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Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「ネット社会の情報格差」再考

“Yahoo!はマスメディアではない” 「Yahoo!ニュース」の責任者 川邊健太郎(前半)(『日経BP』2009/02/18)から。

藤田コメント

 Yahoo! JAPANは自らをメディアというよりは情報のプラットフォームであると見なしている。同時に社会性のある存在として世の中に対して何らかの公的な情報発信の責任、義務を負うとの認識は高い。

 その意味ではプラットフォームであるとともにコンテンツアグリゲーターとしての存在として認識するべきである。

 マスメディア崩壊が現実味を帯びていく中で、これまでマスメディアが担ってきた、いわば政府広報的な広く国民に対して情報を届ける、あるいは政治や企業などの悪性や不正に対しての番人としての役割は非常に重要である。他のネットメディアとは比べ物にならない飛び抜けたリーチを持つYahoo! JAPANは自身をある意味で、一企業を超えた社会的存在であると自覚すべきであり、発信する情報の選び方など慎重に対応する必要があるだろう。

 一方、ネットの特性上の問題としてプッシュ型の従来のマスメディアに比べてプル型であるYahoo! JAPANはネットリテラシーのレベルの違いによって情報格差を生みやすいという傾向も見られる。

 ネットリテラシーのある人間だけに情報が集中しないようにする工夫を今後Yahoo! JAPANは真剣に検討する必要があるのではないだろうか。

 従来のマスメディアの果たしてきた様々な社会的責任、役割を担う存在としてYahoo! JAPANはもはや日本の公共インフラの一部であると言えるだろう。

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■インタビューとはいえ、かなりの程度ヨイショ記事といってよかろう(まあ、こういった有名人・企業首脳の公開されるインタビューなんてのは、はじめからヨイショにきまっているけど)。■だから、「他のネットメディアとは比べ物にならない飛び抜けたリーチを持つYahoo! JAPANは自身をある意味で、一企業を超えた社会的存在であると自覚すべき」なんてのは、批判・提言というより、ヨイショ発言といってよい。「他のネットメディアとは比べ物にならない飛び抜けたリーチを持つ」存在として位置できるのは、グーグルが検索エンジンの首位になれないでいる、日本の特殊事情のもとでの現状であって、検索エンジンや広告媒体としてグーグルが他国なみに独走する状況になれば、こういったヨイショ記事は、無効化しそうだ。
■一方で、「ネットの特性上の問題としてプッシュ型の従来のマスメディアに比べてプル型であるYahoo! JAPANはネットリテラシーのレベルの違いによって情報格差を生みやすいという傾向も見られる」なんて指摘は、むしろグーグルにこそ、あてはまるのであって、検索エンジン機能が、ポータルサイトの種々雑多(「豊富」?)なサービス全体の一部しかしめず、利用者も、とりあえず、ホームページをみるという姿勢が大勢をしめているんだとおもう。

■そして、重要な本質的問題だとおもうが、「プッシュ型の従来のマスメディアに比べてプル型であるYahoo! JAPANはネットリテラシーのレベルの違いによって情報格差を生みやすいという傾向」なんて分析は、情報提供サービス業としての「ポータルサイト」の本質と矛盾する視座だと、おもう。■商業主義という次元で(グーグルは異質なので、おくとして)、マスメディアもポータルサイトも、集金目的ではあるんだが、マスメディアというのは、編集・配信作業の魅力に対してスポンサーがつくのに対して、ポータルサイトは利用者の情報探索行動がもたらすビジネスチャンスにスポンサーがついているわけだ。■前者=マスメディアは、出版社のだす書物・雑誌などが典型例であるように、「職人わざや天才的才能にむらがる大衆の欲望」をめあてにしたスポンサーが前提だが、後者=ポータルサイトは、情報探索行動を容易にする検索ツールや分類・編集作業などを「主体的」にえらぼうとする利用者の行動が結果的にビジネスにつながるということだ。■だから、前者は どうしても 広告がめだつように スポンサーのかげがチラつくのに対して、グーグルなどの検索サービスにあっては、スポンサーへの直接リンクは、まったく黙殺される可能性がたかい(それでも、かなりの率がみこめるから、スポンサーになるだが)。■つまりは、従来のマスメディア≒広告情報プッシュ型/ポータルサイト≒結果的広告型、という本質的対照性があるとおもう。
■したがって、たとえば ヤフー・ニュースが、「これがおすすめ」系の序列化をはかっているなら、「ポータルサイト」として矛盾しているというか、中途ハンパだし、それでいえば、グーグルのように、iGoogleに「トップニュース」のように、ロボットが機械的に取捨選択をするサービスをくみこみ、利用者が主体的に取捨選択する。といったシステムの方が思想的に一貫している(「利用者の主体性重視」)。

