プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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優先順位/存在証明/自己実現/自己満足8(他者への配慮)=「ムダ」とはなにか47

■アルファ・ブロガーとかよばれている御仁の過去の文章を発見。「「いい加減にしろ!」、鬼頭莫宏『ぼくらの』批判」という文章経由。

“人の命が平等でも、人の注意は平等になりえない”
これ、私も時折考える問題なのでメモ代わりに。

人の命は平等じゃないんだもの。 - 猿゛虎゛日記
8人死亡を伝えるな、とはもちろんいいません。しかし、もっと「どうでもいい」ニュースも入っているので、やはり理不尽さは感じます。

仮に人の命が平等だとして、誰もが誰もを平等に扱わねばならぬとしたら一体何が起きるだろうか。

人の一生を80年とすると、秒に直すと2,524,556,160秒(一年=365.2425日で換算)。25億秒だ。これに対して、世界の人口は現在およそ66億人。ある人が別の誰かを「扱う」時間は、平均で0.38秒しかないということになる。産まれてから死ぬまで、一瞬も寝ないとしてもこの数字なのだ。

何かを見て手足のどこかを動かすのに最低0.2秒ほどかかるのでこれを「一瞬」とすると、0.38秒というのは生理学的にはだいたい「二瞬」ということになる。先ほどの数字を、「一生」から「成人が目覚めている時間」として、それが一生の半分だとすると、誰かが誰かを「扱う」のに使える時間は、平均すれば「一瞬」しかないことになる。



だから、先ほどの「一体何が起きるだろうか」の答えは、「誰も成人することすら出来ない」となる。全人類を平等に扱う親が、子に充分な時間を割くのは不可能だろう。人を平等に扱うには、まずもって人が多すぎるのだ。だから人は自分にとってより身近な人により多くの時間を割くしかないし、実際にそうしている。人は大事な人とそうでない人を不平等に扱っているからこそ生きていられるとも言える。

このこと自体は、「人の命が平等でない」ことを全く意味しない。ただ「平等に扱えない」というだけだ。これは人の命を夜空の星に例えて説明するのがいいだろう。仮に全ての星の大きさが太陽と同じだとする。それでは夜空の星は全て太陽と同じ明るさで見えるかといえばそうはならない。近い星は明るく、遠い星は暗く見えるだろう。そして、あまりに暗い星は見えず、あまりに明るい星はあなたを丸焼きにする。

多くの遠くの星を見るのか、それとも少ない近くの星を見るのか。どちらを選ぶにしろ、「一生を通して目にすることが出来る星からの光の量」はそれほど個人差がないのではないか。私は、それを「生涯注意量」、Lifelong Attentionと呼んでいる。

「注意を払う」と言う。英語でも pay attention と言う。社会というのは、つまるところ誰にどれだけ注意を払うかということで出来上がってように感じる。そしてそこには同じ死であっても、より注意を引きやすい死とそうでない死が確かにある。そして「この死が重要だ」と叫ぶ人の数はあまりに多く、しかも時代を追うごとに増えている。

これがまだ知り合いが100人ぐらいしかなく、それ以外の人の声を聞きようがなかった時代は、「どの死を優先して扱うか」という疑問は質問にすらならなかっただろう。せいぜいその疑問に悩むのは、「普通の人」には手に入らないほどの注意を集めている為政者などに限られていたはずだ。しかし、今ではそれを避けて生きることは実に難しい。

理不尽、すなわち「理が尽きない」というよりは、情が尽きてしまうのだ。

TVやネットを通して目にし耳にする「知り得なかったはずの他者の死」に対し、我々はどれだけの注意をどのように払ったらよいのか。例えば中東の爆弾テロと、ペットの病気とどちらがより重要な問題なのだろう。あるいは、この24時間以内に亡くなったはずの約3,000人の日本人の命は? 毎年100万人以上の日本人が死ぬが、その死のほとんどは遠い国の「ニュースになる死」ほどの注意を集める事はないだろう。

