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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
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「外国人学校への公金投入は違反」?

■法律適用の形式的合理性だけ追求=官僚の自己満足は、法務省の出入国管理だけではない。
■サンケイ系の先月中旬の記事をはりつけておく。

岐阜県の就学支援策に“待った”
:
2009/01/20 00:00更新

■文科省「外国人学校への公金投入は違反」

 メーカーの「派遣切り」や期間労働者解雇の影響を受ける在日外国人労働者たち。失業した親が学費を払えないため、子供たちが外国人学校を退学するケースが急増している。外国人労働者が多い岐阜県が、子供たちが通う学校に学費補助をする計画をまとめたところ、文部科学省が「私塾の外国人学校に公金投入するのは憲法違反」とストップをかけた。差し伸べようとした支援の手が届かない現状に、同様の問題を抱える各地の関係者は頭を悩ませている。

関連記事
不況で学校に行けない ブラジル人児童…
淑徳大が1年分の学費免除 支払い困難…
 ブラジル、ペルー人学校は平成19年12月の統計で、全国で約90校、約7400人が通学していたが、昨秋以降、保護者が失業して退学するケースが増えている。実態把握のため、岐阜県国際課の調査では、昨夏には県内7校のブラジル人学校に約1000人の生徒がいたが、半年で約400人が退学していた。このため、同県は、失業で学費支払いが困難な家庭を対象に総額約1000万円の学費補助を公表。「個人給付をすると、家庭の生活費となり趣旨通りに学費に使われない可能性がある」と、外国人学校に支給する方法を採用することにした。

 ところが、県が文科省に報告をしたところ、同省が私塾に当たる外国人学校に公金投入することは「公金を公の支配に属しない教育事業に支出してはならない」とする憲法89条に抵触すると指摘。各家庭に直接支払う方式に変更するよう求めてきたという。岐阜県国際課は「公金投入の目的を確実に達成するために学校に支払うべきだ。国の杓子(しゃくし)定規な対応は、現場を分かっていない」と憤る。

 文科省も「外国人の子供への就学支援の必要性は認識している」と、年明けから外国人の多く住む静岡県、愛知県などから意見を聞くなどして対策を検討しているというが、「支援対象は個人が前提。憲法を改正しない限り、学校を直接支援することは不可能」とする見解は崩していない。

 外国人学校の退学問題は各地で起きており、近畿で南米系外国人が最も多い滋賀県では、昨年12月の1カ月で、外国人学校4校で計162人が退学。県は「岐阜県同様に事態を深刻に受け止めている」と、聞き取り調査や家庭への戸別訪問で現状把握を進め、支援策を模索している。

 また、市町村でもっとも在日ブラジル人が多い浜松市でも退学問題が起きているが「現時点では具体的な支援策は打ち出せていない」。浜松市の場合、6校あるブラジル人学校のうち、各種学校として認可されている1校については、年間約480万円(平成20年度)の学校運営補助を行っているが、私塾扱いの残りの5校については補助を行っていないという。

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■「個人給付をすると、家庭の生活費となり趣旨通りに学費に使われない可能性がある」と、外国人学校に支給する方法を採用しようとした岐阜県も杓子定規だが、「外国人の子供への就学支援の必要性は認識している」と、対策を検討しているとかいいながら、「支援対象は個人が前提。憲法を改正しない限り、学校を直接支援することは不可能」とする見解で、自治体に圧力をかける文部科学省も、ひどい。 ■別の媒体の記事では、つぎのような痛烈な批判がある。

……
 幼児教室の判例
 
 学校への直接的援助が有効なのは確か。それが憲法89条に抵触するというのは本当だろうか。
 考える材料となるのが、幼児教室への公金支出をめぐる東京高裁判決(1990年1月)。「私的な教育事業に対して公的な援助をすることも一般的には公の利益に沿う」とし、対象についても「各法(私立学校法など)による以外は許されないと解すべきものではない」などとして、支出は問題なしと判断、幼児教室に軍配を上げた。最高裁も同様だった。

 この例をぶつけると、文部科学省は「憲法に抵触する可能性があるので、そこを踏まえ自治体は判断してほしいと申し上げただけ。抵触するというのが文科省の最終スタンスではない」と答えた。
 幼児教室と今回の問題との違いは、通う子どもが日本人かブラジル人かだが、労働力として日系人を招いたのは日本政府。母語教育を認めなければ国際社会からの批判にさらされるところ、ブラジル人学校のおかげで、行政は公立学校に特別教室を設ける負担が軽減されていることを忘れていいのだろうか。
〔「就学支援 憲法の壁」『中日新聞』2009/02/12〕
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■抵触リスクを指導しただけで、自治体の自主的判断にゆだねているようなフリをしているが、だったら、うえの高裁・最高裁の判断もつけくわえなければ、おかしい。充分わかっていながら、しらばっくれたんじゃないか? あるいは、ホントは 完全にみおとしていたことをつきつけられて、ひるがえしたか?


