や岩波書店の偽善性・俗物性をたたく政治的意義をみとめる素材がでてくれば、それこそ「きまぐれ」にとりあげるでしょう。


http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1045
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1166
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/2168
http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-190.html

■なお、当方が「自称リベラル」でなどないことも、自明のはず。

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

という、一定の「客観的」統計指標から、相対的に位置づけられるんだなあと、まあ冷静に布置状況をうけいれた(一種のモニタリング)だけと。「自称」が、当人の主観にそった願望・美化などの産物、ないし「ごっこ」であるのに対して、アンケート調査にもとづいた計測値は、一定の「客観的」統計結果であると。それに対する政治的意味づけは、周囲がかってにすることでしょう。
■「自称リベラル」とかいった、「位置づけ」をして、なにか 特殊なかたよりがあるはず、などと、かちほこっているようだけど、無意味。■まあ、こういった攻撃が意味があると、ムダな時間を浪費できる点で、無意味にヒマなんですよね~。
■こちらとしては、こまったさんの典型例(標本・素材)として、一定の処理をする必要があるので、時間をみつけて 文章を展開することを無意味とは全然おもわないけど。

はじめまして。

 曽野綾子「神話」を追及している者です。「うらそえ文藝」星雅彦氏の36年ぶりの「集団自決」論考には落胆させられました。

星・上原両人の沖縄新聞・言論界の批判には一理も二理もあるでしょうが、現時点では、「狼魔人」等の低劣右翼を喜ばせたという点で罪深いものと思います。
今は狼魔人だけが喧伝してますが、徐々に全国雑誌でも取り上げるようになるでしょう。バカにできません。

星氏が沖縄のマスコミを批判したいのなら36年間にもっとましなやり方があったはずです。私憤を晴らした感じがあります。二人とも言論人としての生命を自ら絶ったといえます。

正念場かと

キー坊さま

■コメント ありがとうございました。■せっかくなので、もっとも関連性のたかい記事をリンクさせていただきます。
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-57.html

■実は、星さんには、一度用事があって お電話した程度の経緯があります。■今回の件は、あまりに政治性がたかい企画だっただけ、コメントはひかえておきましたが。ご高齢のおふたりに、ムチうつような行為はさけたいのですが、「実害」については、やはり 微力ながら てをうつ必要があると判断いたしました。
■それにしても、沖縄タイムス社は、なんで自己批判をさけつづけるのでしょうか? 地方の閉鎖空間でのエリート層には、プライド・メンツが至上命題なのでしょうか?
■これは、教科書検定や裁判等、きわめて重大な論点で、現在は、まさに正念場だとおもいます。
■キー坊さまには、すべて釈迦に説法で、失礼いたしました。

タイムスは自己批判すべきですが、

タカマサ様

リンク等、ありがとうございます。

>沖縄タイムス社は、なんで自己批判をさけつづけるのでしょうか?

1970年ごろまでは、タイムスは自己批判できた時代だったと思います。だが、日本復帰前の時代で、沖縄の言論人は、星氏以外は、のほほんと構えていました。

 72年の日本復帰が決定し、曽野綾子が「ある神話の背景」を書いて、日本軍の名誉回復に乗り出してきた故に、沖縄の言論界はそれが出来なくなってしまったのだと思います。

それほどに、曽野綾子が沖縄言論界に加えた衝撃は大きかったのだと私は思います。星雅彦は36年間も「集団自決」について、筆を折ってしまっていたのです。

ヤマトゥンチュとしては

カトリック信者をかたる曽野綾子なる人物の政治性は、みずから 清算しなければならない 問題です。微力ながら、やれることを する所存です。
■しかし、『無意識の植民地主義』などをとりあげてきた人間としては、今回の事態は かなり こたえます(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/101 http://tactac.blog.drecom.jp/archive/154 http://tactac.blog.drecom.jp/archive/250 http://tactac.blog.drecom.jp/archive/175 http://harana.blog21.fc2.com/?q=%BF%A2%CC%B1%BC%D4%A4%D8)。

