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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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カシュガル旧市街に取り壊し通告 ウイグル族「横暴だ」(朝日)

■先日の『朝日』のオリンピック関連記事。



カシュガル旧市街に取り壊し通告
 ウイグル族「横暴だ」

2008年8月25日20時14分
カシュガル旧市街に取り壊し通告1
中国・カシュガルで、泥やれんがを積み重ねた
住居がひしめく「旧市街」に暮らすウイグル族の
親子たち=古谷写す



 【カシュガル=古谷浩一】中国新疆ウイグル自治区カシュガルで、ウイグル族が集中する「旧市街(オールド・シティー)」を一斉に取り壊そうとする動きが出ている。北京五輪閉幕にあわせるように24日から25日にかけて、地元当局が都市再開発を理由に、住民代表らに早期立ち退きを求めた。ウイグル族側から反発の声が出ている。
カシュガル旧市街に取り壊し通告2

 カシュガルの旧市街は、中国で最大級のモスクと言われるエイティガール寺院の周辺に広がる地域。街北部の高台を占める一画にあり、泥などでつくったウイグル族独特のつくりの家々がひしめく。数万人が住むと言われている。

 複数の住民の話によると、地元当局は「旧市街の建物は老朽化しており危険なので取り壊す」と通告。具体的な立ち退き期限は示されなかったが、「早急に立ち退くように」と求めたという。

 カシュガルの人口は約35万人で、うち約8割がウイグル族を中心とした少数民族。残りの約2割が漢族だ。90年代以降、政府が経済建設に力を入れ始めたことで、漢族の商人や建設関係者らの流入が加速し、街の古い街並みは次々と壊されてきた。旧市街は昔ながらのウイグル族文化が残る限られた場であり、多くの外国人観光客も訪れる。

 当局は50世帯分の住居だけは壊さずに保存すると説明しているという。だが、ウイグル族側は、一方的な取り壊し通告は「民族文化の破壊」が狙いだと反発。靴職人の男性は「五輪閉幕にあわせて出て行けと通告してくるとは。民族感情を無視した横暴な行為だ。国際社会の中国への関心が離れるのを待っての措置としか思えない」と語った。

 カシュガルでは、ウイグル族と漢族との間の結婚が勧められているほか、郊外の農村部でもウイグル族の若い女性を自治区外の都市に出稼ぎに出すことが奨励されている。当局はウイグル族の漢族への同化措置を強めているとウイグル族側は受け止めている。

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■こういうことを、「内政」だとわりきって、外部からの批判的視線を無視するようだと、アメリカ・ロシアなどと同質の野蛮な帝国(ちぬられた覇権大国)だというイメージをぬぐえないままだろう。■記憶の風化・記録の滅失がすべてを合理化するというのは、あまりに、認識があまい。

■それと、当然のことだが、反中国系右派が、当然、これをネタにする。再三問題にしてきた「敵の敵は味方」という、例の野蛮な論理ね。


●ブログ内「ウイグル」関連記事
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コメント

中国の帝国としての特殊性は

「民主的であるというポーズもできていない」という一点に還元できそうな気がします。つまり、ロシアや米国が、たとえ票の操作がされていそうだとはいえ、選挙をするなど一見民主主義的であるかのようなポーズはとっているのに対して、「中国では世論調査は許されていません」(『サンデー毎日』9月7日号27ページ)とのことですので。つまり、その一点に還元できれば、中国特殊論にかなりな程度対抗できるとおもいますが、どうですかね?
なお、反中右派にネタを提供することを承知でつけくわえますが、2005年か6年に、中国を専門としている某大学教員から聞いた話では、中国共産党の懸念の一つとして、前の王朝(清王朝)の総括をまだしていない、というのがあったとのことです。いまこの時点でもそんなことにこだわっているのかどうかはしりませんが、すくなくとも数年前にはそのように言っていたそうです。ちなみに、ここでいう総括とは、前の王朝が暴政をふるったせいで現王朝に移行したという、現政権を正当化するための記述だそうです。いや、仮に2005年か6年の時点であっても、そんなことをしようとしているという一点をもってしても、「共和国という名を冠する王朝です」と告白している様なものだとおもうんですが。
ついでに、日本国籍の中国研究者のなかにも、中国共産党の現金につられて清王朝の暴政と中国共産党政権の正当性を証明する視点から研究をしているひとがいるであろう懸念を申しておきます。

