プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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詭弁・合理化・誤謬1

■Wallerstein氏が、今月下旬から、[詭弁学]というカテゴリーで、連載記事をはじめた。■ウィキペディア「詭弁」の記述を参考に、おそらく「だましのテクニック(詐欺)にあわないための自衛」作業を展開しているのだとおもわれる(矮小化しすぎていたら、失礼。)
■ハラナ個人は、ほとんど関心がない。というか、こういった、しろうとむけの論理学系の啓発的記述で、さえたものにであったことがないからだ。■おそらくそれは、単なる不勉強、ないし こちらの はやとちりなんだろうが、ともかく、「一向にオツムがスッキリした体験がない」というのが、実感だ。失礼ないいかたをあえてするなら、「数学・哲学周辺のかたがたは、おそろしく こむずかしいことにとりくんでいるあまり、われわれ門外漢を啓発する能力を消失させてしまっているのではないか?」とさえいいたくなる。

■Wallerstein氏がとりあげている、「前件否定の虚偽」とかもひどい。

A「反撃される覚悟が無いなら、苛めなんてやるな」

B「なら反撃される覚悟があれば、人を苛めて良いって事になるな」

Aの発言に対するBの返答は「XはYである。故にXではないならYではない」という形式の論理であり、これは論理学で前件否定の虚偽と呼ばれる。このタイプの推論は、XとYが論理的に同値の時のみ成立する為、恒真命題ではない。Bの発言は、「セイウチが脊椎動物だというのなら、セイウチでなければ脊椎動物ではないという事だ」と同じ論理構造である。これはBとしてはAの発言を「セイウチだけが脊椎動物である」と解していることになる。

なおこの虚偽は、仮言的三段論法においても適用される。「もしAがBならば、AはCである。しかしAはBではない。故にAはCではない」は、前件否定の虚偽となる。「AがBならば」という仮定をX、「AはCである」という結論をYと置けば、「XならYである。Xではない。故にYでもない」となり、前件の否定を前提とする論理となるからである。

■おなじく、Wallerstein氏が転載している「前件否定」も同様。

前件否定(英: Denying the antecedent)は誤謬の一種であり、次のような推論の論証形式に関する誤謬である。

もし P ならば、Q である。

P ではない。

従って、Q ではない。

この形式の主張は妥当ではない。この形式の論証はたとえ前提が真であっても、結論を導く推論過程に瑕疵がある。「前件否定」という名称は、「前件」すなわち論証の前提部分(もし - ならば)を否定する形式であることに由来している。

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■うーむ。いっちゃわるいが、教育者としては、アタマわるすぎだ。こんな、まわりくどい説明しかできないなら、無意味だろう。これがわかるほど理解力があるなら、説明不要なはずだしな(笑)。■Wallerstein氏、こんなアホな記述につきあっては、オツムがウニになるぞ(ウニさん、ゴメン)。


■いわゆる「三段論法」というのは、集合の「ベン図」を参考にすると、かなりスッキリする(といいつつ、ウィキペディアの記述は、どいつもいこいつも、しろうとむけの教育力0だな)。■大前提「ヒトは しぬ」+小前提「ソクラテスはヒトである」→結論「したがって、ソクラテスは しぬ」という、例の論法だが、要は、大前提「偶数は整数である」+小前提「4の倍数は偶数である」→結論「4の倍数は整数である」という論法と同質なのだ。■そして、これは、包含関係でいうなら、集合A(偶数)⊂集合B(整数)+集合C(4の倍数)⊂集合A(偶数)→集合C(4の倍数)⊂集合B(整数)という、すじみちであって、これは、したの図のAのなかに、Cがかこまれているケース。
真部分集合のベン図による視覚化
真部分集合のベン図による視覚化


■これを、セイウチ/非セイウチ、脊椎動物/非脊椎動物の判断とかさねるなら、セイウチという種全体が集合Cにあたる。。■「セイウチが脊椎動物だ」=C⊂A,「脊椎動物ではない」=Bの外部ということになる。■「セイウチでなければ脊椎動物ではない」というのは、Bの内部、かつAの外部である部分を無視している暴論であることは自明だ。
■「P ならば、Q である」という仮定は、うえのベン図なら「AならばBである」にあたる。「Aではないから、Bではない」が成立しないことは自明だ。

■これを応用すると、「反撃される覚悟が無いなら、苛め…るな」(「AならばB」) のばあいは、「反撃される覚悟が無い」姿勢は、集合Aの内部にあたる。「苛め…るな」は当然それを包含する集合Bにあたる。■集合Bの外部に「苛めてよい」論理があるのかもしれないが、「苛め…るな」という命令が「反撃される覚悟が無い」姿勢より上位の包含関係にあるのだから、「反撃される覚悟があれば」といった、まぜっかえしは、ハナからゆるされていない。■まぜっかえすなら、「反撃の可能性うんぬんと無関係に、イジメてよいケースがあるのか?(=集合Bの外部はあるのか?)」と、上位者にせまるばあいだろう。上位者は、倫理的に、事実上イジメを容認している偽善者であることが、暴露されて、たち往生するはずだ。堂々と反逆者をはるなら、卑怯なゴマカシでなく、正論でギャフンといわせるべきだろう。■そして、「反撃することができない弱者も当然いるわけで、それをみこしてイジメをくりかえすのは、最低なヤツですよね? 反撃される覚悟の有無でイジメを正当化できるといった論理をふりかざすあなたの品性もよくわかりました」といって、激怒をひきだすのがヒーローってもんだ。【つづく】

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コメント

どうも、言及ありがとうございます。論理学というのは訳が分からず、こちらの頭が悪いのか?と思っておりましたが、ハラナさんの「まわりくどい説明しかできないなら、無意味だろう。これがわかるほど理解力があるなら、説明不要なはずだしな(笑)。」というのも尤もですな(笑)。あれでは普通訳分からんし、こちらも読む気力がないのだけれど、ただ論理学的なこともそれなりにかみ砕かないとダメなんで、取り敢えず読みにくいウィキペディアの記述をかみ砕いてみよう、というのが目的です。ただ私の数学的思考力の無さは、せっかく欠いていただいたペン図を見てもピンと来ないのが実情で、さらにウィキペディアの詭弁の記述を見ていると今にも挫折しそうです。まあ生暖かく見守っていただければ、と思います。

ウィキペディアの記述水準などがあがらないと

Wallerstein さま


■「「賢者の表現」と「相対的愚者の理解力」問題」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/2116)では、「「本当に頭のいい人は、めっちゃくちゃ難しいことをわかりやすく書くことがふつうにできる」は、ケースバイケースであり、「賢者」の大衆的・権威主義的な美化・神秘化である」とかいたのですが(笑)、「「迷路にまよいこんでいる人物に、妥当な地図と経路を明確に指示できるひと」(指導者・預言者などとして隠喩できる「賢者」)」がいなかったら、われわれ凡人は、いつまでもかしこくなれません。
■ウィキペディアの「詭弁」周辺の論理学系の記述は、こぞって、教育力0だとおもいます。例示も最低なものがおおい(笑)。■すくなくとも、あれで「わからん層もわかるようになる」と信じているなら、教育者としてはアホそのものだとおもいます。受験指導や大学で講義されているWallersteinさんに、釈迦に説法ですが。
■Wallersteinさんの自力突破の努力が、Wallersteinさんご自身のOSバージョンアップだけでなく、ギャラリーへの啓発活動になることをいのっています。

■それにしても例示ってのは、むずかしいものですね。 

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