■もちろん、グーグルなどが前提にしている、検索エンジンを駆使する大衆の「主体性」に、かたより・問題はないのか? という問題はある。■そして、それこそ、そこには検索リテラシーの格差ともいうべき、めがくらむような問題構造がひそんでいることだろう。■しかし、たとえば、「トップニュース」が、「人工知能」とかによる判断で、「利用者の属性・利用性向を加味した配信」とか、「社会的に重要な意義をもつとかんがえられる話題の選択」といった「序列化」を前面にだすのなら(実際には、ロボットの取捨選択には、かなりのかたよりがあるはずだが)、それこそ情報統制ということになるだろう。■はっきりいって、グーグルの「トップニュース」のようなサービスは、いろいろ検索順位に問題が指摘されながらも、評価がたかいGoogle検索のページ序列のように、極力「重要度」にバイアスをかけない方向性で取捨選択がなされねばなるまい。
■その意味では、
川邊:「Yahoo! JAPAN」のトップ画面にある「Yahoo!トピックス」には常時8本の記事がピックアップされています。クリック率は非常に高いのですが、消費税の議論はこうなっていますとかコソボが独立しましたという重要なニュースでもクリック率が低いことがあります。
 ですから、メディアとしてこういった重要な記事はちゃんと出して、しかも長く表示していこうという考えでやっています。

といった発言は、適当かどうか微妙だろう。■むしろ、過去の報道記事が消去されずに、ずっと検索可能なように保存され、関連リンク集などが、それこそロボット的に構築されるとか、そういった方向性にこそ、関心がはかられるべきだろう。■そうでないと、「コソボが独立しましたという重要なニュース」といった判断の有無によって、記事保存の長短がでてしまうことになる。コソボ独立が、一般的な利用者にとって、どの程度重要かなどは、それこそ、新聞記者だって、責任がもてないはずだ。それこそ、大学の先生方が「●●学概論」みたいな授業の内容を取捨選択する作業と同質な「編集権」のもとに独断でやっている作業なのであって、内実は、いろいろ矛盾・問題をはらんでいるわけだし。■ロボットの機械的判断のまえに、プログラミング担当者の想定能力の限界があるわけだし、機械的平等ばかりがいいわけではないが、編集者の手作業とか直感・経験とかにたよって、採否や配信期間の長短などがかわってくるのでは、それこそ問題だろう。■新聞・雑誌などとちがった、ポータルサイトのニュース配信がもつ意義とは、その平等性にあるはずで、それこそ、日本語やら英語やらでウェブ上に配信された記事を淡々と収集する時空にならないと、まずかろう。

■もちろん、森健グーグル・アマゾン化する社会』(光文社新書)が問題視するような、さまざまな矛盾・おとしあなが、たくさんあることも事実である。■なぜなら、これら「大衆」の「主体性」は、タバとなったとき、人気投票的な なだれ現象として、グロテスクな結果をうむことがあるし(郵政民営化選挙)、ロバート・K・マートンが指摘した“マタイ効果”は、科学者集団の業績競争だけではなく、およそ資本主義的な資源の移動全般について、かなり あてはまるからである。■ニーチェ・オルテガ流の差別的な大衆社会論と 一見かぶってしまうが、大衆的な人気投票の集積は、おおくのばあい 「こまった結末」になりがちだ。過密過疎・環境負荷・資源浪費・イジメ……、巨視的・微視的な あらゆる規模で。■そういったなかで、検索エンジンを介した情報格差拡大=「マタイ効果」とか、ウェブ・インフラの整備状況やアクセス条件の格差がもたらす、政治経済的格差やユガミなどをふくめて、「大衆の集合的英知」とか、「主体性」などをソボクに期待するのは、まちがっているだろう。なにしろ、官僚などもふくめて、被害者意識にコリかたまる大衆のひとりでしかないんだから竹内啓“無邪気で危険なエリートたち”)。そういったカンちがい層以外の「一般人」が、まっとうであればいいんだが、特権ではなくても、既得権をいろいろかかえた大衆が、社会全体にとってのバランスをかんがえた公平な見地を維持するのは原理的に困難だ。■かれらが「主体的に選択」する、ニュース報道が、かたよっていない、とか、総体としてはバランスがとれている、なんて保証はどこにもない。

