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ハラナ・タカマサ

Author:ハラナ・タカマサ
     【原名高正】
誕生日:ニーチェ/フーコーと同日
職業 :サービス労働+情報生産

日本版ポリティカルコンパス
政治的左右度:-7.6 
経済的左右度:-5.19
【位置 リベラル左派】

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8月13日『琉球新報』社説2件

■先日の『琉球新報』の社説は、2本とも きわめて重大な問題をあつかっている。


ヘリ墜落4年
 危険との同居に終止符を

2008年8月13日

 世界で最も危険な米軍基地。それが、普天間基地である。米軍トップの国防長官すら認める危険な基地が、日米の首脳間で返還が合意されながら、12年間も放置されている。
 基地が居座る根拠は、日米安保である。国民を守るはずの安保が、市民の命を危険にさらす。一体、安保は何から何を守っているのか。
 日米特別行動委員会(SACO)合意が移設条件付きで普天間返還が難航する中、アテネ五輪に国内がわいた4年前のきょう、宜野湾市の沖縄国際大構内に普天間基地所属のCH53D大型輸送ヘリが墜落した。午後2時15分ごろの事だ。
 操縦不能に陥った米軍大型ヘリは沖国大本館に激突し、爆発・炎上した。住宅密集地だ。飛散したヘリの破片は周辺のアパート、民家、車両など50カ所を直撃した。
 破片の一部は乳児が眠る住宅の寝室を襲い、巨大なローターの破片はミニバイクを破壊し、住宅の壁や水タンクに突き刺さった。
 ヘリ乗員3人が重軽傷を負ったが、住民や学生たちは奇跡的に死傷を免れている。
 「一体、返還までにあと何回、このような事故を待てばいいのか」。重大事故に伊波洋一宜野湾市長は憤怒をぶつけたが、あれから4年、「日米安保の円滑な推進」のため普天間基地は、まだ宜野湾の市街地の中にある。
 ヘリ事故で県民は米軍優先の基地・沖縄の現実を思い知らされた。
 事故は日本国内、しかも民間地で起きた。にもかからず、日本警察の捜査権は米軍に奪われ、大学私有地は米軍に制覇・占拠され、立木や土壌は許可なく伐採、採取された。消火活動すら不自由を強いられ、現場を視察した日本政府高官すらも米軍に制された。
 日本の主権、私権、基本的人権を米軍はことごとく侵害したが、政府は米軍の権利とさえ追認した。

 事故後、米軍は再発防止や綱紀粛正を誓ったが、その後も米軍機事故は多発。この3年間で130件を超え、最近は増加傾向にある。
 ヘリ事故は、米軍基地との共存の危うさ、国民の命を危険にさらす日米安保の矛盾を実感させた。事故の「教訓」を思い返したい。




資料非公開 国家ぐるみの隠蔽工作だ
2008年8月13日

 日本に駐留する米兵事件に関し、事実上の裁判権放棄を指示した通達が掲載された法務省資料を国立国会図書館が6月上旬から閲覧禁止にしていたことが明らかになった。
 1990年に資料を入手した後、閲覧できる状態になっていたが、法務省が「米国との信頼関係に支障を及ぼす恐れがある」として5月下旬に閲覧禁止を要請。国会図書館がこれを受け入れた。
 くさい物にふたをする、国家ぐるみの隠蔽(いんぺい)工作としか言いようがない。
 資料には「実質的に重要と認められる事件のみ裁判権を行使する」と記載した53年の通達などが収められていた。
 「裁判権の放棄はない」という政府の説明を根底から揺るがす証拠資料だから、法務省としては一刻も早く人目に触れないところに隠しておきたかったのだろう。「米国との信頼関係」は、いかにも取って付けたような理由だ。
 法務省から閲覧をやめてほしいと求められ、唯々諾々として従った国会図書館の対応にも大いに問題がある。
 日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」は「図書館は、権力の介入または社会的圧力に左右されることなく、自らの責任にもとづき(中略)収集した資料と整備された施設を国民の利用に供するものである」とうたっている。
 文書を作成した機関からの要請とはいえ、これまで公開していた資料を一転して非公開にしたことは、「図書館の自由」の原則にもとるのではないか。
 「宣言」は、戦前の図書館が「思想善導」の機関として国民の知る自由を妨げる役割さえ果たした反省を踏まえ、国民の知る自由を守り、広げていく責任に言及している。
 国民の知る権利を抑えつけるのではなく、知る自由を保障するのが図書館の本来の役割であり、使命であるはずだ。いま一度原点に立ち返り、再確認する必要がある。
 今回、閲覧の対象から除外された「合衆国軍隊等に対する刑事裁判権関係実務資料」は72年に作成された。53年以降、法務省刑事局や最高検察庁が作成した通達などを掲載し、解説を加えている。
 日本側が第一次裁判権を行使できない「公務中の事件」の定義を拡大して解釈するよう促すなど、国民への背信行為と言っても過言ではない中身が含まれている。
 「主権国家」として恥ずべき内容だから表に出したくないのだろうが、国にとって外聞の悪い事柄はすべて秘密にするというのなら戦前と何ら変わらない。
 法務省は資料を隠蔽するのではなく、むしろ積極的に公開し、その趣旨等について、きちんと説明責任を果たすべきだ。

