プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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「めのこえたファン」という自己意識

■半月ほどまえの「FIFAクラブW杯準決勝 浦和 VS ACミラン @横浜国際競技場」についての小田嶋先生コメント「善戦」の一部。

……
日本のサッカーが、現状において、欧州サッカーの最高峰と比べて見劣りのする水準にあることは、さんまの言う通りだ。
そんなことは、一芸人の指摘を待つまでもなく、サッカーファンなら誰でも知っている。
でも、サッカーはレベルどうこうだけで見るものではないよ。
強いチームのレベルの高いサッカーを見ることは、サッカーを楽しむ上での重要な要素のひとつではある。でも、それがすべてではない。と、そういうことだ。
あたりまえの話じゃないか。
サッカーを見ることと、チームを応援することは別だ。
サッカーを観賞することと、プレイを見ることもまた別次元の話になる。
だからこそ、世界中のサッカーリーグに強いチームと弱いチームがある中で、それぞれのチームに地元のファンがついていて、それぞれが熱い声援を送っているわけで、要するにサッカーというのは、スタジアムの座席に座っているファンの数と同じだけ、毎日新しく生産されている、個人的でありながら公共的でもある一種不可思議な共同体験なのである。
それゆえ、当然のことながら、強いチームのファンがすなわち一流のサッカー通だというわけではないし、高いレベルのサッカーを見ている人間が高級な人種だというわけでもない。
むしろ反対かもしれない。
弱いチームの低レベルなサッカーや、マイナーなリーグの凡庸なプレーの中に観戦の楽しみを見出すためには、ゲーム観察者の側により高度なサッカー教養が備わっていなければならないはずだからだ。
……っていのは詭弁だよ。わかってるってば。言ってみたかっただけだ。
でも、古い時代のサッカーを知っていることや、遠い国の高いレベルのサッカーについて知識を持っていることが、サッカーファンとしての品格を保証するわけではないんだよ。な、師匠。
っていうか、国内リーグのチームが試合をしている場所にわざわざやってきて、海外リーグの知識をひけらかす態度は、人として下品だぞ。
廻転寿司の店先に立って「お前らの食ってる寿司はニセモノだぞ」と言っている人間がいたとする。本人は優越感を表明しているのかもしれない。勝利宣言をしているつもりなのかもしれない。でも、彼は、人々に笑われることになる。「おい、食っている寿司の値段で自ら優位性を主張してやまない人間がここにいるぞ」と。
ベンツに乗っている人間は、カローラに乗っている人間に比べて、高い経済力を持っているのであろう。が、ベンツのオーナーがカローラのドライバーに比べて、より高級な人間だというわけではない。
アルマーニとユニクロの差も、センスの差というよりは可処分所得ないしはファッション支出の差異に過ぎない。ただ、薄っぺらな人間は、経済力がもたらす格差やファッションブランド発の優越感を、全般的な人格力の差として認識しがちだという、それだけの話だ。
……

--------------------------------------
■サッカーにかぎらず、可処分所得の大小と人格の高低とは別個の次元にあるように、ハイレベルのパフォーマンスをめでるチャンスの大小と鑑識眼の高低とは別個の次元にある。ふかい見解だ。■当然、ハイレベルのパフォーマンスをめでるチャンスの大小は、趣味・能力といった次元にしぼったにしても、人格の高低とは別個の次元にある。それを混同しているらしい金満家は、自分のファンとしてのうんちくをかたればかたるほど、その際に「レベルのひくい●●」をけなせばけなすほど、おのれの人格をひくめている自覚がない。むごたらしいほどの厳然たる事実だ。

