プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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「知のカラオケ化」再考=複製技術の産物,大衆社会再考6

■旧ブログでも、何度かとりあげたが、哲学者の黒崎政男先生、ニーチェが、大衆的読者の動向を意識した著作者があらわれたら、それら書物は腐敗すると いまいましげに予言していたことをうけて、現代の複製技術の進展が「知のカラオケ化」なのだと、おっしゃった(『デジタルを哲学する―時代のテンポに翻弄される“私”PHP新書)。
■これは、ウィキペディアの信頼性問題として、旧ブログでとりあげたこととも、からむが、非専門家が自由に情報を編集加工・発信することは、そんなに わるいことなんだろうか? ■「大衆うけ」することによって、あえて乱暴な情報発信をしてしまう。自分の信念にウソをつく。「大衆うけ」による集金作業がチラついて、情報生産に専心できなくなる。…等々をかんがえれば、「ベストセラーねらい」という、出版資本主義の全体構造は、テレビ番組の低俗化と同様、なげかわしい現実であり、放置できない気もするのだが、大衆が自由に情報発信することは、はたして、よろしくないのか? 大衆は、おとなしく発信などせずに、ひたすら収集・消費に専念すべきなのか? ■勝間さんたちが強調するとおり、書籍の刊行には編集者というチェック機能がついているから、信頼度がたかいというのは、一般論としてただしいだろう。黒崎先生も、クリックひとつで世界に配信できてしまうという、しきいのひくさを危惧していらした。まあ、そのとおりだ。
■しかし、そういった玉石混交ぶりは、書籍だって大同小異だとおもう。大書店の ひらづみベストセラーものの耐用年数は、どの程度なのか? はっきりいって、数年もたないもの、なくたって、だれもこまらないものが、ほとんどではないか? 要は、大衆の知的水準をみくびった編集者による、マーケティングの産物として、大規模な広報・ブランド化ができたものは、なかみが どんなに空疎であろうと、そこそこうれてしまう。■タレント本とか、政治家本の大半が、その極致だろう。数年たったとき、単なるゴミでしかない、クズ同然の刊行物のヤマ。
■その意味では、著者のブランド化をみぬく読者の眼力さえあれば、書籍もブログも大差ない。タダであり、かつ 作者のがわのコストが ちいさいという点では、ブログなどが、圧倒的にすぐれているいうほかない。
■「知のカラオケ化」が問題視されるが、しろうとに マネされてしまう程度のプロの力量のひくさこそ問題だろう。■その意味では、アマチュアによる タダの記事にまけるような書物は、きえていい。かりに、過当競争というべき、やすうり合戦の態をなしているにせよ、アマチュアが、ボランティアで タダ記事をかき、それが相当の質・量をしめしている以上は、プロはそれにまさる質・量を最低限とし、しかも、「カネをはらってもよみたい」と、おもわせねばならない。
■いや、もともと出版資本主義が成立するまえの刊行物は、パトロンがいないかぎり、ボランティアによる著作+写本だった。■ブログは、その巨大な大衆版をなりたたせた、空前の技術なのだ。
■そうである以上、ますます、読者は「選球眼」をみがくしかないし、プロは、文章修行とマーケティングをこらすほかない。■これまた、複製・転送技術の空前の産物なのだ。

■書店で たしかめられない高額書籍は、ハイリスク・ハイリターン、公共図書館やウェブ上で ラクラクたしかめられる情報は、ローリスク・ローリターン。■利用者は、それぞれの特性を充分理解したうえで、適切なつかいわけをしないと。■「学位論文・学術書の知的誠実さ3」などでのべたとおり、てまひまかかっているはずの学術書が、一般読者にとって有益な典拠となるかどうかは、あやしい。それは、理解できそうにない、という、しいきの たかさだけではなく、業界の うちわうけしか、ねらっていない マニアックな本がおおいからだ。■もちろん、市場原理にのらない本も、どうにか刊行されること自体は、わるいことではないのだが、それらが、タダ情報である、ウェブ上のブログなどの数千倍にあたいするかどうかは、微妙だ。