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■沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件については、旧ブログで何件も関連記事をかいた。■8月15日が琉球列島にとって、はっきりいってどうでもいい記念日であると同時に、安保体制のヒズミとしての米軍基地の集中問題などと、からんで、第二次世界大戦についての反省を極力無意味化し、大日本帝国との連続性を強化=復古しようという反動勢力がはびこっていることに、沖縄のメディアは警戒的だ。


靖国神社参拝 政治家の歴史認識を問う
2008年8月16日

 靖国神社とは何か。ことしも現職閣僚をはじめ小泉純一郎元首相、安倍晋三前首相らが、終戦記念日に参拝した。
 「公式参拝」は違憲の判決もある。政教分離(憲法20条)や玉串料など宗教組織への公金支出の禁止(同89条)などが、その論拠となっている。
 憲法違反の疑いがあっても、閣僚たちは靖国参拝を行う。そこに、日本の保守政治家の歴史観や価値観が垣間見える。
 戦後、首相として終戦記念日に靖国神社を参拝したのは、三木武夫、中曽根康弘、そして小泉純一郎の3氏である。
 いずれも中国や韓国を中心に「過去の軍国主義を美化するもの」などの反発を買った。
 2001年8月の小泉元首相の参拝は、「靖国公式参拝訴訟」として福岡地裁に提訴された。
 司法は「参拝は公的な性格で、憲法が禁ずる宗教活動に当たる」と、違憲判決を出している。
 それでも当時の小泉首相は「国のために尊い犠牲になった方々に対する追悼は自然なこと」と、参拝を続け、中国の反日感情を刺激して、日中関係を冷え込ませた。
 米国に次ぐ最大の貿易相手国に成長した中国との関係悪化にたまらず、06年5月には経済同友会が小泉首相に参拝中止を提言したほどだ。
 外務省は、首相の靖国参拝を「過去の植民地支配と侵略を正当化しようとするものではない」と釈明したが、アジアの懸念を打ち消すには不十分だった。
 靖国参拝問題には、もう一つ「A級戦犯合祀」問題もある。
 1978年、極東国際軍事裁判(東京裁判)で侵略戦争の責任を問われた東条英機元首相ら14人が靖国神社に合祀された。
 戦後数年ごとに靖国参拝を続けていた昭和天皇も合祀に不快感を示したとされ、75年を最後に合祀後は現天皇も含め参拝を中止している。参拝を続ける閣僚、政治家らはA級戦犯合祀問題をどう受け止めているのか。
 今年は靖国神社を舞台にしたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」が、国会議員や右翼団体の抗議で上映が中止になるなど、表現の自由とも絡んで波紋を広げた。
 福田康夫首相は、近隣諸国への配慮から参拝を控えた。しかし、保岡興治法相、太田誠一農相、野田聖子消費者行政担当相ら閣僚が参拝している。
 靖国参拝問題は、日本の政治家にとって侵略戦争に対する歴史認識を問う「踏み絵」の感すらある。
 福田首相はアジア諸国の信頼を損なうことがないよう、A級戦犯分祀や宗教色のない新追悼施設の建設など、抜本的な解決に前向きに取り組む時期に来ている。



