プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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優勝劣敗原則のカラクリ

■『赤の女王とお茶を』の1年ほどまえの記事を転載。


競争について子供に教えるべき3つのこと
マルクスにさよならをいう前ににインスパイアされて。

結論からいうと、3つとは

1. 世界は競争に満ちている

2. 決められたルールで競争するのは既に負けである

3. 競争すべき相手を誤るのもまた負けである


です。

1.世界は競争に満ちている
確かに、世の中いかなるところにも競争は存在します。子供の教育とはいえ、そのことを隠蔽するのは欺瞞というものでしょう。

しかしながら、競争について教えるべきことはそれだけではない。競争原理主義の皆さんも、実は「競争」というものについてかなりの部分を隠蔽しているのです。

それが、2.以降です。

2.決められたルールで競争するのは既に負けである
受験にしろ運動会にしろ、所詮は人の決めた一元的なルールや基準で「競争させられている」に過ぎません。しかし、グーグルや任天堂、あるいは「ホモ・サピエンス」をみれば分かるように、現実の社会、あるいは生態系においてすら、「勝者」の多くは「ルールを決める者」であったり、「ルールを無効化した者」なのです。

このことを教えずに、決められた枠の中でいくら「競争」させようと、それは大量の「敗者」を製造しているに過ぎないのです。

3.競争すべき相手を誤るのもまた負けである
学校での一元的競争とは違い、現実の世界は本来多様です。競争に満ちているとはいえ、そのルールや基準は一つではありません。

例えば、チーム単位での競争をしている時に仲間割れをしていては当然「負け」ますよね。また、ネコはライオンに「ガチンコ」を挑めば「負け」ますが、ネコの「生き方」がライオンに「負け」ている気は全くしません。

2.ともつながる話ですが、競争の相手を間違えるということは、その場におけるルールを把握できていないということです。ルールを把握できなくてはそれを無効化もできないし、自分のルールを築いていくこともできない。

自分が競争すべき相手は何なのか、誰なのか。どういう競争をすべきなのか。そのことを真剣に考えさせないようでは、とても「競争」について「教育」しているとはいえません。

「おててつないでみんなでゴール」という教育者がもしいたならば、確かに「お花畑」といわれても仕方ないかもしれません*1

しかしながら、一方で「世の中全て百メートル走」という教育もまた、別種の「お花畑」であることには違いないと思うのです。

関連:「強者」の必勝法は常に二つ

*1:こんなことで隠蔽できるとは思えませんが。

-------------------------------------------
■いわゆる「土俵をつくってしきる」がわと、「土俵にあがらされる」がわの決定的な優劣関係というか、旧ブログで くりかえしあつかった。■あと、先日とりあげた ましこ・ひでのり『たたかいの社会学』の5章「あいてを自分の土俵にあげる」と、かなりかさなる問題意識だね。目次だけ複写。


5 あいてを自分の土俵にあげる 109

1 「異種格闘技戦」 109
2 ルールを自分用に、しくむ、あるいは「改正」する 112
3 あいてを自分の文脈にひきこむ 116
4 専門職による文脈支配 ―コドモの幼児あつかい/成人のコドモあつかい 126
5 密室空間 ―「なきねいり」の温床としての「社会学的密室」 134
6 「無知はちからである」 139
7 戦意のないものを「土俵にあげる」 149
8 植民地主義という「土俵」 155
9 支配は必要悪か? 162
補論1 性犯罪被疑者の人権と訴訟ゲームのジレンマ 164
補論2 「色盲」差別について 165

-----------------------------------
■公教育ってのは、タテマエの空間だ。実社会にでるための「教習所」みたいな過程だなんて、おかしなたとえをもちだすひとがいるが、それは おおウソ。あえておしえはしないこと、ひたすらふせてかくしとおすこと だらけだ。■実際、均質的な生徒層を想定できないとか、精神的な成熟が充分でないとか(生徒間でバラつきがありすぎるとか)、社会のウラ、オトナのウソをさらしていいとはかぎらないことも事実。
■しかし、法的リスクについての基礎知識やら、救急法的知識とか、性感染症とか妊娠をふくめた病気・ケガについての基礎知識とか、義務教育をおえるときに みにつけておいて当然の素養を本気でおしえる気迫なんて全然感じられないのが現状のカリキュラム。さすがに これはまずいでしょう、って感じ(これらを 体得しないと義務教育おわらせない、なんて収容所的理念は、危険としても)。
■それからすると、「現代社会は競争社会だ」ってイデオロギーのなかをおよぎわたっていくときに、当然ふまえておくべき知恵(ギャンブルだったら「期待値とか、胴元のピンはね率などをかんがえないと、コケにされどおしである」といった、普遍的構造についての基礎知識)が、かなりの程度明確に整理されているのに、それを公教育や一般書がほとんどまともにあつかわないで放置しているのが現状(惨状)。■まるで、詐欺や洗脳の被害者を大量に養成し、「なきねいり」層を放置することが、社会全体の不可欠の要請みたいな悪意を感じてしまうが…。
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コメント

「共産党バブルは本物か」

という記事が『AERA』(8.11号)にあります(24ページ)。その結論部は以下のとおり。

志位氏は朝日新聞に対し、「古い政治の枠組みの中から一歩も出られない点では自民と民主に本質的な違いはない。両党と政権協力する余地はない」
それでも、政権参画か否か―の議論は現実味を帯び始めた。
党内には、「大衆や他党に迎合することなく、我が道を進め」といった「確かな野党」路線も健在だが、選挙結果によっては、共産党がキャスチングボートを握る状況が遠からず、生まれるかもしれない。

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