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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「ネット時代にも先生は「えらい」ままでいられるか?」(404 Blog Not Found)

■『404 Blog Not Found』の去年の記事を転載。

「ネット時代にも先生は「えらい」ままでいられるか?」(404 Blog Not Found)

梅田さんのこのentryを読んで思い起こしたのが本書だった。


My Life Between Silicon Valley and Japan - UCバークレイの授業が無料でGoogle Videoに!!!
でも高等教育のオープンアクセスという大きな流れに変化はなく、未来はきっと、世界中の誰でもが、勉強したいと思えば世界最高の教育に無償でアクセスできるようになる時代が来る。世界中の図書館の本をスキャンし、有史以来の知へのアクセスを世界中の人に開こうとするグーグル・ブックサーチのプロジェクトも含め、これからが本当に楽しみだ。


本書「先生はえらい」は、内田樹が「先生」、というより「師匠」とはなにかを、中学生でもわかる言葉で書いた本である。現時点では数ある内田本の中で一番面白く、またちくまプリマー新書の主旨に一番忠実な一冊だと思う。持っていない人は今すぐ手に入れるべきだ。

私自身は内田先生の「fashionable nonsenseなポモ」ぶりに耐えられない軽さを感じるものの一人であるが、こと「先生」、というより「師匠」に関する見解は支持する。

で、梅田さんの見解に戻ると、デジタル化可能な知識のデジタル化とその公開というのは、「世界中の誰でもが、勉強したいと思えば世界最高の教育に無償でアクセスできるようになる」過程のほんの一部だということだ。

単なる知識の文書化、公開化であれば、ネット以前からすでに図書館という形である。確かに図書館にはネットの利便性はそこにはないが、知識は確かに文書化されており、そして誰にでもその気になればアクセスできる。そこでアクセスできない、すなわち保有していない書籍ですら、リクエストを出せば購入してくれる(いつもそれが通るとは限らないけど)。私もずいぶんと世話になった。

いざ学びはじめると、図書館やネットというインフラは手放せない。しかしそれよりもっと重要なことがある。

なぜ、学びはじめるのか、学びに「ハマる」のか、ということである。

そこで大事になってくるのが、「師匠」なのである。

私はネットの「創造爆発」において、デジタル化された文書データベースとしてのネットよりも、Mailing Listやnewsgroupのような通信手段としてのネットの方が重要な役割を果たしたと考えている。なぜなら、それこそがかつて Ivory Tower (象牙の塔)や Blue Chip Companies (一流企業)でしか出会えなかった師匠に、どこにいても「会う」ことを可能にしたからだ。

「学び」は、自分だけではなかなか成立しない。知識と知恵を得ただけでは駄目なのだ。その時、それを得た感動をわかってくれる人がいなければ。その「感動をわかってくれる人」というのは誰でもいいわけではない。自分が持っている知識と知恵をすでに持っている上で、それをたった今得た人の胸中にどういう感動が生ずるかをわかっている人でないとだめなのだ。だから当然知識と知恵があることは前提になる。が、それ以上にその人は、「学び」が人に何をもたらすかを知っていなければならない。

その人を、人は「師匠」と呼ぶ。

内田樹の研究室 2006: 『先生はえらい』!
先生はえらくなく、大学はできれば学生がそこに立ち寄らない方がよい場であり、学術情報は「銀行預金」のようなものとして観念されているのであるとするならば、そこではいかなる「学び」も成立しないであろう。
つまりはこういう事なのだ。

師匠なしで学ぶのは、本当につらい事だ。私のティーンエイジでは、他はすべてあったがそれだけがなかった。私は15歳のころオイラーの公式を「再発見」したが、それを「分かち合える」人は身の回りにどこにもいなかった。はっきり言って独り相撲だったわけだ。

ごく稀に、独り相撲を辛いと思わない人々がいる。私はその人たちを「天才」と呼んでいる。天才であれば、学びに必要なのは知識データベースだけだろう。

天才ならざる我々には、今もって「師匠」が必要だ。

そして前述のとおり、この分野でこそネットはさらに大きな力を発揮するのだ。田舎で独り相撲を取り続ける必要がなくなったというのは、本当にすごいことなのだ。Mailing ListやIRCの向こうには、師匠が確かにいるのだ。

