プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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気色わるい沖縄論【加筆あり】=「ムダ」とはなにか44

■批判しないでおいてはまずい沖縄論については、旧ブログで たとえば「多田治,沖縄イメージの誕生」とか、いくつか かいてきた。高良倉吉さんら、当事者による“沖縄イニシアティブ”についての批判など、部外者としては、ですぎたマネまでね。

■実は、昨年、沖縄関連の重要な刊行物が たくさんでていて、このブログでも とりあげて当然のものが それこそ、めじろおしなんだが、最近、沖縄関連本をちょっとよんでいたら、実に気色わるい文章に、いくつも であってしまった。■なので、とりあげる文献が たくさんあるんだけど、気色わるさを清算するために、いくつか かきとめておこう。

■まずは、河原俊昭編『自治体の言語サービス 多言語社会への扉をひらく』(春風社)所収の、第8章 沖縄県の言語サービス政策についての一考察」(樋口謙一郎)という論考。■そこには、つぎのような一節がある。

 2000年には九州・沖縄サミット首脳会合を機に、沖縄市企画課が『明日に向かって―沖縄市・アメリカ交流の歴史―』というカラー冊子(パンフレット)を日本語・英語で発行した。沖縄市の文化、自然、芸能、教育、スポーツ、物産、沖縄の戦後史を幅広く紹介している。
 なお、同冊子中の仲宗根正和沖縄市長の言葉は、沖縄と米国との関係をよく示しているので、ここで紹介しておこう。



「米軍基地に隣接する沖縄市は、県内外から生活の糧を求めて集まってきた多くの人々で賑わいと活気にあふれ、自由で開放的、国際性に富む気風を育んでまいりました。/それはいみじくも自由と平等を尊重し、民主主義を何よりも大切にするアメリカ合衆国の気風であり、アメリカとの交流の中で沖縄市民が学んだ豊かで貴重な文化でもありました。〔…〕我が沖縄市には、良き隣人として50年余にわたって築き上げてきたアメリカ合衆国との信頼と友情があり、その経験は、アジアをはじめ世界の国々との交流にも必ずや役立つものと確信しております」。
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■現在は、東門美津子市長にかわっているが、当時の市長の主張を、ホームページ上で公開しつづけているのだから、行政組織としての連続性というか、継承がなされているのだろう。■しかし、この前市長の発言は、あくまでも、対外的な公式見解≒タテマエであって、これをもって「沖縄と米国との関係をよく示している」などと、シャアシャアと引用できてしまう、著者の感覚には、しょうじき ビックリだ。
■「自由と平等を尊重し、民主主義を何よりも大切にするアメリカ合衆国の気風」という美辞麗句を、たとえばオバマ政権成立にむかってつかうならともかく、軍政下での琉球列島の「民政」やら「人権」状況にもあてはまるなどというのは、かなり キツい冗談のたぐいだろう。皮肉がききすぎている。■「「軍政府は猫で沖縄は鼠である。猫の許す範囲でしか鼠は遊べない」… という、いわゆる「ネコ・ネズミ論」」が、かりに講和条約以前の琉球列島の住民の現状に対する、善意からの「忠告」であろうと、「ねずみにたとえられ、猫の意欲次第でいつでもくい殺される立場にある、といわれて沖縄人がどんな心持でこの話をきくか、それがわからないようでは民衆の心理を把握すべき実際政治を指導する資格はない」などといった、じもと知識人の反発をよぶような発言。それが「自由と平等を尊重し、民主主義を何よりも大切にする…気風」に矛盾しないというのは、どうみたって ヘリクツというものだろう。

■してみると、「沖縄と米国との関係をよく示している」などと、と引用できてしまえる感覚は、歴史的経緯を無視する政治的意図があるか、歴史感覚が欠如しているか、どちらかとしか、かんがえにくい。■そして、こういった筆者による論文(?)を収録してしまう点だけとっても、本書の編集方針には、重大な疑義がうまれる。すくなくとも、信頼性という次元で、この論文の記述水準にとどまらず、本書全体が おっかなびっくり あつかわれる事態をまねくことは、さけられまい。

■よりによって、コザ暴動の舞台となった沖縄市である。いや沖縄市にかぎらず、琉球列島にとって、米軍との関係は、原理的に「平和的な隣人」同士ではありえない。恋人同士とか夫婦とか、一部例外はあるにしろ、基本は雇用者と被雇用者、支配者と被支配者、加害者と被害者、買い手と売り手、等々、あきらかな優劣関係がからみ、そこに平等な関係性は、なりたちようがないからだ。■前市長の公式見解だって、そこに かりに「基地容認派」の利害が反映しているにせよ、これまでの苦渋の歴史をふまえた、入念な政治的配慮の産物のはず。そういった歴史的経緯への知的緊張感ぬきに、首長の公式見解を不用意にあげてしまう研究者の倫理は、ちゃんと批判されねばなるまい。

■もともと、米軍関係者以外に 外国籍住民が少数で、自治体による言語サービスといったときに、ほかの労働移民集住地とか、横浜・神戸のような国際都市とは、異質な環境にあることは、筆者自身がみとめている。そんな地域をあえてとりあげ収録した編者ほか、刊行にたずさわったひとびとの見識もとわれるんじゃないか?■もしも、万一、《日本列島中の自治体を、なるべく 満遍なく とりあげたい》といった たぐいの方針で、沖縄がとりあげられたのだとしたら、これほど バカにした はなしはない。それこそ、そんな調査をおこなうヒマ・カネがあまっているなら、安保体制で濃度1000倍にものぼっている米軍基地の集中問題に、自分たちがどのようにかかわれるか、その政治性がとわれるというもの。あまっているヒマ・カネが、なぜ それら緊急の課題に無関係としかおもえない調査に投入されているのか、それ自体がとわれねばなるまい。
■ついでに、謝辞をおくられている 沖縄県の自治体関係者のみなさん。「関心をもっていただける『本土』の研究者は、とても粗末には…」といった、「毎度の おつきあい」系の配慮をされたのだとおもうが、それこそ、そういった「あまっているヒマ・カネ」に おつきあいする責務・意義があるんだろうか?■はっきりいって、直接の実害がないにせよ、現状の基地問題や失業問題などに、おそらく全然無関係だろう、こういった調査というのは、広義の「調査公害」の一種にふくめてよいとおもう。じもとからあつまる住民税や法人税はもちろんのこと、「巨大迷惑施設」おしつけの「代償」として 「ふってくる」助成金など国税のなかから、みなさんの人件費はひねりだされているんですよね? だとすると、そういった「あまっているヒマ・カネ」に おつきあいの時間にさかれた人件費も、米軍駐留経費と並行する、血税のムダではないかと、おもえてくるんですけど、ちがいますか?■ヤマトゥンチュが、こういった「広報」面での評価、税金のつかいみちに、くちだしするのは、それこそ おせっかいですか?


●旧ブログ「「ムダ」とはなにか」シリーズ
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