プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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性的指向の特別視

■ある男性知識人が、「ある男性がスーパーで マグロをかうといっても、ごくあたりまえにうけとめられるが、男性を(性的な意味で)かう、といいだしたら、それは特殊なことになる。性的指向というのは、それほど、アイデンティティに不可欠な本質的問題とうけとめられてきた」という議論を、なにか発見のように、のべていた。■ここでは、原文にあたることができなくて、引用のかたちはとれないので、テキストとして厳密ではないのだが、「だれが、具体的になにをいったか?」は、この際、たいした問題ではないとおもうので、男性知識人が、「性的指向のアイデンティティ(ないし、周囲の位置づけ)における特権的地位」という問題を とても重要視していたこと、その重要性にうかつにも不明であったことをはじるかのように、論点を提示していたという記憶(細部にまちがいがあるかもしれないが)にそって、以下議論をすすめる。

■結論からいえば、こういった議論は、問題の所在をはずしているか、ないしは、からまる論点を整理しきれていないがゆえの混乱にすぎないとおもう。■それは、ある人物(ないしある属性を共有する集団)の性的指向が、重要ではないということではなくて、「スーパーでマグロをかう」という行為と、全然異質な位置をしめるという判断の根拠が ハズれているという意味でである。


■(1) 周囲の人物の一般的な想定範囲との ズレという次元=いわゆる「一般性/特殊性」という意味では、「男性が スーパーで マグロの サシミをかった」という行為・事実が、一般的であるばあいと、特殊であるばあいが、ありえる。■たとえば、その男性が 単身者であるかどうか、ホームレスなど経済的な位置づけが特殊な人物かどうか、依存症とか生理的な問題とか なにか食材の購入と 心身との関連で問題がないか、などである。■単身男性と主婦がスーパーで かいものをしたばあい、双方の購入物(食材)は、平均的におおきな質的量的な差異があるはずだ。■単身男性がサシミをかうとして、それが男児・学童・学生・サラリーマン・自営業者・大学教員・ホームレス・身体障碍者…など、その年齢・社会的地位によって、それをうけとめる周囲は、瞬時に、さまざまな「憶測」をおこない、その意味を了解しようとするだろう。たとえば、「おかあさんが病気なのかな?」「離婚したのかな?」「家庭内不和か?」「単身赴任なのかな?」「不意の臨時収入でもあったのかな?」などなどと。レジうちのバイトさんは、なにも表情にあらわさないが、お客に違和感をおぼえれば、さまざまな想念が大脳内をかけめぐるはず。■あるいは、ひとりの男性が、かごから こぼれおちそうなぐらい、マグロのサシミ を何万円も かいこんだら、商売人として うれしいと感じると同時に、「なにがあったんだろう?」と、いぶかしげに、あるいは、仰天したりするだろう。無表情をよそおっていても。
■「男性が スーパーで マグロの サシミをかった」という行為・事実が、一般的であるとはかぎらない。


■(2) 一方、「男性が 性的な意味で男性をかう」となれば、たぶん同性愛指向があるということ、こいびととか、セックスフレンドという かたちではなく、ゆきずりの みしらぬ男性を性的商品としてかうという、金銭コスト・リスクをおしてでも かいたいという意識をもっていた、…といったことが推測される。■おそらく、これ自体は、一般社会において「一般的」ではないことは事実だろう。自覚のある男性同性愛者が、男性人口の3分の1程度なんてことは、まずかんがえられないし、まして 買春するとなれば、男性異性愛者が女性のセックスワーカーを「かう」経験だって、3分の1まではいかないだろうから。■売春をおこなう女性が実在するという事実は、成人のばあい、暗黙の前提であり、周知の事実であるとしても、売春をおこなう男性が実在するという事実をしらない市民は、たくさんいるだろう。男性同性愛の存在は、一般に不可視であり、しかも売買春ともなれば、一層かくれた現象だからである。
■しかし同時に、男性異性愛者が女性のセックスワーカーを「かう」経験だって、3分の1まではいかないだろう現状をかんがえたとき、それが「一般的」といえるかどうかは、あやしいだろう。■やはり、「スーパーでマグロの サシミをかう」という行為と、買春するという行為とのあいだには、確率論的におおきなミゾがあり、前者が日常的で ありふれた行為であるのに対して、後者はかなり非日常的な行為だろうから。■男性が単身であるかどうか、年齢や社会的地位はどうか、といった、こまかではあるが、重要な属性上のバラつきをもっていて、それが「マグロの サシミをスーパーでかう」という行為の意味あいをおおきかえると、さきにのべたが、それら全部と比較しても、「買春する」という行為とは、おおきく質的な断絶がある。すくなくとも、市民の大半はそううけとめるはずだ。

■(3) つまり、この知識人が、性的指向とアイデンティティ(社会的評価)という次元で「発見」したかのように おどろいてみせたことは、みずからの論理的混乱の無自覚の産物である。
■(a)「性的行為」の本来的な非日常性(たとえば、裸体を公然とさらさないこともふくめて、性的要素は、日常社会で抑圧・隠蔽されている)と、(b)同性愛現象、(c)売買春現象という、セクシュアリティの3つの次元のことなる要素が集約されている、「男性セックスワーカーの客になる」という行為と、「マグロのサシミをスーパーでかう」を行為を対照するという、あまりに おそまつな比較行為をやってしまっているのだ。

■(4) しかし、こういった ズサンな「比較対照」をやれてしまうことは、単に、この知識人の知的水準のひくさという問題に還元できないような気がする。単に知的訓練をへておらず、単純にみおとしたという問題にとどまらず、「性的指向とアイデンティティ(社会的評価)という次元」を特殊(特権)視するような、先入観やイデオロギーがありそうな気がするのである。■ここでは、はっきりと整理がつけられないのだが…。
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コメント

性的嗜好が問題なのなら、男性による男性買春と男性による女性買春、女性による男性買春と女性による女性買春をまず比較・検討する必要がありますね。
そこに両性具有とか異性装愛とかいったグループも加えると、組み合わせはもっと増えますね。

つらつらかんがえてみるに、

■この知識人には、異性愛=スタンダードという確信しかないわけですね。■だから、同性愛というだけで特別視してしまうことに、疑問をもてない。売買春と かさねて論じてしまうことの、未整理問題がおもいうかばない。覚せい剤であるとか、銃器類であるとか、児童ポルノであるとか、個人で購入可能だけど、ヤバいとされる商品は、ほかにもあるのに、そういったものとの比較さえかんがえられないわけですね。■知識人男性の 発想の射程のせまさを感じさせます(まあ、こんな表現をうつかうと、「戦闘」のメタファーをこのむ人物とか、批判されそうですが…)。

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