前政権を「あしざま」にこきおろすのは、古今東西普遍的現象ですが

■おそらく、中国共産党政権の「正史」において、前近代の清朝を打倒したウンヌンは、大した意味をもたないのではないかとおもいます。■(台湾の歴史教科書が いまてもとにないので、たしかめられませんが)軍閥の連合政権っぽい本質をかかえていただろう初期の国民党政府→亡命政権にとっては、孫文(孫中山)以来の正統性ということで「前近代の清朝を打倒した」という神話を死守したがるでしょう。■しかし、中国共産党にとっては、そんなことは、どうでもいい。蒋介石らが国共内戦で敗北して台湾に亡命していった経緯もあって、「中国人民の真の解放を達成した中国共産党の偉大な歴史の『つゆはらい』の役割をはたした、孫文や蒋介石たち」といった位置づけしかしないでしょう。■むしろ、国民党的「正史」の論理にひきずられて、二段階革命論などになると、国民党政府の価値を「正当」に評価しなくてはならなくなり、「敵にシオ」状態になりかねません(笑)。
■これも、反中国的右派(エセ台湾派)に「シオ」をおくることになりそうですが、「敵の敵はみかた」論で分析するなら、清朝末期の腐敗ぶりを強調するのは、不充分ながら権力からひきずりおろし、実効支配を継承した国民党政権を利することになり、うまくない。■植民地化の危機に対応しきれない清朝末期のぶざまな状況を強調するのは、「逆転劇」という論理でナショナリズムをあおる効果はありますが、やりすぎれば、「つゆはらいとしての国民党政府」の正当な位置づけをせまられるので、さけるのではないでしょうか?■このようにかんがえたときに、いまさら、清朝の歴史的位置づけとやらを「宿題」として、アタマをなやませる理由がわかりません。

■それと、これも「敵にシオ」ですけど、「中国5000年の歴史」とやらの正統性神話からすると、清朝をあまりあしざまにいうのは、まずいでしょう。かかせない、ジグソーパズルの巨大な一片というか、漢民族神話リレーの不可欠の前史ですから。■とりわけ、チベットやらウイグル、モンゴルなど、周辺の少数民族の生活空間を、そっくり「ごっつぁん」させてもらったのは、清朝からの「遺産」であり、「清朝では「不充分きわまりなかった少数民族の人権・潜在能力を開花させた中国共産党」といった神話を吹聴するためにも、「清朝」は「不可欠の前史」だとおもいます。■ひょっとして、このあたりの地政学的な利害を合理化するための「正史」でっちあげのために、アタマをなやましているのだとしたら、完全な帝国主義者たちですね。それは、『1984年』の「真理省」よろしく、歴史データの恣意的な取捨選択を御用学者にさせないかぎり、論理的に不可能でしょう。いや、それにヤマトの歴史研究者が動員されているのだとしたら、おぞましいはなしですね。右派の一部がさわいでいるように、日本列島近辺を「東海省」化する作戦を入念にねっている一環かもしれません(笑)。

■ただ、インターネットを介して加速化・濃密化する「遠隔地ナショナリズム」の影響力を過小評価していたのは、状況判断上の致命的なミスでしょう。■今回のオリンピックだって、米ロと同様、「ちぬられた帝国」という印象を確実に世界中に配信しましたし。「くちパク」事件やCG花火も、国内もふくめて世界中の漢族ナショナリズムをさかなでしたようですし。■将来数十年後、中国大陸は分裂しないまでも、共産党政権が崩壊している可能性はでてきましたね。ナショナリズムを利用して求心力を維持しようというこころみは、周辺の少数民族のナショナリズムだけではなく、多数派民族の自尊心もときとしてきずつけかねないと。

