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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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「学力低下と格差解消のジレンマ-教育版ネオリベ政策と復古主義のグロテスクな結託」(去りにし日々、今ひとたびの幻)

■1年半もまえの記事だが、全然ふるくなっていないとおもうので、はりつけておく。

2007年4月21日 (土)

[教育][学テ]学力低下と格差解消のジレンマ-教育版ネオリベ政策と復古主義のグロテスクな結託

 ちょっと以前まで、新聞はもちろん社会的にも、口にするのがタブーであった学力と所得の関係が最近、公に語られ始めた。例えば、保坂さんのエントリでも→ http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/ffb5c4dac18823f3b6d60f9fb31327b3
 新聞でこの手の話を迂闊に書くと「貧乏人を馬鹿にするのか」という誤読者、クレームが避けられないため、信頼できるデータがあっても躊躇したものだけど、こうした事実を提示できるようになったこと自体は積極的意義を持つと思う。

 「逆学歴詐称」のニュースで、「学歴インフレ」という言葉を思い出して苅谷剛彦さんの「大衆教育社会のゆくえ―学歴主義と平等神話の戦後史」を斜め読み直しして、所得と学力の関係につい認識し直したことがある。
 経済格差によって教育格差が再生産されている、というのは実は表層的な見方でしかない。

 「大衆教育社会~」で苅谷さんは、過去様々な研究やデータを引きながら、つまり、学力は所得ではなく親から受け継ぐ「文化資本」に依存する、というような指摘をされている。


 「大衆教育社会~」からちょっと記憶を頼りに例を引く。

 東大入学者数の輩出高を見ると、かつては都立日比谷、西、青山など名門公立高で上位20位のほとんどを占めていたのだけど、近年はご存じのよう開成、灘、麻布といった名門私立がほとんどを占める。
 これを持って、中高一貫の私学に通える比較的裕福な層しか東大に行けなくなっている-と考えられがちだけど、そうではない。
 東大入学者の親の職業を見ると、実は都立校優位の時代から医者や弁護士、大学教授、教諭といった専門職、上位ホワイトカラーが半数以上を占め、その比率は私学優位になった近年とまったく変わっていないのである。

 いわゆる「学力」の概念には色々あるのだけど、最近は東大はじめ難関大の入試問題は非常に洗練されていて、知識量だけでは太刀打ちできず、発想力や創造力が問われるそうであるので、取りあえずそういう学力を念頭に置く。もちろん、この手の学力の有無に積極的な善し悪しはない。

 で、所得と文化資本は≒ではあるが=ではない。洗練された文化を持つ人は既存社会で成功した人であり高所得者であることが多いので、一般的には学力は所得に依存すると考えてもいいし、塾に行ける子行けない子という分かりやすい例もあるので、それはそれで間違いではないのだけど、それではことを見誤る。

 1970年代、米国のL・ジョンソン大統領は「War on Poverty」(貧困との戦い)という理念の基、貧困地域に教育予算を手厚く配分する政策を執ったけど、これはそれほどの成果を上げることはできなかった。貧困地域・層に予算を重点配分すれば良いというわけでもないようなのだ。

 所得よりもっと深いレベルにある学力格差とその再生産。これはかなり深刻だ。

 「大衆教育社会~」では、「教育のメリット」という概念を加えて、教育問題に取り組む際のトリレンマ(三すくみ)を説明しているのだけど、ここでは教育格差問題のジレンマを考える。
 民主主義社会では、行政はできる限り家庭教育に介入してはいけないことになっている。当たり前だ。一方で、文化資本による格差の再生産を是正しようとすれば、行政が家庭に介入しなければならなくなる。究極には共同保育、ヤマギシズムに行き着いてしまうのだけど、これに賛同する人などいないだろう。どうしたものでしょう。

 最近言われる「学力低下」の問題は、実は「学力格差」の問題である。「ふたこぶラクダ化」と表現されるよう、全体の学力が押し下がったのではなく、できる子の割合はそれほど変わっていない一方、できない子が大幅に増え、中間層が薄くなっているという現象だ。ネオリベ的二極化が教育でも起きているというわけで、教育も政治の上部構造ということだ。

 で、状況認識はともかく、学力低下が深刻ということで、24日に全国学力テスト「全国学力・学習状況調査」が行われる。
 http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/index.htm

 表向き、子どもの環境・親の所得と学力の相関関係、状況を把握して政策に生かしましょうということになっているのだけど、一連の動きを見れば、これが学校選択制や教育バウチャー制度等々、教育版ネオリベ政策導入へのきっかけになるのは明確なのですね。

