プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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「外来語」問題を理解しない層の言語ナショナリズム

■ネット右翼は、中韓のアメリカでのロビイスト運動を有利にしているだの、「愛国者」らしい御仁(たぶん、中高年男性)の、中韓蔑視バリバリの差別的記述。■つまり、ネット右翼ぎらいなのは、無自覚な売国=反日的言動だからという観点からのみの、批判らしい。逆にいえば、愛国的な次元で機能的であれば、非倫理的もいいといいたげな論調だね(笑)。■いや、政府の外交部とかの、謀略論的発想からすれば、なんでもありなんだろうけど、それが「愛国的」ってのは、ちょっとちがう気がするんだが…。

日本文化の根底にある仏教・神道
……
 宗教という言葉も日本からそのままシナ朝鮮に取り入れられています。
「中華人民共和国一党独裁政権共産党幹部集団指導的政治経済体制」という言葉の中の中華だけは漢語であるが,ほかの言葉は全部,日本語であると、この間産経にもシナ人が書いていましたが、シナの現代用語の9割が日本語なのです。いち早く近代化した日本の用語、概念を片っ端から取り入れたわけです。しかし多くの彼らはそのことを知らないという産経記事でした。したがって、日本に来た中国人は町の表示などを見て何だ全部中国語じゃないかと思うのです。また、シナの言語は原始的で過去形も未来系もなく、てにをはが無いので、正確で複雑な事柄を現すのは無理です。したがって、魏書に水行十日、陸行三十日などと書いてあるが、船で行ってまた歩いたのか、水路と歩きの比較なのかどうでも解釈できるから、いまだに邪馬台国の位置について九州説と畿内説の対立があるのです。


■まず、基本的な誤解からいうと、(1) 「原始的で過去形も未来系もなく、てにをはが無い」といった、一般化がある。■ 「てにをはが無い」のは、膠着語以外は、全部そうだ。動詞変化もふくめて、副詞などで文脈が確定できれば、時制なんぞは不要なばあいもあるって、なんできづかないんだろう? ■ある言語が原始的だったら、なんで、核兵器やら最先端の科学技術やら、文学作品とかが生産されるんだろう?■「未来系」などと、変換ミスをしているが、このての御仁は、きっと わかものの漢字表記にもうるさいはずだが、ご自分を充分にモニターすることは、不要と確信しているようだ。
■これひとつとっても、この御仁の文化論というか、言語論のあやしさが露呈してしまって、もはや まともにとりあうに あたいしないこと、当然 政治論等も信用ならないことが、推測できるが、それはおこう。■ここでは、あくまで 言語ナショナリズムのデータとして、解析に徹することにする。

■(2) ロコツな反中韓的論調をかくさない『産経』のような媒体にわざわざ寄稿する漢民族(じゃないかもしれないが)が、どういった人物か、それ自体を少々警戒的にみるべきだ、といった慎重論は、これら御仁には、通用しないだろう。■まあ、「漢民族でさえも、みとめている」といった、おおいばりなんだろうとはおもうが、近代日本の知識人たちが翻訳漢字語を大量にこしらえたこと、それを中韓台など東アジア諸地域が、大量に「輸入」したことは、ちょっとした事情通なら、みんなしっていることだ。わざわざ、漢民族の正直ものというか、ナショナリズムをセーブした御仁におそわらないと、わからなかった不明をはじるべきだろう。


■(3) ましてや、「近代日本の知識人たちが翻訳漢字語を大量にこしらえたこと」を偉大なこと、それら翻訳漢字語を中韓台など東アジア諸地域が、大量に借用したことをもって、「だから、日本人はエラい」といった、むねの はりかたを するのなら、はじしらず、というべきだろう。■「近代日本の知識人たちが翻訳漢字語を大量にこしらえたこと」とは、とりもなおさず、「現在不可欠になっている基本概念が、当時の日本列島に決定的に欠落していて、とても近代国家を機能させえなかった」事実をウラがきしているのであり、「欧米諸国に対して、近代文明国として完全にでおくれた後進国だった」ことを白状しているようなものだからだ。■もし、「中韓など、東アジア諸国よりずっとはやく帝国になれた」といった相対的な優越意識でいるとしたら、それ自体が欧米列強に対する相対的劣等感の証明であり、のちの帝国主義は典型的な防衛機制(もちろん、「集団心理」といった、社会心理学的なモデル≒仮説にしかすぎないが)としての抑圧移譲であって、イジメられっこが、別の場面で(あるいは、事後的に)イジメっこに変貌したということだろう。


