プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

メタ言語論(素描力・批評力・反撃力2)

■批評というと、音楽批評・文芸批評・科学批評など、さまざまなものがイメージされるだろう。■これら批評行為の一部は、文芸評論家音楽評論家美術評論家野球評論家といった「評論家」等として総括される生業・肩書きとして制度化(権威化)したものもある。

■しかし、「位置づけを目的とする評価行為」という風に定義するなら、おどろくほど ひろい表現行為がふくまれる。学力試験などの採点行為、判決調停など法的な判定作業、スポーツなどの審判、論文審査・コンクール審査や各種懸賞制度、人事査定など、第三者がある評価行為をくわえるものは、総じて「批評」の一種にふくめることが可能になる。
■入学試験の判定結果などは、具体的な論評がなされず、単に数量化可能な序列が公表されるだけかもしれないが、非公開ながら判定会議では優劣を決する「根拠」が合理化装置としてもちだされるのが普通だ(そうでなければ、ボスなど有力者の恣意的な「このみ」による独断ということになる)。■すくなくとも、博士号授与や文学賞選評のように、なぜ「合格」と判定したかの根拠を、審査委員がのべねばならない制度はすくなくない。むしろ、入学試験や採用試験などは、近年の情報公開の風潮がたかまる以前は、判定過程がブラックボックス化されて、恣意性の有無が問題化されないですんできただけとおもわれる。 ■これらの一部は、その評価に対して不服をもうしたてることがゆるされているが、そういった「批評」という制度自体に異議をもうしててることはゆるされないタテマエになっている。かりに、同種の高次機関が再審査をくわえることによって修正がありえるにしても、「批評」という制度自体は正当化される。
■その際、評価されるがわは、あたまごしに「判定」がかわされる構造をさけてとおれない。■「ミス・コンテスト」のように、応募者自身が序列化されることをよしとするコンクール(みるからに野蛮な判定過程ではなく、入賞者たちが 判定者によって賞賛される)はともかくとして、徴兵検査のような「品評会」は、判定されるがわにとって、おもしろいものとはいえまい(「陸軍身体検査規則」)。

■また、これら制度化された評価システムにかぎらず、匿名掲示板のような無責任な論評現象が無視できないことも、みのがせない。【つづく】

スポンサーサイト

<< メタ言語論(素描力・批評力・反撃力3) | ホーム | メタ言語論(素描力・批評力・反撃力1) >>


コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。