プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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にほんごを アルファベットで かくこと2【加筆あり】

■「にほんごを アルファベットで かくこと1」および、その前段にあたる、「Roomazi-de Nihongo-o kaku」のつづき。

■(6) 「日本語をローマ字がきしたら、外国語がどんどん流入し、それがかく乱要因になる」といった、不安を強調する論者がいる。たしかに、はなしことばの バイリンガルの実態をみれば、オトをうつしとるモジ体系は、一見同質な要素として、「外国語」を とけこませるように みえるかもしれない。■そのときに、たとえば、「外来語」が カタカナがきされていたのが、「原語」が そのまま くりこまれるといったことに、非常な不安をおぼえているようである。■しかし、バイリンガルにおける混用が、いわゆる めまぐるしい あるいは劇的な「コード・スイッチング」によるものであって、異種の2言語が融合するといった現象は、マレだろう。たとえば、自分の語学力をはなにかけたいのか、日本語をはなすなかに、「原音」をまぜる話者がいるが、それとて、ある単語ないし慣用句に関してだけ、一時的に「外国語」が はさまるだけで、途中で何度か支配的モードがかわることで、言語的転換があるにしても、たとえば 音韻が融合してしまうといったことは、ありえないだろう。
■たとえば、“Kuruma-o bak-saseru”といった発音をする話者がいるとしても、そういった発話と“Kuruma-o bakku-saseru”という表記と識別するために、なにか さいくがいるか? ■“ bak”と、イタリックにしてもいいし、イングランド語がはいっているということを あらわすために、おなじく イタリックで “Kuruma-o back-saseru”とかいても、かまわないだろう。■その際、イングランド語の母音が多数あり、[a]と[e]の中間的な発音を話者がえらんでいたにしても、既存の母音記号5種という原則をすてさらないかぎり、どうせ識別できないし、する必要もなかろう。どうしても、そういった「原音」性を、表記したい(しかも、母音記号5種という原則をすてさらないのなら)、“ baek”といった、当座の母音記号をもちだしてもよかろう。イタリックによって、一般的ではないことを、表示しておくなどすれば、問題なかろう。


■(7) 前回、(3) において、語源主義をとることで、オトの実態から かけはなれることは ナンセンスだとかいたが、たとえば、同音異字が少々でることは、たいした問題ではなかろう。“suzuki”と“tuduki”が、同音異字であるといった事例は、ユレがあっても、よいとおもう。■もちろん、これが ヘボン式のばあいだと、たとえば “shijimi”“chijimi”といったぐあいに、語源主義的な異同問題がきえるが、“hana-ji”と“chi-shibuki”の、語源的な関連性が不明になるという問題が発生しそうだ。

■(8) 語源主義的な異同問題がらみでいうと、かながきより ローマ字がきが すぐれていることは、ローマ字論者のみならず、日本語学・日本語教育学関係者が、すでにのべてきている。■たとえば、いわゆる「5段活用」などは、「tatanai tatimasu tatu tatutoki tateba tatoo」といったぐあいに、「tat-」が語根で、あとは、「-a- -i- -u- -u- -e- -oo-」という、実に規則的な活用が すっきりみえる。かながきでは、こうはいかない。不必要で、機能不全をきたしていることが 自覚されていない、「かなづかい」問題もからむし。〔同様の議論は、ましこ・ひでのり"日本語特殊論をつらぬく論理構造"社会言語学V』2005 : 67-8〕
■ちなみに、こういった 規則性の発見という次元でいえば、ヘボン式はおとることは、いうまでもない。たとえば、「tata-nai tachi-masu tatsu tatsu-toki tate-ba tato-o」などは、完全に体系性がかくれてしまうからだ。「tata-nai tati-masu tatu tatu-toki tate-ba tato-o」とくらべて、その劣位は あきらかだ。■このようにかんがえるなら、phonemicalな 表記システムの方がよいのであり、よりphoneticalな 表記システムを主張してきただろうヘボン式は、前項同様、すぐれた表記体系であるという主張は、ぐらつく。単に、イングランド語に習熟した層に便利という「利点」だけではないか?

■(9) これまで 検討してきたとおり、語源主義の妥当性は「ケースバイケース」だが、ハラナが最低だとおもうのは、「99式ローマ字」のように、現行の「かなづかい」「ローマ字入力」方式を まるのみして、ローマ字をつづろうという方針だ。■これは、はっきりいって、現行のかなづかいに習熟した人間にだけ便利なシステムであり、「外国人」などへの配慮がまったくかけている。■たとえば、「せ(ー)が のびる ほーほー」や「そーゆーよーに」を“se(e)-ga nobiru hoohoo”や“soo yuu yooni”ではなく、“sei-ga nobiru houhou”とか“sou iu youni”などと しるすのは、現行かなづかいが ひきずっている あしき「伝統主義」であって、外国人などに無用な混乱をあたえるし、学習上の障害となるだろう。
■「この程度の 伝統主義なら、大したことはない」といった 正当化は、単なる ものぐさな保守主義なのであって、ホスト社会が国際化やバリアフリー化のための努力を放棄しているというべきだろう。
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テーマ : 日本文化 - ジャンル : 学問・文化・芸術

タグ : 日本語 ナショナリズム ローマ字 言語政策

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