■ちなみに、ウィキペディアの編集過程・結果の信頼度が問題視されるということは、以前もかいたとおり、媒体の限界というよりは、権威主義と批判精神の問題の次元だが、せなかあわせの構図として、「ニュースは総体として客観中立的な情報たりえるか?」という、かなり ゆゆしき問題となる。■田中宇氏が問題化した、「ハイパー独裁」問題などもからんで、ウィキペディアどころの次元ではない大問題が、実は伏在していることになる。ヤフーをはじめとして、複数の媒体を並行的に同時配信しているという ふれこみは、以上のような問題として、真剣に正常化がはかられねばならないだろう。
■なにしろ、スポンサーがつかないような情報発信は、超マイナーで、ウェブ検索ではひっかかっても、ニュース検索からは除外されているわけで、大衆の関心が、キイワードという具体的な情報として結晶化していないかぎり、「存在しない」かのように あつかわれる宿命にあるからだ。■それは、前回かいた「他者への配慮」「関心」問題とか、以前「「検索結果」を、パレートの法則と 「ロングテール」から かんがえる」で提起したような問題と カブる。それ相応のカタマリとして、大衆的な関心が、キイワードとして結晶化するまで、「問題は存在しない」のである。■しかも、うえでのべたとおり、特権や既得権をかかえた「大衆」は、おのれの利害の無自覚な合理化を「権利」「公正」と信じるだろうから、「関心」「配慮」という次元での「人気投票」で、公平なはずがない。たとえば、移植の正当性をうたがわない大衆が、たまたましった幼児の手術に きまぐれで賛同するけれども、日本人NPOが活躍している第3世界現地への募金などには、エラく冷淡というか、無知であるといったアンバランスを、ふりかえればよい。


■そうかんがえると、人気のあるブロガーの影響力は無視できないと、つくづくおもう。もうすでに、一部では、カリスマ・ブロガーが、たくさんうまれていて、それらは「小さな神々」だろうが、政治経済状況次第では、危険なカリスマ・ブロガーが、ルワンダ内戦をあおったラジオ放送のような、おぞましい影響力を行使することだって、ありえると、準備をしておくほかない。■いまのところ、こういった「小さな神々」は、「信徒」たちを分有していて、あくまで「小衆」レベルにとどまっては いるんだが、だからといって、あまくみてはいけないとおもう。■基本的に社会を改善(矛盾を是正)する方向で影響力を行使するカリスマがでるだろう一方、「人気投票」的に信奉する大衆が、意図的にユガんだ認識をすりこまれたりすれば、そこに権威主義への警戒感が作動しないだろうことをかんがえれば、巨大な擬似宗教的作用として、とめることが困難になるという、ぞっとするようなシミュレーションがなりたつと。

■これらの問題は、英語媒体しかよまない一群とか、情報インフラ自体が存在しない地域の一群とか、うえで暗黙のうちに前提としておいた「日本列島上」という空間以外との「格差」「ミゾ」って問題も、当然からんでくる。■いや、日本列島上だって、英語媒体しかよまない一群は大量に集住している。大都市部とか米軍基地内とかにね。一方、生活するだけで手一杯の移民労働者などは、ネット環境なんて とんでもない、って実態があるはずだ。くちコミと、ときどき てにはいるポルトガル語新聞だけが、情報源といった状況のばあい、かれらが日本列島上で いきぬくだけでも困難だろう…とかね。


■これら、いろいろな意味で、「ネット社会の情報格差」という課題は、おそろしく多様で深刻な問題にきづかせてくれる。



●旧ブログ「ロボット/マクドナルド/アマゾン
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タグ : 検索エンジン ポータルサイト ハイパー独裁 1984年 真理省 情報格差

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コメント

初めまして!