■(4) 歴史的経緯をしらない大衆が(日本の)「町の表示などを見て何だ全部中国語じゃないかと思う」のは、無教養な恩しらず、といわんばかりだが、近代的な翻訳漢字語の優秀性をほこればほこるほど、中国大陸・朝鮮半島の漢文文明の水準がたかかったこど、その伝統のもとに、極東の小国が文明化に浴したという論法を強化してしまうんだが、自覚があるんだろうか? ■たとえば 夏目漱石森鴎外はもちろんのこと、大正天皇といった ひとびとまでが、一所懸命漢文をよみ、こしらえていたという、20世紀初頭ぐらいまでの この列島の知的伝統を、どうとらえるんだろうか?(「天皇誕生日と漢籍の権威」) ■乱暴ないいかたをするなら、うえのような、「無教養な恩しらず」といわんばかりの論法は、必然的に、「日本民族」を美化する伝統主義者にも ふりかかってくることの自覚がない、それこそ「無教養な恩しらず」そのものなのではないか?


■(5) そして、現実的な近未来象をおもいうかべるなら、「大言語」とは、お世辞にもいえない広義の日本語が、極東の小国として完全に劣勢においこまれるんじゃないか?(たとえば、もと強国オランダの言語が現代の強国であるドイツの言語に劣勢であることと同様に)。■「おなじモジをつかっては いるけど、ヘンな発音で、奇妙な語順だよね」などと野蛮視されていただろう、極西の小島ブリテン島の小言語のようには、劣勢挽回しない可能性がおおきいじゃないか? 要するに、誇大妄想的に帝国拡大に奔走した60数年まえ、あるいは、経済大国だなどとおだてられて、ドル紙幣でもって、東南アジアなどのひとびとのほっぺたをはたき、あるいは、技術供与だのと、えらそうに「指導者」意識まるだしだった、四半世紀まえぐらいまでが、みじかいみじかい「頂点」だったと。■日本語学習者数なんぞも、現在が「頂点」で、あとは凋落まっしぐらかもしれない。


■(6) 所詮、言語使用の優劣なんてのは、外国為替とか基軸通貨みたいなもので、時代状況における相対的優劣できまってくる。■「外来語」とかいった現象だって、そのときそのときの状況で刻々実態がかわっていくわけで、ここ一世紀ぐらいの半端な帝国ぶりにしがみついたところで、そんな小国の自尊心など、なんのタシにもならない。むしろ「過去の栄光」とやらは、有害無益な「あしかせ」になるだけだろう。


■(7) 現実問題として、現在、中学高校大学と、膨大な時間をかけてまなばされるイングランド語のかわりに、マンダリン(北京官話)を一所懸命まなぶほかなくなる公算がおおきい。そんな時代のばあいは、マンダリンでパソコンをあつかえることが、政治経済上の不可欠の能力になるばかりでなく、文化交流上の「国際語」として、会議はもちろん、大学の講義などでの共通語になっている可能性がおおきい。■そのばあい、当然「外来語」としての単語は、イングランド語の比率が急減し、マンダリンの比率が急増するだろう。そして、その発音だって、日本語風になまらせるのは カッコわるくて、その時代に流行している発音に なるべくあわせないといけなくなっているだろう。■現在FM超短波ラジオ放送で、「パーソナリティ」とやらが、きはずかしくなるような、言語的チャンポンを実践しているが、そういった「留学生」的な まぜこぜ言語が、マンダリン至上主義ですすむんじゃないか? そうなれば、それは もはや「外来語」なんかじゃなくて、ピジン的空間になる。


