プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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時間経過と問題解消

■もう発表から10年もたつ、宇多田ヒカルのデビューシングル「Automatic/time will tell」のうち、“time will tell”の歌詞は、ふかい哲学をかたっているようにみえるが、よく よみかえすと奇妙な論理をかかえている。

泣いたって何も変わらないって言われるけど
誰だってそんなつもりで泣くんじゃないよね

悩んだって仕方ないよ
I just can't control the time
この長いRunwayから青空へTake off!


Time will tell 時間がたてばわかる
Cry だからそんなにあせらなくたっていい
Time will tell 時間がたてばわかる
Cry 明日へのずるい近道はないよ
きっと きっと きっと(※)

雨だって
雲の上へ飛び出せば
Always blue sky
太陽だって
手でつかめるぐらい近くに感じられる

ひとりで落ち込まないで
We just can't control the time
この長いRunwayから青空へTake off!

Time will tell 時間がたてばわかる
Cry 今の言い訳じゃ 自分さえごまかせない
Time will tell 時間がたてばわかる
Cry だから今は泣きたいだけ泣いていい
もっと もっと もっと

(※ くりかえし)

---------------------------------
■「とりあえず、くるしいときは、なくだけないていい。あとは時間が解決するから…」っていう、主張なんだろう。
■問題は、(1) 時間は制御不能である(“I just can't control the time”“We just can't control the time”「明日へのずるい近道はない」)という、ごくあたりまえの普遍的原理を確認している点と、(2) 苦境からの脱出を、滑走路(Runway)から離陸することで、雲上に達する 飛行機の高度になぞらえていることとの、関連性。

■「離陸後の上昇→対流圏界面突入が 太陽光を保証する」という たとえは、時間経過による 事態の改善を象徴できない。曇天がウツをよびおこす重要な天候であることは事実にせよ、たとえば、飛行機で成層圏をとびこんで太陽光を機内からおがめるだけで気分は パッと、はれるのか? なぜ、時間経過が 空間軸での移動にカブせられ、状況の「向上(好転)」という隠喩に転用できるのか?

■“Time will tell”(時間がたてばわかる)というが、わかるのは 「事態の結末」にすぎず、それは「問題の解決」の保証を意味しない。皮肉な いいかたをするなら、「悩んだって仕方ないよ」「時間がたてばわかる」という なぐさめかたは、「なやむ意味がない最悪の事態」の到来を予見できないからにすぎない。それは「なやみの解消」ではなくて、「なやむ価値」「なやむ主体」の消滅かもしれないのだから。■「今の言い訳じゃ 自分さえごまかせない」というのだが、「時間が解決する」という なぐさめこそ、偽善だろう。とりわけ、「時間がたてばわかる」などと、現時点での 「視界ゼロ」状態の白状は、なぐさめの 破綻を 露呈させていて、無残とさえいえる。

■自分たちの だれもが、時間を支配できないし、むしろ 大半の人間存在は 時間に支配されるほかない という、普遍的な宿命をせおっている。である以上、「悩んだって仕方ないよ」というセリフは、あくまで「過去は とりもどせない(未来に むかって、あるきつづけるほかない)」という、あきらめ・いさぎよさの 提示という次元で、有意義である。
■たしかに「泣いたって何も変わらない」というセリフは、精神的カタルシスを無視した事実誤認であり、むしろ「悩んだって」「何も変わらない」という まえむきの人生哲学は、基本的にただしい。