 「文化資本の伝達」で分かるよう、学校教育には限界がある。にも関わらず、学力低下の原因を学校や教員の指導力に短絡的に求めるのは無茶というものである(もちろん、困った先生が一定数いることは事実だけど)。
 一方で、子どもの環境と学力の相関関係、文化資本の伝達が改めて明確になれば、親の責任がなんだと(給食費の未納問題がなんかアレなのは、どうもこれとつながっているように感じるからなのだ→「学校給食費の徴収状況に関する調査」から、怪しい気配がぎゅんぎゅんします。)言われかねない。もちろん、子育ての一義的責任は親にあるけど、こういう誘導は「規範意識」的復古主義と容易に結びつき、近い将来、教育版ネオリベ政策とグロテスクな結託を見せてくれそうだ。

 「改正」教育基本法の10条にはこうある。

 <父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
http://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/index.htm
http://www.mext.go.jp/b_menu/houan/kakutei/06121913/06121913/001.pdf

 ボランティアに熱心な子は学力が高い、だからボランティアを必修(明らかな矛盾だけど)にしようとか、朝ご飯を食べる子は学力が高い、だから親への教育が必要だとか言い出されるのだろうなぁ。
 ということで、教育井戸端会議でなくて再生会議はすでに、「親学」とか言い出しているわけで(w
 教育再生会議:「親学」を緊急提言へ 分科会で決定

 実は、親の文化資本に依存する学力格差を解消するためには、劇的ではないけどそれなりに効果がある政策があって、その有効性も実証されているのだけど、なぜか文科省や国はこれには昔から消極的なのだ。

 それが何かかというヒントは、取りあえずこの2冊
 全国学力テスト、参加しません。―犬山市教育委員会の選択
 検証・地方分権化時代の教育改革 教育改革を評価する―犬山市教育委員会の挑戦

 まぁ、「テレビで見て感動したから、30人31脚を取り入れろ」と提言される有識者が教育井戸端会議でなくて教育再生会議で教育政策を左右しておられるのだから絶望的なんだけど、テレビを見る暇があるのであれば、新書の一冊でも読んだ上でおととい来て欲しいと願うのである。
http://www.kyouiku-saisei.go.jp/
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/2bunka/dai3/3gijiyoushi.pdf

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■大事な論点が、「てんこもり」になっている。消化しきれない層がおおそうだ。■でも、こういったことが、ごくあたりまえに理解できるところまで、新聞や大学関係者がガンバルほかないだろう。
■ここ最近、学力格差を経済格差で、ごくおおざっぱに説明してきたので、補足的にはりつけてみた。

■だけど、引用した文章を単純にうけとる層もいそうなので、さらに補足。

所得と文化資本は≒ではあるが=ではない。洗練された文化を持つ人は既存社会で成功した人であり高所得者であることが多いので、一般的には学力は所得に依存すると考えてもいいし、塾に行ける子行けない子という分かりやすい例もあるので、それはそれで間違いではないのだけど、それではことを見誤る
 ↑ ■これは、社会学的(因果関係・相関関係的)には、ただしいけど、貧困層の児童に、学校文化・入試文化でかちぬける「文化資本」が充分みにつく可能性はひくいこと、それが児童の能力差としてだけ処理され、「機会均等」原則が維持されているようなタテマエになっていることは、補足しておく必要がある。■「塾に行ける子」に「塾に…行けない子」がかてる確率はおそろしくひくいはずなのに、家庭の自由だから、行政は介入できないから、という「正論」で、格差は放置されるということ。
■もちろん、「文化資本による格差の再生産を是正しようとすれば、行政が家庭に介入しなければならなくなる。究極には共同保育、ヤマギシズムに行き着いてしまうのだけど、これに賛同する人などいないだろう。どうしたものでしょう」というように、論者は、問題の所在に充分きづいているんだけど。

■いや、ひょっとすると、「中高一貫の私学に通える比較的裕福な層しか東大に行けなくなっている-と考えられがちだけど、そうではない」なんて、よけいなことかきこんでいるところをみると、(意表をついて)整理しきれていないのかも。■だって、東大合格者の属性を追跡調査したら、「中高一貫の私学に通える比較的裕福な層」が圧倒的多数だとおもうし。■いや、日比谷高校圧勝時代などから、ずっと格差構造の本質はかわっていなくて、…なんてことをいうんなら、「以前は、日比谷など東京都心部の名門都立高に通える比較的裕福な層」→「中高一貫の私学に通える比較的裕福な層」っていう、移行(≒連続性)を強調すべきなんであってね。■内田樹教授とかの、日比谷高校時代の むかしばなし=自慢話を ちゃんと おもいだそうよ(笑)。
■つまりは、過去から、東大進学者や慶応進学者の中核層は全然かわっていないんだとおもう。かわったのは、単に定員が急増したから、大衆の一部がはいりこめたということ。■問題は、70~80年代に、格差が、ちょっとだけ ちいさくなったようにみえたのに、また もとにもどりつつあること。■戦前・戦後をとおして、「家柄≒能力」という、近代的な身分意識(優生学的な)が、しばらくのあいだ こわれそうになったのに、「能力は遺伝する」っていう、人種論的な疑似科学が、ひとびとに、またしのびよっているという現実だろう。
■だいぶまえ話題になった、三浦朱門の暴言なんて、その最たるものじゃないか?■最近、失言で大臣やめた、中山某同様、これで東大というところの水準がしれるというもんだが、こういった連中にしきられなきゃいけない構図を、経済格差が温存していることは、再度強調しておく必要がありそうだ。■でないと、問題の本質をみあやまってしまう。