■つまり、「市場性」があるようにみえるベストセラーの大半がクズかもしれないのと、うらがえしに、「市場性」を超越しているかにみえる高額学術書の相当部分も、のこされるべき価値があるか微妙なものがおおい(本当に よみたい=よめる、極小のマニアのためだけの、オンデマンド出版が最適か?)。


●旧ブログ「知のカラオケ化」関連記事
●旧ブログ「複製技術」関連記事
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トンデモ本

強制連行無かった派の文化人の出す本にも編集者がついているから、書籍の質が高いかどうか。

ネットの問題点は多々あるというのは首肯しますが、出版文化とネット文化を比べて「危惧する」というのは、問題設定が変だとおもいました。
PHP新書の編集者のセンスが素人なんじゃないかしらん。

権威主義と信頼度

■ウィキペディアの信頼度が問題になったけど、すくなくともイングランド語版の自然科学の記述を、ウェブ版エンサイクロペディア・ブリタニカとくらべたら、大差なかった、という調査結果を、イギリスの科学雑誌『ネイチャー』が発表して騒動になりました。■水俣病などの疫学的構造を隠蔽しようとした御用学者など、事実をネジまげてきた知識人はたくさんいるわけで、経済的・政治的利害と直結する法経分野などのばあいは、利害を合理化するために論法が「洗練化」してきたとさえいえそうです。
■要は、利用者の権威主義の問題なわけです。「ご利用は自己責任で」ということにつきるわけですね。そのヘンは、以前紹介した『幻想としての人種/民族/国民』(http://www.sangensha.co.jp/allbooks/index/224.htm)が、リスクを承知のうえで、批判的に利用するという実践例を提示しています。

■ただし、勝間さんや黒崎教授たちが、ウェブサイトのしきいのひくさを、充分な編集をへない粗製乱造・玉石混交をもたらす構造的要因とみなしているのは、まちがっていないとおもいます。■むしろ、黒崎教授などのような、ディジタル文化のすごさを承知している御仁にして、大衆社会に対する、ぬきがたい拒否感がある点が重要だろうと。

■ウェブサイトと比較して、おそらくリベラル左派文化を代表するとみなされている岩波書店のばあい、権威主義の象徴的な存在でしょうが、「優秀」な編集者がチェックをいれているはずが、たとえば『鈴木孝夫著作集』(http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/09/0/092311+.html)などは、議論(過去の著作ばかりですが)のおおくが、トンデモです(笑)。その意味では、「強制連行無かった派の文化人の出す本」ほどひどくないとはいえ、岩波文化も疑似科学を権威主義的にタレながしてきたと。■歴史的な経済学者ジョーン・ロビンソンの「経済学を学ぶ目的は、経済学者にだまされないようにするためである」という皮肉は、情報弱者のおかれている状況に対する冷酷な指摘ですが、正論ではあります。■知識人の責務には、情報弱者をだまそうとする「経済学者」の疑似科学性を暴露する営為がふくまれるでしょう。市場原理主義が、おそらく意図的に無視してきた、情報流通の不均等と同様、情報弱者が「自己責任」論で、放置されたのでは、たまりません。

■良質なオープン・ソースと、詐欺商法的な高額商品が対比される時代がきた現在、こういった議論がごくあたりまえにかわせる条件がそろったと。■あとは、具体的な対処法、破綻のすくない制度化をどうするかですね。

■ともかく、生活保護法や労働基準法を平然と違反する行政・経営の実態がある以上、タダで利用できる疑似科学破壊装置の整備が急務でしょう。■これからの学校は、そういった 有益なタダ情報をいかに収集するか、権威主義にまもられた疑似科学や詐欺が、いかに「おとしあな」として遍在しているか、そういった具体的な指南と、護身術的なトレーニングといえそうです。

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