プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

ブロとも申請フォーム

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

統幕学校「歴史観」講義内容判明(朝日)

■先日の『朝日』の記事をとりあえず、記録しておく。


統幕学校「歴史観」講義内容判明
 講師に桜井よしこ氏ら

 

2008年11月20日1時16分
 日本の侵略を否定する論文を発表した田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(60)が更迭された問題で、防衛省は19日、田母神氏が、自衛隊の高級幹部を育成する統合幕僚学校の学校長時代に新設した「歴史観・国家観」の講義に招いていた外部講師の名前や講義内容を明らかにした。

 ジャーナリストの桜井よしこ氏や作家の井沢元彦氏らが招かれていたほか、元海将補の坂川隆人氏や、「新しい歴史教科書をつくる会」の副会長を務める大正大学の福地惇教授らが講師を務めていた。

 講義内容は日本の歴史の特徴や節目の出来事、集団主義など日本人の価値観の特徴についてなど。「現在の日本の歴史認識は、日本人のための歴史観ではない」とする内容の講義もあった。

 防衛省は「様々に考えることに意味があり、異質なことを話したからすぐに問題だ、と言うわけではない」としつつも、来年からは「(人選や内容で)よりバランスを取っていく」としている。



■もうすこし くわしい記事を『中央日報』から。


歴史を歪曲した団体会員が
 自衛隊幹部に歴史教育/日本


関連タグ 歴史歪曲 自衛隊 田母神俊雄 新しい歴史教科書を作る集い
共同通信は19日、「日本の侵略戦争を美化した内容の歴史教科書を作り、物議をかもした「新しい歴史教科書を作る集い」の高位要人らが自衛隊幹部らに歴史を教えたことが明らかになった」と報じた。防衛省は19日、日本の侵略戦争を否認する内容の論文を書いて問題を起こして更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長が統合幕僚学校長に在任していた際に開設した幹部の歴史教育課程の担当講師リストと講義内容などを公開した。

これによると、田母神前航空幕僚長が2003年に開設した講座「歴史観・国家観」の担当者は「新しい教科書を作る会」副会長を兼任している福地惇・大正大学教授と高森明勅・拓殖大学客員教授だった。福地教授は大正大学で「大東亜戦争観」を、高森客員教授は大学で「天皇と天皇の歴史的意味」という科目を教えていたことが明らかになった。彼らの講義は、外薗健一朗・現航空幕僚長が統合幕僚学校長を務めていた昨年7月から今年3月まで行われた。防衛省の関係者は「この期間、大将や将軍に昇級する前に自衛隊の高位将校を含む390人が統合幕僚学校でこの授業を受けた」と話している。

一方、国家主義の観点から2006年にジャーナリストの櫻井よしこ氏もこの学校で社会思想について公演していたことが分かった。外薗幕僚長は14日の記者会見で統合幕僚学校の歴史教育について「バランスを取る必要がある」とし、講師の人選や教育内容を見直す方針を明らかにした。

---------------------------------------
■ま、「歴史を歪曲した団体会員」って断定は、日本国内であまりされないだけで、国際的には、あたりまえの判断だよね。■ちなみに、”新しい歴史教科書をつくる会”ではなくて、”新しい教科書を作る会”ってのが、いつのまにか誕生していたんだね(笑)。■「新しい」とは、とてもおもえないんだけどな。”歴史修正主義”って呼称自体が、当人たちの自己中心的主観性の産物であって、全然「修正」なんかじゃないのと、おなじ(笑)。


2008年11月20日(木)「しんぶん赤旗

自衛隊幕僚学校の歴史観講義

全講師が侵略美化派

井上議員に防衛省回答

 防衛省は十九日、前空幕長の田母神俊雄氏が統合幕僚学校長時代に新設した「歴史観・国家観」講義の講師名の一部を明らかにしました。日本共産党の井上哲士参院議員の再三にわたる求めに応じたもの。二〇〇三年度からの講義で講師を務めたのは六人で、明らかになったのは五人。うち三人は侵略戦争を美化する「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーです。

