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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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学力上位者に補習が差別的でないという論理1

公立校&塾、連携に賛否 「学力向上」「不平等では」
2008年01月10日

 東京都杉並区の区立和田中学校の教室で9日から始まる予定だった「夜間塾」が、都教委からの指導で直前になって延期になった。学力向上を目指し、学習塾と公立小中の連携はここ数年、さまざまな形で進んでいるが、限界もある。平等が重視される公教育の世界に、競争に勝ち抜く塾の力を借りることはどこまで許されるのだろうか。

 杉並区教委に対し指導が入った翌日の8日午後、和田中では保護者代表への説明会が急きょ開かれた。「(指摘された)3点をクリアし、26日にスタートしたい」という説明に、「やるのかやらないのか不安だったが安心した」という声が上がった。

 計画では、平日の週3日、午後7時から大手進学塾SAPIXが2年生の希望者に教える。「上位層を伸ばすことに公立校は関心が薄かったが、教師に何もかも求めるのは無理。だから塾の力を借りる」と藤原和博校長は言う。

 学校を支えるボランティア団体「地域本部」の主催という形で、月謝は通常の半額程度。教材作りには学校側も注文を出す。

 都教委は、(1)入室テストや有料制で機会均等と言えるのか(2)私塾に施設を利用させ、公立学校の非営利性に反しないのか(3)兼業禁止の公務員が教材の開発にかかわっていいのか――の3点を問題視。これに対し、和田中や杉並区教委は(1)補習は今後も続け、全生徒に目配りしている(2)授業1コマ500円と格安で、塾側にほとんど利益はない(3)教師にももうけはない――と反論する。

 保護者への説明でも、藤原校長は「下の子への取り組みはいくらやっても批判されないのに、上の子をもっと出来るようにすると言った途端に公平性とか平等とか言われる」と不満げだった。

■冬季講習・復習中心・一緒に教壇

 青森県の下北半島にある東通村。三つある村立中学校は12月24日から1月14日まで冬休みだが、公営の「東通村学習塾」は29日から4日までを除き冬季特別講習が続く。

 きっかけは、村に進出してきた民間塾が02年ごろ撤退したことだった。当時の通塾率は10%未満で、「首都圏に遠く及ばなかった」と村教委。越善靖夫村長の諮問機関が「子どもたちの将来のため都市部のような教育環境を作るべきだ」と答申し、05年秋、公営塾は始まった。

 通常の授業は3年生の場合、水曜夜の3時間と土曜日中の3時間半で、むつ市の早稲田進学会から講師が来て教える。中学校は水曜日、部活動を休止して協力する。

 当初は3年生の2教科だけだったが、昨年から中学全学年の5教科に拡大。小学生に門戸を開くことも検討中だ。

 長野県御代田町では、町が雇用した塾講師や元教師が土曜午後に勉強を見る。最近は大手予備校から売り込みもあった。

 東京ではいくつかの区が連携を進めている。

 港区立の全10中学校で土曜にある講座には、約7割の生徒が参加。区教委は「あくまでメーンは復習。基礎基本の定着が目的だ」と説明する。

 平日の授業で先生と塾講師が一緒に教えるのは江東区立の小中学校だ。講師を派遣する全国学習塾協会は「外部の手が入ることで余裕ができれば、丁寧に教えられるのではないか」と話す。

 こうした動きに都教委は反対してこなかった。今回、和田中に待ったをかけたことに、都教委幹部は「拙速過ぎる。塾の営業活動に丸ごと乗っかっていると都民に思われかねない」と説明する。

■学校側に根強い不信、予算の壁も

 東京や地方のいくつかでは連携が盛んだが、他地域に広がる気配はあまりない。その理由の一つは、学校側にある根強い塾への不信感だ。

 港区立中に講師を派遣する早稲田アカデミーの大矢純さんは「最初は先生からの抵抗感が強かった」と打ち明ける。学校と同じ内容では「なぜ塾に頼むのか」と批判を受けてしまうし、先生からは「学校の進度を追い越さないでほしい」という声もある。

 福岡県では、県立高校の教師が05年から地元の大手予備校「英進館」で3カ月間研修。早稲田アカデミーの教員研修講座にも昨年秋、山梨県で200人が受講した。ここでも当初、「プロの教師が教わるのか」と異論があったという。

 東京の場合、私立への対抗策という事情も見逃せない。千代田区立の中高一貫校、九段中等教育学校では土曜に全員参加の講座を開いている。私立は土曜も授業をする学校が多く、高木克校長は「中高6年間では膨大な時間差になる。公立は正規の授業ができないので、やむを得ず塾の力を借りている」と話す。