私にはわからない。私にわかるのは、何かに注意を払うと別の何かに払う分がなくなる、ということだけだ。

誰と生きるべきか、死ぬべきか、それが問題であり続ける。
……

--------------------------------------
■これって、「人の注意は有限、という当たり前のことを再確認してるだけですね、これ」という、コメントのとおりだとおもう。■要は、いろいろグダグダかきつらねて、かんがえているフリしているだけ。ものすごい偽善=合理化(正当化)だとおもう。
■一個人が現実的にはらえる配慮・関心の質/量(≒ふかさ/ひろさ/時間)が、現実的に、ものすごくかぎられていることは事実。そこで、事実=現実として、「優先順位」ないし「偶然」による「取捨選択」がなされていることもたしか。■でも、そんなことを ことさらに再確認したって、「だから、しかたがないんだ」って、なにも しないこと、なにも できずに この一瞬を 自分の選択以外にさかなかった現実を正当化できるもんじゃない。■自分のいのちとか、おっている責任以外に、たまたま さいている時間・関心なんてのは、おびただしくあって、それを いちいち正当化することなんて、それこそできないんだが、だから「しかたがない」では、みもふたもない。
■「誇大妄想にはしらず、冷静に現実を直視せよ」という計算は いいとして、「しかたがない」「どうしようもない」「ひとの人生・能力には限界がある」などと、ごたくをならべて正当化したって、なんにも意味がない。

■なんで、ここまで断定してよさそうな直感がはたらくかといえば、「人の一生を80年とすると、秒に直すと2,524,556,160秒(一年=365.2425日で換算)。25億秒だ。これに対して、世界の人口は現在およそ66億人。ある人が別の誰かを「扱う」時間は、平均で0.38秒しかないということになる。産まれてから死ぬまで、一瞬も寝ないとしてもこの数字なのだ」という、「算数」のもちだしかたね…。■だれが、一神教の全知全能の神のように、世界中のひとりひとりに、平等な視線をあびせるなんて要求をするだろうか? いや、そういった理念上の神だって、ヒトには「平等な視線」をなげかけるかもしれないが、ヒト以外の生命体には、歴然とした序列をつけて手段化しているでしょ?(なにしろ、ヒトを神のにすがたにして、唯一の意義ある生命体としたという、やたらと人間中心的な神なんだから〔笑〕)。
■それはともかく、こういった「機械的平等」的な計算をわざわざする神経って、どうみたって まもりにはいっているんだよね。たまたま注意をはらっている存在への時間配分・熱意とかを正当化しようっていう。
■だから、「私にわかるのは、何かに注意を払うと別の何かに払う分がなくなる、ということだけだ。…誰と生きるべきか、死ぬべきか、それが問題であり続ける」なんて、哲学っぽいセリフには、ダマされない。■偶発的に関心をはらっている取捨選択を、わざわざ、こういった「算数」をもちだすことで、合理化し不安をぬぐいさる行為を、内心でとどめるならともかく、有名人というたちばを利用して「布教活動」しているわけだ。「『自己チュー』でなにがわるい?」って、ひらきなおり思想ですよ。これは…。それを、カッコよさげに演出しているだけ。■「何かに注意を払うと別の何かに払う分がなくなる」ってセリフは、ミヒャエル・エンデの『モモ』にでてくる「灰色の男たち」が ささやきつづけた「時間の節約」「貯蓄」ってのと、通底している。■博愛主義者であるはずの、キリスト者 ブッシュ前大統領などは、たとえばイラクやアフガニスタンなど「諸外国」について、「注意」や「配慮」や「関心」の軽重・長短を、さぞや 「冷静」につけたことだろう。そこでの「政治判断」を正当化しようとしたって、被害者たち、混乱のもとをいきのびているひとびとは、ゆるすはずがなかろう。「諸外国」にかぎらない。「ハリケーン・カトリーナ」への「配慮」ぶりだって、そうだった。貧富の差の拡大傾向の放置どころか強化だとか、それはそれは、おびただしくね。



■ともかく、自分と 心理的・政治経済的に ちかしい存在にしか、われわれは、関心をもたない。そういった、実に 卑劣で「自己チュー」な存在であるという、ある種「原罪」めいた現実を、ひらきなおるのではなく、直視するということ。
■世界中の巨視的・微視的な現象=「理不尽」について、間接的な共犯関係にあるかもしれないという、「原罪」感を つねに、おもいおこすこと。



●「優先順位/存在証明/自己実現/自己満足」関連記事
●「『モモ』(ミヒャエル・エンデ)に でてくる「灰色の男たち」=「ムダ」とはなにか40
●旧ブログ「「ムダ」とはなにか」シリーズ
●ブログ内「「ムダ」とはなにか」関連記事
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