プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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ことしおきたこと2(楚辺通信所返還)

楚辺通信所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

楚辺通信所(2002年5月19日撮影)楚辺通信所(そべつうしんじょ)は、沖縄県読谷村にあった在日米軍施設である。通称象の檻(オリ)。
楚辺通信所


概要
敷地面積は53万5000平方メートルで直径約200m、高さ28mの巨大な檻のようなケージ型アンテナを持ち、三沢飛行場近くにある姉沼通信所(「三沢飛行場」記事内の当該項目参照のこと)とともに、軍事通信の傍受施設として使用されていた。管理は米海軍が行い、駐留軍従業員数は31人であった。

地主数は457人で年間賃借料は3億6500万円であった。1995年、一部の地主が賃借契約の更新を拒否し、大田昌秀沖縄県知事(当時)も土地強制使用の代理署名を拒否したため、賃借契約が切れた1996年4月からの1年間は日本国による不法占拠状態となった。1997年、米軍用地特別措置法を改正することで不法占拠状態は解消された。

2006年12月末に日本に全面返還され、2007年5月31日より、アンテナを含む施設の本格的な撤去作業が行われ、2007年6月8日、全てのアンテナが撤去された。


外部リンク
沖縄県知事公室基地対策課 楚辺通信所

■ことしも、あまりよいことはおきなかったが、こういった たしかな前進もあった。■依然として、米軍基地・周辺の治外法権ぶりは、全然かわっていないけれども。半世紀後ぐらいには、こういったことも、「そういった時代もあったね」と歴史的位置づけがなされていてほしいね。そのころまで、自分が元気でいきているとは確信できないのが、なさけないところだが。


●ウィキペディア「知花昌一
●ウィキペディア「山内徳信
●ウィキペディア「糸数慶子

山内健治戦世を越えるエスノグラフィー (楚辺編)
[座談会・戦争と記憶―戦後60年](1)〔『沖縄タイムス』2005年6月6日 朝刊9面〕
[座談会・戦争と記憶―戦後60年](2)〔『沖縄タイムス』2005年6月7日 朝刊17面〕
【連載】[座談会・戦争と記憶―戦後60年](6月6日~6月10日)
字楚辺誌編集委員会編『楚辺誌・戦争編』
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