プロフィール

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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派遣業者依存社会の品格

■痛烈で軽妙な社会批評をつづける われらが “小田嶋隆”先生。■以前、はずしてますよ…系の、批判もしたが、基本的に正論をおかきだとおもう。■昨年末の秀逸な記事をみおとしていたので、わすれないように、記録しておく【一部、かってにリンクを加筆。秀逸なイラストなどは割愛】。


「ハケン切り」の品格
「派遣切り」(用途:労働問題を真面目に考えたくない際に)
2008年12月24日 水曜日 小田嶋 隆

 「派遣切り」という言葉が、いつの間にやらメディア頻出単語のトップに登り詰めている。

 奇妙な言葉だ。
 朝から何回も聞いていると、なんだかもやもやした気持ちになる。

「派遣を切ることのどこがいけないんだ?」

 と、当方にそういう気持ちがあるからだろうか。

 そうかもしれない。このもやもやは、「使用済みのペーパータオルを捨てたことを女房になじられた時の気分」に似ていなくもない。

「だってお前、ペーパータオルってのは、捨てるための紙だぞ」
「乾かせば使えるでしょ」
「乾かして使うくらいならはじめから布のタオルを使うんじゃないのか?」
「屁理屈言わないの」

 いや、私は、派遣労働者が解雇されることを喜んでいるわけではない。彼らをペーパータオル視しているのでもない。

 ただ、切られることがあらかじめわかっている者が切られつつある現今の状況に、しらじらしくもびっくりしてみせているテレビの中の人たちの口吻に、偽善に似たものを感じているわけです。

 そもそも原理的に言って「派遣社員」というのは、「切る」ための社員だ。企業の側からすれば、不況に直面した時にいち早く整理できるからこそ、派遣労働者を雇い入れていたはずなのだ。それゆえ、もし問題があるのだとしたら、それは、「派遣社員を切ること」よりも、「派遣社員という雇用形態を容認しているわれわれの社会」のシステムそのもののうちにある……はずなのだが、こういう時に正論を言ってもしかたがない。

 実は、正論はみんなわかっている。

 でも、どうしようもない。だから、「貸し剥がし」「雇い止め」「派遣切り」「内定切り」……と、新規に作成される不況関連用語には、常に情緒に流れた詠嘆の調子がつきまとうことになっている。みんな大変だね、手を貸してあげることはできないけど、同情してるよ、と。雨に濡れた野良犬に傘をさしかける感じ。でも、連れて帰るわけにはいかないんだ。ごめんよ……ぐらいな。



 メディアの報道ぶりを見ていると、派遣社員を解雇した受け入れ先企業の冷血を責めるテの議論が目立つ。突然過ぎるじゃないか、と。

 でも、本当のところ、現行法からすれば、雇用責任の過半は、派遣先企業にではなくて、派遣労働者として彼らを登録している派遣会社にあるはずだ。

 なのに、派遣会社の責任を追及する論調はほとんど出て来ない。
 不思議だ。

 あるいは、「解雇より先に、なによりもまず役員報酬のカットが第一で、その次が従業員の給与の見直しであるべきだ。解雇という選択肢は最後の手段であるべきなんではないのか」式の、昔ながらの正論も、一向に主張されていない。


 ただただ、「かわいそうですね」「身につまされますね」「がんばってほしいですね」という情緒的な画面を流すばかり。彼らはやる気があるんだろうか。

 というよりも、そもそも、テレビ局は、派遣労働についてとやかく言える立場の職場ではない。

 あの業界(私も「派遣ディレクター」として籍を置いていたことがある)は、正規の派遣ですらない偽装出向や二重派遣やピンハネアルバイト労働の温床であり、タダ同然で働く業界ワナビーのアシスタントディレクター(彼らの中には「マスコミ業界で働けるなら時給なんか無くても良い」と思っている子たちが常に一定数いて、このことがADの最低賃金を引き下げている)や、スタジオの机の下で寝起きしているサービス残業スタッフみたいな人たちに支えられている、どうにもならないタコ部屋だからだ。

 でなくても、事実上の実働部隊であるところの制作会社の社員は、局社員の半分以下の給料で働いている。

 それでも、その制作会社の仕事を差配している局の社員たちが額面通りに優秀な人々であるのなら、それはそれでかろうじて細いスジは通る話ではある。が、どっこい、そうはイカの禁断症状で、局社員は、優秀であるよりは、むしろ良血な人々であるに過ぎない。具体的に言うと、毎年、テレビ局に入社する社員(数十人に過ぎない)の中には、少なからぬ数の政治家の子弟やクライアントであるところの一部上場企業重役の子女が含まれているのだ。で、これに、同業マスコミの関係者(Mのもんたの息子とかT原S一朗の娘さんとか)や、ミスコン優勝者が加わって、そうやってあらかじめ採用枠が埋まっている。よって無コネの試験突破組による就職倍率は実質数千倍になる。


