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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

前ブログ: 『タカマサのきまぐれ時評

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優先順位/存在証明/自己実現/自己満足7(海外NGOの優先順位)=「ムダ」とはなにか30

■「優先順位/存在証明/自己実現/自己満足6」のつづきではなく、むしろ、「優先順位/存在証明/自己実現/自己満足4」、および「優先順位/存在証明/自己実現/自己満足2」との関連記事。■ペシャワール会の日本人スタッフ、伊藤さんの殉職についての論評を、『JANJAN』から転載。


もういい加減、海外NGO活動はやめませんか?
 ―「ペシャワール会」伊藤和也さんの悲劇を
     くりかえさないために

                        難波和郎 2008/08/29
アフガニスタンで支援活動中に非業の最期を遂げた「ペシャワール会」の伊藤和也さん。この事件を聞いて、私は改めて、外国でのこうしたNGO活動に疑問を感じた。日本社会では彼らの行いは必ず賞賛され、通常、批判は批判であるというだけで採りあげられない。だが冷静に考えればこれはおかしいのではないか。マザー・テレサの「愛はまず手近なところから始まります」という言葉を受け止めるべきだ。
 「ペシャワール会」の伊藤和也さんが非業の最期を遂げ、彼の無事解放を待ち望んでいた人々には残酷な結末となった。何よりご本人が無念だったろう。自分の死以上に、自分に期待してくれた人々のもとに無事に帰れないことは、何よりもつらいからである。

 彼の仕事は立派である。戦乱で荒れたアフガニスタンの土地を自分の学んだ農業の知識によって回復させようとした。その志半ばでたおれたのである。悲劇である。

 彼の志に水を差すわけではない。だが、私は外国でのこうしたNGO活動には疑問を持っている。特にそれに従事する人々の純粋な熱意と善意に対して危惧を抱くのである。危ないからやめなさいと言われてやめますというような人々ではない。自分の信念を貫く意志の強さと行動力を持っている。だから危ういと思っている。

 少し意地の悪い見方をしてみる。このようなNGO活動をする人の中に顕示欲と賞賛を受けたい気持ち、また、人々に感謝されたり尊敬されたいという欲望が見え隠れしていないだろうか。活動内容は頭の下がることばかりである。日本では、彼らが活動報告をすれば必ず「偉いですね」「立派ですね」という賞賛の声がわき起こる。そこには批判を受け入れるゆとりはない。批判は多国籍企業の横暴と軍隊を派遣した国、そして政府要人など偉い人々の無策に集中する。自分も現地へ出向いて活動するつもりがなければ、黙って彼らを賞賛するのが無難であると考えられているのかもしれない。

 だが冷静に考えればこれはおかしい。

 海外だけでなく、日本にも問題は山積みだ。農業問題だけをとっても、荒れた土地は多いし、食料自給率は先進国の中では壊滅的である(関連サイト)。亡くなった伊藤さんはまず日本で活動するべきだったのではないか。今の日本でなら、少なくとも銃弾に倒れることはなかっただろうし、ご両親を悲しませることもなかった。世論には今回のできごとを美談にする動きもあるが、「命を粗末にした」と私はあえて批判したい。

 だが、日本には彼の熱意と野心に応えられるだけの仕組みがなかったのかもしれない。

 NGOの中には、そのあふれんばかりの熱意と善意に支えられた行動力のために、独り善がりな考え方に陥る団体も多い。そして彼らは普通、他者からの批判を許さないのである。だがアフガニスタンのことはまずアフガニスタンの人に任せるしかないのではないか? あるいはそれが出来ない事情も国際社会にはあるのだろうが、面倒でも私たち日本人は選挙を通じてしかその事態を変えることは出来ないのではないか。それもりも大事なのは、今ある自分たちの日常をいとおしむ気持ちだろう。

 マザー・テレサが初来日の時に述べたと言われる言葉を思い出す。

 「日本人はインドのことよりも、日本のなかで貧しい人々への配慮を優先して考えるべきです。愛はまず手近なところから始まります(1981.4)」

-------------------------------------------
■ソボクな疑問を列挙しておく。

■①ボランティア等、貧困対策は、まずは「あしもと」から…。マザー・テレサの忠告をもとにした批判は、もっともそうにみえるが、筆者が展開するような一般論で、「外国でのこうしたNGO活動」を全否定できる根拠は、どこにある。■たとえば、伊藤さんは、現地のひとびとに、「危険もおおいのに、日本のこともかえりみないで献身するなんて、自己満足だ。かえって、日本の貧困対策でもやればいいのに、ありがた迷惑だなぁ」などと、内心迷惑がられていたといった、具体的証拠をつかんでいるんだろか?■じもとのひとびとが、その非業の死をいたみ、犯人にいかりをぶつける様子は、「外交辞令」にすぎないのか?

