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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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成立当初から反動的だった新憲法

■renqing氏の『本に溺れたい』の昨年の記事を再掲(リンク等、一部割愛)。

日本国憲法は、1946年、すでに「改正」されている
 日本国憲法は、昭和21年(1946)に公布される時点で、すでに「改正」済みである。

 ではいかなる意味でそう言えるのか。そのことのリアリティを実感してもらうため、一つのシミュレーションをしてみよう。現行の憲法がいかにあなたを守ってくれないか、という実験である。

  〔註〕本記事は、「あなたが、ある朝突然、逮捕されたとき、」05/11/17、という
     過去記事の焼き直しである。国民投票法成立を「祝」して、再度掲載し直してみることとする。


Question 「あなたが、ある朝突然逮捕されたとき、日本国憲法(1946)はあなたを守ってくれるのか。」

 すぐ、私たちが頼りにしなければならないのは、第33、34条である。

〔逮捕の制約〕
第33条 何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつてゐる犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

〔抑留及び拘禁の制約〕
第34条 何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由がなければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

 あなたは、二つの事をすぐ実行する必要がある。

1)「逮捕令状を確認させて下さい。」、と令状を確認する。任意同行なら拒絶できるが、拒絶の仕方に難癖をつけて、公務執行妨害の現行犯として逮捕される可能性もある。

2)「弁護人を依頼します。東京弁護士会の弁護士を選任します(例えば)から、連絡させてください。弁護士が来るまで、黙秘権を行使します。」

 ただ、警察官たちは、権利の説明をしながら、怒涛のように、あなたを何人もの捜査員で取り囲み、パトカーに押し込む。すると、弁護士会に連絡するのは、警察署に連行されてからになる可能性が高い。

 問題はここから。警察官たちは、あなたを取調室に連れてきて、尋問を始める。そして、あなたの外部への連絡の要請を、のらりくらりと先延ばし、はぐらかしつつ、尋問を続ける。また、捜査員たちは、あなたを休ませないように、複数捜査員が交代であなたの取調べを延々と続ける。

 無実の罪だから、物的証拠はない(当然だ!)。すると、自白の実質的強要を画策する。それで、最も効果的なのは、上記のような外部との遮断、および疲労である。

 日本の刑事事件で冤罪が絶えないのは、憲法第38条で、自白の証拠能力について留保がついているにも関わらず、裁判でも自白が重視され、それにあわせて、捜査員たちが自白を創造してしまうためだ。

 それらの防ぐには、最低限、被疑者が外部と連絡する権利が保障されている必要がある。それを「外部交通権」という。現行の1946年憲法ではその点が明示されていない。

 ところが、マッカーサー憲法案では、しっかり存在していた*。↓

《 he shall not be held incommunicado. 》*
「何人も、外部との連絡を一切遮断されたままで留め置かれることはない。」

 何のことはない、日本側の役人によって、削除されていたのである。

 また、外国の例で言えば、スイス憲法第31条第二項では、

Article 31 Habeas Corpus
(2) In particular, he or she has the right to have his or her close relatives informed.
特に、最も身近な親族にその旨を告げる権利を有する。

、という形で、「外部交通権」を保障する工夫をしている。

 憲法の“柔軟な”解釈運用は、結局、憲法の名宛人である“霞ヶ関”の恣意的な解釈を許してしまう。日本の1946年以降の半世紀はその連続だ。それは、彼らが、実は《改憲》より歓迎する、《憲法=法》の空文化、を可能とさせてきた。

 例えば「外部交通権」を明文化する憲法条項の改正は、恣意的憲法運用を防ぎ、より明確に権力者たちを縛る改正の、一つの例といえよう**。


〔註〕

*マッカーサー草案については、下記を参照。

国会図書館(NDL)、日本国憲法の誕生、資料と解説、第3章 GHQ草案と日本政府の対応、
3-15 GHQ草案 1946.2.13

**「外部交通権」を含む問題については、日弁連の下記サイト記事を参照。
第56回定期総会・未決拘禁制度の抜本的改革と代用監獄の廃止を求める決議

……

○1946年憲法の成立過程を振り返りたい方は、ぜひ下記を参照されたし。
日本国憲法の誕生

【以下略】
--------------------------------------
■同様の論点は、『憲法を一から考える掲示板』の「[48] 冤罪を憲法が支えている?」にもあがっている。


被疑者・被告人と弁護人等との接見交通権
被疑者・被告人と弁護人等との接見交通は、刑事裁判において一方当事者となる被疑者・被告人にとって、外部との連絡をとって訴訟における防御活動を行うための重要な意義を有する。そのため、刑事訴訟法39条に規定が定められている。