 で、先頃、発表された「2008年全上場企業3733社年収ランキング」によれば、

《1位に輝いた朝日放送(大阪)は平均年収1556.7万円! 2位はTBS、3位はフジ・メディアHDと、ベスト3はテレビ局が独占。日本テレビ放送網も6位に入った。》
(《》内、ZAKZAKより。リンクはこちら)てなことになっている。

 おそろしいことである。

 さて、労働者派遣法が改正されたのは小泉政権下の2004年のことだった。

 肝要なのは、法改正の事実そのものではない。法改正に先だってどんな議論があったのかということだ……と思うのだが、私の記憶では、たいした議論はなかった気がするのだね。

 一部に、低賃金労働の固定化や、派遣労働者の安易な解雇を危惧する議論があったのは事実だ。が、当時それらの意見はさして問題にされなかった。というのも、そのテのお話をする人たちは、あらゆる政策に対して常に危惧の念ばかりを表明している一派の人々で、一般人であるわれわれの多くは、いつも文句ばっかり言っている彼らの悲観的な語り口にうんざりしていたからだ。

 で、今回、彼らの懸念はモロなカタチで現実になった。
 突然の解雇という蟹工船以来の伝統的な筋立てで、だ。

 さよう。われわれは、彼らの声に耳を傾けておくべきだったのかもしれない。

 でも、多くの国民は、悲観論者の声をうるさがり、むしろ、もうひとつの声に耳を傾けていた。

 もうひとつの声というのは、具体的にはこんな感じのお話だった。


「圧倒的に安い労働力を背景に、シェアを拡大しつつある新興工業国の追い上げに対応するためには、派遣労働の解禁はもはや避けて通れない」

 なるほど。

 この話も、実は、現在、米国を舞台に、モロなカタチで現実化しつつある。すなわち、強い組合を容認し、労働者の待遇を高い水準に保ち、不況下でも雇用を確保する政策を維持し続けた結果、世界一の大企業であるGMは、ほとんど倒れかけているのである。のみならず、ビッグ3と呼ばれたアメリカの自動車業界がまるごと、ツブれようとしている。これまた、非常に深刻な事態だ。

 われわれはどうすれば良かったのだろうか。

 労働者の権益を守れば製造業が経営危機に陥るし、かといって業界の要望を反映して派遣労働を解禁すれば失業者が大量発生する。

 難しい問題だ。
 って、このセリフはいつものことながら、何の解答にもなっていない。

 が、私は、解決策を提示する立場の人間ではない。
 その代わりに(代わりにも何にもならないのだが)邪推を述べることにする。

 お国は、雇用問題の闇を隠蔽しようとしている。
 われわれパンピーも、一番やっかいなところからは目をそむけている。
 で、路上に放置されている猫の死骸を見なかったことにして通り過ぎる通行人みたいに、われわれは、息を止めて、早足で過ぎ去ろうとしている。

 「ハケンの品格」というテレビドラマがあったのを記憶しておられるだろうか。

「2007年1月10日から同年3月14日まで、毎週水曜日22:00~22:54(JST、初回は22:00~23:09、最終回は22:00~23:04)に日本テレビ系列で放映されていた篠原涼子主演の連続テレビドラマ。全10話 平均視聴率20.1%」

 と、ウィキペディアは、シンプルに言い切っているが、平均で20.1%という視聴率は、昨今の水準では「大ヒット」としか申し上げようのない見事な数字なのであって、「ハケンの品格」は、近来の事件だった。

 実際、当時ベストセラーになっていた『国家の品格』と、その後追いベストセラー書籍である『女性の品格』に乗っかった、三匹目のドジョウ狙いの、品格を欠いたパクリ企画であったにもかかわらず、番組は、初回から絶好調だった。