異質な事柄が同列にあつかわれていることについて

一応『現代思想』における立岩真也氏の連載のような題名にしようとかんがえたのですが、題名をまねても所詮は貝枝がかくので内容はいつもの水準ですが。
で、本題ですが、「非国民通信」(http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/e46cd238185997ee76c8acfcdccebaa9)でもかいたとおり、実質的に人権を侵害しているかいなか、そしてその人権が相対的によわいたちばのひとびと(女性や子どもや少数民族や障がい者など)の人権であるかいなかが問題であろうに、なぜ、CG花火・くちパク少女・少数民族の衣装をきた漢民族、というヤラセがよくて同列、へたをすれば問題の深刻さを正反対にとらえたとしかおもえないあつかいをされるのか?
わたしにいわせれば、
1.CG花火はだれの人権も侵害していないので価値中立。
2.くちパク少女は児童労働である点でヤラセだろうがなんだろうが問題。ただ、そのなかでは、むしろくちパクという役割分担した方が、ひとりの児童あたりの労働は相対的にすくないので、まだしもマシ。
3.少数民族の衣装をきた漢民族は人権侵害をしまくっているのに人権侵害をしていないふりをしているというヤラセである点で一番悪質。
という明確な区別がなりたつのに、そうした区別をした意見を寡聞にしてきいた記憶がない。単にわたしがメディアにうといせいかもしれないが、実際にそのような区分をして論じているひとの人数自体がすくないのだとしたら、よのなかのわりとおおくのひとには人権意識がねづいていないのではないか、という懸念がぬぐえない。

あと、中国共産党という「敵にシオ」ですが、ぜひとも同党には『一騎当千』(ワニブックス)をよんでプロパガンダのセンスをあげてほしいものです。『一騎~』のあらすじは『オフィシャルアンソロジー』(同)の「だって恋する乙女だし」(53ページ)が一番要約しているとおもいますが、貝枝的に一番ツボだったのは「秘孔?」(110ページ)ですな、ものがツボだけに…って、いやネタではなくマジで。
…というオチは、どーですか?胡錦濤さーん!

ついでに

『一騎当千』(ワニムックシリーズ111)という、再編集したマンガがありますので、上記アンソロジーの53ページをよんでもあらすじがつかみにくいかたはどうぞ。ムックの方は原作の再編集ですし、おそらく孫策・周瑜・呂蒙・左慈についで5番目に登場頻度がたかいであろう楽就も登場していますので。
なお、その本は某政令指定都市のコンビニにはうっています。

反中国派にとっては、クソミソなんです(笑)

■社会学者周辺が問題視する「本質化」という手法は、対象を「一緒くた」に論じきったフリをすることですね。■民族差別のばあいの本質化は、その典型例であって、ていねいに分析しようなどという態度とは正反対なわけです。■というか、もともと防衛機制の一環として他者非難がうまれるわけだし、その安易な戦術として、なかば無自覚に選択される本質化である以上は、対象集団(幻想上の「一枚いわ」ですが)にあてはまりそうな「わるい属性」は、それこそ総動員されると。そこに、軽重なんて、高級な序列化なんて作動しません(笑)。

パレスチナ人には存在するが、ほかの先住民族には存在しないとおもわれる微妙な問題。

パレスチナ人には存在するが、ほかの先住民族には存在しないとおもわれる微妙な問題として、先住民族を差別している集団名(パレスチナに対してはイスラエル)という用語をつかうこと自体が困難である、という問題があるとおもいます。つまり「中国政府によるウイグル民族への差別」とか「日本政府によるアイヌ民族への差別」といった発言は、先住民族であるウイグル民族やアイヌ民族にもきいてもらえる発言であるのに、「イスラエル政府によるパレスチナ人への差別」という発言に反発をするパレスチナ人が一定程度存在するむねを、パレスチナ人を支援しているひとからききました。
その理由はたぶん、イスラエル(という国民国家の存在をみとめるひと)が主張する国境がパレスチナの国境と合致することにあるのではないでしょうか。つまり、「イスラエル」という用語の存在をみとめることが、その用語のしめす領土的な境界がパレスチナと合致するがゆえに、あたかも即座にパレスチナをまるごととりあげられてしまう様に感じるのだとおもいます。これは、上記のウイグル民族やアイヌ民族などほかの先住民族問題では生じない問題である様に感じます。
さらに、この問題が面倒なのは、かりにパレスチナ人の主張どおり「イスラエル」という用語自体をつかわないことにしてしまうと、イスラエルによるパレスチナ人への差別は「パレスチナにおける差別」などといわざるをえなくなってしまい、さながら逆差別、あるいはうちゲバの様な印象をあたえかねないことであるとおもいます。というのも、加害者の自称する集団名のかわりに被害者の集団名をつかわざるをえなくなってしまうからです。それゆえ、やはり「イスラエル」という用語自体はつかわざるをえないとおもうのです。そのうえで、パレスチナ人に対する配慮としては以下の様にいうべきだとおもいます。
すなわち、「イスラエル」という用語をつかわなければ上記の様な誤解を生じかねない。それゆえつかう。ただ、パレスチナ人がその用語をつかわれること自体に反感を感じるのも、その用語のしめす境界がパレスチナと合致するがゆえに、自分たちの領土をまるごととりあげられた様な印象を受けるのであるから無理もない。そのような反感に道理があることはみとめつつも、議論の混乱をさけるために「イスラエル」という用語を、やむをえずつかわせていただきたい、と。

