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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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全国学力調査の利用方法4(計量社会学者の反応)=「ムダ」とはなにか35【追記あり】

■先日かいた「学力調査で「自分の位置」を知る必要はあるのか?(モジモジ君の日記。みたいな。)=「ムダ」とはなにか34」の関連記事。「全国学力調査の利用方法3(大阪府民などの反応)」のつづき。

■社会学者が、簡単ではあるが、ズバっと キリこんでいたので、はりつけておく(原文にはリンクがないが、こっちが、かってにおりこんである)。■これを、各地の首長さんやら教育長さんらが きづけばいいんだが…。

分析、全国一斉学力テスト
何が面白いって、これは全数(悉皆)調査だから誤差が少ない。

19年度と20年度の都道府県別の正答率を取り込んで比較分析してみた。

変数間の重なりを示す年度間の相関係数は、6項目ともr=0.96潤オ0.88で今年の結果は前年の結果とほぼ重なります。県別順位(指標は順位じゃないのだけど)が、変わらないという報道も、そりゃ当たり前です。

つまり急に努力しても変わらないような、各都道府県の安定した教育力を測っているわけです。悉皆調査というものがいかに安定しているかを調べた実験としての意味はありますね。

∴ 毎年やる必然性はない(ことがわかった)。 継続しても、各県の正答率は現場が付け焼刃で努力して大きく変わる数字じゃない。


あわてて対策を講じている教育委員会さん、それは文部科学省に踊らされているだけだよ。かりに努力しなくて静観しても来年の結果はあんまり変わらないよ。

霞ヶ関の人たち、調査というのは国威発揚のための手段だと思ってるでしょ。これは税金を無駄遣いしているだけ。社会調査とは何かを大学院で学びましょう。


結果を精読してイカンの意を発している首長さん、これは学校現場の日々の取り組みの問題ではなく、その地域社会の教育力の問題だよ。あなたの任期中には微動しかしない天賦の数字なのです。

最後に関連学会の会長さん、データ分析から調査設計の弱点を突いて、一撃で倒すような発言をしてごらんなさい。言多くして、怒ってるだけでは役に立ってませんよ。それに、もっと幅広く社会科学を渉猟する読書をしないと。読んでる(評してる?)本が竹内先生とかと比べて狭すぎる・・・あ、いま私、かなり言い過ぎてる。

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■しらべてないから、しらんけど、各学会の会長さんたち、そんなにコメントしているんだろうか?■だって、統計学ちょっとかじっただけで、いえることなんて、ごくかぎられてしまうでしょ? 全数調査無意味だとか、経済階層と密接にむすびついた学歴の地域格差と、児童たちの学力格差はかなり相関がありそうだとか、だから、成績を公表するとしたら、その政治的影響力をちゃんとわきまえて、保護者が学区脱出ための参考データにつかいたそうだから公表なんて論理には、ならないとか…。■文部官僚と自治体などの議論は、統計学をわきまえないか、しっているのに政治的意図をかくすために、ふせているか、どっちかなわけだから…。