■②「アフガニスタンのことはまずアフガニスタンの人に任せるしかないのではないか? あるいはそれが出来ない事情も国際社会にはあるのだろうが、面倒でも私たち日本人は選挙を通じてしかその事態を変えることは出来ないのではないか」と、一応疑問形でしるしてはいるが、具体的データをあげられないなら、くちをつぐむべきではないか?■難波氏は、なにか、自分や周囲に実害があったのか?
■「立派」だとか「彼の志に水を差すわけではない」「活動内容は頭の下がることばかりである」などと、ことわっている。■しかし、実は、ホンネである「NGO活動をする人の中に顕示欲と賞賛を受けたい気持ち、また、人々に感謝されたり尊敬されたいという欲望が見え隠れし…、そのあふれんばかりの熱意と善意に支えられた行動力のために、独り善がりな考え方に陥る団体も多い。そして彼らは普通、他者からの批判を許さない」といった表現にもあらわれているとおり、NGO活動への嫉妬心など、非難がましい攻撃欲求をカムフラージュしているだけではないか?■だからこそ「亡くなった伊藤さんはまず日本で活動するべきだったのではないか。今の日本でなら、少なくとも銃弾に倒れることはなかっただろうし、ご両親を悲しませることもなかった。世論には今回のできごとを美談にする動きもあるが、「命を粗末にした」と私はあえて批判したい」などといいはるし日本には彼の熱意と野心に応えられるだけの仕組みがなかったのかもしれない」といった、主観的な独断をまじえるのではないか?■してみると、「NGO活動をする人の中に」とか「NGOの中には、…団体も多い」といった、「部分否定」をわざわざほどこすことによって、ペシャワール会も、そういった自己満足(陶酔)的・独善的な団体であるという、悪意をかくしているのではないか?と、うたがわれてくる。実は、着目されるようなNGO活動全部を否定してみたいと。

■③「日本にも問題は山積みだ。農業問題だけをとっても、荒れた土地は多いし、食料自給率は先進国の中では壊滅的である(関連サイト)。亡くなった伊藤さんはまず日本で活動するべきだったのではないか」というが、過疎地の「荒れた土地」に、たとえば、伊藤さんのような農業指導員がはいりこんで、自給率や保水率を全国レベルで救済するような、めをみはる成果があげられただろうか? ■過疎地の農家のひとびとは、高齢化など悪条件のなか、やれるだけのことやりながらも、残念ながら都市化・市場原理のうねりに抗することができずに「ジリ貧」状態においこまれているはずだ。■筆者は、「適材適所」「対費用効果」「やりがい」「巨視的動態」などを、充分考慮のうえで批判を展開しているのか?

■④総じて、「日本では、彼らが活動報告をすれば必ず「偉いですね」「立派ですね」という賞賛の声がわき起こる。そこには批判を受け入れるゆとりはない。批判は多国籍企業の横暴と軍隊を派遣した国、そして政府要人など偉い人々の無策に集中する。自分も現地へ出向いて活動するつもりがなければ、黙って彼らを賞賛するのが無難であると考えられているのかもしれない」という、立派さ、批判をあびる危険性がほとんどない、超越的たちばへの嫉妬心こそ、この文章の本旨ではないか?

■ひとの行動は、あきらかに周囲に有害でないかぎり、自由である。主体的に判断し決定する権利がある。
■逆に、ひとの趣味・主義・主張に対して、みずからの「優先順位」を強引にあてはめて論難するような権利などない。■ひとの趣味・主義・主張を不当におとしめることで、みずからの無策を合理化するような「趣味・主義・主張」は正当化されない。それは、「無知の知」について無知である層による、「表現の自由」「思想信条の自由」のはきちがえだろう。

■伊藤さんのご両親ほか親族は、必死に、今回の事態をなっとくしようとしている。だから、日本人スタッフが中村医師以外現地からひきあげるにしても、プロジェクトを放棄せず継続していく方針を擁護している。■そういった心情を、さかなですることまでして、「命を粗末にした」などと、なじれる思想とは、なんなのだろう?


■かりに現地に、「我々は米や小麦、食用油など食糧支援は認めるが、道路や学校、ダムなど地形や文化を変える構造物は認めない」とし、地元住民に歓迎されてきたペシャワール会の復興支援事業そのものを否定」するような集団が一部いようと、それで批判が補強されたことにはならない。■「地元住民に歓迎されてきたペシャワール会の復興支援事業」よりも、日本国内に山積する課題こそ優先順位がたかいとする、合理的根拠をしめすべきだろう。そうでなければ、非業の死を、さらにムチをふるうような行為ではないか?
■ひとの選択を、おせっかい よばわりする行為自体が、おせっかいそのものではないか? そういった自己矛盾は感じないのだろうか?