被疑者・被告人と弁護人等とは、立会人なくして接見することが許されている。すなわち、秘密交通権(ひみつこうつうけん)が保障されている。また、刑事施設及び受刑者の処遇等に関する法律(旧刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律・旧監獄法・旧刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律施行規則)の制限も適用されない。すなわち、いつでも、時間の制限なく、立会人なく接見交通できる権利を有するのが原則である。

ただし、刑事訴訟法39条2項による制限が課せられる場合があるほか、刑事訴訟法39条3項は「接見指定」を定め、捜査機関が捜査のため必要がある場合に、捜査機関側が接見の時間・場所を指定できるとされている。


接見指定
接見指定は、弁護人等が被疑者等との接見交通を求めた場合に、検察官、検察事務官または司法警察職員が「捜査のための必要」があると判断したときは、弁護人等に対して接見できる日時・場所・時間等を指定し、接見交通権を制限することができるという制度である。刑事訴訟法39条3項に基づく。

特に被疑者については、逮捕から起訴までに厳しい時間制限が捜査機関に課せられている(203条~205条、208条、208条の2)ため、起訴前捜査の必要から捜査機関は接見を制限することを望む。また、捜査機関にとっては、弁護人が接見すると被疑者・被告人が訴訟戦術をおぼえるために取調べや訴訟がやりにくくなる、との考えからなるべく接見を制限したいという思いがあるようである。


憲法適合性
接見指定自体については、憲法に抵触するのではないかという争いがある。すなわち、憲法34条は弁護人依頼権を定めているが、これに違反する、という主張がある。

これに対しては、判例(最高裁平成11年3月24日判決、民集53巻3号514頁、安藤・斉藤事件)は、

憲法三四条前段は、単に被疑者が弁護人を選任することを官憲が妨害してはならないとういことを定めたにとどまらず、被疑者に対して、弁護人を選任した上で、相談し、その助言を受けるなど弁護人から援助を受ける機会を持つことまでも実質的に保障している。(接見交通権は憲法上の権利である。)

もっとも、憲法が被疑者と弁護人等との接見交通権を保障しているからといって、接見交通権は刑罰権ないし捜査権に絶対的に優先するような性質のものではない。捜査権を行使するためには、身体を拘束して被疑者を取り調べる必要が生ずることもあるが、憲法はこのような取調べを否定するものではないから、接見交通権の行使と捜査権の行使との間に合理的な調整を図らなければならない。

憲法三四条は、身体の拘束を受けている被疑者に対して弁護人から援助を受ける機会を持つことを保障するという趣旨が実質的に損なわれない限りにおいて、法律に右の調整の規定を設けることを否定するものではない。

そして、 以下のように

刑訴法三九条三項本文の予定している接見等の制限(略)が接見交通権を制約する程度は低い。(略)
捜査機関において接見等の指定ができるのは、接見等を認めると取調べの中断等により捜査に顕著な支障が生ずる場合に限られる。
右要件を具備する場合には、捜査機関は、弁護人等と協議してできる限り速やかな接見等のための日時等を指定し、被疑者が弁護人等と防御の準備をすることができるような措置を採らなければならない。
という点からみれば、刑訴法三九条三項本文の規定は、憲法三四条前段の弁護人依頼権の保障の趣旨を実質的に損なうものではないというべきである。

として、接見指定は合憲であることを認めた。


接見指定の運用
過去の運用

かつては、一般指定書方式という方式が採用されていた。これは、

検察官が接見指定の必要性がある場合があると判断した被疑者について、検察官が予め「一般指定書」を担当警察署に交付しておく。
一般指定書が交付された場合には常に接見指定が行われている状態となる。
この状態の被疑者に接見交通を求める者が接見するには、検察官に連絡をして、検察官が接見を認める日時・時間が記載された「具体的指定書」の交付を受け、指定書の内容にしたがって接見をしなければならない。
というものであった。

これは、問題がなければすぐに接見できたものの、事実上は検察官が接見を一般的に禁止した上で、弁護人が許可を受けるという形であり、原則として接見は自由に出来る、という接見交通権の権利としての保障に反している、と弁護士会および学説により強い批判がなされていた。また、多くの場合には弁護人が検察庁に指定書を取りに行かなければならず、検察官が在庁しないなどの理由で具体的指定書の交付を受けられず接見に大幅に時間をとられるという事態が生じていた。捜査優先による制限も著しかった。