 判明したのは、大正大学の福地惇教授、日本文化総合研究所高森明勅代表、作家の井沢元彦氏、元統幕学校教育課長の坂川隆人氏、冨士信夫・元海軍少佐です。

 福地氏は、侵略戦争を美化する「つくる会」の副会長で、高森氏は理事。井沢氏は、同会のホームページで、賛同者として紹介されています。冨士氏は『こうして日本は侵略国にされた』と題する本を出版。東京裁判について「自虐史観の源流となった」と主張しています。

 また、講義内容の概要も明らかになりました。坂川氏は「誇るべき日本の歴史」として「欧米諸国によるアジア諸国の植民地化に対して立ち向かった日本」を強調。「建国以来の米国の西進は太平洋を越えてアジアに。そこで生起したのが大東亜戦争」と、“自存自衛”論を展開しています。

 氏名が黒塗りになっている一人は、「つくる会」三代目会長の八木秀次・高崎経済大学助教授(当時)とみられます。八木氏は本紙の問い合わせに否定しませんでした。

 麻生太郎首相は井上氏の国会追及に「(講義内容は)バランスのとれた内容に努めることが大事だ」(十三日)と答弁していました。今回の資料により、政府の弁明とはかけ離れた偏向教育が行われていたことが改めて鮮明になりました。

---------------------------------------
■まあ、外部講師によって洗脳されるというより、同類が入学し、相互に確信をつよめあっていたんだろうし、かたよるもなにも、単にトンデモな妄言をエセ宗教的に強化しあっていたってことだよね。
■先日も確認したとおり、アメリカ政府の公式見解=現代史解釈を全否定するような歴史観だったから、政府はおおあわてで「消火活動」をおこなってにすぎないわけだが、アメリカ政府も、こういったタカ派的トンデモ史観の健在ぶりは、ちゃんとふまえたうえで、「抱擁」してきたわけだ。■だけど、あきらかな反米ナショナリズムが前面にでることは、さすがに まずいわけで(笑)、この延長線上には、当然、広島・長崎への原爆投下=人体実験計画はもちろん、軍事施設・軍需施設が皆無だった地方都市まで無差別爆撃した戦争犯罪とか、側室制度を公式に廃止させて、男系王家が存続不能になるようにしむけたなど、ナショナリストたちが自覚したときに憎悪しかうまないような事例につきあたるしかないからね。
■一度受諾した以上、極東国際軍事裁判は有効であるといった、国際法上の正論なんかどうでもよくて、整合性をもった歴史感覚が成立するかどうかが、最終的には重要なわけだが、その意味で「東京裁判」史観や「サンフランシスコ体制」史観がまちがっているという見解は、それなりに合理的な史観である。■ただ、「おしつけ憲法」だの、「戦争責任のおしつけ」だのといった延長線上で、思考停止しないとすれば、戦勝国ゆえにごまかしつづけた戦争犯罪、軍政という過渡的体制を延々ひっぱった、沖縄などの米軍駐留(基地の固定化)も否定するほかなくなる。つまりは、安保体制は、否定するほかなくなる。敵対にしろ別離にせよ、軍事同盟をむすぶ友好国でありつづけることは、論理的に不可能になる。■戦争責任の汚名を一方的にきせられた、なんて、ぬるい劣等感・被害者意識にとどまることなく、戦争と戦後とはなんだのかをふりかえれば、憲法だの歴史教育だのといった次元でなく、軍事的・食糧政策的・市場的、ほか、ほとんどあらゆる側面で支配される「属国」「植民地」にすぎないという、「おしつけ」体制があらわになる。そういった歴史的経緯の理解は、当然、日本軍を米軍の「後方支援」でなくするといった「自立」程度の水準にとどめることが不可能だ。■スポーツじゃないんだから、「ノーサイド」なんて、えがおで握手は不可能だろう。
■その意味で、空軍で「歴史観」とやらを開陳した右派系言論人はもとより、それをきいていた幹部たちは、なにをおもったんだろうかね? きいてみたいよ。「日米、もしたたかわば…」的なシミュレーションでもしたんだろうか?(笑) 国土の広狭と「後方」の大小という、あまりの「格差」に、「戦争」はさけるしかない、と結論がでたにせよ、太平洋戦争と戦後の意味づけは清算されないからね。