もっとも、それは今のところ自分の知見をデジタイズ可能な分野に限っての話ではある。プログラミングという分野はその極北だし、最近では音声や画像もある程度デジタイズできるようにはなっている。しかし我々はまだ自転車の乗り方一つデジタイズできないということを忘れてはならないだろう。デジタイズできないということはデジタルにやりとりできないということであり、師匠に「逢えない」ということなのだから。

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■内田御大の教育論については、「内田樹『先生はえらい』」「先行者にして継承者としての教育者(内田樹氏の教育哲学)3」などで、いろいろコメントしてきた。■これまでの文章にあらたにかきくわえたい論点は、いまのところない。■ここでは、『404 Blog Not Found』の記述にヒントをえて、おもいついたことを少々。

【11:11追記】
■①放送大学をはじめとした通信教育(=「郵便や情報通信などの通信手段を使用して行う教育」)が、大都市部にいない住民、障碍者など移動・情報収集の困難をかかえる層にとって福音であることは、いうまでもない。■アメリカの一流大学の講義風景などが動画で瞬時に半永久的に再生できるとなれば、それは情報蓄積・配信という意味でも、すばらしいことであることは、あきらかだ。

■②しかし、デジタル化には、致命的な限界がある。■「我々はまだ自転車の乗り方一つデジタイズできない」とあるが、おそらく原理的に永久にできない。動画をみて解説をうければ、それだけで想像・体得できる技術もあるが、それで想像・体得できない層は例外的ではない。■自転車はともかく、たとえば一輪車や水泳が体得できる一方的配信がありえるなら、例示してほしい。内田樹御大が合気道部顧問として指導している風景を動画配信しても、微妙だろう。■それは、単に、においなど五感の一部が原理的にデジタル化できないとか、触覚などが困難だといったことにとどまらない。なまみの人物と体面しないと体感できない微妙な情報、双方向で質疑や指導が成立しないとつたえきれない膨大な情報、等々、デジタル化=分解・蓄積できる情報は、致命的な欠落をかかえているのだ。
■放送大学ほか通信教育がほとんどのばあい、スクーリングを併用しているのは、単に試験制度とか、単位認定の技法上の問題ではない(そう、誤解されていそうだが)。■ビデオやCDに収録された過去情報を個人的に再生し、テキスト(解説書)をみながら自習するというのは、やはり致命的な欠落をかかえている。極論をいうなら、そういった欠落が問題にならないような次元の情報は、大したものではない。放送大学やら通信教育という公的な制度自体が不要かもしれない、自習可能な「情報」にすぎない。

■③だから、「私はネットの「創造爆発」において、デジタル化された文書データベースとしてのネットよりも、Mailing Listやnewsgroupのような通信手段としてのネットの方が重要な役割を果たしたと考えている」は、双方向性の射程を過小評価した議論だ。■「デジタル化された文書データベースとしてのネットよりも、Mailing Listやnewsgroupのような通信手段としてのネット方が重要」というのは、知恵ある なまみの人物による応答の決定的重要さをしめしている。ことはネット技術にとどまるはずがない。
■ウェブ上の問診であるとか、査定とか、そういったものが有意義であることはいうまでもない。しかし、知恵ある なまみの人物による応答が柔軟性をもつからこそ、具体的疑問や苦悩にとって決定的に意義があるのだ。■図書館でいえば、それがリアル図書館であろうが、ウェブ上であろうが、大した差はない。それで充分な層にとってはね。■そう。日本の図書館の致命的欠落は、図書館相互の連携をふくめて、利用者のニーズに即応できる司書が充分に育成・配置されていない(その気迫が全然当局にない)ということ。国会図書館やら一流図書館のプロの司書が少数いたって、日本列島全土の大学図書館・公立図書館が、単に司書免許をとりました程度の水準にとどまっている点が致命的なのだ。書名がわかっている文献を書庫からさがしだしてくるとか、新聞をファイリングする作業を地道にやるとか、それだけで司書がとどまっているなら、専門性なんてないし、利用者が必要としている双方向性など全然実現できない。

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