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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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教科書検定 事実誤認も見逃す杜撰さ(琉球新報)

教科書検定について、以前から くりかえしてきたことを、少々整理して、かきとめておくだけでなく、おもいついたことを補足しておく。■以下は、『琉球新報』の「社説」の全文。



“教科書検定 事実誤認も見逃す杜撰さ”
『琉球新報』「社説」2009年4月11日

 事実誤認が甚だしい教科書が文部科学省教科書検定で合格した。
 誤った歴史が後世に事実として教授される。これは放置できない。検定制度の不備を早急に是正する必要がある。
 検定に合格しながらも、「欠陥」教科書と指摘されているのは「新しい歴史教科書をつくる会」が執筆し、自由社が発行した中学歴史教科書だ。
 事実誤認は例えば、第2次大戦での硫黄島の戦い。それに続く沖縄戦の開始時期だ。
 同書は「(1945年)4月、米軍は沖縄本島に上陸し、ついに陸上の戦いは日本本土に及んだ」と記述している。
 だが、国内での地上戦は沖縄ではなく硫黄島が最初だ。これでは硫黄島は日本ではないことになる。
 地上戦の開始も米軍が沖縄本島に上陸した4月と読める。だが、米軍は実際には3月26日に慶良間列島に上陸している。慶良間列島はまぎれもなく沖縄だ。そこで起きた住民の悲劇に触れないというのも解せない。
 さらに同書は、琉球王朝が「沖縄県」になった「琉球処分」について、多くの教科書が触れてきた新政府が軍隊や警察の力を背景に「強制」した事実を省略している。
 「琉球処分がスムーズにいったような書き方」に、事実に大きな間違いがある、沖縄の立場を無視しているとの批判が出ている。
 そもそも同書は、最初の検定段階で516カ所も「検定意見」が付き、不合格になった。
 それが、訂正・再提出され、さらに136カ所も再修正されている。その上での今回の「合格」だ。
 修正個所があまりに多すぎて事実関係の誤記や記述漏れを教科用図書検定調査審議会(検定審)が見逃したというわけではなかろう。
 むしろ最初に516カ所、2度目も136カ所も検定意見を出したほど徹底検証したはずだ。
 だとするならば、沖縄戦や琉球処分などで同書が犯した「事実誤認」は、執筆者らのみならず合格とした検定審にもある可能性もある。
 「歴史を歪曲(わいきょく)し、戦争を賛美する危ない教科書」と批判される教科書に国がお墨付きを与え、学校現場に送り出す。
 一方で、国は沖縄戦の「集団自決」(強制集団死)での軍関与の史実をゆがめ、記述復活にも応じない。検定制度の不備と杜撰(ずさん)さ、危険性はもはや明白だ。

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■(1) 「誤った歴史が後世に事実として教授される」といった見解は、完全な権威主義である。こういった 学校教育に対する神話的思考、アカデミズムの俗流的応用にもたれかかった心理に とらわれているかぎり、右派に その あしもとを つけねらわれつづける。■必要なのは、「学界の権威の発言であれ、ウラとりを一応しないかぎり、うのみにしない」という、知的警戒感の維持、緊張感の欠落への危機感であり、学校が 「通説の注入」にならないよう 注意をはらう体制づくりだ。■不充分ではあれ、史的実証主義で 事実に肉薄しようとし、俗論に あしもとをすくわれまいとする歴史研究者の いいところを、マネる姿勢の一般化こそ、社会が冷静になる基本的方向だ。
■理念上は、教科書の誤記はもちろん、事実誤認を演習形式で 訂正するような授業こそ、実践されねばならない。

■(2) しかし、現実の中学・高校の歴史教育担当者の水準が端的にしめしているとおり、そういった 科学的な歴史認識やら、それにそった指導なんぞは、とても のぞめたものではないのも事実。■現場教員の大半は、史的実証主義の前線にふれたこともなく、それをうめあわせるような教科教育法を、大学の教職科目で受講することもなく、しかも、教科教育以外の公務分掌やら生活指導・クラブ顧問等の激務においまくられている。およそ、大学卒業後、史学教育の理念とは正反対の現実をいきており、しかも、それらが「研修」などで修正されることなど、のぞめない。「教師用指導書」に もたれかかって、授業準備を「つなわたり」で くりかえすだけだろうから。