 そもそも資金がなくては始まらない。港区がかける費用は年5300万円。全国の自治体が視察に訪れるが、「うちでは難しいなあ」とため息をついて帰るという。

 東通村の公営塾の場合、月謝は中3で1000円。民間塾に通えば約1万5000円かかるが、差額は村が負担する。人口7600人の小さな村には原子力発電所があり、この税収が運営を下支えする。青森県の内外から70件ほど視察があったが、「うちでも始めたい」という連絡は1件だけという。

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■『朝日』は、この記事にさきだって、「天声人語」で、この件をあつかっている。某ブログから。

〈教育とは、学校で習ったすべてを忘れたあとに残るものをいう〉
2008/1/9(水) 午前 8:48

2008/01/09『朝日新聞』「天声人語」

〈教育とは、学校で習ったすべてを忘れたあとに残るものをいう〉。アインシュタインの言葉だ。学校教育の「頼りがい」は常に問われてきた。教師は不本意だろうが、答えの一つが教育産業の隆盛である▼東京都杉並区の区立中学校が、大手進学塾の講師を招いた夜間授業を計画した。夜の教室を使い、正規料金の半額ほどで塾の指導を受けられる工夫だ。民間出身の校長の発案で、2年生19人が受講を希望していた▼ところが、きょう予定されていた初の授業は、東京都教育委員会の指導で先延ばしされる。生徒全員が出られない/特定業者に教室を供する/教材づくりに教員がかかわる――の3点に疑義があるという▼授業の理解を助けるための補習は別にあり、夜間塾は「できる子を伸ばす」試みといえる。週3日で1万8000円の月謝を出せない家もあろう。一方、少子化に悩む塾にはそれなりの商魂があるはずで、教室で営業されるという心配も分かる▼だが教師の過労が言われる中、公教育の建前を並べるだけでは、学力をめぐる保護者の焦りは消えない。お金のかかる私立校や塾が現にあるのだから、ここは塾に行けない子への福音と考えたい。先人の言葉を続ければ〈まずはやってみなはれ〉(西堀栄三郎)だ▼杉並区教委と学校側は「疑義を晴らして始めたい」としている。国の将来がかかる人づくりで、公と私をことさら分断しても無益だ。官民の知恵を合わせ、教育現場にようやく顔を出した試行錯誤の芽である。どう伸びるか、全国が見ている。

コメント(1)
藤原校長の取り組み、公教育・公共性とは何かをわかっていないお粗末さを現してしまった出来事だと思います。それを支持する朝日新聞の無知ぶりにも驚かされます。朝日なら、欧米(の教育)との比較ぐらいはするはずなのに。つけさせようとしている「学力」とは何なのか?評価されてきた「よのなか科」と整合性がないのではないか?所詮は藤原校長も受験圧力に屈したということなのか?それとも、「よのなか」の流れの中で成果主義・競争主義というビジネスマンの貧相な発想に戻ってしまったのか?無視できないニュースだと思います。

2008/1/9(水) 午後 1:15 [ doukyoukaken ]

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■公務員である教師が本給以外にカネもうけしているかどうか、公共施設である学校がカネもうけの道具にされているかどうか、生徒の保護者が経済的負担にたえられるかどうか、あたりが問題視されているようだが、これらは本質的な問題ではないとおもう。


【2008/01/22追記】
■NHKとか自治体とか、そういった組織が営利的な事業をはじめると批判がたかまる。しかし、財団法人とかNPOとか、非営利団体だって、運営費用をどこからか ひねりださねばならないし、医療法人や学校法人・宗教法人、各種生協などが、そこにつとめる職員にとっての「生業」である事実を直視すれば、あからさまな「利潤追求」でないかぎりは、清廉潔白を要求しすぎるのは、まずいとおもう。■そういった批判をくりだすのなら、日本相撲協会とか、あきらかに営利的にうごいている団体も徹底的に内部の経理とかを検証しないとね。

