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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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患者が焼身自殺した医療訴訟で注目の判決(日経メディカル)

■「東京女子医大事件(2001年)をふりかえる」「福島県立大野病院産科医逮捕事件・無罪判決」などの関連記事。■1か月以上まえになるが、『日経メディカル オンライン』の記事から。


2008. 10. 21
原告側実質勝訴も、「真相分からず」と控訴を表明
患者が焼身自殺した医療訴訟で注目の判決


 2006年10月に、医療事故で病院を訴えていた患者が、被告病院の前で焼身自殺した事件があった。その民事訴訟の判決が2008年10月20日、水戸地裁土浦支部で下された。中野信也裁判長は、病院側の過失を認め、慰謝料や逸失利益など総額約1370万円の支払いを病院側に命じた。

 実質的には原告側の勝訴といえる判決だったが、原告側は記者会見で「医師の責任があいまいになったままの判決であり、納得できない」と語り、控訴する方針を明らかにした。提訴した本人が訴訟の途中で焼身自殺するという衝撃的な経過をたどった訴訟は、8年にわたる審判を経ても、原告側の不満や不信感を取り除くには至らなかった。

腹腔鏡手術で腸管穿孔

 この裁判は、原告が財団法人「筑波メディカルセンター」と担当医ら3人を相手取り、約3500万円の損害賠償を求めていたもの。事件の経緯は2006年に本サイトでも報じたが(関連記事参照)、改めて簡単に振り返る。

 原告の冨田善弘氏(故人)は1999年6月、直腸癌の治療のため、筑波メディカルセンターで腹腔鏡下腸切除術を受けた。その直後、冨田氏は腸管穿孔による腹膜炎を発症し、敗血症や播種性血管内血液凝固症候群(DIC)に陥るなどで長期の入院を余儀なくされ、その後頻繁に便意を催す後遺症が固定した。

 冨田氏は2000年6月、これら術後の腸管穿孔とそれに続いて発生した腹膜炎や後遺症などが、経験が未熟な(腹腔鏡下腸切除術について助手として2例、術者として1例。ただし他の腹腔鏡下手術の経験は多数あり)医師による手術時の過失によるものだとして、病院と執刀医などを相手取り、逸失利益や慰謝料など総額約4400万円の損害賠償の支払いを求めて提訴した(その後請求額を約3500万円に変更)。

 病院側は、冨田氏の腸管穿孔は合併症であり避けることができなかったと過失を否定し、全面的に争った。裁判で争う中で、冨田氏は病院側の対応や裁判所、弁護士などの対応に不満や失望を感じ、2006年10月に病院に抗議する目的で病院前で焼身自殺した。このため、冨田氏の遺族が継承して争っていたのが今回の裁判だ。

「穿孔が生じたのは術者の過失」と認定

 裁判の争点は主に、自動吻合器によって行われた腸管縫合時の過失の有無に絞られた。原告側は提訴した当初、(1)手術を腹腔鏡下で行うことに対し、インフォームドコンセントが不十分だった(2)腸管縫合時の手技や操作に過失があった――の2点を主な提訴理由に挙げていた。しかし、裁判所は(2)の過失の有無についてのみ判断を下し、(1)のインフォームドコンセントの有無については触れていない。

 (2)において原告は、「穿孔は術者であった医師が、鉗子で腸管を把持・牽引した際、腸管を損傷して生じた」と主張した。一方、被告は「穿孔は吻合に起因する縫合不全の可能性が高く、原告の腸管壁が裂傷が生じやすい状態になっていたことが要因として推定される。いかに腹腔鏡下手術に習熟した医師でも皆無にはできないため医師らに過失はなかった」と主張した。

 これに対し裁判所は、直腸癌手術時には5%程度という一定の割合で縫合不全が発生することを認めた上で、「穿孔と吻合部は離れており連続性が認められないのであるから、被告らが主張するような、吻合作業中に一定頻度で不可避的に起こる縫合不全とは性質を異にしていると認められる」と判断した。そして、「鉗子で腸管を把持した際に、誤って腸管を損傷したという過失行為によって穿孔が生じた可能性が推認される」と被告側の過失を認めた。

 ただ、腸管を把持したと見られる2人の医師のうち、どちらが腸管を損傷させたかについては特定できないとして、2人の医師個人の責任をそれぞれ否定し、医師の使用者である病院に賠償責任を認定した。
……
【中略】

「真相は明らかにならず」
 判決後、原告で冨田善弘氏の長男である冨田将史氏は記者会見を開き、「今回の判決では真相は明らかにならなかった」として、控訴する考えを表明した。そして、「病院の責任は認められたが、医師個人の責任はなかったとされてしまった。医師2人のうちどちらかがミスをしたことを認定しているのに、おかしい。これでは自殺した父に報告できない」と述べた。

 将史氏の言う「真相」とは、大きくは「どうして医療事故が発生したのか」ということと、「誰がミスをしたのか」である。穿孔がどのような機序で発生し、病院の過失はあったのかという点で、判決は真相を解明している。しかし、「誰がミスをしたのか」という点は明らかになっていない。