このため、「面会切符制(めんかいきっぷせい)」などと俗称された。

こうした中、最高裁は、弁護士が接見を不当に妨げられたとして国家賠償を請求したいわゆる「杉山事件」において、「刑事手続上、最も重要な基本的権利に属する」(最高裁昭和53年7月10日判決・民集32巻5号820頁)との判断を示し、接見交通権の制限は「捜査の中断による支障が顕著な場合」に限るとしたものの、別の事件(若松事件)において最高裁は、一般的指定は検察官から警察に対して、接見を求められた場合には連絡するよう求める内部文書であり捜査機関内部の指示にすぎず、被疑者・弁護人の権利義務には影響するものではなく、接見交通権を侵害していない、としていた。

もっとも、一般的指定自体は適法であるとしても、検察官に連絡が取れなかったりたらいまわしにされるなどしてなかなか指定書の交付を受けられず接見を求めてから接見できるまでにかなりの時間を要した、という場合には、接見交通権を実質的に侵害したとする判決が下級審を中心として出されている。


現在の運用
現在は、これらの批判を考慮して、昭和63年4月から、法務省通達により一般的指定方式を改め、通知書方式が取られている。

すなわち、指定の可能性の通知を捜査機関内部のものであるという性格を明確にした上で、弁護人が接見を求めた場合には警察官が検察官に指定をするか否かを確認し、指定がなければ接見できる、という方式である。検察官への確認も、弁護人が直接検察庁に赴く方式は改められ、警察官が電話やFAXによって連絡する、という方式をとっているとされる。

この方式を採用したことで、検察官が必要ある場合にだけ指定する、という形式が明確化され、また弁護人が待たされるとしても、電話連絡のわずかな時間であるため接見交通権を実質的に制限するものとはいえないので適法である、という肯定的な評価が高まっている。

もっとも、具体的運用はやはり難しく、接見に時間を要した場合を中心としてなおも裁判が起こされることがある。

……
----------------------------------------
■旧ブログの「「名誉毀損」を悪用して、批判を封殺する権力」という記事でかいたとおり、不当としかおもえない理由で接見禁止する官憲はすくなくなさそうだ。要は、現場の係官の裁量=事実上の恣意的権力行使が黙認されているということ。■なにしろ、「警察官職務執行法のナゾ」でも紹介したとおり、もと国家公安委員長としらずに現役弁護士を職務質問のすえ警察署まで(任意同行という名目で)連行してしまう蛮行が事実上「ゆるされる」ような野蛮な国だから。■そして、こういった事態を弁護士側がどんなに意識しようと、肝心の憲法が草案の立法精神をホネぬきにするかたちで、蛮行があらかじめ容認される構造ができあがっていたのだとしたら、あらかじめ かちめがないケンカといえそうだ。

■改憲問題というと、憲法9条あたりに関心が集中しすぎているきらいがある。しかし、具現化した条文を空文化する9条のようなもの以外に、マッカーサー草案ほか、さまざまな草案群を改悪・無視するかたちで成立した1946年憲法といった観点で全面的にみなおしが必要だろう。


●旧ブログ「可視化」関連記事
●旧ブログ「社会学的密室」関連記事
●旧ブログ「無意味な8月15日」シリーズほか
●旧ブログ「日本国憲法」関連記事
●ウィキペディア「憲法草案要綱
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コメント

ご紹介、ありがとうございます

お礼が遅れました。ご紹介ありがとうございます。

改憲議論も、あべちんが、タオル投入でリングから降りてしまったので、顧みられなくなっています。この列島の民にとっての、「政治問題」って、何なんでしょうか?

たしかに、一見TKO

■当方も、福田政権になったあと、わかりやすい「敵失」もぐっとへって(でも、守屋氏をはじめとして、相対的減少にすぎませんが)、自民党タカ派的体質なる「標的」をうしなったことも事実(笑)。■多忙・体力激減もあいまって、時事ネタが激減してしまいました。関心はあれども、まとまった文章にする気迫がでません。
■いずれにせよ、改憲論議が、ほかの諸問題にまぎれて、真剣に議論されなくなったのは事実。そして、いきのながい、ねばりづよい知性の蓄積・練磨が成立しづらい知的風土というのが、こういったばあいに致命的に作用することも事実。■「美しくない国」(http://www.google.com/search?hl=ja&ie=Shift_JIS&oe=Shift_JIS&as_sitesearch=http%3A%2F%2Ftactac.blog.drecom.jp%2Farchive%2F&q=%81h%94%FC%82%B5%82%AD%82%C8%82%A2%8D%91%81h&btnG=%8C%9F%8D%F5)は不滅かも…。

設立当初つながりで

「新聞は最初からダメだった――日本の大新聞を操作してきた”闇世界”の歴史」という記事が『紙の爆弾』(9月号)にあります(30~6ページ)。

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