■ま、それはともかく、学校という組織が公共的な存在であり、それが運営される「ハコ」としての校舎が公共のたてものであることは、異存がない。■しかし、これらにおいて「公共の事業以外いっさいみとめない」という態度は、いきすぎると、いきぐるしい。で、実際、「利潤追求」目的ではなくても、純粋に公共的とはいいがたたい さまざまな もよおしが、校舎をつかってなされてきたわけだ。■たとえば、英語検定や漢字検定や、国家資格試験はともかくとして、受験業者がおこなう模擬試験とか、さまざまな試験会場として 校舎は活躍してきた。だって、数百人って規模で試験を実施できるスペースなんて、民間企業にはあまりないわけで、どのくらいの使用料を課すかはともかく、いろいろな試験に校舎はかしだされる。そのなかには、いろいろな公私のグラデーションがある。■その意味では、「学習塾に公立校の校舎をかしだすのは、それ自体がまずい」という論理は、たてづらいとおもう。
■だって、公立校はダメで、私学ならいいというんなら、私学助成ってのは税金からだされているし、もともと学校法人ってのは公益性をおびていて「利潤追求」の空間ではない、ってタテマエがあるわけだからね。公立・私立だけで、きるのは、おかしい。

■それと、「所詮は藤原校長も受験圧力に屈したということなのか?それとも、「よのなか」の流れの中で成果主義・競争主義というビジネスマンの貧相な発想に戻ってしまったのか?」といったツッコミも不毛だとおもう。■むしろ、旧ブログでも再三のべてきたとおり、公立校であろうと、とりわけ中学校は、準義務教育化した高校への進学の絶対的なルートなのであり、入試対策指導はともかくとして、いわゆる内申書の作成とか三者面談による進路指導とかは、あきらかに「ふりわけ装置」として機能している事実がある。この現実を直視すべきだ。■とりわけ、保護者や生徒たちは、「どの高校にいれてもらえるか?」といった観点から担任を位置づけているわけで、そういった「ニーズ」から超然とした、非競争主義は非現実的で実際成立しえない。■これをやめるためには、準義務教育化した高校の体質と、現在の序列構造(社会が冷酷に差別化してやまない)とを全廃するしかない。たとえば、各種の採用試験とか資格試験に高卒を要件としないとか、履歴書に学歴をかくことを禁ずる*とかしないとね。■いますぐ、これらが実行できない以上、公立校の先生方に非競争主義をおしつけるのは、偽善的だよ。

* 履歴書に出身都道府県および国籍だけをかかせて、戸籍の住所をかかせないという態勢は、被差別部落の解放運動がかちとった成果なのであって、採用試験の履歴書に学歴をかかせないという、方式だってありだとおもう。アメリカのように、採用時に年齢制限をつけることを禁ずるような方向もでてきているし。

■じゃ、藤原氏とか、そういった民間企業出身者が、「こういった受験業者とむすぶことも、ありだ」って、全面的に賛成できるかといえば、そうはならないとおもう。■なぜなら、藤原氏らの構想は、学歴上位層へのテコいれだからだ。【つづく】


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コメント

某経済学者の講義原稿より

90Autor, Katz & KearneyやAcemogluらの研究で明らかなように[注]、高等教育を受けた「熟練」労働者と「不熟練」労働者の賃金の格差が急速に広がり、同時に雇用数の増加率にも格差が生じました。(中略)言い換えれば、一般的に単一の労働市場が存在すると想定し、そこでの労働契約の改善を展望する従来の政治経済学には限界が存在するのです。


Autor, D.H., Katz, L.F. and M.S. Kearney, The Polarization of the U.S. Labor Market, "NBER Working Paper 11986, 2006". Acemoglu, D., Technical Change, Ineaquality, and the Labor Market, "Journal of Economic Literature, Vol. XL", 2002.

以上をふまえてとりあえず処方箋として

財政政策として学歴税を提唱します。具体的には、高学歴のひとに税を課し、その税収を低学歴のひとに分配する、というものです。
金融政策としては学歴金融を提唱します。具体的には、高学歴のひとは高金利でしか資金をかりられず、低学歴のひとは低金利で資金をかりられるようにする、というものです。

この経済政策に対するタカマサさんの御意見や如何に?

経済理論は、わかりませんが…

■労働市場が最低でも二重構造に分化していることは、自明だろうに、「単一の労働市場が存在すると想定し」てモデルをくみたてるという、およそ現実ばなれした感覚が、信じがたい気分です。
■学歴をターゲットにした、財政政策・金融政策というのは、実際、真剣に検討するにあたいしますね。経済資本と文化資本とは、連動しつつも別個に作動しますから。■金利に差をつけるのは、問題ないとして、課税する方は、高学歴 >> 低学歴というグラデーションを、どう数値化するか、実際問題として ややこしいことが おきそうです。■あと、もし、この「高低」問題がかなり合理的に判定できるとして、「それだったら、一定限度未満の低学歴層には、無利子で、しかも出世ばらいの融資を保障すべき」って議論が当然浮上するとおもいます。

