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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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植民地としての大学と大学人の自治権

富山大学発 日本の大学の危機(学長選考の異常さ)を全国に訴える会

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教職員の意向調査を無視した今回の富山大学の学長選考は
学問共同体としての大学に求められる
大学自治を蹂躙する暴挙である

全国の大学関係者のみなさんへのアピール

 昨年12月4日の富山大学学長選考において、富山大学学長選考会議(国立大学法人法の定める組織)は、その半数を占める学外委員を中心とする多数の力で、2回の教職員の学内意向調査(教職員による投票)でいずれも2割の支持しか得られなかった、第3位の現学長を再任しました。8割近くの教職員が不信任を突きつけた候補を、学長選考会議が、意向調査の結果を無視して学長に選出するようなことは、これまで国立大学では一度もなかったことです。私たちは、これは、単に一地方国立大学の問題に止まらない、国立大学法人法の下での今後の国立大学全体のあり方に関わる重大問題であると考えています。

 当然ながら、富山大学の中でも大問題になっており、12月10日には、人文学部人間発達科学部経済学部の教授会で、12月17日には、理学部教授会で、それぞれ教授会声明が出されています。12月26日には医学部教授会が要望書を、1月7日には薬学部教授会が要求書を、それぞれ提出しました。

 2003年に、多くの大学関係者の反対を押し切って制定された国立大学法人法は、各同数の、学長が任命した学外委員(経営協議会委員から選出)と、教育研究評議会が選出した学内委員で構成される、学長選考会議が学長を選考すると定めています。このように、国立大学法人法は、それ以前の、「教職員の選挙によって学長を選出する」という、大学自治を支える仕組みの根幹を突き崩したため、制定時の衆参両委員会で、「国立大学の法人化に当たっては、憲法で保障されている学問の自由や大学の自治の理念を踏まえ……自主的・自律的な運営の確保に努めること」という「国立大学法人法」附帯決議が採択されています。

 これを受けて、各国立大学が定めている学長選考規則では、東京大学京都大学のように、学内意向投票の「結果に基づいて」選考するように選考会議を縛っているところもありますが、他方で、富山大学のように、「参考にするために、本学の構成員の意向を調査することができる」と、「参考」に止めたり、意向調査をしないこともできる規定にされてしまっているところもあります。富山大学の学長選考規則制定過程では、「社長(学長)を選ぶのになぜ社員(教職員)が投票する必要があるのか」とか、意向調査の結果は「単なる参考だ」という学外委員の発言がまかり通ったのです。

 国立大学法人化後の学長選考では、滋賀医科大学、岡山大学、新潟大学、山形大学、大阪教育大学、高知大学、九州大学の7大学で、意向投票の第2位の候補を学長選考会議が学長に選ぶという事態が起こっています。しかし、これらの大学の場合は、せいぜい数十票の差で、富山大学のように、意向投票をまったく無視して、2割しか得票しなかった第3位の候補を選ぶという事例は、これまでありません。今回の富山大学の事態は、国立大学法人法の下では、学内意向調査を無視して、一握りの学長選考会議委員だけで学長を選考できるとする前例になるもので、今後、全国の国立大学に同様の動きが広がり、日本の大学における「大学の自治」とそれに支えられる「学問の自由」が一気に突き崩される危険性があります。

 富山大学学長選考問題が、単なる一地方国立大学の問題ではなく、国立大学全体、そして日本の大学全体における「学問の自由」、「大学の自治」に関わる重大問題であることをご理解いただき、「教職員の意向調査を無視した今回の富山大学の学長選考は、学問共同体としての大学に求められる大学自治を蹂躙する暴挙である」とするこのアピールにぜひご賛同いただき、下記のメール署名への署名とメッセージをお寄せいただきますようお願い申し上げます。また、このホームページのURLをお知り合いにご紹介いただき、富山大学で起こっている事態を、全国の大学関係者に広く知らせる取り組みにご協力いただきますようお願い申し上げます。

2009年1月12日

     富山大学発 日本の大学の危機(学長選考の異常さ)を全国に訴える会

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■実に異様な事態である。■メディアも一部はつたえている。たとえば『朝日』の記事。


富山大、お家騒動
 学長再選に6学部反旗


2009年1月15日

 富山大学(富山市)で昨年12月に再選された西頭徳三(さいとう・とくそう)学長に対し、8学部のうち6学部の教授会が異議や懸念を表明。その有志らが21日、学長選考を考える集会を開くことになった。次期学長を決める学長選考会議の前段階に、教職員を対象に実施した2度の意向投票では、3人の学長候補で西頭氏がいずれも最下位だったためだ。

 学長選考会議は12月4日にあり、出席委員20人の投票で西頭氏が11票を得て再選された。選考会議は、富山県知事ら首長や地元財界人ら学外の委員が半数を占める。

 西頭氏のほかに、大学院医学薬学研究部特任教授と大学院理工学研究部教授が推薦されていた。11月にあった2度の意向投票では、西頭氏はいずれも、1位に約200票離され、投票総数の約2割しかとれず最下位。ただし選考会議で、意向投票の結果は「選考の参考」とされていた。

 この結果に、8学部のうち経済、人文、人間発達科学、理学、医学、薬学の6学部の教授会が相次いで、「大差のついた意向投票の結果を前にして最下位候補を選任した決定は、他の国立大学法人でも類例はない」「大学の自治を著しく侵害している」などと、異議や選考方法の見直しを求める声明を出した。

 富山大は05年10月、旧富山大、富山医薬大高岡短大の国立3大学が統合してできた。西頭氏は旧高岡短大の学長だった。旧高岡短大が前身の芸術文化学部と、工学部は意思表明をしていない。