【追記】
■ただ、大阪大の志水先生とか、この吉川先生などが主張する、「地域社会の教育力」なるものが、なんなのかは不明。■「効果のある学校」とか「(学力向上させる)力のある学校」というとき、自明のように前提にされている、「学力」概念が、そんなに自明なのかというのは、旧ブログ以来ずっとかいてきたとおり。
■以前、中卒ないし高校中退でおえてしまったばあい、現代日本では、ものすごいリスクをせおうことになることは、確認しておいた(「リスクとしての教育格差」)。■日系ブラジル人とか、中国残留邦人家族の2世問題だって、おおかたは高校卒業までこぎつける層がものすごくうすいのが現状で(恣意的な漢字文化とか、いろいろ文化障壁がたかいから)、日本社会に適応しきれない、って構造にあるわけだ。■志水先生とか京阪神の教育学者たちが、学力格差問題に実践的な処方箋がかけないか奮闘してきたのも、被差別部落やコリアンタウンなどが、学力格差にさいまなれてきたという歴史的経緯があってのこと。■だから、「解放の学力」とかいった高邁な理想なんかよりも、「高校卒業できる基礎学力」「大学にもぐりこめる学力」といったものが、実際問題、個々の家族の教育戦略にとって死活問題の次元に位置することも否定しない。
■しかしである。日系ブラジル人二世の世代に、日本の文化障壁をそのまんまに放置したまま、「ともかく漢字文化に適応…」といった教育方針に問題があるように、大学入試やら会社・官庁が選抜につかう教養試験やらのとう「基礎学力」ってのが、ホントに中立的で、実社会に不可欠な知識・技能なのかといわれば、それはあやしいだろう。■漢字力への要求水準がしばしば恣意的で差別的であるように、日本社会は、文化的にバリアフリーの理念からほどとおい「文化的鎖国状況」のまんまだ。相撲や陸上長距離などの留学生が定着して、一部が好成績をあげているとか、そんな成功例をあげて、日本社会の無自覚な排外主義を放置しているってのは、単なる同化主義というものだ。■いや「解放の学力」とやらを追求してきた部落解放運動だって、狭山事件の石川被告の識字能力について、かなり屈折した態度をとってきた。非識字者を妙に美化しつつ、識字によって一挙に知的に解放されたかのような神話を強調するための「物語」として、「知的に不可欠なモジ知識から排除した差別的社会」という論理を正当化するための素材として、非識字者を手段化してきたんだよね。無自覚に。■識字学級・夜間中学みたいに、基本的人権を追及してきたところ、解放教育という差別的社会に対する抵抗・異議もうしたての運動として善意でくみたてられてきた空間でさえも、非識字者への無自覚な差別意識と同化主義があったわけで、ましてや、高校進学を自明視するような公教育現場で、「学力向上とは、いかなる政治性をはらむか?」なんて、本質的な反省がうまれるわけがない。
■なにしろ、「生徒が受験に失敗せずにいける高校をさがしてあげる」ことが、本務であるかのような機能さえも、中学がはたす現在、小学校区のしばりがイヤで、私学による脱出をはかる算段が一般化しつつある、大都市部の一部の階層とか、そういった野蛮な風潮。■そんななかでは、全国水準での学力順位などをまえに、必要不可欠の学力水準とはなにか? といった本質的問題(「絶対的な到達水準」)などは、絶対にかたられず、ひたすら相対的位置がたかいのか、ひくいのか、しか とわれないことになるだろう。■それが、橋下知事あたりの、野蛮な おどしとかに、象徴的にあらわれるんだとおもう。
■一度きいてみたいね。橋下知事など、成績公表派が自明にしてとわない、「必要不可欠の学力水準」とやらを。■「ペーパーテストが計測した相対的序列です」とか、シレっと、いいはなつんだろうか?


●旧ブログ「学力」関連記事
●旧ブログ「義務教育」関連記事



【追記:2008/10/13 17:52】
■コメント欄にかきこんだとおり、くだんの社会学者先生、不可解な記事削除をされたようなので、わるいが記録化しておく。
■トラックバックが 後日運営者の判断で取捨選択されるのは、当然の編集権だ。■しかし、ハラナが本文でかいたことが、公序良俗に反するとか犯罪的であるとは、到底おもえない以上、おくったトラックバックが画面に表示されたかどうかの確認ぐらいはする権利があるとおもう。
■ましてや、無断で記事全体が削除されていて、その合理的根拠があかされないってのは、科学的実証主義者のやることとしては、一貫性がないとおもうが…。■ハラナは、権威主義からとおいところにいるんで、実証主義者全般に全幅の信頼をおいたがゆえに失望するとか、人間不信におちいったりはしない。ただ、職務上の おおすじの信頼性を確保するためには、ひとりひとりの言動の責任ってのが、おのずと とわれるとおもうんだよね。
■うしろぐらいところが皆無なら、是非メールくださいな。

●Google検索「“分析、全国一斉学力テスト”
→「学歴・意識・不平等: 第5章 親の学歴から子の学歴へ 後半
→「学歴・意識・不平等: ニュースを観る子ども


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タグ : 基礎学力

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コメント

けしてしまえばいいってもんじゃないでしょ?

■くだんの計量社会学(「軽量」なくて「重量」というべきか)者さん、記事を削除されてしまったようだ。■トラックバックをおくったことが失敗だったか? 完全かつ即座に記事の存在自体を全部抹殺しようとした意図は、どこに? 実に不可解。

■ちなみに、ハラナは イジワルなので、氏のブログの、くだんの記事が実在したこと、記事がもはや、ハラナの本文でしか、たしかめられなくなった事実を記録化しておく。

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