政策のはなしがでたので

「日本公共政策学会」(http://wwwsoc.nii.ac.jp/ppsaj/)のほか、「社会政策学会」(http://www.soc.nii.ac.jp/sssp/)も「労働問題、労使関係」について論じているとのことですな。社会政策学会の新機関誌『社会政策』(ISBN 978-4623052745)は未読ですのでどのような論点があがっているのかわかりませんが、『三訂 社会政策を学ぶ人のために』(ISBN 978-4790712787)においても、第1章と第2章は労働問題ですので、よかったら参考までにどうぞ。

いずれにしても、タカマサさんの「課税する方は、高学歴 >> 低学歴というグラデーションを、どう数値化するか、実際問題として ややこしいことが おきそうです」というご指摘はごもっともだとおもいます。ただ、基本的な方向性としては財政政策および金融政策という経済政策の双璧による再分配で低学歴者がいままでうけた損失を補償すべき、という匿名希望氏の主張は妥当だと思いますが、どうですかね?

こまかい点ですが

「日本公共政策学会」のホムペについて、ふるい住所を紹介してしまったので訂正します。あたらしい住所は以下のとおりです。

http://www.ppsa.jp/

あと、「財政政策および金融政策という経済政策の双璧」という表現をしてしまいましたが、「双璧」というより「両輪」とした方が適切な気がします。いや、「双璧」でも意図はつたわるでしょうが、より適切な表現の方がよさげだと感じるので、念のため。

失礼しました。

「学歴をターゲットにした、財政政策・金融政策というのは、実際、真剣に検討するにあたいしますね」という記述からして、タカマサさんは金融政策のみならず財政政策もつかった低学歴者への所得再分配に賛成であることはあきらかですね。失礼しました。
そうすると、問題はやはり「高学歴 >> 低学歴というグラデーションを、どう数値化するか」という技術論になりそうですな。それなりに妥当な基準には到達できなくもない気もしますが、到達するにはかなりな労力が必要な気もします。

追伸

『現代思想』の2009年4月号(ISBN 978-4791711949)も、「変わりゆく教育」という特集を組んでいますな。

『ジュリスト』(4月15日号(1377号))も

「特集1 労働者をめぐる諸問題と法の役割」と題して労働について法学的に論じています。参考までにどうぞ。いや、どーせ学歴による差別なんて論じていないんでしょうけど(あえて多角的な論点とおぼしきものは41ページ以降の「雇用政策に問われている課題」ですかね)、経済政策に法政策もくわえることで、低学歴者に対する差別に、より包括的に対抗できるような気がしますので、匿名希望氏の提案とくみあわせればそれなりに意味のある処方箋になりそうです。

あと、ひさしぶりに復刊した『朝日ジャーナル』(4.30号)の61ページには、『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)の著者である水月昭道氏が「知的貧困を招く『超高学歴人材』の無駄遣いに怒る」という記事をかいていて、おっしゃることは妥当だとおもいますが、低学歴者全般に対する差別の解消の方を優先して、高学歴者に対する差別は、その後に(あるいは同時にやるとしても低学歴者ほどには手厚くない程度に)おこなうくらいでバランスとしてはまちがっていないとおもいますが、どーですかね?タカマサさん。

消えちゃったっぽいので、学歴税について

大雑把な意見を再度かきます。
最終学歴として専門学校卒業以上のひと(短期大学をふくむ大学を卒業したひとなどはもちろん)に税金を課し、その税金を最終学歴として高等学校以下のひとに分配する、という案です。
で、具体的な金額は、その2つの集団の所得の差の平均を基準としてきめる、と。
どーですかね?タカマサさん。

2008年1月の時点で

日本図書センター から『リーディングス戦後日本の格差と不平等』(978-4284302111)という本が出版されていたのですね。参考までにどうぞ。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4284302116/ref=ord_cart_shr