■しかし、「時間がたてばわかる」というのは、結局「無内容な結果論」であることも、事実である。一神教世界の住民たちが くりかえす「かみ のみぞ、しる(かみさま以外、だれもわからない)」は、現在(「真相」「事実」…)のみならず、過去(≒“藪の中”)・ 未来(=まだ実現化していない、「不在」の時空)にもあてはまることになるが、「時間がたてばわかる」というセリフは、無内容かつ無責任な「思考停止」の すすめなのだ。「なやむ」ことが不毛・悪循環であるばあいは 現実にすくなくないが、「思考停止」がいいという保証など、どこにもないし、「とりあえず 推移を静観しよう」という提案なら、そんなセリフとして、表現する必要がない。
■「なきたいだけ なけ」という 提言も、完全に うしろむき(過去志向)の 「後悔」という不毛な心理から解放されるために ときに不可欠な、きもちの整理と、いためた心理の回復のための、個人儀礼みたいなもの。■はっきりいって、うえのような ある意味破綻した なぐさめを くちばしる人物に、なきがおをみせたり、グチをこぼしたりしたくない。



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コメント

『聖書と日本人』(ばんすい社)収録の「時間の主なる神」は味読にあたいするとおもいます。

『聖書と日本人』(浅見定雄・ばんすい社)収録の「時間の主なる神」(183~8ページ)がおもしろいです。天皇制とも関連する元号という制度について、一致団結して反対すべしという主張ですが、やはり浅見先生の見識はすごい。まるで現代を予言していたかのようです。
いや、時間つながりで。

「われき」(和暦)という表現を

わたしは本日はじめてきいたのですが、タカマサさんはどうですか?要するに元号のことらしいのですが。
もちろん、元号自体が問題のある制度ですが、それを「われき(和暦)」とよぶことには、さらなる問題がありますな、浸透していないことを祈るのみです…って、無神論者なんだから祈る対象自体存在しないので抵抗せねばなりますまい!とりあえず、今後「われき」といわれても「元号のことですね」と確認しつづけるようにします。

ところで、同じ天皇制つながりでも、元号よりも皇紀の方が、ある意味むしろ合理的ですな。

和暦だの西暦だの

http://ja.wikipedia.org/wiki/和暦

■「和暦」って、元号の意味だったんですね。小生は、太陰暦による太陽暦以前の「暦」の継承制度をさしているんだと、誤解しておりました。
■でもって、西暦ってのも、イエス・キリストの生誕を記念しただのといった、ウソのもとに なりたっている、アホな起源をもっていますけど、連続性・普遍性という意味では、「和暦」なんぞとは、次元がちがいます。■おなじ 誇大妄想(時空の連続性幻想)によるなら、でかい方が、マシでしょう。
■あと、「和暦」信奉者たちの自己矛盾は、明治以前の元号を、西暦を参考にしないことには、到底駆使できないこと、和暦西暦対応表(http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/bungaku/wa_seireki.html)みたいなものをつかわないと、明治初期もあつかいかねる点でしょう。■以前も話題にしたとおり、「赤穂浪士(あこうろうし)とは元禄15年12月14日(1703年1月30日:2007年の暦と一致)に旧主浅野内匠頭長矩の仇である高家吉良上野介義央の屋敷に討ち入り、仇討ちをした元赤穂藩士大石内蔵助良雄以下47人の武士である。…」(ウィキペディア「赤穂浪士」)なんて文章を、ちゃんと理解できるかどうか、新暦の12月14日にイベントをうつなど、はずかしくてできないぐらいの認識に到達しているかが、とわれているんですが、ともかく「大化の改新」から連続しているだのといった、誇大妄想だけが、かれらの、ちっぽけな自尊心をささえていると。■西暦はたしかに誇大妄想ですが、和暦信仰は、ものがなしさ、あわれさしか、もよおさせない、象徴的な制度ですね。

なぜ時が解決するのか?

