プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大学や高校の「単位」理念

内田樹氏によれば、大学などの卒業要件の基本単位となっている、「単位」概念は、「アメリカの工場労働者の労働時間」を起源としているという。週45時間労働(=8時間×5+5時間×1)になぞらえて、計45時間=1単位という計算で、半期(セメスター)2単位っていうのは、計90時間=6時間(毎週)×15週を意味する。1週あたり6時間ってのは、2時間の授業と、そのための予習+復習(各2時間)であると。つまり4年制大学卒業規定である 124単位とは、5580時間の「ワーク」を保証することだと〔内田樹『下流志向』講談社,2007年,p.156〕。■実際には、1時間が45~50分と圧縮され(経緯や理念は しらんけど)、大学の講義なら1コマ=90~100分と換算され、予習・復習もそれに準ずるという解釈だね。
■内田先生、「実際に今の日本の大学生は一時間の課業に対して二時間の予復習なんかして」いないし、「たぶん日本の大学生の半数以上は自宅学習時間ゼロ」だろうと推測される。■さらには、①1時間=45分換算による認定、②休講・サボりを勘案するなら、5580時間の「ワーク」を保証するという理念は、実質4~5倍の「水増し率」で空文化していると〔同上,pp.156-7〕。 ■内田先生は、教育課程(過程)を通過する生徒・学生の「品質」を「測定」し「保証」できるといった、工場の労務管理的な理念を機械的にあてはめることの不毛性(「教育のアウトカムは数値的に評価できない」「学校を工場に見立て、卒業生を製品に見立てるという市場主義的な教育観の危うさ」〔同上,p.159〕)を論証するためにもちだしている(「成果主義」の致命的矛盾についての指摘もするどいが)のだが、それはそれとして、単位概念が奇怪なしろものであることは、あきらかだろう。

■よくしられているとおり、4年制大学をつつがなく卒業する学生の相当数は、3年生修了時に124単位ちかくを修得しおえている。4年間で130単位をこえるような学生も少数ではないし、卒業論文用の演習科目以外は全部3年まででそろえているというのは、例外でもなんでもない。■ということは、3年間で120単位ちかく履修可能だということを意味する。1年あたり、40単位ということだ。■1単位=2.25時間(週あたり)の理念でいくと、年間40単位は、週あたり90時間の勉強時間になる。そのうち、自習部分は60時間におよぶわけだ。
■内田先生、「実際に今の日本の大学生は一時間の課業に対して二時間の予復習なんかして」いないとおっしゃるが、現在の単位制にかわった、おそらく戦後の公教育制度で、45分の授業に対応する90分の予習・復習が実践されたことがあるだろうか? ハラナがおもうに、およそ戦後の公教育空間で、授業時間の2倍に相当する予習復習をきっちりとこなした生徒・学生など皆無にちかいのではないかね? ■たとえば、もっとも クソまじめに長時間の勉強をこなしているだろう、国立大学理科系の志願者(高校生)および在学生(大学生)にしてもね。たとえば、数時間におよぶ実習などが当然視されている、理工系・医師薬科系の学生が、60時間もの自習時間を確保できるだろうか? 土日やすみとして、1日あたり12時間だ。これで通学して、講義を正味6時間ずつうけて、ねる時間があるか?
■では、124単位きっちりしかとらず、4年間にバラつかせて単位修得したとする。卒論=4単位とすると、1年あたり30単位=1週あたり67.5時間の勉強時間となるから、週に5日学業日として、1日13.5時間にのぼる。通学時間が往復で1.5時間としても、8時間睡眠はとれそうにない。■要するに、大学構内の学生寮に全員がすむとか、長期休暇以外アルバイト・クラブ活動等を禁止するとか、ごく一部の学生以外4年では卒業しない、といった、現状と全然ちがう状況に激変しないかぎり、授業時間の2倍にあたる予習・復習なんて理念は非現実的だということ。■どこの官僚がこういった机上の空論をくんだのかしらないが、それにしばられつづけている大学をはじめとした公教育って空間もすごい(笑)。

■タレントの遙洋子さんが 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』でかたっていたことによれば、遥さんは、1週に1度の上野ゼミのために、まるまる1週間全体をささげているような日々だったという。■それが、上野千鶴子御大という特異なキャラによる、大学院というSM的時空だったにせよ、要は、ほかの演習・授業に 精力をさけたはずがなかったということ。すくなくとも、ゼミ・レポート周辺のしたしらべ等以外の予習復習など、できたはずがない。■学部生あいての上野ゼミがどの程度の濃度かはわらないが、もし、単位概念が正当なものだとすると、上野千鶴子という御仁は、周囲の教育的制度を全否定するような、実に自己中心的な教育者ということになる。1週間の大学院生の精力を独占してなんとも感じないような、大迷惑な存在という意味でね(笑)。
スポンサーサイト

<< 死刑存続論への痛烈な皮肉 | ホーム | 惑星記号と雌雄記号 >>


コメント

日本生理人類学界

という団体があるそうです。

http://www.jspa.net/

生理人類学的に 大衆的実現が不可能な年31単位(笑)

■ということは、文部科学省が偽善的な、ホンネ/タテマエの つかいわけをしたのではなく、あくまで理念追求するつもりだったとすると、アメリカや中国などの優等生だけが実践している、ガリ勉が可能な、ごく一部の(≒旧制時代と大差ない高等教育享受層)学生さんだけ、卒業させればいいとかんがえていたことになりますね。■しかし、大学・大学院はマス化し、数字的には論理的に「全入」時代に突入するぐらいまで新設をゆるしてきた。大学も学生も「自然淘汰」ですか?
■まあ、大学院博士課程や法科大学院の実態は、大量入学→大量「死滅」という、「人為淘汰」で、「つかえる」部分だけ すくいとろうという算段なのでしょう。なんともまあ、酷薄な机上の計算ですこと…。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。