学歴税について

■いまごろの反応、なんなのですが、せっかくなので。

●「最終学歴として専門学校卒業以上のひと(短期大学をふくむ大学を卒業したひとなどはもちろん)に税金を課し、その税金を最終学歴として高等学校以下のひとに分配する…具体的な金額は、その2つの集団の所得の差の平均を基準としてきめる
 ↑ ■一見、わりきりやすく よさげなのですが、「専門学校卒業以上」というグラデーションのバラつき加減が尋常じゃないでしょ…。バブリーな資産家・外資系層を除外するにしても、年収200~2000万ぐらいのバラつきが ロコツにでそうで、とても「一枚いわ」には、みえません。■「高等学校以下」のバラつきも、高卒以上(専門学校中退など)と、中卒・高校中退除籍系とで、かなりありそうですが、年収0~300万ぐらいとみると、もともとの所得水準がひくいだろうから、内部格差がケタちがいには でないでしょう。
■特にですね、4年制大学以上の学歴を「一枚いわ」にみなせない、って点が、ものすごいとおもいます。たとえば、「氷河期世代」などは、それが劇的に人生をわけているんじゃないかと、推測していますが。■ムリして、首都圏の大学に仕送りつきで進学したのに、派遣社員でムリして、カラダこわした、系の層が、たくさんいそうで、とても課税にふさわしいとはおもえません。

当面は金融政策しか実現できない?

>とても課税にふさわしいとはおもえません。

当面は金融政策しか実現できないですかね。財政政策も、課税を公平感のあるものにすればできなくはないのかもしれませんが、おっしゃるとおりの問題があるので技術的にかなり困難かも(つーか不可能?)ならば、せめて金融政策だけでも強固なものにして、はやいとこ学歴による差別を解消するべきです!(いや、ここで力説してもどれだけ意味があるかわかりませんが)

格差の大半が可処分所得と資産なら

累進課税と 相続税・贈与税での増税で、充分 問題に対応できるような気がします。■文化資本が相続されるにせよ、それぞれの代が、カネもうけにはしらず、社会貢献するのなら、それは学歴の有効利用ではないでしょうか?
■それと、「出世ばらい」系の奨学金制度を充実させさえすれば、家庭・公教育のユチャクという意味での学歴格差も、さほど深刻に雪ダルマ化していかずにすむはずです。■ウンチクが雪ダルマ化していくだけなら、単なるオタク化であって、アカデミズムの一部以外では市場原理にのりませんし(笑)。

格差ネタ追加

「異質な事柄が同列にあつかわれていることについて」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-427.html)と題してかいた記事で言及した(2008/08/31 10:56)「くちパク少女」氏が、『ピアノ~紅楼館の隷嬢達~』のリメイク、もとい大型ドラマ『紅楼夢』で高額のギャラを獲得したとのことです。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090505-00000017-rcdc-ent

なお、『毎日新聞』の国際女性デー(2009年3月8日)における記事(8ページ)には、「1日12時間働いて、日給は60タカ(約85円)にしかならない」という、「れんがを砕く作業を続ける少女」に関する記事が載っています。

学歴による差別を大学の講義で言及することの革新性

は、おおきいな、とあらためておもいました。
ほかの差別(女性・障がい者・少数民族・有色人種などなどに対する差別)とちがい、大学という場で学術活動をおこなうこと自体が社会にもたらす影響を、大学における学術活動の一部である講義でやってのけたわけですから。つまり、逆にいうと、上記のほかの差別とはちがい、大学での講義という行為自体と不可分にむすびついている差別なのですから。
という私見に対する、タカマサさんのご意見や如何に?

あと、逆の学歴差別というべき高学歴ワーキングプアに関しては、以下のような本がでたむねをおつたえいたします。

『ポストドクター問題』(ISBN-13: 978-4790714163 )

吉川徹『学歴分断社会』など

貝枝さま

■吉川氏(ISBN-13: 978-4480064790)、「学歴分断線」として、大卒/非大卒を強調しています。■以下のような、ベタぼめ書評がありますが、ハラナ個人は、もっと慎重になるべきだと、よみかえしております。■後日、別記事でくわしくかく予定です。

http://blog.goo.ne.jp/kabu2kaiba/e/c105f7e51f3b364922fbe969035c173f
http://seisakuhomu.blog19.fc2.com/blog-entry-267.html
http://book.asahi.com/review/TKY200905120108.html

アリスの国の不思議倶楽部

ゼロ金利政策は「アリスのワンダーランド」

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090731-00000542-yom-bus_all

という記事もでましたが、学歴ごとに金利をかえる学歴金融政策を、はやいところ実現すべきでしょう。いや、「格差の大半が可処分所得と資産なら累進課税と 相続税・贈与税での増税で、充分問題に対応できるような気がします」というタカマサさんの主張にも道理はある様な気がしますが、財政政策と金融政策の両方がそろった方が、より完成度のたかい経済政策といえるとおもいますので。

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学力上位者に補習が差別的でないという論理2

■前回のつづき。 ■私立中学が「到達度別クラス編成」とかを導入して、成績順に生徒を分別して教室にほうりこみ、ロコツにことなった授業...


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