■今回の悲劇を「日本人のほこり」といった、ナショナリズムに回収して、自己満足(陶酔)的に美化する論調も、実に卑劣だ。あたかも、自分たちの善意の延長線上に伊藤さんたちの献身があったかのような論理は、はじしらずというべきだろう。■と、同時に、この筆者のような、みずからの嫉妬心を直視できないがゆえに、海外での活動を過小評価し、むしろおとしめるために、たとえばマザー・テレサなどの高名まで援用して、攻撃する連中がふえないことを、いのる(ちなみに、「マザー・テレサ」自身は、コソボ出身であって、インドには18歳で赴任したそうだ)。



シリーズ「優先順位/存在証明/自己実現/自己満足」

●旧ブログ「「ムダ」とはなにか」シリーズ
●ブログ内「「ムダ」とはなにか」関連記事
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コメント

ただの狷介

お久しぶりです。

まぁ世間の保守的な反応はこんなもんだな、という感じですね。
自分よりも利他的だったり視野が広かったりする人を「ふつう」でないと見なすだけでやっつけてOK、と言っているだけでしょう。
しかし「自己責任」論にせよ、同じ海外活動の中での旧第三世界地区に関係することへの一般の理解の薄さと軽視にせよ、伊藤さんたちは誰からも批判されないわけでもないんですけれどね。

話がそれますが、わたしもわけのわからない嫉妬? みたいな動機とおぼしき、虚実入り混ぜた罠のような中傷をネット上で受け、体調を崩しています。
その人たちも認識がなっていないんですよね。取材なしにプライバシー侵害みたいなことを書いたり、まじめなおとなしめのわたしのブログに攻撃性をねつ造的に見いだし非難してみたり。
両者ともに、自由や個性、女性の主体性に対する偏見、敵視、攻撃性、激しい憎しみは感じます。
マイナスの感情も押さえ方を誤るとはた迷惑なことはこの記事でとりあげた意見と共通しています。

ワタリさんへの攻撃はセクハラ?

■はげしい反撃をくわえてきそうにない女性を攻撃するセクハラや痴漢などと同質のものを感じますね。■弱者イジメしかできない、いくじなしたちは、弱者をかぎわける嗅覚だけするどくなるのでしょう。■北朝鮮バッシングの延長線上で民族学校の「女子学生」だけ攻撃するバカどもが、かならずといっていいほどわいてでてきますが、連中とにている。朝鮮民族の政治性を代表しているのは、どうみたって男性原理なんだから、民族テロやらかすのであれば、当然、男子学生か男性教員こそ標的にすべきだろうに、卑劣にも反撃しそうにない女子学生をねらいうちする。連中の品性をよく象徴する構図ですね。
■今回も、「親不孝」という一点をついて、反論できない死者をここまでいためつける行為という点で、この文章の筆者は政治責任をおうべきでしょう(死者は歴史上の著名人・権力者じゃないないんだから)。そのぐらいの覚悟はあったと信じたいのですが。

遺志は ひきつがれるだろう

ペシャワール会、アフガンから日本人職員引き揚げへ
http://209.85.175.104/search?q=cache:ItYW6sIO8p0J:www.asahi.com/national/update/0904/TKY200809040322.html+”アフガンから日本人職員引き揚げ”&hl=ja&ct=clnk&cd=1&gl=jp
2008年9月4日20時8分
 アフガニスタン東部で日本のNGO「ペシャワール会」(本部・福岡市)の伊藤和也さんが殺害された事件で、同会現地代表の中村哲医師らは4日、外務省を訪れ、「これ以上犠牲を出さないように守っていく」として、今月中に中村氏以外の日本人スタッフ全員を帰国させる考えを伝えた。

 中村氏は、同省の深田博史領事局長らと会談後、記者団に「私たちのスタンスは長い目で(アフガン支援を)見ようということ。何かあったからすぐに引き揚げ、知らないというのではない」と強調した。アフガンでは冬に食糧事情の悪化が予想され、中村氏だけが当分の間、現地と日本を行き来する形でアフガン人スタッフらと活動を続けるという。

ペシャワール会報「号外」

「現地ワーカー 故・伊藤和也さん追悼号」がでた。(http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/kaiho/index.html

予想どおり、中村哲医師の日本での講演は全部中止になった。(http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/

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