プロフィール

ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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値上げの時代に「相場観」磨きムダ減らそう(金子由紀子)=「ムダ」とはなにか33

■前便同様、2週間ほどまえの『朝日』の「私の視点」ワイドの記事の転載。■金子由紀子氏の文章。

 原油や食糧の高騰によって様々なものが値上がりしている。いつも購入しているパスタが、ある週から突然1.7倍に値上がりしたのには驚いた。
 以前とおなじ生活を続けたい。こんなとき脚光を浴びる言葉が「節約」である。時間をかけてチラシを見比べ、10円でも安い遠くのスーパーにまで行って並ぶ。同じような商品なら100円ショップで購入する。無料でもらえる景品やサンプルを徹底的に活用する。
 こういう生活を続けると、見回せば、銀行のロゴのついたティッシュの箱や、健康ランドでもらったタオル、発泡酒についてきたグラスばかり。10円、20円に一喜一憂する毎日に疲れると、何だか無性にイライラしてきて、気がつけばバーゲンで服やバッグを衝動買い、それはいつしかたんすのこやしに……。

 私は「シンプルな暮らし」についての本を書いてきたが、こうした「節約のわな」のような事例を数多く聞いた。共通するのは、「ものはいっぱいある。節約もできた。でもちっとも心が満たされない」という悩みだ。「節約」の美名の下に、忙しい思いをして稼いだお金をせっせとモノに変える。なのに、「本当に欲しいもの」でないから徒労感が残るのだ。
 「値上がりで、以前と同じものが買えない」ならば、質を落とした安価なモノで我慢するより、そもそも買わないという選択を勧めたい。
 バサバサといくらでも使い捨てていたティッシュペーパーは買わず、新聞紙やガーゼのハンカチで代用する。洗剤を使わなくてもすむアクリルたわしを自作する。ラップフィルムアルミホイルの代わりに、新聞紙で包み、深皿をかぶせて使う。
 例えば、鮮明な色彩の漬物が、大袋入りで安価だからといって、それを選ばない。出盛りのナスを自分で漬ける。妙に値段の安い牛肉を無理して買わず、品質のよい豆腐を選ぶ。自分で作るという作業が増え、動物性たんぱく質は植物性に置き換わるが、生活の質は落ちない。むしろ上がる。
 こういう選択をしていると、家の中からムダなものが減っていき、掃除がしやすくなる。ものが少ないと豊かな空間を楽しめる。家が広くなる。片づけの時間も「節約」できる。自分がどんな生活をすれば満足できるかという「相場観」が身につき、自分の欲しいものに優先順位がつけられる。一通りすべてがそろわないと不安だった自分の姿を振り返ることもできる
 買うことばかりが消費者に求められているわけではない。何でも自分でそろえようとすれば、家に物があふれ、生活の圧迫にすらなる。一方、昔の生活のように「借りる」「共有する」という選択は、ものは増やさず、知人を増やせる
 喪服など冠婚葬祭に使うもの、育児用品、工具や機械といった、一時だけ必要なものは、互いに貸し借りする。私が実践してきたことだ。ベビーカーは十数人で使い回せた。都心で始まったカーシェアリング(車の共同所有)にも注目したい。
 互いに融通が可能な信頼関係を作ることは、いざという時の力強い「保険」にもなる。
 もののダイエット(減量)は、物価が上がり始めた今こそ好機だ。ものに対するお金と時間の使い方を考え直すことで、今までの生活で見失っていたことにも気がつくはずだ。
       ◇
 出版社勤務を経てフリーに。主著に「持たない暮らし」。

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■正論だとおもう。■難点をいえば、(1)「自分で作るという作業が増え」るという変化を選択できないような、ユトリのな心身の状態のばあい どうするか? ■(2)大企業にかぎらず、おおくの産業が、こういった「正論」にそった 「もののダイエット(減量)」ライフをおくる消費者ばかりになったときに、構造不況業種として倒産ないし人員削減においこまれるだろうということ。