おもしろいエントリーを読ませていただいてありがとうございます。

実はわたしも「時が解決してくれる」というのは当てにないなぁと思ってきました。
時がたてばもっと問題がひどくなることもあるし、ずっとそのままのことだって考えられる。
なのになぜ?って。

労働問題では、派遣はそのうち死ぬか自殺するから心配するなって言われているようにも聞こえて、
時間が解決してくれるという話のばかばかしさを感じます。
実際には貯金、保険、家族からの支援、貧しくなったタイミング等「溜め」が問題を解決する場合にも
すべてを時間が支配しているという錯覚が起こっているようです。
それは経験的に言って、ご自分は安定した方によって言われるのも特徴です。

「なぐさめ」は、ふつう「きやすめ」

ワタリさん、こんばんわ

■「きやすめ」は、モジどおりなら、精神的回復をもたらすはずで、それ自体わるくないはずなんですが、通常の「きやすめ」は、プラシボ(ニセぐすり)などもふくめた 問題を直視しない課題回避系なわけですね。■あと、普通「なぐさめ」るのは、優位者のがわなわけで、ユトリの誇示だったもするわけです(「なぐさみもの」「よとぎ」なんて、劣位者の「献身」も、なくはありませんが)。■宇多田さん、この歌詞をどういった設定でかきあげたのかわかりませんが、これをうたわれて元気がでるなら、それこそ、「ほっときゃ、たちなおる」たちなんではないかと…(笑)。

■ちなみに、時間経過とからめて、あたらしい機会を提示しようとする歌詞として、「元気を出して」 (竹内まりや http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND1769/index.html,1988年)がありますが、わかい女性に同世代の同性の親友が、「終りを告げた恋に すがるのはやめにして ふりだしから また始めればいい」と、気分転換を提案するのはいいとして、「幸せになりたい気持ちがあるなら 明日を見つけることは とても簡単」とか、「少しやせた そのからだに似合う服を探して 街へ飛び出せばほら みんな 振り返る チャンスは何度でも 訪れるはず 彼だけが 男じゃないことに気付いて」と、くちばしります。■正論かもしれませんけど、いまどきの モテ指向じゃあるまいし、「だれからすかれようと、それでうれしいという」のは、女王系・アイドル系の気質のばあいだけ。■やはり、普通の女性のばあい、相思相愛の条件(相性×遭遇機会×環境)が そんなに おおきくないはず。だからこそ、「にがしたサカナは、でかい」という、失恋の喪失感がおおきいわけです。■「チャンスは何度でも 訪れるはず」という、自分への過大評価、ないし自分の許容範囲の みあやまりが、かなり深刻だからこそ、酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』という、芸風が確立したわけですし。

■ちなみに、宇多田さんのモチーフの前提は、心身の回復とか、めぐりあわせの 確率論的な周期とか、そういった、一般論にそっているとおもいますが、1990年代なかば以降、求職活動がうまくいった世代は、それこそ 偶然の短期的好景気に あたった部分だけですよね。宇多田さんの歌詞に感動したひとびとは、どういった層で、どういった心理だったのでしょう? 実に不思議です。■ハラナの しる範囲にかぎっては、精神的にまいってしまったケースのばあい、たちなおりのための 「時空」は、あまり用意されているようにはおもえません。社会は、そんなに ユトリをみこんでいない。むしろ、「敗残者」によって、イスとりゲームが有利になったと、ライバルの脱落は、内心よろこばれたりして、同情さえ うわべだけのばあいが、すくなくない。
■かりに、一応「元気」になれても、職場から「戦線離脱」した時間と、年齢をかさねて可能性をへらした、という、不可逆的な事態が進行している「現実」は否定できないわけです。「うしなわれた時間は もどってこない」と。■これらは(確率論的に)労働市場では 確実に不利にはたらく要因で、とても「時間が解決する」なんて構図にはない。「過去をくやんでも(まえむきに いかせないような失敗である以上)無意味」という、時間論は ただしいとして、「時間をうしなった人物は、相対的にますます不利になる」という冷厳な構図は普遍的です。
■おそらく、こういったシビアな現実に、宇多田さんのような特権層は滅多に遭遇しない。そういった、圧倒的に有利で、おそらく人生の悲哀を本質的に理解できないだろう層によってかかれた歌詞(時間論)に感動した大衆は、なにものだったんでしょうかね?

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