■(8) そういった時代がきたばあい、現在の中韓など東アジア地域が、「外来語のブーメラン現象」として体験している現実は、一転、方向が逆転して極東の列島に再流入することになるはずだ。■そうなった時点では、「町の表示などを見て何だ全部中国語じゃないかと思う」現在の実感は、「現実」「事実」となってしまい、歴史的経緯にそった「逆転につぐ逆転」なんて、どうでもいいことになっているだろう。


■(9) そのような優劣の再逆転が実体化した時代には、極東の小列島に発生した、少数の言語ナショナリストたちが、漢字排斥運動をはじめているかもしれない。極東の半島のナショナリストたちが、漢字排斥をめざして、言語文化の中核として音標モジを象徴化したように、ひらがな だの カタカナ だのを、「ヤマト民族のこころ」とかいいはってね(笑)。■「外来語」問題などと、いっていられなくなるぐらい、攻守が逆転すれば、ここにかいたことは、単なるSFばなしではなくなる。


■(10) 以上のような「未来予想」が、ざっと たつはずなんだが、くだんの御仁たちには、無意味か? だよね…。■まあ、『産経』などご愛読のナショナリストのみなさんは、こういった「未来予想」が実現される時代には、現実を判断する能力をおもちでなくなっている可能性がおおきい。あるいは、かりに判断できても、「それで どうにかなるわけでは ない」現実をうけいれているだけと。■一世紀まえ、列島の北端・南端で、老人たちがそうであったような実体験を、それとしらずに追体験することになりそうだ。自分たちより劣勢にあった少数派の苦悩を全然想像できなかった民族の子孫としては、応報原理の必然的な宿命といえるんじゃないか?


■「諸行無常」。仏教の諦念=哲学は ふかい。あ、葬式仏教化=世俗化して、一部の高僧にしか哲理が継承されていないこの列島の仏教文化を、やたらにもちあげ、南アジアや中国大陸ですたれた高遠な思想の唯一の継承者としてのヤマト民族みたいな、妄想的なことも、この御仁かいていたね。
■冒頭部分を、一応はりつけておこう。

 学問の「いろは」なんて言うけれど、いろはにほへと~は仏教の四大教義を現しかつ日本語の音をもれなく表示するものですね。諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆空ですね。日本文化の基底はやはり仏教の影響が大きいと思います。

 お茶やお花、寺子屋から始まって多くの日本文化が仏教と関係が深いものですね。神道もありますが、国体や遠い祖先についての教えであって、身近な祖先や身の回りの文化習俗は仏教に基づくものが意外と多いと思います。シナと朝鮮では仏教は廃れました。シナでは共産党により撲滅され、朝鮮では教条主義的な儒教により、山中に追いやられました。発祥の地インドでも廃れました。
 学問的にも大乗仏教の深い狭義を研究し、実践しているのは、日本だけなのではないか。インドの宗主国のイギリスではパーリ語などの研究により原始仏教の学問があるようです。一神的な宗教や教条主義のイデオロギーと異なる日本の仏教の優れた教えは世界に誇れるもので大切にしたいものです。
 宗教とは、religeonの訳語で、元はラテン語のレリギオですね。意味は再結です。要するに原罪によって離反した人間と神を再結するというわけです。この意味で言えば、日本の仏教とか神道は宗教と言えるのか疑問が付くわけです。キリスト教にうんざりしたニーチェなどは、仏教は宗教ではない精神哲学であるとして、持ち上げていますが、金岡秀友の「密教の哲学」などを読むと深遠なインド哲学の系譜の深い学問性を感じさせられます。もちろん、日本人にとっては哲学のみならず、また、単なる仏教学でなく、信仰も大いにあると思います。いずれにしても仏教学は、空海がナーガリュージュナ(インド僧竜樹)直系の諸法を持ち帰って以来、日本が一番進んでいることは間違いないでしょう。また、文学、美術、言葉、茶道、華道、教育など仏教由来のものが意外と多いと思います。
 宗教という言葉も日本からそのままシナ朝鮮に取り入れられています。



