■いわゆる「
二・二八事件」について。
“遺族が退席、馬総統に罵声 2・28事件 追悼式典大荒れ”2009年3月1日 朝刊
【高雄=栗田秀之】中国から台湾に渡った国民党政権が一九四七年、多数の台湾人を虐殺した「二・二八事件」から六十二年の二十八日、各地で追悼行事が開かれた。総統として初の記念日を迎えた馬英九総統(国民党)は南部・高雄のメーン式典であいさつしたが犠牲者の遺族が退席し、参加者が罵声(ばせい)を浴びせるなど大荒れとなった。
国民党主導の立法院(国会)で事件にかかわる予算が棚上げされ一部の立法委員(国会議員に相当)が、二月二十八日を従来の休日から除外することを主張するなどしたため遺族らが猛反発。南部は反中感情が根強く、会場入りした馬総統に「総統の資格はない」などの声が飛んだ。
馬総統があいさつに立つと遺族らは退席して抗議。独立系メンバーが「台湾 独立」と書かれた旗を掲げ「人権を返せ」「主権を返せ」と叫び続けた。
馬総統は「謝罪しても家族の命は返らない。私ができるのは二度と悲劇が起きないようにすること」と訴えたが、遺族の一人は「口では言うが実際にはやっていない」と不信感をあらわにした。
◆在日台湾人ら都内でデモ行進 中国の少数民族も
台湾「二・二八事件」記念日の二十八日、在日台湾人らが都内で中国の人権弾圧や軍拡を批判するデモ行進を行った。参加したのは台湾人のほか中国・新疆(しんきょう)ウイグル、チベット、内モンゴル自治区出身者ら約二百人。
中国の軍事的脅威に警戒心を高める在日台湾人の呼び掛けに応え実現した。
在日台湾人と中国のいわゆる少数民族が共同で中国への抗議行動を行ったのは初めてという。
主催した「2・28台湾防衛デモ実行委員会」(台湾研究フォーラムなど十一団体で構成)では、参加者たちの出身地域は異なるが「独裁体制のまま急膨張する中国の圧力に抗し、民族の自決と尊厳を守り抜く共通課題がある」としている。
(外報部・佐々木理臣)--------------------------------------
■いわゆる「
外省人」による「亡命政権」という本質を脱皮できない「国民党」は、本質的に「
二・二八事件」について自己批判を徹底できっこない。
■「独立」論が、「
本省人」による 内在的・必然的な 自治運動なのかといえば、それは「想像の共同体」「伝統の創造」という問題を直視しない、共同幻想だろう。帝国日本による半世紀におよぶ植民地支配=大陸からの分離期間ぬきに、「台湾」意識が 自動的かつ必然的に発生したとは、到底おもえないからだ。■しかし、「
外省人」勢力が、台湾住民を文化的・歴史的に代表できる資格をもちえないことだけは、たしか。
■とはいえである。「
外省人」=亡命者である、
蒋介石ひきいる「国民党」勢力が、
中国共産党との「
国共内戦」の敗残兵集団であったのに、かれらによる白色テロへの反発が、
中国共産党の歴史的蛮行と、並列されて批判をあびているという事態は、実に皮肉な歴史的めぐりあわせだ。■要するに、中国大陸周辺での少数民族にとっても、「
外省人」=亡命者たちに、「いなおり強盗」をされた「
本省人」住民にとっても、共産党・国民党という独裁体制(国民党は、1980年代末まで あきらかな一党独裁体制だった)は、同質だったということだろう。
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