■いずれにせよ、「日本の常識は、世界の非常識」という 右派のセリフは、右派自身の歴史認識にそのままあてはまるという逆説的皮肉を再確認しておこう。■そのうえで、「なにゆえ こういった妄想が 人気を博しつづけるのか?」という、宗教社会学的見地から、このルサンチマンを解明する必要があるだろう。エセ宗教が信者をだますために こしらえた、ないしは教祖自身がくるってしまっている妄想の産物としての「おしえ」とやらと酷似した、異様な世界像・歴史観こそ、この日本列島の不気味な現象の本質なのだから。


●「タカ派史観と対米追従
●旧ブログ「戦略爆撃」関連記事
●旧ブログ「植民地」関連記事
●旧ブログ「年次改革要望書」関連記事
●旧ブログ「食糧戦略 アメリカ」関連記事

スポンサーサイト

テーマ : これでいいのか日本 - ジャンル : 政治・経済

<< 取捨選択+増補版ウィキペディア「モンサント (企業)」 | ホーム | 「暴力行為:過去最多」? >>


コメント

モニタリングができない集団

■これも、きのうの記事だが、はりつけておこう。

田母神氏の歴史観を適当だと思っていた
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20081121-432063.html

 防衛省の外薗健一朗航空幕僚長は21日の記者会見で、自身が統合幕僚学校長時代の「歴史観・国家観」講座に「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバー2人を講師に招いたことについて「私の責任で実施した。当時は適当だったと思った。偏っているという意識は持っていなかった」と述べた。

 同時に「今になって考えると、見方によっては、ややバランスを欠いているとの印象を受ける方がいるかもしれない」と釈明した。

 講座は、歴史認識に関して政府見解を否定した論文を発表して更迭された田母神俊雄・前航空幕僚長が統幕学校長時代の2003年度に新設されて以来、田母神氏の歴史観に近い外部講師が恒常的に招かれていた。(共同)

『日刊スポーツ』[2008年11月21日19時33分]


■要するに、田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長が突出した支配力をもちあわせた、一時的暴走ではないということ。同類の思想傾向(というか事実誤認)をかかえた人物が複数ちゃんといて、今回の組織的暴走の素地となっていたこと、かれらには、自分たちが政府見解と対立していることが、さまざまな意味で「思想信条の自由」とかで正当化できないという、みずからの政治的位置を自覚できていなかったことが露呈した。■かれらは、軍人には絶対になってはいけない人種であり、民間右翼として活動するほかないたぐいの層だった。しかし、旧陸海軍の航空隊出身者たちを基盤に設立された組織の体質は、かわっていなかったとみられる。初期だけとはいえアメリカ空軍の指導をうけたがゆえに、組織はアメリカ的らしいが、「航空自衛隊の発展過程でもっとも影響力を及ぼした者として源田実元海軍大佐の存在があり、F-104戦闘機の導入時には大きな発言力を持っていた。そのほかにも著名な旧軍人として、加藤隼戦闘隊のエースパイロット黒江保彦元陸軍少佐が小松基地司令に就任していた」(ウィキペディア「航空自衛隊」)だというんだから、ふんいきは、おしてしるべし。■「源田実」ってのは、旧ブログ記事「あの戦争は何だったのか」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/186)でしるしたとおり、「零戦21号機が非常に完成度がたかかったにもかかわらず、真珠湾攻撃など 緒戦の劇的勝利に よっぱらってしまい、精神主義に もたれかかった海軍がわ(源田実[1904-89]ら)は、理不尽な 企画を 制作者たちに おしつけた」といった人物なので、合理精神なんぞが期待できないことは、いうまでもなかろう。
■いずれにせよ、「小隊、班といったショップの独立性(組織の性格上、個人の能力・判断・権限といったものが大きい)が極めて強く、現場指揮官のカリスマ性で末端の隊員を牽引する部分が大きい点は注目に値し、農村社会としての日本の組織風土に適応した組織とも表現できる。要するに、組織内の全体的な統一よりも、各基地、各小隊ごとが独自の判断基準をもって勤務することが多い」(ウィキペディア「航空自衛隊」)なんてかかれる組織は、シビリアンコントロールを空洞化するもっとも最前線ともいえそうだ。■旧日本陸軍が、後方はもちろん大本営の方針さえ無視した前線の暴走が既成事実を蓄積させていったように、この連中には、不断の監視が必要だとおもう。