不明にして、名称問題は、よくわかりません

■もとの居住空間から、おいたてられてしまったという歴史的経緯だけみるなら、北米のインディオたちや、旧蝦夷地のアイヌ民族もそうであり、米軍支配下におかれる際に、「銃剣とブルドーザー」で住居を破壊された沖縄島・伊江島の住民も共通しているとおもいます。
■なかでも、沖縄島・伊江島の住民のばあい、先祖の墓までも略奪されるといった暴力のもと、巨大基地の周辺に集住しているという、すごいことがおきているわけです。ユダヤ系の植民者=侵略者たちの占有と、米軍関係者たちの基地・住宅の占有は、おいたてられた住民にとって、かなり共通した性格をもっているとおもわれます。

■ちなみに、沖縄島・伊江島の住民たちは、国連などから「先住民」あつかいをうけるのに違和感を表明しています。かれらはアイヌ民族のように、ヤマトゥンチュに包囲され放逐された「先住者」ではないからです。■しかし、対米軍という意味では、やはり「先住民」なのです。もし、国連などの少数民族規定が、これを皮肉っているのなら、すごいとおもいますが、そんな高度な政治判断をしているとは、到底おもえません(笑)。

名称問題のまえに追記します。

名称問題の前に追記します。

拙文「異質な事柄が同列にあつかわれていることについて」のなかの

>相対的によわいたちばのひとびと(女性や子どもや少数民族や障がい者など)

に、「黒人など有色人種」という表現もつけくわえるべきでした。

また、おなじ文章の

>2.くちパク少女は児童労働である点でヤラセだろうがなんだろうが問題。

を、「児童労働であるうえに女性の労働である点で」とあらためます。

で、名称についての問題はつぎの文章でかきます。

共通している点と共通していない点を列挙します。

おっしゃるとおり、虐殺され土地をうばわれた点は、パレスチナ人にもアイヌ民族にも、そしてこの「カシュガル旧市街~」でご指摘のウイグル民族にも共通する点だとおもいます。

ただ、共通していないとわたしが感じるのは、日本政府や中国政府はアイヌ民族やウイグル民族の土地も収奪していますが、その場合、そうした先住民族の土地「も」である点、つまり、特定の種類の先住民族の土地「のみ」を収奪しているのではなく、そうした先住民族の土地「も」領土拡大の一環としておこなっている、という点にあるとおもうのです。つまり、逆にいうとイスラエルは、パレスチナ人の土地「も」ではなく、「のみ」を(間接的に支配する場合ではなく直接的に収奪してしまう場合については、まさにパレスチナ限定で)うばってしまっていることに日本や中国との差があるように感じるのです。すこし冗長かもしれないいいかたをするなら、ほかの民族の土地をおいて、パレスチナ人の土地を限定的にうばっているわけですよね。であるがゆえに、「イスラエル」という国家の国境はパレスチナのそれと合致してしまい、中国の一部としてのウイグル自治区や日本の一部としてのアイヌモシリ(北海道)ではなく、パレスチナそのものが「イスラエル」とされてしまっている様に感じるとおもうのです。パレスチナ人がほかの先住民族とちがって、加害者の集団名をうけいれること自体が困難である様にみうけられる理由は、そこにあるとおもうのです。

中国ネタ

http://kakutei.cside.com/san/yomu/ukin.htm

いや、この作品の場合の問題は中国自体ではなく、原作者(ということにされている)横山光輝氏ですらなく、脚本や監督をした人間および製作にたずさわった会社の問題であるんですが、ネタとしてどうぞ。

寄生者と宿主の「逆転」ですね

■ようやく、ちょっとだけ本質がつかめました。■あとからきた新参ものが、もとからいた存在のようにふるまい、地理空間全体を、「拡張」ではなく「簒奪」すると。■ただ、そうなると、オセアニアとか南北アメリカ大陸とかは、みんな「イスラエル」ってこともいえるのでは? ■また、「道産子」イデオロギーとかをあげるなら、ここの「イスラエル」かもしれません。
■「宿題」として かんがえてみます。