■ホームページをリンク集に追加いたしました。独断で、主題・副題の順序をいれかえましたが、おゆるしを。

有難うございます。

拙HPを、充実した貴ブログのリンクに加えて頂き、大変光栄に思います。こちらのブログにも、貴ブログをリンクさせて頂きました。事後承認となりますが、宜しくご了解の程を。

>曽野綾子なる人物の政治性は、みずから 清算しなければならない 問題です。

「ある神話の背景」を手放しで称えるヤマトゥンチュが多い中で、貴重なお言葉だと思います。

「植民者」からの解放

というのは、ウチナーンチュのみなさんだけでなく、ヤマトゥンチュ自身の課題だとおもいます。いや、課題というより責務ですね。■そのなかには、「「ある神話の背景」を手放しで称えるヤマトゥンチュ」を消滅においこむ作業も もちろん ふくまれます。

http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-59.html
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-60.html
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-61.html
http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-62.html

 ↑ ■これらの事態は、すべてヤマトゥンチュの「植民」行為の産物です。かりに、「人類館」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/250)がウチナーンチュ自身の課題にせよ、「因果関係」の「源」は、ヤマトゥンチュにありますから。■帝国と化したヤマトの「原罪」です。「にがゆ」から「あまゆ」へと 変革がすすむためには、しょいつづけ、のりこえねばならない、重荷です。

ブログ『曽野綾子「神話」をめぐる話題』から1

理解しがたい星雅彦の論理(http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-63.html#more
「うらそえ文藝」の星雅彦の論考の要点は、慶良間の「集団自決」は隊長の命令ではなく、「自発的」に行われたものであったという点である。

「つまり『強制集団死』は、現在の視点からの被害者意識に立った解釈に基づいて、戦中の軍国主義の強制性の存在をも否定したことになるのだ。そこには善かれ悪しかれ史実としてあったものを無視する強引さがある。これは逆に史実を捏造したことにほならないか。」

星氏はあの「集団自決」は、当時の時点においては、「住民の死にたいという自主的な行為」からではなかったかと言うのである。
 確かに、当時の住民は軍国主義教育に洗脳されていたから、「隊長命令」が無くとも、米軍の猛攻撃に追い詰められた状況では、自ら死へと急いだのは事実であっただろう。だが、戦闘中の混乱に陥っていた住民は、自主的な判断が可能な心理情況だったのだろうか? 自主的であるかないかの判断は現在という地点に立って客観的に、あの時点を眺めた時に可能になるのではなかろうか? 

星氏自身「戦中の軍国主義の強制性の存在を」否定してない。なんで、今の時点から振り返って、あの「集団自決」が軍の強制だったと規定する事が、戦時中の「軍国主義の強制性の存在を」否定する事になるのか、星氏のロジックは解りにくい。

要するに、「隊長命令」は無かったのだから、沖縄のジャーナリズムはそれを認めよ、と言いたいのである。これを主張したい星雅彦の心情にも一理・二理あるとは思うが、今となっては、この主張をする事が内外にどんな影響を与えるか、星氏は考えないのであろうか?それを行うのなら、もっと早い時期にやるべきだったのではないか?36年間の沈黙の末に、権力に奉仕するような言説を発するとは、「転落者」と見なされても仕方ないだろう。沖縄のマスコミも無視するしかないのだ。

ブログ『曽野綾子「神話」をめぐる話題』から2

記者会見映像(http://keybowokinawan.blog54.fc2.com/blog-entry-64.html
 狼魔人は素早い情報(http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925)を記事に書いてくれるが、YouTubeに、星と正稔の記者会見(http://www.youtube.com/watch?v=rKzCll0_TSQ&feature=channel)が載ったと書いているので、早速覗いてみた。ことばのアクセントから、星は那覇人、正稔は八重山人だと感じた。

全部で30分くらいの映像が載せてある。奥茂治という沖縄在住元自衛官が撮影し、チャンネル桜に送って、それがYouTubeに載せられたようだ。つまりは、星・正稔と奥・産経・世界日報・チャンネル桜とは、意を通じながらの記者会見だったようだ。