■一部の 伝統芸能継承者とか、高僧などの到達水準まで全否定はしないが、この列島の住民の平均水準、中央値・最頻値あたりを、どうとらえて、こんな妄想的な総括=美化ができるんだろう???
■はぁ~。




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コメント

お久しぶりです。

この種の差別・拝外主義者は、他人がどんな正論を言っても、
通説を解説しても、がんとして耳をかたむけないとは思います。
彼ら・彼女らは、「排除したい」感情を補強してくれそうな情報や知識を求めているだけですから。
人を見下す快楽や安心感というものもあって、それなくしては生きていけなくなった人の場合は、
ふつうの説明では通じません。
カマヤンさんの言う宗教右翼のしがらみもあれば、なおさら立場は変えにくいはず。

だからといって口をつぐむわけにもいかないでしょう。
日本列島の北や南からさまざまな人が往来して
今日の言語・文化を形づくったことを言ってゆくしかないでしょう。
株も暴落するなど経済的不安材料は耐えないけれど、
隣国をおとしめても問題は解決しないことも含めて、言いまくるしかない。
危機には隣接地域の連携も大切なのに、
日本だけを礼賛している場合じゃないんですけれどね。

伝統継承者と伝統利用者

ワタリさん、こんばんわ

■おかげん、いかがですか? ■当方は、あいかわらず自業自得系の「つなワタリ」状態です。

■本文でもふれましたとおり、当方は伝統として継承された知恵・技能を否定するものではありません。むしろ権威主義と無縁な継承システムのばあいは、すなおに尊崇の対象とします。■技術水準をウンヌンする学識なんぞは、もちあわせていない自覚はありつつも、たとえば、法隆寺や伊勢神宮の改修工事を継承してきた宮大工のオジさまがたの知恵は、世界的文明の粋だと、おもいます。双方が、天皇制とわかちがたくむすびついてきた、権力の産物であるという政治性は別問題として、技術の継承として、純粋にすばらしいと(F1とかNASAとか、米軍の最先端技術と同様、庶民に還元されそうにない、っていう階級的限界は、とりあえずおいておくとしてですが)。■しかし、「日本文化って、なんてすてき」系の議論の本質は、こういった御仁の無残な論理に露呈しているわけです。左派リバタリアンの典型例のたち位置からのべさせていただくなら、「もうすこし、洗練されたプロデュースがないのかね?」って、冷笑ですね。■はっきりいって、この御仁程度の水準だったら、無学なハラナだって、反論可能ですよ。つまり、この手の美化は中長期的に有害無益だと。
■技能はおくとすると、歴史的事実としても、たとえば有名なケースでいうと、「寺田屋事件」の家屋は焼失して たてなおされていたのに、「事件当時の「弾痕」「刀傷」と称するものや「お龍が入っていた風呂」なるものがあり、当時そのままの建物であるかのような説明がされている」(ウィキペディア「寺田屋事件」)といった、無残な「伝承」系のイメージであるとか、司馬文学を事実とまにうけた層の「史観」であるとか、史的実証主義の水準にこたえられない無責任な議論・商法がまかりとおっているわけです。■わるいけど「先代から、~ときいている」以上の根拠などない御仁たちが横行しているわけですね。京都・奈良とかを中心に、列島全体で。これって、大河ドラマや時代劇にもあてはまりますけど、「消費者」の無知をカモにした「詐欺商法」のたぐいでしょう。■はっきりいって、「研究者になれるかも」系の妄想をはびこらせた大学院商法(「高学歴ワーキングプア」問題)という詐欺行為と、どっこいどっこいでしょう。後者はリスク計算に卑劣な「自己責任」論をもちこんだ点で、どうしようもないけど、前者は、「赤子の手をひねる」、知的暴力ですもんね。■「無知」の質・量がちがうけど、「それやっちゃ、おしめーよ」という、「不可侵」の領域にハマりこんで反省しないという、悪質な詐欺師集団という点は、通底している。

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