■「…強いチームのファンがすなわち一流のサッカー通だというわけではないし、高いレベルのサッカーを見ている人間が高級な人種だというわけでもない。
むしろ反対かもしれない。
弱いチームの低レベルなサッカーや、マイナーなリーグの凡庸なプレーの中に観戦の楽しみを見出すためには、ゲーム観察者の側により高度なサッカー教養が備わっていなければならないはずだからだ。
……っていのは詭弁だよ。わかってるってば。言ってみたかっただけだ。
でも、古い時代のサッカーを知っていることや、遠い国の高いレベルのサッカーについて知識を持っていることが、サッカーファンとしての品格を保証するわけではない
…」
という記述のうち、「……っていのは詭弁だよ。わかってるってば。言ってみたかっただけだ。
でも、
」という箇所は不要だろう。
■たとえば少年サッカーや少年ラグビーの指導者たちが、少年たちのプレイの水準のひくさゆえに、こばかにしたりしないことをかんがえれば、小田嶋先生は、謙虚にすぎる。■空前の超大国アメリカのように わかりやすい「ほこりの対象」はおいておこう。そうではない祖国をもつものがかかえるナショナリズムと同様、「●●がすきだ」というのは、「●●がかかえる欠点もふくめてすきだ」という、みびいきなのだが、それを、「たでくうムシも、すきずき(≒悪趣味)」といったケチをつけるのは、品性下劣だ。■もちろん、幼児ポルノのように、犯罪と暴力ぬきには成立しない「趣味」もあるので、それは別だけど。
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コメント

『北海道新聞』(12月30日号2ページ)には、一介のサッカーチームに過ぎないコンサドーレ札幌なる団体に税金を投入すべきという主張(小田清・北海学園大学教授による)が載せられており、ゲンナリさせられます。対論として「もし出すならファン以外の納税者から理解を得る努力が不可欠です」という、宮脇淳・北海道大学大学院教授の反論が載せられているので少し毒気が薄まっていますが、そのような毒消しが必要な民度の低さはゲンナリですね。『構造主義科学論の冒険』(池田清彦・毎日新聞社)で「文化一元論的政策は日本破滅への道」(233ページ)という主張をしたのが1990年なのに、「試合に勝つ」という単一の価値観にとりつかれた連中に対して血税をはらうという「盗人に追い銭」以外の何物でもない発想を大学教授が新聞紙上で繰り広げるという2007年末の日本の無思想ぶりはただただ情けない。

で、以前も書いたことですが「ミネルバ7.7」(http://sports.geocities.jp/minerva77hokkaido/)は素晴らしいです。このような団体になら税金を投入する意義は分かりますがね。

公金拠出の正当性

貝枝五郎さま

■学術関係しかり、アマチュアスポーツしかり、公共工事しかり、皇室運営費しかり、政府関連団体しかり…。税金投入の是非をきびしくとわれたら、その合理的根拠がたちまちあやふやになる「聖域」はたくさんありますね。■もちろん、そのうちの相当部分は、時代・指導者の変動によって、予算規模・統廃合等が激変するようですが。
■スポーツ振興や学術信仰は、(地域)ナショナリズム充足やら広告塔としての機能やらがもちこまれているので、やっかいです。■サポーターたちの浄財だけでなりたるならともかく、納税者全体からむしっていいという判断が、議員や官僚たちのあいだでまかりとおること、それを納税者が黙認していることにおどろかされます。

■勝利をめざしてせりあうことで、人間ないし個人・チームの限界を突破した水準が達成されるということは、サポーターをふくめて福音でしょうが、それはあくまで趣味ですね。■まして、他地域・他国とのプライド競争が自明視されるとは、野蛮のきわみです。地域のほこりが、勝利とか記録といったものだけにたよるというのは、すくなくとも思想性を欠如させている。
■パラリンピックのように、単に「限界への挑戦」をめざすといった方向ではなく、障碍当事者がスポーツするよろこびを支援する運動は、たしかにすばらしい。■しかし、パラリンピックが企業のブランド戦略に利用されているように、観客を動員できないようなNPOに資金を提供しようといった企業や自治体は例外的なままでしょう。■かれらにとっての「文化振興」とは、その程度のものです。そして、それはそれを容認する消費者・納税者の民度を端的に象徴しているといえそうです。