「道産子」イデオロギーに関してはご指摘のとおりだとおもいますが

おっしゃるとおり、「道産子」イデオロギーに関してはご指摘のとおりだとおもいますが、オセアニアとか南北アメリカ大陸は、すこしちがうかもしれません。
というのは、「道産子」の場合は、先住民族が、(網走市に「オロチョンのひまつり」という行事がある様に、「オロチョン」(あるいは「オロッコ」あるいは「ウイルタ」)というアイデンティティをもつひとびとも一定程度は存在するとしても)おおよそ全般的にみずからのアイデンティティをしめす民族名として「アイヌ」をあげている様におもわれ、そのなかで「●●アイヌ」という下位区分を意識している様に推測される状況にあり、「道産子」という呼称は「本州」(という呼称もイデオロギー的だが)の延長ではなく、それとはきりはなされたアイデンティティにもとづく呼称であるのですから。
ですので、オセアニアや南北アメリカ大陸も類似しているのかもしれないのですが、すくなくとも南北アメリカ大陸に関しては、そこの先住民族のひとびとがみずからを「●●ネイティブアメリカン」という風に意識しているかいなか、つまり「アイヌ」と「ウイルタ」の関係の様に「先住民族である点は共通しているが別個の民族である」と感じるのではなく、「●●アイヌ」と「××アイヌ」の様に「アイヌ」という民族の大集団のなかの小集団という下位の区分、という意識があるかいなかですね。で、すくなくとも南北アメリカ大陸に関してはその様な意識は存在しないわけではないにしてもアイヌ民族の場合にくらべると非常にうすいのだとおもうのです。
ですので、「道産子」イデオロギーは「イスラエル」だといそうですが、南北アメリカ大陸の場合はいえない様に感じますし、オセアニアはその中間くらいの様な気がするのです。

そして、いずれにせよ「道産子」ならぬ「日本人」あるいは「和人」あるいは「ヤマト民族」と自称するひとびととアイヌ民族の関係は、この記事にあるウイグル民族と中国人の関係同様に、「イスラエル」とパレスチナとは別個の関係にあるといえるとおもいます。

ホームレスのひとがうっている雑誌『ビッグイッシュー』の

101号が先住民族特集をくんでいますが、その12ページには日本の先住民族としてアイヌおよびウチナンチュの名称があげられ、オーストラリアに関してはヨータ・ヨータ(アボリジニ)という名称があげられています。対照的にアメリカ合衆国に関しては、コマンチェ、チェロキー、ラコタ・スー、イズレタ、タオス・プエブロ、ヘメス・プエブロという名称があげられ、ニュージーランドに関してはタラナキ(マオリ)、ナイタフ(マオリ)、ナティ・マニアポト(マオリ)、ナティ・ランギヌイ(マオリ)、ナ・プヒ(マオリ)という名称があげられています。

この分析がそれなりに妥当だとすると、支配者集団の自称する呼称自体をうけいれにくいという問題が生じているらしいパレスチナ人との類似性に関しては、オーストラリアはあてはまるかもしれませんが、米国に関してはあてはまらない様に感じます。そしてニュージーランドはその中間くらいである様な印象をうけます。
ま、いずれにせよ、今回の一連のながれであげられた事例のうち、パレスチナの様な名称問題に一番ちかいのは、たぶん「道産子」イデオロギーでしょうね。

いろいろありがとうございます

貝枝さん

■いろいろご教示、ありがとうございます。■2週つづけて土日やすめなかったので、つかれが たまっており、おへんじは、また いずれ、ということで。

某メーリングリストより転載

ガザや西岸、パレスチナのの窮状が、哀愁をたたえたウードの音色とともにYouTubuで観ることができます。転送して広めていただけますか。
http://uk.youtube.com/watch?v=DSzn7XLLM7c&eurl=&feature=player_embedded
これは、Sonjakarkarの作品です。
http://uk.youtube.com/user/sonjakarkar
画面でも訴えているイスラエル商品のボイコット(スターバックス、マクドナルド、コカコーラ、ネッスル、インテル、マイクロソフトなど)は、こちら。
http://www.inminds.co.uk/boycott-mcdonalds.html