 星雅彦と上原正稔の言ってることに、目新しい資料・証言の発見が無い点では、「うらそえ文藝」に書かれているものと同じである。正稔が「隊長命令」は無かったという根拠は、現地へ行って調査してみて、金城j武徳、大城良平から「無い」との証言を得たからだと言うが、この二人は昔からそんな証言をしていたのである。一方、金城重明、吉川勇助など軍の「強制」だと証言した人物、或いは処刑された住民の遺族などには話を聞いてない。
また、彼は「沖縄戦ショウダウン」(http://keybow49okinawan.web.fc2.com/masatosi/showdown1.html)の記述の一部分が、赤松隊・「陣中日誌」の記載と一致するから「陣中日誌」は信頼できるのだと言う。が、この谷本版「陣中日誌」がどういう物か知らないのだろうか。自分で、その部分を調査して証明したとする記述は、「うらそえ文藝」にも会見にも無い。「ドキュメンタリー作家」としてははなはだ食い足りないではないか。

星氏はコラム「25年前は昨日の出来事」(70.4月 http://keybow49okinawan.web.fc2.com/hosi/hosidekigoto.html)を書く2・3年前に、2回渡嘉敷を訪ねたが、一人も「集団自決」は隊長の命令だと言うものはいなかったと、照屋昇雄と同じような事を言う。39年も経った今、それを軍命否定の根拠とする訳である。ともかく、「隊長命令」が無ければ「軍の強制」ではないとしているのであるが、何十年もかけてそんな結論に達したのか。

二人とも、「援護金」に大いに拘泥していて、渡嘉敷の生き残りの人達は「自分の家族を殺して、大金を貰っている」と言わんばかりである。それ故に『集団自決』は隊長の命令ではない、とは言えなくなっているとする。「隊長命令」が無ければ、集団自決者の遺族は援護金を貰う資格が無いといいたいのだろうか。遺族の方々を貶める発言ではないか。

会見では両人とも、曽野綾子『ある神話の背景』を高く評価するようなことも言っている。それ故、この二人が権力に擦り寄った感を強くさせる。彼らの登場は、裁判に負けて一敗地にまみれた曽野綾子の、少しばかりの逆襲のような気がする。

 沖縄のマスコミや本土の大方のマスコミが報道しない事が分っていて、右翼系のメディアが配信するという申し合わせの上、この記者会見を持った事は、星・上原はウチナーンチュとして同胞を裏切り、人間として堕落した事以外の何物でもないと思う。『鉄の暴風』をめぐり、長年の両人への、特に星雅彦への沖縄マスコミの対応の拙さは在ったのだろうが、私憤を晴らす事をこんな行為で行うとは許せる事でない。

You Tube【沖縄集団自決】「軍命令はなかった」-『うらそえ文藝』会見・後半[桜 H21/6/15]