 が、今になって振り返ってみるに、あれは、どうにも罪作りなドラマだった。

 主人公が特Aクラスの「スーパー派遣社員」だという設定の御都合主義もさることながら、出てくるエピソードのいちいちがデタラメ過ぎた。

 たとえば、主人公は、26個の超難関資格を持ち、仕事はどの職場に行っても、誰よりもデキることになっており、時給は派遣会社によって3500円に設定されている。

 で、ストーリーの中では「派遣であれ、正社員であれ、仕事がデキる者が勝つのだ」というファンタジーが毎回繰り返される。

 現実はもちろん違う。
 代打でホームラン王になるバッターはいないし、臨時雇いの板前が店長を怒鳴りつけて大丈夫な店も現実には存在しない。

 無論、テレビドラマは、リアルであれば良いというものではない。現実離れした部分があっても、そのファンタジーが視聴者の共感を呼ぶのであれば、それはそれで成功なのであろうし、ストーリーが素っ頓狂でもプロットが奇想天外でも設定が支離滅裂でもキャラクターが常軌を逸していても、最終的に面白ければオッケーではあるのだろう。

 でも、「ハケンの品格」が提示していたファンタジーは、業界にとって都合が良いだけの、お伽噺だった。

 スーパー派遣社員による正社員やりこめストーリー。
 下克上?

 いや、確かに、弱い立場の者が権力者をやっつけるプロットは、昔から大衆演劇の定番であった。落語にも、町人が武士のハナを明かす話はたくさんある。

 でも、それにしても「ハケンの品格」は、派遣労働者を応援するというよりは、むしろ、派遣労働者が置かれている差別と搾取の現実から目を逸らすことに力点を置いたドラマであった。
非正規労働者慰撫企画。防衛機制の材料。ひがむよりは夢を見ようぜ式の。

 結局、バブルがはじけてからこっちの20年ほど、われわれは、雇用と労働についてまともに考えてこなかったのである。

【中略】

 失業も同じだ。どういう呼び名で呼んだところで、深刻なものは深刻なのだし、こういう場合、暗い事態に明るい名称を与えるのは、問題点を隠蔽するという意味で、かえって逆効果になる。

 実際「ハローワーク」に行けば、「ハロー」ってな調子で、新しい仕事に出会えるのだろうか?
 じゃあ、失業は「チャオワーク」で、解雇は「グッバイワーク」なのか?

 職業安定所に暗いイメージがつきまとっているのは、失業という事態が暗いからであり、人が求職せねばならないという状況が重苦しくも深刻な状況だからだ


 とすれば、暗くて当然じゃないか。

 労働省が、暗い呼び名を、明るい言葉に変えたいと思ったのは、事態を改善したかったからではなくて、イメージを改めたかったからに過ぎない。

 そして、イメージを改めるということは、言葉を変えて言えば、「現実から目をそらす」ということであり、隠蔽するということですらある。

 ところで、「ハケンの品格」に小泉元首相の長男が出ていた(派遣に同情的な正社員の役)のは、あれは偶然なんだろうか?

 違うと思うな。偶然なんかじゃない。
 派遣されてたんだと思う。永田町から。たぶん。



(文・イラスト 小田嶋隆

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■すばらしい、スパイスのきいた指摘。ただひとつ、「一部に、低賃金労働の固定化や、派遣労働者の安易な解雇を危惧する議論があったのは事実だ。が、当時それらの意見はさして問題にされなかった。というのも、そのテのお話をする人たちは、あらゆる政策に対して常に危惧の念ばかりを表明している一派の人々で、一般人であるわれわれの多くは、いつも文句ばっかり言っている彼らの悲観的な語り口にうんざりしていたからだ」という、くだりを 除外してね(笑)。■小田嶋先生、「さよう。われわれは、彼らの声に耳を傾けておくべきだったのかもしれない。でも、多くの国民は、悲観論者の声をうるさがり、むしろ、もうひとつの声に耳を傾けていた」なんて、一般大衆の代表みたいな、ねごといわないでよ。問題の所在、当時から充分おわかりだったでしょ? 当然、厳密に検証する気はないけど、当時、それを充分把握しつつ、あえて さけていたんだよね。

■ま、これ以上せめたてたりはしない。問題は、テレビ業界と労働行政の関係者の下品きまわりない「品格」ということ。その事実は、「今になって振り返ってみるに」しても、充分再検討して、おそすぎることはない。電波利権にむしゃぶりついてきたテレビ局関係者と、ほとんど ばあたりてきに労働市場の放置をして 予算を空費してきた官僚たち、正社員の権利しかまもる気がなかった大組合幹部とぬくぬくまもられていた組合員は、これから 当時の暴利を個人的に返還してもらうこともふくめて、文化大革命当時にならって、さらしものにして、自己批判をしいて 全然かまわないとおもう。
■ただし、ナチス将校の愛人になった女性たちを、バリカンで まるがりにするなど トコトンはずかしめて、屈服期間の屈辱のうさをはらしたパリジャンたちみたいな、自己欺瞞はゆるされない。■テレビ業界と労働行政の関係者の下品きまわりない「品格」をとがめることなく、そして自分たちの偽善・欺瞞を直視することなく、その搾取的社会的地位を合理化してもらっていた層。それ以外だけが、それら精神的リンチにくわわる資格をもつ、ってくらいの自覚、「品格」はないとね。