 民事訴訟において、すべての真相解明を求めるのは困難であり、控訴してもそれらが明らかになるとは限らない。原告側の持つ証拠からは、どの医師が腸管を損傷したかを特定することはできないと裁判所は判断している。それらを理解した上で、なお「共同不法行為という形で医師の責任をきっちり認めてもらいたい」と主張する将史氏の姿勢からは、提訴してから8年の間に募った、医師らに対する憤りが強く感じられる。

 また、この訴訟では、(1)のインフォームドコンセントは重要なポイントだった。病院から手術に対する十分な事前説明がなく、病院ではこれまで腹腔鏡下腸切除術は行っていなかったこと、経験豊富な医師として紹介された執刀医の経験が、実際は術者として1例、助手として2例しかなかったことなど、事故が起きた後に原告が追及して初めて知ったことは多い。これが「隠ぺい」ととらえられ、原告らが病院への不信を増大させる、最大の要因になったといえる
からだ。

 裁判所が(1)の判断を下していない理由として、原告側弁護士は「過失の認定に焦点を絞って訴訟を進めたからだ」と説明する。しかし、将史氏は(1)についての審理が不十分だったことにも、強い不満を感じている。結局、和解を拒否して臨んだ判決で得られたのは、病院側の謝罪でもなく、「真相」の解明でもなく、和解金額よりも減額された損害賠償額のみだった。

 最後に将史氏は、「裁判で真相を解明するのは困難だということをあらためて実感した。しかし、われわれには裁判しか手段がなかった」と語り、医療安全調査委員会や、裁判外紛争解決機関(ADR)、医療事故被害者救済制度などの整備を訴えた。

 なお、筑波メディカルセンターはこの判決に対し、「判決文が届いていないので、現時点ではコメントはできない」と述べている。


 以下、原告側の記者会見における、主なやりとり。

Q 判決を受けてどう感じたか?

A 手術の過失を認めながら、医師個人の責任は認められず、判決には納得できない。考えがまだうまくまとまらないので、判決文を読んでじっくり考えたい。
……
【中略】
Q インフォームドコンセントはなぜ争点になっていないのか?

A (弁護士)事前説明より重大な争点である、手術ミスの有無の方をメーンにしたためだ。こちらの方が、判決や損害論に与える影響が大きいと考えた。

Q 手術した件数が少ないという説明を受けていたら、手術はしなかったか?

A すぐに仕事に復帰できるという説明を聞いたので手術を受けた。件数が少ないなら通常の開腹手術の方がよかった。

Q 判決まで8年かかったことをどう思うか?

A 裁判の迅速化の流れに反していると思う。医療に明るくない裁判官が担当したために時間がかかったのではないか。

Q 8年の間に病院の体質は変化したか?

A 前よりもむしろ悪くなったと思う。これまで筑波メディカルセンターでは婦人科・消化器科・心臓外科でも医療事故訴訟があるが、いずれの被害者も「真実が語られていない」と述べている。
【以下略】

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■何度ものべてきたが、実質的機能という次元にとどまらず、本質的に訴訟というのは、事実をあきらかにすることではない。シロ/クロつけて、おとしどころを 決着させる儀式だ。■しかし、こういった制度を利用しないと、事実にせまれないのも原告らの現状でもある。
■そして、こういった心理においこむ構図は、被告ら医療関係者のデタラメ・逃避・不誠実による、完全な信頼感破砕がもたらしたものだ。■そろそろ、逃避行をやめて、現実を直視・対峙しないと。

■それと、これも何度かのべたことだが、事実の解明問題と別個に、被害者・家族の救済制度をつくらねばならない。やはり、医療ミスのための保険が必要だ。でないと、医師のタマゴたちが産科からにげだしたように、どんどん外科手術周辺から人材がにげだし、どうにもならなくなる。■その意味では、今回の訴訟も、「どの医師のミスか?」という事実にこだわった点で、問題解決をとおざけた気がする。判事が判断をにげたとか、くわしくない判事が担当になったのは、完全にまずいんだが、「おまえのせいだ」式の攻撃を個々の医師にせまればせまるほど、医療現場は急速に崩壊していくとおもう。

■いずれにせよ、今後は、手術のうまいへたよりも、充分な説明と同意がとれているかどうか、患者・家族がリスクを充分把握したうえで、なっとくしたかたちで、手術などを選択したか、なにか不測の事態がおきたときに、誠実に対応ができるかどうか、等々がカギになってくるとおもう。■もちろん、医学・医療技術の進展によって、以前だったら問題化しなかったようなことが浮上する可能性はあるだろうが、以前ならあきらめていたような症例がたくさんあることをかんがえれば、たすかった/たすからなかった、などより、「充分なっとくできる」かどうかがとわれるんだとおもう。カウンセリングや補償もふくめてね。


●「東京女子医大事件(2001年)をふりかえる
●「医師養成数、増加へ転換(厚労省方針)
●旧ブログ「「お産ピンチ」首都圏でも 中核病院縮小相次ぐ(朝日)
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テーマ : 医療・健康 - ジャンル : ニュース

タグ : 医療訴訟 過失

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