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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

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政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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甘粕事件(あまかすじけん,1923/09/16)

●ウィキペディア「甘粕事件」から。

甘粕事件(あまかすじけん)は、関東大震災(1923年9月1日)の直後の1923年9月16日、アナキスト大杉栄伊藤野枝とその甥の計3名が憲兵大尉・甘粕正彦らによって憲兵隊に強制連行・殺害された事件。大杉事件ともいう。


9月16日

関東大震災後、東京や神奈川が混乱に陥り戒厳令が発せられていたさなか、大杉栄は内縁の妻伊藤野枝と、神奈川県橘樹郡鶴見町(現在の横浜市鶴見区)に住む大杉の妹あやめを見舞い、その息子の橘宗一(6歳)をつれて東京に戻る途中、行方不明になった。
彼らが憲兵隊に連れ去られたといううわさが広まり、9月20日、時事新報や読売新聞などにより大杉ら3人の殺害が報じられた。日本を騒がせるアナキストであり恋愛スキャンダル(日蔭茶屋事件)でも世間に有名になった大杉・伊藤の二人に加え、6歳の小児までも殺されたとあって世間は騒然となった。
軍と対立する警視庁は捜査を要求。また、殺された大杉の甥・橘宗一がアメリカの市民権を持っていたため、米国大使館の抗議を受けて政府は狼狽し、9月19日の閣議でも問題になっていたばかりだった。隠し通せなくなった軍は9月20日付で東京憲兵隊渋谷分隊長兼麹町分隊長であった甘粕正彦大尉を軍法会議に送致し、福田雅太郎戒厳司令官を更迭、憲兵司令官小泉六一少将らを停職とした。


9月24日

4日後の9月24日に軍法会議予審があり、事件の概要が明らかにされた。
……


その後

アナキストらは大杉殺害の報復として、その後1年ほどの間に軍幹部の狙撃事件などを起こしたが、次々と逮捕され、あるものは殺されあるものは転向して満州に渡るなどし、アナキスト運動は急速に衰退の方向に向かった。
甘粕大尉は3年弱、千葉刑務所において刑に服したが、1926年(大正15年)の10月にひっそりと釈放され、その後陸軍の官費で夫婦でフランスに留学し、後に満州に渡って満州事変に関わることになる。
大杉栄・伊藤野枝の恋愛スキャンダルや虐殺事件については、1970年に吉田喜重監督により『エロス+虐殺』のタイトルで映画化されている。


異説

事件の主犯は甘粕大尉ではないとする説は根強く存在している(笠原和夫の麻布第三連隊主犯説、竹中労の陸軍幹部謀略説など)。当時の陸軍・特高警察の指揮系統では甘粕が部下に「大杉一家殺害」を命令するのが不自然であること、甘粕の供述によれば殺害前の甘粕と伊藤野枝が尋問中にウィットに富んだ会話を交わしており、殺害を前提としているとは考えにくいこと、甘粕が教条主義的かつニヒリストだった事からみて証言の変遷はいかにも不審であること、などが傍証とされる。そのため、「甘粕は事件自体に関与していない」「大杉以外の殺害は知らなかった」などのさまざまな説が生まれたが、現在となっては真相の検証は困難である。(なお、満州時代の甘粕は、満州映画協会幹部らとの私的な席で「ぼくはやっていない」という発言をしている)


関連項目

大杉栄
伊藤野枝
甘粕正彦
亀戸事件
白色テロ
ラストエンペラー

参考リンク

甘粕(あまかす)事件
日本ペンクラブ 電子文藝館 招待席・主権在民史料 「関東大震災」 (今井 清一)
関東大震災と新聞 (池見哲司)

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■この際、甘粕が事件の主犯だったかどうか、なんてのは、関係ない。■野蛮な虐殺事件が権力犯罪の一部として実行されたという事実が確認されるだけだ。たった85年=3世代程度まえにね。■関東大震災を9月1日に、急におもいだしたかのように、防災訓練するんなら、同時に、この野蛮な権力犯罪=虐殺弾圧事件の時代背景もあわせておもいだすべきだろう。なぜなら、防災訓練的なことは、毎月のように演習しないと無意味だが、大震災にまぎれるかたちで実行された権力犯罪は、記念日的におもいださないかぎり、通常ふりかえるきっかけがないからだ。■当時、大杉らアナーキストに対して、権力・体制がわが、なにをおそれいたか? バレないなどと タカをくくっていた、おろかしさをおくとすると、なにゆえ こんな 愚劣な犯罪をおかしたか? 当時の大衆が、甘粕への「同情」で急にもりあがったという時代状況は、なにを意味するのか? 現在、これと同質の事件が絶対におきないという保証はあるのか? 近隣諸国での権力犯罪の野蛮を冷笑する風潮は、はたして意味があるのか? 等々、かんがえるべきことは、おびただしくあるとおもうんだが。
■歴史教育ってのは、こういったことを、地道にくりかえすことじゃないのか? 副産物として、資料批判の感覚をまなんで、疑念をもって情報を吟味・ウラとりする慎重さ・冷静さが必要だと、実感させること。権力は『1984年』の「真理省」よろしく、ウソをつく宿命をかかえていること。これらを体感させることこそ、「歴史にまなぶ」本義ではないのか?


●旧ブログ「憲兵」関連記事
●旧ブログ「関東大震災」関連記事
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