こういう人物を増長させた組織風土

■ウィキペディア「源田実」をみると、かなりわらえる。

人物批評

日本海軍軍人の中では有名で、戦後多くのメディアに登場したために肯定的評価を受けることもしばしばあった。しかし近年、インターネット等で容易に情報を集められる時代になったせいか、批判的な人物評価が増えてきた。それらの批判的意見を総合すると「海軍において最も航空機の価値を理解した人物に思われていたが実際の航空機に対する理解は偏狭な部分があり、専門としていた戦闘機以外の機種にその傾向が多く運用方法に多くの疑問があった」と言われる。
例えば、源田が主唱した航空主兵論にしても当時世界的に流行していた思想であったが、深い思索も検討もなく流行に乗っただけであるという。[要出典]当時流行の航空主兵論は爆撃機を主体に考え戦闘機を軽視した思想で、極端な考え方と言える。ここから派生した戦闘機無用論の旗振り役となったのは源田であり[5]、その結果戦闘機パイロットが爆撃機に転向させられたり、養成削減されたりというリストラにつながった[6]。日中戦争での渡洋爆撃で、戦闘機なしの長距離侵攻を行った陸攻隊が敵戦闘機の迎撃により大損害を被った為、海軍は方針転換を行ったが、リストラ期間の影響は大きく、太平洋戦争開戦当時の戦闘機要員不足という結果を招いた。太平洋戦争を通じてパイロット損耗に養成が追いつかなかった原因の一つである。
また戦闘機の戦闘においても「一騎打ち形式の格闘戦」に固執し、欧州や米国における「高速での一撃離脱を主とする新しい戦闘形態」(エネルギー空戦)に対する理解が遅れていた。自身の操縦技能が高かったことから重戦闘機や防弾装備を極端に嫌い、航空機メーカーから乗員保護について提案がなされても「腕よりも機械に頼る腰抜けどもを増やすだけ」と一蹴、一貫して否定的であった[7]。そのため、戦況に即した機種開発を望む航空機メーカーの意見が黙殺され海軍機の多くは開戦時の機材の手直し程度の進化に留まる事を余儀なくされ、諸外国はもとより陸軍の航空機にも技術的に遅れを取った[8]。
源田の批判者として、海軍兵学校同期で戦闘機畑を歩んだ柴田武雄が有名である。柴田は戦闘機の開発や運用について源田とぶつかった[9][10]が海軍内の影響力で源田に劣り、源田の方針で決まる事が多かった。現在の評価では柴田の思想が正しかったとされる。柴田、源田双方の部下だったこともある坂井三郎も戦後の発言や著書で源田を批判している。直属の部下も源田に対し否定的な見方をする者も少なく無かったようで、自分の部隊を特攻隊にしようと源田が画策した際に「それなら、あなた自身が特攻編成の一番機で出撃されてはどうか」と詰め寄られ顔面蒼白で絶句したというエピソードが知られている。特攻は源田が考え、大西瀧治郎が実行した(戦後の慰霊祭で源田は特攻隊員の遺族に詰め寄られた)。しかし大西は終戦時に割腹自殺を遂げ、源田も特攻に関して語らないまま死亡した。特攻に関しては特に源田は主導的に動いていたことが既に明らかになっており、人間爆弾「桜花」の開発に深く関わっていたことが明らかになっている(!---柳田邦男「零戦燃ゆ」より---)他、最初の神風特攻隊の隊名呼称を大西の第一航空艦隊に伝える電文を起案したのも源田であることが明らかになっている。源田は良くも悪くも海軍航空の中心人物であった。真珠湾攻撃や343空の成功の裏に、ミッドウェー海戦や台湾沖航空戦、航空特攻など源田の犯した間違いの責任は極めて重い。
パイロット能力に関しても疑念が呈されている。[要出典]理由は源田にパイロットとしての実戦経験が皆無であることである。実戦と関係ない“源田サーカス”(ブルーインパルスの源流)のようなアクロバット(曲技飛行)や横須賀海軍航空隊[11]では活躍した。戦後、航空自衛隊でジェット戦闘機の資格を取ったことは生前に自身の宣伝材料となったが、死後、源田の教官を務めたパイロットが、その技量について「いちじるしく劣る」と証言している[12]。
源田が航空幕僚長に在職した当時、空将である源田の階級章は星章3つの「中将」相当のものであった。次期戦闘機調査団の団長として渡米した源田は現地で自分はJapan Air ForceのGeneralであると言い大将相当の待遇を要求したが受け入れられなかった。これを悔しがった源田は現地で勝手に星章を一つ増やして「4つ星」の階級章を付けた。こうした源田の行動を規定違反として問題視する声が上がったが処分されることなくうやむやとなった。