軍命令はあった

私は軍の自決命令はあったと断定します。以下は兵事主任の証言と他の証言を突き合わせ、秦郁彦等の事前手榴弾配布否定説が成り立たないことを論証したものです。 「秦郁彦は曽野綾子の「ある神話の背景」の内容を鵜呑みにして記載するばかりか、渡嘉敷島の中北部に存在する「恩納河原」の位置を地図上渡嘉敷島の北端、西山盆地の北と記載するなど初歩的な誤りが目立つ。 安里巡査と赤松が会合した日を1945/3/26とするのは、赤松と曽野綾子のみで当事者の安里巡査自身も27日と証言している。なお、米軍の上陸日は日本軍関係者の記載を含め、長らく3/26と1日早くされていた。原因は当初の日本軍の事実誤認による電文が長らく訂正されなかったか、アメリカ時間による日付を長らく使用していたかどちらかであろう。曽野は上陸日の誤りを「鉄の暴風」の誤りをひきずったと強弁する一方で、ちゃっかりと安里・赤松会談を1日早めた。 この本では、裁判とも関わり、1989年に富山元兵事主任が1945/3/21に渡嘉敷住民の(離れた阿波連部落を除く)一部に手榴弾を配ったとする証言が他の証言などから検証できず、後出しじゃんけんにすぎないとする。しかし、「鉄の暴風」に「あらかじめ手榴弾32発を配り、その後20発を配った」旨の記載があり後出しジャンケンではない。金城牧師の証言では前夜の雨のせいか、不発弾が多かったという。これは午後2時頃の第一次自決の話をある程度の距離を置いて(自決場所フィジガー=東川は狭い谷川で渡嘉敷住民の行動は阿波連住民から正確に把握できない。また金城牧師が関与した午後6時からの自決では、金城牧師自身、無我夢中でまわりの声は聞こえていない状態と思われる)聴いた金城牧師の推定であろう。NHKのインパール敗走証言でも、雨の日泥溝に倒れ、手榴弾で自決を図った兵士の手榴弾が湿りのため不発だったという話が放映されていた。富山証言でも配布日は米軍爆撃の2,3日前で雨ではなかったという前提で、おそらく21日だろうという。20日という断定ではない。米軍上陸日の誤りや20日の大本営の米軍沖縄指向断定と21日の慶留間島の自決命令などから配布が事実なら、21日の可能性が高い。多くの証言によれば、27日真夜中、渡嘉敷部落住民は大雨のさなか数時間かけて恩納河原から西山盆地に移動。 古波蔵村長に28日防衛隊から配布された手榴弾も不発、渡嘉敷部落の住民を中心とした午後2時頃の手榴弾に不発が多かったことは数々の証言が一致する。 その後渡嘉敷部落の住民はヒータティヤーに移動、西山盆地から遠く後から到着した阿波連の住民はフィジガーに止まった。(もっと後発だった阿波連住民の一団を除く) NYタイムズ 1945年3月29日付け、ウオーレン・モスコウ記者の報告によれば、「三月二十九日、昨夜、われわれ第七七師団の隊員は、慶良間最大の島、渡嘉敷の厳しい山道を島の北端まで登りつめ、一晩そこで野営することにした。その時、(谷本版陣中日誌では18時頃)一マイル程離れた山地からおそろしいどよめきの声、悲鳴、うめき声が聞こえてきた。手榴弾が六発から八発爆発した。」アメリカ軍やNYタイムズ記者に嘘の証言をする動機はない。事実だろう。 当時、渡嘉敷と阿波連の人口比は1対2、フイジガーに集まった人口比では阿波連住民が二分されたため、1対4。配布手榴弾総数が52発なら阿波連配布は10〜11発。28日防衛隊から配布された手榴弾は渡嘉敷住民と阿波連住民双方に同じ割合で配られた可能性が高い。 ニューヨークタイムズ記者の記事の中を取って7発爆発でも過半が爆発。28日昼前後に阿波連住民に配布された手榴弾は濡れていないので不発が少なく過半が爆発したということになろう。逆に事前配布の手榴弾は大雨にたたられて不発が多かった。そうすると、あらかじめ渡嘉敷住民に手榴弾が配布されたという富山証言は整合性があることになる。 とにかく、まず大前提となる事実と状況を定位させた上で不確定な事実と証言をよく突き合わせて整合性のある事実を推定するというまともな検証を地道にしてほしいものだ。」 さらに吉川勇助証言の伝令は、伊禮蓉子証言の「松川の兄さん」に相当し、手榴弾で爆死したことは、ある神話の背景にも出てくる。 曽野綾子の切りとられた時間にも防衛隊、石川として登場する。

ありがとうございます。

和田さま

右派が「集団自決」での軍命を否定するときに、手榴弾をもちだすのは、論理的にも破綻しているとおもいます。
そもそも、民間人が手榴弾を自決用に常備しているといったことは、絶対にありえません。狩猟用の銃刀や爆薬など武器使用を一部ゆるされているにせよ、兵器を民間人がもたされるのは、おかしい。あるとすれば、「動員」があったということ。あるいは、「あしでまといになりそうになったら、自発的にしね」という、戦陣訓の民間人への援用ですね。
沖縄戦下で、ガマでの手榴弾・青酸カリなどによる自死が大量発生したことは、民間人を軍属に準じたあつかいをし、日本軍のつごうで、死地にひきずりこんだことを端的にあらわしているとおもいます。

ご研究・調査が、歴史修正主義の反知性を破砕する強力な蓄積となりますよう、おいのりもうしあげます。
当方も、ほそぼそと勉強していく所存です。

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