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タグ : 全国学力・学習状況調査 苅谷剛彦 「改正」教育基本法 文化資本

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コメント

教育格差是正を政策的にやろうとすると保守反動やネオリベと相性がよくなるというのはありますね。
がり勉歓迎、個人選択つぶし、フリースクール排除など。

もっとも効率が悪い、点数が悪いということでネオコン政権も一度はイギリスではフリースクールの草分け・サマーヒルをつぶそうとしています。
アメリカではチャータースクール化によって、
受験優先でないタイプのオルタナティブ教育に予算出し渋りをして、つぶしています。

結局、富裕層にとって都合の悪いものならなんでもつぶそうとするのがネオリベです。
もし学力が均等化されても相変わらず貧困ゆえの見えにくい不利さは続くでしょう。
せめて生きていける賃金の得られる職があればよいのですが。
ユニオンも少しでもゆとりがないとできないです。
あと企業も業務と関係ない学歴・学力を求めることはやめないといけません。非常に困難ではあっても。

それじゃ、どうすればいいのでしょうか? まだ答えは浮かびません。引き続き、考えていきたいです。

いろいろ むずかしいのは たしかですが…

■「企業も業務と関係ない学歴・学力を求めることはやめないと…」いけないという指摘は、もっともなのですが、それが いきつくさきは、アメリカ的なキャリア社会です。■4年制大学卒は、非専門家としてホワイトカラー下層、高卒以下は、「マックジョブ」(http://tactac.blog.drecom.jp/archive/1540)、専門職・管理職は、MBAなど専門大学院修了が前提という「資格社会」(R.コリンズ http://tactac.blog.drecom.jp/archive/180)ですね。■日本が大学院社会に移行するとはおもえませんので(理工系は完全に移行したものの)、4年制大学が現在の就職予備校から、専門学校化に暴走しそうな気がします。■いや、旧制の帝国大学が、フランスのグランセコールなどと同様、実務教育の場だったように、高等教育の「正常化」だというみかたも可能です。■しかし、だったら、それは大学である必然性がありません。企業や官庁が必要とする専門人を、医歯薬科系学部のように専門学校として養成すればいいんです。■問題は、非理科系の官僚制組織のリクルートに、そんなつごうのいい専門人養成ができるかということ。専門性なんていらないんですよ。退勤後の各種学校で資格をとれるような技能だったりするわけだから。

■「せめて生きていける賃金の得られる職があればよい」←そのとおりですが、いっそのこと、「ヨーロッパ病」にかかることが、特効薬のような気がします。財政破綻するって、世間はさわぎますが、生活保護うけて当然の層が、うけずにがんばりつづけるとか、ツブれてしまうのが等閑視されている野蛮な社会よりは、わかもの・中堅層が、重税にひいひいいいながら、たえる方が、まともでしょう。■そうなれば、おそらく企業家たちは、自分たち自身で、あらたなビジネス・モデルを成功させて、あらたな産業・雇用を創出するしかない、って、いま以上に知恵をしぼるでしょう(笑)。■いや、そんな悠長なはなし、まってられるはずないじゃないか? っていわれるかもしれませんが、「そろって生活保護、こわくない」式の価値観をひろめることが、革命運動なのでは?■「経済的自立していないのは、はずかしい」なんて美学は、主婦や老人、障碍者を侮辱していますよ。■労働者も、「なんで ヤツらは、はたらいてないんだ?」って、ルサンチマンで ヤツあたりするんじゃなくて、本当の不労所得層を攻撃しないと。

反貧困イッキ!(2008/10/19)

●「写真速報 : 反貧困イッキ!大集会に2000人」
http://www.labornetjp.org/news/2008/1019shasin/

●「反貧困 世直しイッキ!大集会・明治公園に2000人」(UnionTube)
http://video.labornetjp.org/Members/akira/videos/1019.wmv/view

●YouTube
http://jp.youtube.com/uniontube55


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