[5]しかし源田は戦後の自著においてはこの責任を明確にしておらず、まるで他の誰かの提唱であったかのような表現がされている。
[6]この時に転科を強制された事を遺恨とし、後年源田が参院選に立候補した際に応援を断った旧海軍軍人もいたという。
[7]NHK・ETV特集 「零戦ニ欠陥アリ」でも触れられている
[8] 陸軍は早くからエネルギー空戦に転換しており、海軍の戦闘機よりも高出力エンジンを搭載した丈夫な戦闘機(二式単座戦闘機など)を開発・採用していた。
[9] 柴田は前述の「戦闘機無用論」の最も強硬な反対派の一人であり、また零式艦上戦闘機の仕様決定の際、格闘性能を過度に重視する源田に対して速度や武装、航続距離などの性能を犠牲にすることを認めず、激しく対立した。
[10] 吉村昭の『零式戦闘機』でも、現場の実技面と格闘戦を重視する源田と、今後の運用面や技術面を注視する柴田との口論が描かれている。
[11] 海軍航空の総本山で、優秀な搭乗員と重要な実験的任務が多い。
[12] ただしこの点に関しては、航空自衛隊当時の年齢や搭乗員としての長いブランク(終戦まで、実機には搭乗しない要職を務めた期間が長い)、現役時代の複葉戦闘機とジェット機の使い勝手の差なども考慮に入れる必要があるだろう。また次期戦闘機(F-X)調査団の団長として渡米した際は、操縦が難しい機体であるF-104戦闘機の操縦桿を握っている。



■今回の暴走劇を田母神俊雄・前航空幕僚長の個性に帰着させる議論がまちがっているとおり、源田実の突出した個性に、戦後の航空自衛隊の体質を還元するのはまちがっている。■が、田母神前航空幕僚長を頂点までたどりつかせた組織的体質が、日本空軍の本質を象徴しているように、内部的にも批判がおおかったらしい源田が、ここまで増長しつづけられたことの意味はおもたい。■おそらく、批判が批判として機能しなかったという経緯が未清算のまま放置されたがゆえに、問題点が総括のうえ改善点として「継承」されない「体質」がうまれ、その「体質」が「継承」されてきたんだとおもう。■源田がかかえていたのは、世界史的なユガミというより、技術論的・組織論的ユガミであったが、みずからの自己中心性を修正できない性格(独善性)は、そういった人物を排除できなかった組織体質とし通底しているはずだ。世界史に対する妄想についても、「世界情勢から遊離した独善的解釈が内部的に全然克服されないだろう」という推測のも、あながちかたよったものではなさそうだ。■はっきりいって、右派を外部講師としてよんではなさせるという機会を全廃したって、「体質」自体は不動だろう。そんなの、全然改革なんかじゃない。「お茶をにごす」っていうんだ。



体質

 多くの日本の組織で、声がでかくて態度がかいと、それなりにのさばる、ってこととも通じるかも。これも一般化しすぎになるとよくないけど、自衛隊だけの問題ではないような。(さりとて「とかく日本人は」でも困りますけどね。
だからこそ改革は困難だということと、もし「普通の国」の「普通の軍事組織」であろうとしたら、、意識的に旧軍的体質を自己チェックして離脱、克服すべきなのですけど。
脳卒中リスクの高い体質の人が血圧コントロールする生活をしたって、自虐的ではないんだけど。

要は自浄能力につきるんですが

■すくなくとも、航空自衛隊が、自浄能力をもちえない体質であるという、実質的なデータが提示されたと。

合掌

『今なぜ戦後補償か』(高木健一・講談社現代新書)

は再読にあたいすると感じます。いや、もちろん世の中には再読・熟読にあたいする本はほかにもいっぱいあることもみとめますが。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

 BLOG TOP 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。