いつもながら、国家による組織的テロですね

■実は、この件で、記事かこうとおもっていました。■しごとでとりこんでいて、ちょっと…。

■ハマスのやりかたには、賛同できませんが、イスラエル政府がテロリスト集団だという事実、それを追認するのが「悪の帝国」アメリカという構図は、あいかわらずですね。■はっきりいって、イスラエルは、内政問題の「内憂」を「外患」に責任転嫁して、ガスぬきしているとか、死傷者もでていないハマスのミサイル攻撃に対して被害妄想的にさわぐイスラエル「市民」のこえにおされて、「和平」をしようがないんだとおもいます。ガザ地区も、いずれ全部せしめないと気がすまないというのは、大英帝国からの亡命者たちが、「西部」に「明白な運命」などとたわごとをわめきながら暴走していったのと、同質だとおもいます。

「北方領土の日」反対!アイヌ民族連帯!関東集会

日時:2月7日(土)18時開場18時30分開始
開場:渋谷区立勤労福祉会館第2洋室
渋谷区宇田川町1-1
JR渋谷駅徒歩10分
主催:「北方領土の日」反対!アイヌ民族連帯!2.7関東集会実行委員会
資料代:1000円

旧ブログ記事から

北方領土問題という幻想 [2006年02月07日(火)]
http://tactac.blog.drecom.jp/archive/287
■今日は、「北方領土の日」だそうである。
安政元年12月21日(新暦に直すと1855年2月7日)に日露和親条約が結ばれ、北方領土が日本の領土として認められたことに由来。
北方領土返還運動を盛り上げる為に、政府が1981年に制定。


■昨年、ロシアのプーチン大統領が来日。「北方領土」問題をふくめた首脳会談がおこなわれた。■しかし、①原油高で巨額の外貨がまいこむ好況のロシアには、シベリア開発などの投資のさそいにしろ、したてにでる必要などなく、②また共産党政権かおまけのナショナリスティックで強権的な姿勢こそロシア国民からの圧倒的支持の基盤であることを充分自覚しているプーチン大統領には、個人的な親日的な心情などかませる余地などないことは、事務当局同士の事前協議まえからわかりきったことだった。■いわば、小泉政権/外務省は、かちとれる「国益」など、はじめから 0にちかいことが みえていた大統領訪問という、なんとも まがぬけた 政治儀礼を消化したということだ。
■しかし、そんな茶番劇よりも 珍妙なのは、「茶番」におわることが みえていた訪日にもかかわらず、未練がましく「北方領土問題の前進」といった政治課題を なんとか 議論にのぼらせようとしていた、メディアや世論の動向である。
■何度か、かるくふれては きたが、「日本固有の領土」といった前提での「失地回復運動=レコンキスタ」には、大義がないし、①幕藩体制期から、②近代日本の成立期をへて、③第二次大戦での帝国解体後の60年という、大別して3つの時代区分における、日ロ間、日ソ間の条約の正当性うんぬんは、国際法上の解釈問題の次元にすぎず、実効支配のありようでいえば ロシア領、「固有の領土」でいうなら、千島列島/樺太/北海道/沿海州/カムチャツカ半島こみで、オホーツク海周辺の 先住民族である アイヌ/ニヴフ、そしてウィルタなどツングース系民族への 全面返還、そうでなくても、土地利用権/採掘権/漁業権をはじめとした「主権」が回復されねばなるまい。
……



『別冊 環16』(藤原書店)において

「清朝とは何か」という特集が組まれております。
これによって、わたしが2008/08/30 10:13にのべた「前の王朝(清王朝)の総括をまだしていない」という懸念はきえさったとおもうので、あとは中国の政権交代である易姓革命にはげんで禅譲してくだされ、胡錦濤さん。いえいえ、わたしはべつに『毎日新聞』(7月4日号4ページ)の「エコナビ2009」でふれられた希土類がほしくてこの様なことをかいているのではありません。
2008/12/09 20:36にもかいたとおり、その希土類が具体的にはジスプロシウム(ディスプロシウム)というものであることは存じあげておりますが(http://harana.blog21.fc2.com/blog-entry-571.html)それが目的ではありません。
ちょうどいまわたしの手もとに、すこしまえ(1800年くらいまえ)の王朝の重臣である諸葛亮さんというひとの発言録がありますので引用します。

のう胡主席、われらは中国を征服しにきたのではない。民主主義を説きにきたのじゃ。民主主義とは全人代…もとい人民を主権者とする政治じゃ。胡主席がそれがいかに大切なことであるかをわかってくれれば、われらはすぐにでも中国ネタからひきあげるつもりじゃ。
(『三国志』潮出版社・48巻より、一部意訳)