■ちなみに、本田由紀先生みたいな、まじめな御仁の議論とか、そういった人材を活用して、まともな労働市場論を提起しようとした、官僚のみなさんの意図まで、偽善的・欺瞞的などとは、いわない。
■ただ、「企業での社会保険加入率が低かったり、住宅、日本語研修、安全衛生等に関する外国人という特性を勘案しての特別な措置を、企業の責任で対応しているところが少ないので、現状では、雇用に伴うコストが日系人労働者のほうが日本人労働者より低い…『これらの費用をすべて支払った場合の日系人労働者の一人一カ月当たりの労働コストは、日本人の場合に比して高くなる』」(労働省職業安定局『外国人労働者受入れの現状と社会的費用』,労務行政研究所 1992)といった、外国人研修生やデカセギに依存した日本の労働現場の本質がしっかりかきこまれた報告書がちゃんと、お役人によって、まとめられながら、全然無力だったことは、自己批判してほしい。■バブル末期に 問題の所在にきづいていたのは いいとして、結局多数派工作に失敗して、わかもの、外国人(日系・研修生)、女性(派遣・パート・アルバイト)が ペーパータオルみたいに つかいすてられる惨状をまねいてしまったのだから。「みんなバブルにおどってしまって、きくみみもたなかった」って。いや、小田嶋先生もいわく「一部に、低賃金労働の固定化や、派遣労働者の安易な解雇を危惧する議論があった」わけでしょ。それを うるさがって、「あとは のとなれ、ヤマとなれ」式の論調をおしとどめられなかった無力さは、結局、間接的な共犯者だということだよ。当時の労働省をやめなかったとかね。

■ともあれ、テレビ業界関係者は、「派遣切り」などと、いきりたって、アリバイ的な報道をつつしめ。はじをしれ。やっていいのは、その高給を、過去にさかのぼって全額ちかく返還・再分配したあとだ。


●日記内「派遣」関連記事
●日記内「研修生」関連記事
●旧ブログ「『外国人の定住と日本語教育』増補版(ひつじ書房)」(2007年10月20日)
●旧ブログ「『「ニート」って言うな!』12」(2006年05月02日)

山本ケイ労働者は雇用調整弁か、経団連トップの無責任体質あらわに」(『JANJAN』2008/12/12)
●「キヤノン 「非正規切り」の一方 1年間で剰余金2800億円増 正社員7万人分(しんぶん赤旗7日Web版ニュース)」(2008/12/07)
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テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

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雇用調整の合理性崩れる(日経ビジネス)

雇用調整の合理性崩れる
矢面に立つ自動車メーカー、対応に苦慮
2009年1月14日 水曜日 江村 英哲(http://business.nikkeibp.co.jp/bns/author.jsp?ID=182335&OFFSET=0
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090109/182335/?P=2

……全国コミュニティ・ユニオン連合会の安部誠事務局長は「非正規も正規も同じ従業員だし、人間だ。企業は株主への配当ばかりを気にせず、最大限に雇用を守る努力を続けるべき」と話す。

 安部事務局長は、昨年12月31日から年明けの1月5日まで東京・日比谷公園で開設された「年越し派遣村」の運営にも携わった。失職して住まいを失った人たちへの炊き出しでは、1度の食事に100人程度を想定していたが、500人以上が列をなしたという。

 その中には自動車関連の企業で働いていた非正規従業員が少なくなかった。「年末年始に住む場所を追われた非正規従業員がこれほど多くては、凍死者が出ていたかもしれない」(安部事務局長)。

ルールを持ち出す状況でない

 昨年、契約途中での期間従業員の解雇方針を打ち出したいすゞ自動車のような例もあるが、多くの自動車メーカーが発表したのは、契約満了時に更新しない「雇い止め」。「ルールを無視した人員削減ではない」というのが経営側の本音だろう。

 だが、目の前に生死の問題が浮上してきた以上、「ルール」を主張しても、世間からは冷たい印象を持たれてしまう。それでも人員削減を進めれば、従業員の士気やブランドイメージにマイナスの影響が出る恐れもある。

 結局、いすゞ自動車は解雇方針を撤回し、期間従業員550人を契約満了まで雇用することを決めた。だが、派遣従業員は撤回の対象になっておらず、不満の声は完全には静まっていない。

