プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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2008年1月1日

■昨年2007年は、日本列島にかぎっても、なにかとおちつかない1年だった印象がつよい。

2008年というのは、十進数的な観点からは、ほとんど無意味だ(おそらく、「平成20年=天皇在位20年目」とか、「慶應義塾創立150周年」といった、一部のひとにしか関心は共有されないだろう)。■しかし、閏年であるとか、干支の「戊子(つちのえ ね) 」といった意味、夏季オリンピックがひらかれるとしにあたるとか、アメリカ・ロシア・韓国などで大統領が任期をおえて、次期大統領にひきつがれる選挙・儀式のとしにあたるなど、60年周期・4年周期にあたる。

■ちなみに、現在の太陽暦上の1月1日ってのが、天体の運行上なんの意味もなく、だからこそ
紀元前153年 - 共和政ローマにおいて、年始の日と定められる。
紀元前45年 - ユリウス暦が使われはじめる。

といった記述をよまされても、「皇紀:2668年とか、檀紀4341年みたいな無意味さはないし、それなりにながい歴史があるんだね…」とはおもうが、カレンダーやマスメディアによる、しきりが存在しなかったら、なんら ありがたみが感じられない、というか、「しきり」の存在を絶対に意識できない1日であることはいうまでもない。
■ま、「協定世界時」とやらを軸に、淡々とかきとられていく「日付と時刻の表記に関する国際標準規格」とか、世界の時刻体系が連動・展開していく体制のもと、太陽と地球の位置関係をもとに、もっともな起点(しきり)を設定しなおすのは、ムリなんだろう。■つまりは、時間的な「しきり」なんてのは、ある意味どうでもよいもので、ブレなきゃいいってことなわけで…。


●「冬至・天皇誕生日・クリスマスイブ
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