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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「フェンスを歩く、基地を撮る」 石川真生さんに聞く(琉球新報)

■沖縄島が、米国にささげられた みつぎものであるということ。琉球列島が植民地であり、それをさしだしているニホンとは、まぎれもない準植民地であること。

「フェンスを歩く、基地を撮る」 石川真生さんに聞く(1)2009年5月15日

石川真生1
2009年4月、北谷町上勢頭(撮影・石川真生)

 写真家・石川真生さんの写真展「フェンスOKINAWA」が那覇市民ギャラリーで開催されている(17日まで)。1年半にわたり、米軍基地のフェンス沿いを歩いて撮り続けた写真は、見慣れていたはずの「基地沖縄」を違った角度で切り取った。「フェンス沿いに、こんな生活がある、人がいる」。これも、まぎれもなく復帰37年・沖縄の風景―。石川さんに話を聞いた。

《「人しか撮らない」と言い続けた写真家が挑んだ風景写真。きっかけは普天間代替施設建設で揺れる辺野古の浜だった》

 「フェンスOKINAWA」というタイトルで写真を撮り始めたのは2007年の11月。今回の写真展には、ちょっと昔の作品を数点いれて77点を出した。
 フェンスを撮り始めた理由はとても単純。11年間、辺野古のヘリ基地移設問題を追いかけているんだけど、辺野古の浜には集落とキャンプ・シュワブを隔てるフェンスがあってね。そこは海水が入ってきて浸食されるので、数年に1度はフェンスを張り替えている。それを撮って並べたら、いくつかのパターンが出てきた。
 「フェンスって変化するんだ。面白い」と思って、沖縄中のフェンスを歩いてみてみようと。車で通りすぎるんじゃなくってね。1年半かけて、ほとんどの基地は回った。気にいった所はしつこく行って撮った。

 私は35年間、人しか撮ってこなかったけれど、風景にいったのは自然の流れだった。「そろそろ風景を撮ろうかなあ」という区切りではないの。フェンスをたどって撮ろうというのも自然な発想。人ではなく風景が主役のものを撮った結果、風景って以外と面白いじゃない、という気持ちも出てきた。「私は人間しか撮らない。風景はほかの人が撮ればいい」と豪語していたけど、今はそれを撤回します、という感じ。
 作風ががらっと変わったわけじゃない。ただ、私は人の中に入り込んで、何年もかけてじっくりと撮るタイプなんだけど、今回は割と引いて見ているというのが自分の中での位置付けだ。

 都市部の基地というのはきっちりとフェンスがあって、入れないわけよね。沖縄は土地が狭いものだから、フェンスにへばりつくように住宅地がある。そこでは、たとえば嘉手納飛行場とか普天間飛行場では、飛行機の発着でとてもうるさい場所もあるわけ。
 今回、北谷町砂辺に何回も通ったり、宜野湾市上大謝名の集落に何時間も立って写真を撮った。飛行機が降りてくるのは夏では午後6時くらい、冬は午後5時前後がラッシュアワー、帰宅時間なのよ。本当に何機も何機も降りてくる。沖縄は異常だとあらためて実感した。その数の多さに。本当に満員電車よ。
「フェンスを歩く、基地を撮る」 石川真生さんに聞く(2)2009年5月15日

石川真生2
2000年5月、名護市辺野古(撮影・石川真生)

《北部訓練場には基地を取り巻くフェンスはなかった。しかし、足を踏み入れるのは恐い。心の中に生まれたフェンスが立ちはだかった》

 フェンスのすぐそばに住宅街があるところでは、ちゃっかり近所の人が畑を耕している。ゴーヤーやナーベーラーの蔓(つる)がフェンスに張って、なんかたくましさを感じたり。
 嘉手納弾薬庫のフェンス沿いでは25年間、ミカンを売っているおじいさんがいてね。「最近、ああいう飛行機が飛んできたよ」とか、「今、米軍がこうだ」とか解説をしてくれる。私も仲良くなって、会いに行った。ミカンをいっぱい買ってから話を聞くとかさ。

 名護を過ぎて、東村と国頭村の山にまたがっているのが北部訓練場。名前は知っていたけど、訓練場全部をフェンスがぐるっと取り巻いていると思い込んでいた。
 ところが山に入ったらフェンスがないのよ。代わりに「USMC」という黄色い杭があった。「USMC」は「アメリカ合衆国海兵隊」。杭の真後ろにはマルの中に防衛庁の「防」と書いてある。これは復帰後、日本政府が作ったんだなと分かるわけ。

 それで「USMC」の杭をずっと探したの。県が出している資料も見て分かったのが、北部訓練場の境界線に杭があるということ。要するに「ここからは訓練場ですよ」という境界なのよね。フェンスがないので入ろうと思えば入れる。だけど恐いわけ。いつ何時、迷彩色のお兄ちゃん(米兵)が出てくるか分からないさ。今回は運がいいのか悪いのか、お兄ちゃんに会わなかったけど。

 あの緑の山に軍事基地があるなんて驚いた。緑の奥深いところ、県民の知らないところに基地がある。それが北部の山の実態。あそこで軍人が何をしているかっていったら、戦争の実地訓練をしているわけでしょう。ふつうの生活じゃないわけ。
 都市部の基地はフェンスがあって入れないから、基地を外から見るだけじゃない。北部訓練場はフェンスがない分、恐いよ。自分で心の中にフェンスを心の中につくっちゃう。それが訓練場の周囲の人たちの感覚だと思う。だから、フェンスがないのに入らない。



「フェンスを歩く、基地を撮る」 石川真生さんに聞く(3)2009年5月15日

石川真生3

2008年5月、名護市(撮影・石川真生)