 そんな中で、トヨタ自動車は1月6日、国内の全12工場を対象に、2月と3月に、計11日間の操業休止日(うち4日間は半休)を設けることを明らかにした。生産台数の急減と高まる雇用維持圧力。自動車業界は、同時に2つの難題を抱え込んだ。

 日経ビジネス 2009年1月12日号12ページより

京セラ、パート含む全雇用を維持 ワークシェアも(共同通信)

静岡新聞 01/13 19:04
http://www.shizushin.com/news/pol_eco/national_eco/2009011301000505

 京セラの川村誠社長(59)は13日までの共同通信とのインタビューで、世界的な景気悪化にもかかわらず、一層の経費節減や残業を実質ゼロにすることで、パートを含めた全従業員の雇用を維持する考えを示した。
 同社はセラミック部品などの受注が減少、工場の稼働率が落ち込んでいるが、川村社長は「雇用はいじらないのが大原則。社員をはじめ、パートの雇用も守る」と明言。現在は広告宣伝、出張費や残業を減らすことでしのいでおり、今後は、仕事を分け合って1人当たりの労働時間や賃金を減らすワークシェアリング導入もあり得ると話した。
 また4月をめどに、三洋電機から買収した携帯電話事業と京セラの同事業の北米での販売網や技術開発部門を再編、集約する方針も明らかにした。川村社長は「携帯の開発部隊を一本にして(双方の技術の融合で)相乗効果を出し、魅力ある商品を北米や国内に出していきたい」と強調した。
 一方で、北米以外の海外進出については「まず、そこでうまくいかない限り考えられない」と現時点では否定的な考えを示した。
 また太陽電池に強みを持つ三洋電機をパナソニックが子会社化することに関しては「パナソニックの資金力や販売網は脅威だ」と警戒。太陽電池で世界シェア上位の京セラとして「増産やコストダウンで事業を拡大していく」と話した。

これまでは「自己責任(論)」の情報インフレを引き起こした。
また誰の中にも潜み、誰にでも起こり得る「攻撃性」や「被害者意識(被害妄想)」を、状況ぬきにひとり派遣やアルバイトなど下層だけのものだと無理に決めつけ、
投影的自己同一視の世論形成をねらった印象操作さえしていたマスコミ。「派遣は楽している」「甘えている」のほか、国労や公務員叩きのムード醸成もになってきたマスコミ。
その業界がいまなぜ派遣や失業者の保護者づらしはじめたのか?
大量ではなく中小量の派遣切りはこれまでの日常だったのに、なんで騒がなかったの?
わたしもおかしく感じています。
なんだかにわか労働組合員みたいでおかしいです。

実は新聞・雑誌等東京マスコミから取材を受けたことがあるのですが、
下層の現実にピンと来ていない状態でしたね。
「あぁ、この人たちとは住んでる世界が違うんだ。話にならないなぁ。表面しか見てないんだ。もう何を言っても無駄っぽい…」と思うものがありました。こちらも何から話していいのやら分からなかった。

あと年始に訪れた扇町公園の目と鼻の先に、在阪テレビ局があるんですよ。
JRと地下鉄の駅からすぐ、レゴで作ったような派手で目立つ建物です。
その建物のわずか一部でも、寒さにふるえる野宿の当事者と支援者のために
一時的にせよ開放したらいいのに、と思いました。
あともし取材するなら、ついでにカイロでも米でもなんでも寄付しろよ、とも。

視聴率かせぎ・部数かせぎ=広告料収入のためには、なんでもするマスゴミ

ということに、つきるんだとおもいます。■かれらは、やすっぽい、にわか「同情心」もふくめて、なんでも商品にすると。そして、それを「消費」する、愚劣な大衆がいる。自分たちも、そういった「商品」にされる可能性があることなど、完全に無自覚なかたちで…。
■社会学や心理学系の大学院生たちは、調査倫理を一応おそわって、それでも「調査公害」「実験公害」をはみちらしてきているわけですが、そういった倫理教育をいっさいうけないマスゴミ記者たちに、なにか品格をもとめる方が、まちがっているんでしょう。■偽善性はおくとして、数十年まえまでは、「殺される側の論理」(本多勝一)といった自制が一部実在していたはずですが、「芸能レポーター」とかが横行したあたりから、無節操一本やりにかわったか?… ■かれらに、想像力を要求する方がまちがっているんだとおもいます。ちゃんとした研修をする気がない、「業績主義」の上司しか、みていないんだから。

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