でもって、民主主義については清朝の総括をした某出版社(所在地は某国「東海省」)において論じられていますので、参考にしてくだされ(http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1069)。

「天下の大勢は合すること久しければ必ず分かれ、分かれること久しければ必ず合する。」
(『中華人民共和国志完結編』メディアファクトリー文庫・3巻より)

岡田英弘御大の ご高説

http://www.fujiwara-shoten.co.jp/shop/index.php?main_page=product_info&products_id=1068&zenid=7c8d716eaa765ef394fc224f10cfd75f
 現在の中華人民共和国の領土はすべて、一九一二年に崩壊した清朝の領土を継承したものである。ところが、一般に流布しているような「清朝は、秦・漢以来の中国王朝の伝統を引き継ぐ最後の中華王朝である」という視点は正確ではない。それはなぜかというと、清朝の支配階級であった満洲人の母語は漢字漢文ではなく、アルタイ系言語である満洲語であったこと、広大な領域を有した清朝の領土の四分の三が、同様に漢字漢文を使用する土地ではなかったからである。
 一六三六年、万里の長城の北側にある瀋陽に、女直人あらため満洲人と、ゴビ砂漠の南のモンゴル人と、遼東の漢人の三種類の人々が集まって、女直人ヌルハチの息子ホンタイジを皇帝に推戴した。これが清朝の建国である。正式な国号は「大清」であり、清朝は通称である。「大清帝国」も後世の呼び方である。さて清朝では初め満・蒙・漢三体、すなわち満洲語・モンゴル語・漢語の三言語が公用語として定められた。このあと領土が拡大するに従って、チベット語とトルコ語が加わり、清朝における使用言語は満・蒙・漢・蔵・回の五体になった。清朝では満洲人の故郷と漢地以外の土地は「藩部」と呼ばれ、言語も宗教も法律も異なっていた。一九一二年に清朝が崩壊するまで、帝国全土に通用する言語は満洲語のみで、清朝のかなりの公用文書は満洲語か満漢合璧(並記)で書かれたのである。現在、北京の中国第一歴史檔案館に所蔵されている何百万件という清代檔案(公文書)の半数が満文、半数が漢文なのである。
 ところが一九一二年に中華民国が成立すると、満洲語はほとんど死語となってしまった。現代中国では、満族と呼ばれる満洲人の後裔は一千万人を越えるが、満洲語を話す人間は新疆北部に居住するシベ族を中心として数万人のみである。かえって戦後の日本で満洲語研究が盛んになり、私が加わった『満文老檔』の研究は、一九五七年の日本学士院賞を受賞するに至った。このあと日本のみならず世界の学界において、清朝史研究に満洲語が必要であるという認識が定着したが、まだ研究者の数も少なく、一般読者にこのことが広く知れ渡っているとはいえない。
 そこで本企画では、漢文に加えて、満洲語やモンゴル語やチベット語やロシア語などの史料に基づく、さまざまな研究者による新しい切り口で、清朝それ自体を捉え直したいと考えた。これまでの日本の東洋史の蓄積も大いに取り入れ、日本やヨーロッパとの関係もふくめて、清朝という大帝国の全体像を明らかにしたい。
岡田英弘 

 ↑ たしかに、いえてますねぇ。

中国、特に清朝に関する新刊がでましたので

紹介します。
『世界』(8月号)最後尾にある、『清朝と近代社会』(吉澤誠一郎・岩波新書)における著者からのメッセージ(新刊案内)。

この本は、一九世紀の清朝について、そのプロフィールをなるべく多面的に描き出そうとしたものです。この時代に生きた人々の理想と挑戦、苦悩と奮闘はどのようなものだったのでしょうか。ともすれば停滞または没落のイメージでとらえられがちな清朝末期の時代について生き生きとした印象をもてるように紹介したいと思っています。一九世紀の清朝は決して「斜陽の大国」ではなく、近代世界に積極的に対応していたのです。
本書は、少し長い射程から現在の中国について考えるのに有効な手がかりとなることをめざします。なぜなら、清朝という満州人の支配する国家が近代世界の中で次第に姿を変えていくことで、現代の中国が生まれてきたからです。ですから、この本を中国に関心をもつ多くの方に読んでいただけることを期待しています。しかも、これから岩波新書として刊行されていく中国近現代史シリーズの最初の一冊となります。
(よしざわ せいいちろう/東京大学准教授)

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