■ちなみに、先日ご紹介いただいた本をひもときはじめましたが、読了しておりませんので、今回の件もとしあけに検討できるかさえ微妙です。

トラックバックが通りませんでしたので、コメント欄で年末のご挨拶させていただきます。よいお年をお迎えください。

わざわざ、ありがとうございます

散策さま

■わざわざ、ありがとうございました。■トラックバックについては、禁止キイワード等を設定していないのですが、相性がよくないことが散見されます。お手数おかけしました。
■当方は、旧ブログ(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1083)で、そちらさまには、ご不快かとおもわれる記事をかきましたし…。

■それはそれとして、来年こそはよいとしになるよう、いのらずにはいられません。■おだやかな新年がまいりますように。

あけましておめでとうございます。(というあいさつも政治的ですね(苦笑))

『毎日新聞』(2008年1月1日号21ページ)には「重量挙げ元中国王者 月収7500円で明日見えぬ暮らし」というきじがあります。結論部は以下のとおり。

「(中国では)引退選手の8割が困窮している」と指摘する関係者もいる。昨年には元女子陸上選手が現役時に獲得したメダルをインターネット上で売りに出して話題になった。元男子体操選手が窃盗容疑で逮捕される事件もあった。ひと握りのエリートが笑う陰に、無数の悲劇がある。それが中国国内に暮らす約13億人の人民には、ほとんど知らされていない。

ちなみに、この記事を読んだ某日本人(スポーツファン)は「さすがは中国」と言っていました。中国における人権侵害をネタにしての発言と思われますが、私に言わせれば餓死者を構造的に生み出している日本国も本質的に違いはありません。仮に違いがあるとしても、その違いは人権擁護のために活動した(している)人々全員のおかげであって、間違ってもスポーツファンごときのおかげではありますまい。(異論のあるスポーツファン、いたら異論をここに書いてくださいな)

アスリートの明暗

■中国にかぎらず、世界中で、引退後のアスリートの相当部分が悲惨な「第二の人生」をおくっているという経験則がなりたつときいたことがあります。■ですので、くだんの話題を「中国特殊論」のたぐいの一種と理解するのは、スポーツ界を美化した俗論でしょう。
■それと、社会主義体制のばあい国家がアスリートの大半を国威発揚・社会主義賛美のために動員・搾取するのと同様、資本主義体制も集客・集金装置として動員・搾取したのちに、つかいすてにするのは、大差ないでしょう。前者のばあい、「エサ」とはいえ、生涯年金とか終身ポストを一部に用意するだけ、まだ後者よりマシとさえいえるでしょう。
■問題は、アスリートの現役時代の栄光だけ賞揚して、引退後のハイリスクについてふせて、人材をリクルートする「業界」の醜悪な体質で、それは洋の東西、体制の東西をとわないでしょう。■その意味では、ゆめのない公務員指向(まあ、リスクを過小評価しすぎですが)や、興行しか興味のない相撲協会といった空間とか、リスク問題としては健全です(笑)。

ついでに

http://www.tbs.co.jp/rookies08/
というネタもありますな。
「俺たちは、夢を見る。」とのご発言がありますが、わたしも眠っている時は夢を見ますが、起きている時は見ないです。え?その夢じゃない?つーかそもそも「夢」と書いて「ドラマ」と読む、ですって?それって本気ですか?(←この場合の「本気」は「マジ」と読んでください。)

もともとまったく存在しない「根源的価値」など、再発見どころか発見もできるわけがない

『毎日新聞』(6.25)9ページには

4都市・五輪プレゼンに思う
「人や夢はぐくむば」大切
スポーツ遺産を世界に

という唾棄すべき暴論が掲載されています。そのおぞましい結論部は以下のとおり。

カネに換算できないスポーツの根源的価値を再発見できるような五輪になるのなら、私は10月2日にデンマーク・コペンハーゲンで行われるIOC総会の開催都市発表で、ロゲ会長が「東京」と言う瞬間を心待ちにしたいと思う。

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