■(3) しかし、一方、おそらく 受験科目に歴史を選択しなかった層は、歴史小説やマンガ・ゲームなどの俗流史観による、擬似史実で補強する以外に、史的事実のデータ自体をまともにみにつけないし、受験生は受験生で、たまたま予備校テキストや参考書のベストセラーで 入試むきに強調された歴史事項の部分以外を、すっかりわすれさるだろう。■その意味で、0.4%といった採択率しかもたない 超弱小ブランドなど、国民の史的認識の動向に、深刻な影響をあたえるという不安視こそ、あまりに過敏な反応だ。
■かりに、沖縄県民が日本国民の1%しかしめず、99%をしめる他県の人口の歴史認識こそ、「包囲網」と感じられるにせよ、それこそ採択率1%にみたない歴史教科書が、数年間生徒のごく少数に配布されたといった事実で、危機的状況がうまれるというのは、認識として過剰だろう。
■むしろ、いかにも体制護持的な史観を提示した教科書でない、ほかの圧倒的多数の歴史教科書の記述の無自覚なナショナリズム=イデオロギー性こそ大問題だろう(ましこ・ひでのり『イデオロギーとしての「日本」』)。■沖縄の一部の先生方はともかく、日本政府の姿勢に一貫して批判的だった、『琉球新報』や『沖縄タイムス』両紙は、圧倒的多数の採択率をほこる 他社の歴史記述の 事実誤認やイデオロギー性をきびしく とうてきただろうか? ■(4) ただ、数百箇所にもおよぶような、いいかえれば、教科書検定官を編集者あつかいする作家きどりでもあるかのような、教科書執筆陣、および、それを黙認した出版社は、それだけで、信用ならない、三流のスタッフである。■つまり、教科書を刊行する資格をもちあわせない、しろうと集団である。史実を一次資料によって確認していないだろうことはもちろん、信用のおける二次文献にもあたっていない程度の、非科学的組織なのであって、そんな集団が応募すること自体が、あやまっている。
■かりに、沖縄戦がらみなどで、はなはだ政治的な介入を再三やらかしてきた、悪名たかい教科書検定制度ではあれ、500箇所以上もの 難クセをつけるはずもないし、再提出で100箇所以上を再修正しなければならなかったというのは、論外だろう。

■(5) その意味では、編集者を私設秘書あつかいする大先生なのか、カルチャーセンターばりに、ずさんな草稿を講師に添削させる受講生あたりをおもいおこさせる、この執筆陣と出版社は、逆に、これを、バカ正直に検定した文部科学省の姿勢自体に疑義をもたせる。■「あまりに好意的すぎる」と。
■たしかに、論説委員氏が いぶかるように、検定結果として合格した教科書の事実認識自体が、あやしげだ。500箇所以上なおさせた検定官自体が、みおとしがなかったか? 以前の「集団自決」騒動のときのように、あきらかな政治的偏向をもって記述をゆがめようとしたとか、「前科」があるからだ。
■「修正箇所が何百箇所でようが、修正に応じる姿勢をみせるかぎり、なんどでも つきあう」といった、内規的な姿勢があるとしたら、それこそ、「結論ありき」だったのではないか? ■そのうち、各地の教育委員会あたりが、全国的な採択キャンペーンを展開するといった、ファシズム的な状況がうまれたばあいには、『琉球新報』だけでなく、各地で左派系・リベラル系知識人が 警戒しているような問題が現実化するかもしれない。

■(6) なにしろ、あの御仁たちは、「歴史は科学である必要はない」「国民に自信とほこりをあたえる物語が必要」などといった、およそ非科学的でイデオロギッシュな発言をおこなっていた。■まさに、ジョージ・オーウェル『1984年』の真理省ばりの、歴史修正主義をねらっている可能性は否定できないのだ。■なにせ、自分たちのナショナリスティックで てまえみそ そのもの(ナルシスティックで、自慰的な)歴史イメージを「自由主義史観」だなどと称していたのだから、その偏向ぶりは、どうやったって否定きれないんだから。

■(7) しかし、そうにしても、右派系でない歴史書の無自覚なイデオロギー性こそ重大な問題だし、文部科学省がおしつける検定制度と、その産物である歴史教科書を権威主義的にありがたがり、あるいは、それにそって入試問題をつくりつづける、高校や大学の先生方の無自覚なイデオロギー性こそ深刻な課題だとおもうよ。■右派たたきではなくて、右派が先端をきっている、ナショナリズムの構造こそ、歴史教育の巨大な課題として、小学校から大学まで問題化すべきだろう。■右派に あまい国家権力ばかり、たたいていたって、この国の病理はみえてこないはず。



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タグ : ナショナリズム 真理省 1984年 ハイパー独裁 オーウェル

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コメント

賛成しますが追加しておきます。

「沖縄集団自決訴訟」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-188.html)における(2008/03/29 16:30)の拙文で「現代を生きているウヨクの妄想が、物語としても1980年代のアニメにくらべてご都合主義的であろうという推測が成り立つことは指摘する意味があると思われる」と記述したように、「『歴史は科学である必要はない』『国民に自信とほこりをあたえる物語が必要』などといった、およそ非科学的でイデオロギッシュな発言をおこなっていた」点を問題視するタカマサさんご指摘にくわえて、そもそも右派の騙る、もとい語る物語自体が「国民に自信とほこりをあたえる」にたるほどに洗練されていない、つーかぶっちゃけツマンネーっていう指摘を追加して、とどめをさしておくことには意味がありそうですYO!
寺沢武一御大の『コブラ』(「神の瞳」編)に登場する不知火鉄心&ゆう子おやこに匹敵する、日本人の活躍する洗練された物語を書いてみろや右派ども。いや、ゴメン。それが書けるほど有能なら、とっくに右派をやめて、右派にとって国家主義と双璧をなす正当化のためのイデオロギー装置である市場で活躍しているはずだわ。それができないから、つまり右派をやる以外に、な~~~~~~~~~んにもできないから右派なんかやってるんだもんな、意地悪いってゴメンな。

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