 文部科学省などによると、03年の国立大学法人法の制定以降、国立大学法人の学長選考に関する意向投票で、3位以下だった人物が学長候補に選ばれた例はないとみられるという。

 西頭氏は「新執行部は教職員の意見を踏まえつつ、大学改革を仕上げる大きな責務を負っている。この責務を全うできる体制を構築したい」と文書で続投を表明している。(雨宮徹)

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■要するに、反対をだしていない芸術文化学部=旧高岡短期大学は西頭徳三先生の出身組織、工学部は地元政財界からおくりこまれた学外委員の意向を無視できないってことだろう。


■しかし、「日本の大学全体における「学問の自由」、「大学の自治」に関わる重大問題」などと リキむ先生方、「全国の大学関係者のみなさんへのアピール」と正直に告白しているとおり、それは、「大学業界、っている、コップのなかの アラシ」と、ひややかな視線で黙殺されても、しかたがないような気がする。
■「学問の自由」、「大学の自治」っていう論理は、大学紛争時代にもさけばれたけど、たとえば慶応大学医学部が米軍から資金供与をうけていたとか、産軍学共同みたいな、左派系学生の批判をあまんじてうけるほかない体質をどう清算してきたか、って「宿題」と、せなかあわせだとおもう。■もともと、「学問の自由」、「大学の自治」っていう論理は、大学教員だけ特権的に知の自由が保障されて当然だ、みたいな精神が、ロコツに前面にでている。もちろん、大学人さえも知の自由が保障されなかったら、それこそ、治安維持法体制下やレッドパージ下の言論みたいなもので、その すぐうしろには、「真理省」『1984年』の世界が まちかまえている。北朝鮮がどうの、中国がどうのといった、ひとさまの国情をうんぬんしているばあいじゃなくなるってこと。


■しかし、「富山大学の学長選考規則制定過程では、「社長(学長)を選ぶのになぜ社員(教職員)が投票する必要があるのか」とか、意向調査の結果は「単なる参考だ」という学外委員の発言がまかり通った」などと、いきりたつのなら、四半世紀まえまで、学生も参加する学長候補の除斥投票制度が一橋大学にあったのに、いまは参考意見におさえこまれたなんて事実と、どう おりあいをつけるのかね? ■要するに、「学問の自由」、「大学の自治」っていう論理は、大学教員にだけ保証された特権的自治だなどと、うぬぼれた意識の産物であり、学生など大学構成員のことなんざ、ハナから排除していたから、こんな ハメにおちいったんでは?■一橋の職員・学生から除斥権をうばった論理は、「大学は国家・自治体が管理責任をもつ公器であり、学内の人間は、外部委員などもふくめた指揮・監督にしたがう義務がある」といった、むかし文部官僚や自民党文教族などがおしつけようとして、実際大学紛争時の自治能力不足をついて まんまともちこんだ論理と、ほぼ同形だ、って自覚があるんだろうか?
■いいかたをかえるなら、小中高校の教員配置や校長など管理職の配置は、教育委員会の専権事項であり、生徒や保護者、地域住民、勤務校の教員たちの、ものではない。…といった、実際、公教育では、ごくあたりまえに うけいれられている論理が、なぜ大学だけ別格で自治権が保障されねばならないのか? って疑念と、うえの問題は、「せなかあわせ」なんだ。■国立大学の先生方は、そういった自覚があったんだろうか? いや、あったのに敗北してしまった世代は、とうのむかしに全員ご退職なのか?

■世間のおおくは、大学教授の先生方を、権威主義的にあおぎみる。しかし、文部科学省が、その予算規模はおくとして、旧文部省・旧科学技術庁時代から「二流の官庁」の典型であり、メジャーな省庁にいけない人材によってしめられきた事実もふくめて、大学人の位置づけは、政官財のパワーエリートたちからして、とてもひくいものだ。官僚なんてのは、学歴はひくいくせに、大学人を完全になめきっていて、≪自分たちの作文のために利用する素材≫程度の意味しかみいだしていなかったことは、梶田孝道テクノクラシーと社会運動――対抗的相補性の社会学』(東京大学出版会, 1988年)などで、20年もまえに指摘ずみの構図だ。
■その意味では、大学は、知の最先端みたいなフリしてきたけど、その実、政官財軍の植民地であり、自治なんてのは、幻想だったってこと。学問の本質は「影の学問」(ダグラス・ラミス)であり、梶田先生が自戒をこめて批判したとおり、大学の学問構成や省庁の組織原理自体が、基本的には業界の利害の調整および進展のためのささげものであり、たとえば被害者学失敗学的なものは、傍流だったんだ。宇井純先生みたいに、応用化学+土木工学から、排水問題につきあたり、水俣病ほか公害問題にかかわるような先生方は、超マイナーな存在。万年助手、宇井先生の「公害原論」を自主ゼミナールとして空間をうばわなかったことをもって「学問の自治」などといっては、バチがあたるだろう。




●旧ブログ記事「「大学の自治」という幻影
●日記内「影の学問」関連記事


【追記】
●「一筋縄ではいかない富山大学」「国立大学法人「富山ゴルフ大学」」(きんもくせい)
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タグ : 大学の自治 学問の自由

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●『俺達、多数派(旧痴呆(地方)でいいもん。富山大学西頭学長が再任辞退するまで、このタイトルです。)』(2009-01-15 http://d.hatena.ne.jp/osakaeco/20090115
 ↑ ふまじめなので、ゆるす(笑)。

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