“不況で学校に行けない ブラジル人児童ら文科省が支援へ”
“派遣の日系ブラジル人ら「解雇無効」と仮処分申請”
“景気悪化で解雇、日系3世男性の悲哀「私たちは部品じゃない」”
藤澤宏樹“就学援助制度の再検討(2・完)”」『大阪経大論集』第59巻第1号(2008年5月)
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コメント

「先を越された!」と叫びつつ、そして文科省に対する怒りに燃えつつ、拙ブログでもこの問題を採り上げました。TBが不通ですので、こちらで失礼します。

産経の記事を読む限り、抵触リスクの説明などなかったみたいですね。説明があれば、そもそも岐阜県が困惑することもなかったでしょうし、他の自治体が様子見することもなかったでしょうから。
何にせよ、このあたりの真相を野党が追及・解明してくれればありがたいのですが……。

リンク、ありがとうございます

●「【自公とともに、立ち腐れゆく日本】(2)レイシズム、ゼノフォビアと排外主義に毒された文科省」(http://ukiuki.way-nifty.com/hr/2009/02/post-c4b5.html
 ↑ ちと、表題が文化資本を要求しすぎかも(笑)。■亡国酒脳(もとい、某国首脳)は、文章よみあげ能力がウンヌンされ、ハラナ個人はクダランとおもっていますが、この表題は老眼鏡をかけてよんでも、したをかむかも…。ま、それこそ きょう あげた話題(「ネット社会の情報格差」)とかもふくめて、某国首脳近辺が、こういったページを参照することはないでしょうし、かりに公安警察系とかの情報収集をうけて、ご注進もうしあげる側近がいても、「高級」すぎて わからんでしょう。日本語の理解力・読解力というのは、多元的ですので。■たとえば、マンガ文化が どんなに高級であれ、マンガ家が参照・吸収してきた背景(多元的世界とその相互作用の経緯と社会的意味)をくもうとしないかぎり、自分たちの利害の合理化のための 世界観の つまいぐいに おわるだけでしょうから。

■ま、冗談はさておき、「天皇メッセージ」しかり、在沖駐留米軍の集中ぶり、しかり、日本の政治的支配層の違憲行為は、たくさんあります。■ご指摘のとおり、幼児教室への公金拠出は合憲であるとの判断は、判例として定着しているとおもわれ、これら重要な司法の動向を官僚がしらないはずもなく…。

http://tactac.blog.drecom.jp/archive/813
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/367

など、旧ブログでも、朝鮮学校への攻撃と、公益性については、のべたことがありますが、おそらく役人たちは、「外国人児童の教育は公益ではなく、私事」などと、「児童の権利に関する条約」が日本国内でも94年から機能している、なんてこともふくめて、しらばっくれるつもりでしょう。■外国籍児童の学習権保障について、自治体が責任をもつといった判例がない以上、公金支出しないことがアンバランスであるという主張をかわすことができる。「判断は、みなさん自治体関係者にゆだねる」とだけ、いいつのれば、政府は責任転嫁できると。■こういう、ずるがしこい判断が高速計算されたのでは…。こんなところでばかり、アタマがまわるのは、あまくだりの算段とならんで、公僕の趣旨に反するとおもうんですけど…。
■企業の社会的責任などが、ようやくウンヌンされる時代になりましたが、政官財の相当部分は、ハレンチ・厚顔無恥・感覚マヒの3拍子そろってこそ、出世競争の勝者になりやすいのでしょうし、そこに精密なモニタリング能力は不可欠としても、「このヘンでのズルは、指弾されない」というヨミがなければ、あれだけ不誠実な言動はくりかえせないでしょう。■「美しい国へ」…。皮肉な事実ですが、コピーだけは、ただしい(笑)。

政教分離

 外国人学校の支援より、米軍基地内の教会を「思いやり予算」で建てていることのほうが気になりますねえ。

「思いやり」は如意棒のようなもの

1978年6月、金丸信防衛庁長官が、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部(62億円)を日本側が負担すると決めたことから始まる。日米地位協定の枠を超える法的根拠のない負担に対して、円高ドル安などによってアメリカの負担増を考慮した金丸が、「思いやりの立場で対処すべき」などと答弁したことから、思いやり予算と呼ばれるようになった。
……
1978年 - 在日米軍基地日本人労働者の福利厚生費の一部を負担開始。
1979年 - 同労働者の給与の一部を負担開始。提供施設の整備が始まる。
……
思いやり予算の内訳は在日米軍基地職員の労務費、基地内の光熱費・水道費、訓練移転費、施設建設費などである。 思いやり予算の開始当初から2006年までに日本が負担した駐留経費の総額は3兆円に及び、その額の多さから、日本は「世界一気前のいい同盟国」と揶揄される一方で、「重要な戦略的貢献となっている」とアメリカ政府に評価されている。
ベトナム戦争後のアメリカ経済と財政が不振だった時代に創設された制度にも拘わらず、アメリカで「インフレ無き高度成長を成し遂げた、戦後最大最長の好景気の時代」といわれた1992~2000年のクリントン時代も増額され続けてきた。
1990年代にから娯楽・保養施設、果ては日本人従業員に貸与される制服や備品(つまり兵器・将兵への給料・装備品といった物以外全て。施設内ハコモノなど)までも思いやり予算で処理されている事が指摘され、近年にはさらなる「不適切な支出」が明らかとなり、見直すべきとの声……
」(ウィキペディア「思いやり予算」)

■基地内・周辺が事実上「治外法権」である以上、外国軍の宗教施設用に拠出しても、政教分離原則に違反するといった拘束の論理は、ふきとぶと。いや、「外国」勢力だからこそ、政府が どんなに 宗教的な拠出であろうと、問題なし、ということなのでしょう(笑)。
■下品な比ゆをもちだすなら、愛人に みつぐためには、ひもじがる わが子も平然と放置するのも当然と。ましてや、猟犬などの エサは 最後。なにしろ、アメリカ国民 >> 日本国民 >> 外国人労働者という、歴然とした「身分」格差があるのですから。■政官財エリートにとっては、至極当然な序列意識でしょう。そのばあい、憲法解釈などは、如意棒のように伸縮自在になります。政府・自民党の予算配分は、もともと、そういった恣意的な原理で 「くばられて」きたのですし。

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