興味深くエントリーを読ませていただきました。

>ヤフー・ニュースが、「これがおすすめ」系の序列化をはかっているなら、「ポータルサイト」として矛盾している
これは確かにと思う反面、人の手を
入れる事で『グーグル・アマゾン化する
社会』で指摘されている様な問題を回避
し、推し進めれば『1984年』的な
全体主義社会を避ける為とも考えられます。

市場経済同様、「人の手を入れる事」がタイヘン

ちぇこさま

■最初「ちえこ」にみえたので、あやしい かきこみかと誤解してしまいました(笑)。

■それはともかく、情報アクセスの諸矛盾については、市場経済同様、「人の手を入れる事」がタイヘンというのが、大問題だとおもいます。■思考過程の外化・記録化とはいえ、本文で、グダグダかいたのは、そういった、やっかりな課題がいろいろありそうだという、直感があったからです。
■せっかくですので、おかきになった文へのコメントを、おかえしします。

http://blog.livedoor.jp/hiropon1984/archives/51330587.html
「沈黙の螺旋」
自分が優勢と認知した人はより声高に、劣勢と
判断した人は孤立を恐れて沈黙する。 その結果
優勢意見はより優勢に、劣勢意見はさらに少数になる。
 

うん。。。
言いたい事は分かるんだけども、どーにも
根拠が薄弱で納得しきれない部分が多い。


 ↑ 掲示板では、極端な議論が突出してめだってしまい、良識のあるひと、まともな感覚のひとは、だまりこんでしまう。ネットいなごによる炎上もそう。「悪貨が良貨を駆逐する」典型例でしょう。「こんな すさんだ空間にでていくのは損」とばかりに、良識はひっこんでしまう。■しかし、その結果、文脈のウラがよめない層にとっては、極端な議論ばかりが優勢にうつる、すさんだ空間だけが「実在」すると誤解する。…■ネット右翼などが、カンちがいしたまま「強気」なのは、こういった こまった悪循環=自浄作用の機能不全の産物だとかんがえられます。■自由主義を信奉する経済学者が、結局のところ「市場」の暴走=自浄作用の機能不全を説明できないように、言論や情報の解放・民主化を保証する制度は、なかなかむずかしそうです。

●「フィルタリングによるインターネット規制リスク=「1984年」的空間」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-498.html


Web2.0が到来し、双方向が実現し、
誰しもが発信者になれる様なシステム
には確かになった。現にブログ人口は
06年3月には900万近く達している。
でも現在その内のどれだけがちゃんと
更新されているだろか甚だ疑問だし、
そもそも日記のレベルを超えないモノ
の方が多いと思う。ブログに限らず
mixiでもTBとかレビューを書いたり
出来るけど未だ未だ利用している人が多い
とは言い難いし過渡期なんだと言うのが実感。


 ↑ ■以前「ブログ大国としての日本列島」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-233.html)では、「積極的なブログ運営となれば、いまだに 多数派とはいえないのに、それでも世界最高水準の投稿量ということは、以上分析した言語使用者数のあつみからすれば、運営者ひとりひとりが実にマメに更新しつづけていることの証拠だ」と私見をのべておきました。それが妥当かどうかはわかりませんが、更新されない「幽霊ブログ」をわりびいても、この列島の「日記」文化がウェブ空間という、負荷の激減によって、爆発したというのは、否定できないとおもいます。■もちろん、その「質」については、実名によって責任をとろうとする米国などとちがって、それこそ玉石混交かもしれません。■しかし、匿名ゆえの自由な発信という可能性も否定できず、それら複雑な構造もふくめて、自浄作用がどの程度機能するか、興味ぶかいところでしょう。

●「言語別ウィキペディア記事数(社会実情データ図録)」(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-220.html

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