石川真生4


《当り前の風景なのに、目からウロコ。知っているはずなのに見過ごしてきた基地の姿がレンズの前に現れた》

 これまではフェンス沿いに少しだけ見える基地を見てきた。車で通りながら「ああ、ここがハンセンだな、シュワブだな」と。私は今回、フユクサラー(怠けること)をしないで歩き、フェンス沿いに歩いて見える風景を撮ってきた。
 そしたら、自分が全然分からなかった風景が出てきたり、人と出会ったり。「ええっ、ここにこんな生活があるの? ここにこういう風景があるの?」って。
 そこに住んでいる人たちにとっては当たり前の日風景なんだけど、よそから来る私にとっては目からウロコだった。写真展の会場に来ている人も「へえ、フェンス沿いにこんなのがあったんだ、自分も同じ街に住んでいるけど知らなかった」とか言っていた。同じ地域で住んでいても知らないんだよ。私は意識しながらフェンス沿いを歩いたから、発見したのがいっぱいあった。

 基地の中には黙認耕作地があって、フェンスの外にも畑がある。それは2メートルくらいの幅だったり、10メートルくらいの幅だったりするんだけど。外の畑は全員地主だと思って畑を耕している人に聞いてみたら、「いやいや違うよ、近所に住んでいるんだ。こ20年くらい前、1人がやり始めてらみんな広まったんだよ」と。楽しみで家庭菜園をしているわけ。そんなことも分かったのよ。

 フェンスは今も続けて撮っている。今回の写真展はパート1。これまで1年半撮って写真展を開いたけど、これからも似たようなペースでパート2、パート3って続けられたら面白い。必ずしも金網が写っていなくてもいい。基地から離れていても、私がそれがフェンスだと思ったら、金網がなくても撮る。これからどう発展していくか、自分でも楽しみ。

 いしかわ・まお 1953年生まれ。写真集「仲田幸子一行物語」「沖縄と自衛隊」「沖縄海上ヘリ基地」など。

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■おまけ。



Into the Atomic Sunshine in Okinawa展クロージング・シンポジウム

「お国は?」「沖縄ですが、何か?」―ネイションとアイデンティティの対話―


Into the Atomic Sunshine in Okinawa

日時:2009年5月15日(金曜日) 18:30開館 19:00開演

場所:講堂(沖縄県立博物館・美術館3階大ホール)

パネリスト:萱野稔人、知念ウシ、渡辺真也

コーディネータ:前嵩西一馬

今年もまた、「復帰の日」がやってきます。沖縄の本土復帰を巡って、これまで大量の言葉が生み出されてきました。それらの中には、沖縄だけで流通消費するものもあれば、その逆に、主に沖縄の外で流通して消費されているものもあるでしょう。ある時期だけの流行りものもあれば、ある世代だけに通じる叙情的なものもあるかもしれません。「民主主義の教室」において常に「居残り組」の私たちは、これまでに何を学び、そしてこれから何を学んでいくのでしょうか。

平和憲法と戦後美術をテーマにした「Into the Atomic Sunshine in Okinawa」展の幕を閉じるにあたって、基地(Base)、平和憲法(Constitution)、日米安保条約(Treaty)という究極のアジクーター・メニュー ― BLTならぬBCTサンドウィッチをその「教室」の片隅で噛みしめつつ、吟味しようと思います。熱くそして冷静なパフォーマンスと討議を通して、理論・表現・生活といった諸相から見える「復帰」の意味を改めて考えます。私たちが住む場所から、ネイションとアイデンティティについて「今の言葉」を残していければと、願っています。

プロフィール:

萱野稔人(かやのとしひと)

1970年生まれ。2003年パリ第十大学大学院修了。哲学博士。津田塾大学国際関係学科准教授。著書に『国家とはなにか』(以文社)、『カネと暴力の系 譜学』(河出書房新社)、『権力の読みかた?状況と理論』(青土社)など、共著に『「生きづらさ」について?貧困、アイデンティティ、ナショナリズム』(光文社)などがある。

知念ウシ(ちにんうしぃ)

1966年那覇市首里生まれ。むぬかちゃー。津田塾大学・東京大学卒業。共著に『人類館ー封印された扉』(アットワークス)『あなたは戦争で死ねますか』(NHK出版)『植民者へーポストコロニアリズムという挑発』(松籟社)などがある。また『沖縄タイムス』にて「ウシがゆく」を2005年7月から今年3月まで連載。2006年スタンフォード大学シンポジウム「沖縄と日本におけるジェンダー、植民地主義、軍事主義」にて発表。ピース&グリーンボート2008東アジアクルーズにて水先案内人を務める。

渡辺真也(わたなべしんや)

1980年静岡県沼津市生まれのキュレーター。日本とアメリカにて経済学を専攻後、ニューヨーク大学大学院にて美術修士課程を修了。世界35カ国を放浪していく過程で、国民国家とアートとの関係性をテーマとした国際美術展を製作する様になる。

前嵩西一馬(まえたけにしかずま)

1971年那覇市生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程修了。文化人類学・沖縄研究。現在、早稲田大学琉球・沖縄研究所客員研究員、明治大学兼任講師。 論文に、「文化を漕ぐ、言葉を焼べる―沖縄の近代性と共同体に関する民族誌的断章―」(『琉球・沖縄研究』第2号、早稲田大学琉球・沖縄研究 所)などがある。

お問い合わせ:文化の杜共同企業体

TEL:098-941-8200

http://www.museums.pref.okinawa.jp







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タグ : ナショナリズム ハイパー独裁

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