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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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名張市:聴覚障害児に補聴器を給付せず(『毎日』伊賀版)

■かなりまえの、地方版の記事だが、はりつけておく。


名張市:聴覚障害児に補聴器を給付せず 市が判断「福祉手当と重複は不可」 /三重

 障害児福祉手当の認定を受けている聴覚障害の児童・生徒に対して、名張市が「補聴器の給付は認定と重複できない」と独自に判断していたため、本来なら認められる可能性のあった補聴器支給の申請を受け付けてこなかったことが10日、分かった。今後は、両制度の併用でも申請を受け付け、個別に給付・認定の可否を判断するとしている。

 開会中の3月定例市議会で、浦崎陽介議員(無会派)の一般質問に山口伴尚・健康福祉部長が答えた。

 同市は、福祉手当の認定基準が「補聴器を用いても音声を識別できない」となっているため、認定を受けている場合は補聴器を給付できないと判断。市民が二つの制度の併用を希望しても、受け付けてこなかった。

 しかし、昨年6月ごろから、市が県に問い合わせたところ、10月に「併用が可能である」との認識が示されたため、方針を変更した。10月以降に補聴器を購入し、市に問い合わせてきた聴覚障害の中高生が2人おり、補聴器給付の手続きを進めているという。

 山口部長は、「これまでの取り扱いは不十分だった」と認めつつ、「以前は明確な基準が無く、当時の市の判断が間違っていたとは言えない」と話しており、10月以前にさかのぼっての補聴器給付には応じない方針

 市や県によると、言葉が識別できず福祉手当の認定を受けている重度の聴覚障害者でも、補聴器の使用で音だけは聞き取ることができるようになる場合があり、生まれつきの聴覚障害の子どもに音の存在を認識させたり、危険回避に役立つケースがあるという。【金森崇之】

〔伊賀版〕
毎日新聞 2009年3月11日 地方版

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■「イメージビデオ装いわいせつ図画容疑 制作会社を捜索(朝日)」で とりあげた 「朝日」の記事みたいに、「わかるひとには わかる(=事情にくらい層には、なにを報じているのか さっぱりわからない)」ことを意図的に ねらって、紙面の「品位」を 維持しようという、偽善というか 分別というか、微妙なラインのものとは、正反対で、記者・編集部自体は、啓発的な報道をしたつもりの「失敗作」。■なにが問題なのか、読者の大半はわからない。
(1)■「補聴器を用いても音声を識別できない」ことが、「障害児福祉手当の認定」の条件になる根拠が、普通によんだのでは、さっぱりわからない。■うらがえしに、「福祉手当の認定を受けている重度の聴覚障害者」が「補聴器給付」をうけられない理由も、さっぱりわからない。

(2)■だから、当然、「「これまでの取り扱いは不十分だった」と認めつつ、「以前は明確な基準が無く、当時の市の判断が間違っていたとは言えない」と話しており、10月以前にさかのぼっての補聴器給付には応じない方針」なんてのが、とおるのかも、さっぱり不明。

(3)■「補聴器を用いても音声を識別できない」ことが、「障害児福祉手当の認定」の条件になる根拠とは、つまるところ、補聴器によって音声を識別できる程度の難聴のかるさなら、「障害児福祉手当の認定」が不要だと、当局が判断していたということ。■逆にいえば、「福祉手当の認定を受けている重度の聴覚障害者」とは、当局によれば、「補聴器を用いても音声を識別できない」ような重度であることを意味し、補聴器が不要なのだから、「補聴器給付」などうけられない、という結論がみちびかれると。

(4)■ところが、「言葉が識別できず福祉手当の認定を受けている重度の聴覚障害者でも、補聴器の使用で音だけは聞き取ることができるようになる場合があり、生まれつきの聴覚障害の子どもに音の存在を認識させたり、危険回避に役立つケースがある」ことは、関係者によってしられており、そのことを、三重県当局も名張市当局の担当者も、認識していると。■つまり、「補聴器を用いても音声を識別できない」ような重度であっても、補聴器が不要とはかぎらず、「補聴器給付」などうけられない、という結論は まちがっていたわけだ。

(5)■市や県が、、「言葉が識別できず福祉手当の認定を受けている重度の聴覚障害者でも、補聴器の使用で音だけは聞き取ることができるようになる場合があり、生まれつきの聴覚障害の子どもに音の存在を認識させたり、危険回避に役立つケースがある」との認識を、どの段階でもったのか、この記事ではわからない。■もし、当初から もっていたなら、「これまでの取り扱いは不十分だった」なんて、正直にみとめるのは、すじがとおらないし、ましてや、「「以前は明確な基準が無く、当時の市の判断が間違っていたとは言えない」と話しており、10月以前にさかのぼっての補聴器給付には応じない方針」なんて、ひらきなおりが ゆるされるはずがない。■「明確な基準」がなかったこと自体が まちがっているだろうし。

(6)■要するに、行政当局は、補聴器とは音声を理解するためだけの装置と信じこんでいたらしく、そういった不充分な認識=不見識を自覚せずに、補聴器給付(たぶん、全額公的補助ってことなのだろう)をこばんでいたということだ。

(7)■もともと、医療関係者もふくめて、障碍一般を、通常期待される能力の欠如・不足=不幸、といった論理で理解してきわけだ。■障害学的な観点(“社会モデル”)からすれば、こういった 「能力不足」論自体が、自分たち「健常者」を基準にした、せまい見識(“医学モデル”)で、責任転嫁なわけだが、名張市の今回の件は、医学モデル自体が自己矛盾をきたして機能不全を露呈していたということ。しかも、過去の運用が「不十分」であったとしながらも、さかのぼって補助する必要性を否定するなど、悪質な ひらきなおりといえそうだ。
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