■(1)心身の状態や経済力や時間的制約とかで、「「自分で作るという作業」をふやせないひとは、たくさんいそうだ。■もちろん、「10円、20円に一喜一憂する毎日に疲れる」→ストレス蓄積の反動で、自滅行為に暴走→自己嫌悪におちいって、ムリでセコく 巨視的計算を度外視した「節約」モード……という悪循環構造が問題という単純な図式でわりきれるなら、簡単だ。■しかし、「やすものがいの ゼニうしない」という ことわざの変奏曲である、筆者の断定は、万人に普遍的にあてはまるのか?
■ちょっとかんがえただけでも、(a) 「節約」モードが人生第一の趣味、ないし依存症的に ケチの追求が徹底している層、(b) 「節約」モードが一種の自己欺瞞であり、「日々節約している自分」という自己像を維持するための偽装工作によって、実は浪費的な性格を直視しないよう防衛機制がはたらいている層、(c) 「節約」モードは生活費用の必要上から当然しいられているのであり、精神的ムリなどとは無縁な層、という、最低でも3分類が可能だとおもう。■筆者の提案は、(b)タイプ=防衛機制としての自己欺瞞型にしか、あてはまらないのではないか?

■(2) そして、うえでいう(b)タイプ=防衛機制としての自己欺瞞型こそ、実は、大量生産・大量消費・大量廃棄を前提とした 現代型資本主義市場のカモというか、この もっとも ぶあつそうな集団こそ、市場の中核なのであり、ここが、筆者のいうようなもののダイエットに本格的にめざめ、「そもそも買わないという選択」を基調とする日常生活にきりかえたら、主要先進国の需要は壊滅的に縮小し、企業はもちろん、小生産者のおおくも廃業においこまれるのではないか? ■「本当に欲しいもの」以外に、おびただしい よけいなものを かいこんでしまい、結局は 浪費するか大量廃棄するというムダこそ、現代社会の需要の相当部分をしめているのではないか? ■いいかえれば、うえでいう(b)タイプ=防衛機制としての自己欺瞞型を大量に再生産することこそ、マーケティングの真の機能であり、これが想定できない市場とは、完全な構造不況状況の常態化だろうと。■集団ヒステリーのように、「やすものがいの、ゼニうしない」をくりかえさせ、それにる不全感がもたらす、発作的な、バカがい/バカぐい/大量廃棄ないし退蔵…こそ、現代資本主義の構造的病理なのであって、企業がわなどが、「努力して利用者にニーズに対応しないとうれない」という「正論」は、かなりわりびいてかんがえる必要があるだろう。
■たとえば、テレビや雑誌におどる、くだらん情報の洪水などは、「ニーズ」をタテマエにしているが、「うれた」「うれそうだ」という 経験・予想以外の良識は、商品のごく一部にしかあてはまらないではないか? ■速報性はともかく、10年後、20年後、世情の証拠としてのこす以外に価値のない情報ではない、といいきれる媒体がどのぐらいあるか? それは、「さすがに ふるくなった」という次元ではなく、冷静にかんがえれば、発表時点ですでに無価値な情報でしかないのではないか? ただ、カネになるという現実以外に、ホントなにもないようなね。■そして、これは「マスゴミ」がタレながす情報公害にとどまらず、資本主義市場に適応しようと大量生産・大量輸送・大量配信を前提にした商品の相当数が、そうなのだとおもう。■そして、それらは、大量の「やすもの」だけではなく、相当数の「ぜいたく品」にもあてはまるのではないか? 装飾品とはいえ、無用にダイヤをちりばめた とけい とかね(笑)。「ブレスレットとして特化するのではなく、宝飾品のひとつとしての とけい です」みたいなものは、本質的に矛盾している。宝飾品なら、時針がうごく必要なんてないし、ときをしらせる必要もない。

【かきかけ】




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