終戦記念日 節目の日に「非戦」を考える/恒久平和誓う「国民宣言」を
2008年8月15日

 きょう、63回目の終戦記念日。軍国主義の反省と恒久平和の尊さを実感し、武力と戦争の放棄を掲げる平和憲法の理念を再確認したい。
 日本の本当の終戦記念日は1945年「9月2日」との主張が、今なおある。その日は、米英中など連合国と日本政府・軍代表が米戦艦ミズーリ艦上で、降伏文書の調印をした日である。
 実際、講和条約発効前の51年ごろまでメディアも9月2日を「降伏の日」「敗戦記念日」と報道してきた。

「ポツダム宣言」受諾の日
 では、なぜ8月15日か。この日は、旧日本軍の大元帥である昭和天皇がラジオ放送を通し、肉声で国民に「ポツダム宣言」の受諾を伝えた日。つまり「玉音放送」の日である。
 米英中による対日降伏勧告「ポツダム宣言」の受諾をもって終戦とするならば、前日の8月14日がその日である。日本政府は、同宣言受諾と天皇の終戦の詔書を、14日に発布しているからだ。
 そのポツダム宣言は、45年7月26日に通告された。しかし、政府はさまざまな事情から、8月14日まで受諾を先送りした。
 受諾を拒む日本に米英中の三国は対日攻撃を激化。8月6日に広島、9日には長崎に原爆を投下している。ポツダム宣言は三条で戦争継続なら「軍事力の最高度の使用」で、日本の軍隊と全土を壊滅すると、原爆投下も示唆していた。
 降伏をためらう政府の判断ミスが、原爆による多くの国民の犠牲を生んだともいわれるゆえんだ。
 だが、いかなる事情があるにせよ、米軍が行った原爆投下による民間人の大量虐殺の罪は、容認されるものではない。
 天皇は、玉音放送で「加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻(しきり)に無辜(むこ)を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る」と原爆投下の悲劇に触れている。
 その上で「而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来する」と、戦争継続による民族滅亡の強い危機感を吐露している。
 ポツダム宣言は、戦争継続が全国土の「迅速かつ完全な壊滅」を招くとどう喝し、軍国主義勢力の除去、カイロ宣言が求める満州、台湾など第一次大戦以後の占領地の返還、軍隊の完全武装解除、戦争犯罪人の処罰などを求めていた。
 同六条は「日本国民をだまし、世界征服をたくらむという過ちを犯した権力者や政治勢力は、永久に除去されなければならない」と、軍国主義勢力の除去を強く求めた。
 同七条は日本占領は「日本の戦争遂行能力が破砕されたことが確証されるまで」と明記している。
 占領終結は「日本国民が表明した意思に従い、平和的傾向を持つ責任ある政府が樹立した段階」で、「占領軍はただちに日本国より撤収される」と確約している。

国際法上は講和発効日
 日本に軍国、帝国主義との決別を求めるポツダム宣言は、現在の自由と民主主義を基本とする国づくりの基本も示していた。
 例えば「日本政府は、日本国民の間の民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害の除去」「言論、宗教、思想の自由。基本的人権の尊重の確立」などだ。
 終戦の日を境に、日本は連合軍の占領下に置かれる。占領は1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効の日まで続く。
 国際法上は、講和条約発効の日が「第二次大戦終結」の日とされる。もう一つの終戦記念日だ。
 講和による「終戦」で日本本土は占領を解かれ、主権国家として国際社会に復帰した。
 しかし、講和条約の発効の日、沖縄は日本から切り捨てられ、米軍統治下に置かれた。以後本土復帰までの27年間、自治権、基本的人権、財産権も奪われる「屈辱の日」となった。
 ポツダム宣言で日本に民主主義を求め、基本的人権の尊重を主張した連合国だが、沖縄では住民自治を否定し、軍事独裁政権下のような占領を自ら行った。
 戦後63年。日本はいまポツダム宣言が破壊した「戦争遂行能力」を持つ軍隊を復活させ、有事法制を整え、海外に派兵し、平和憲法の改悪すら射程に入れる。
 「本当の終戦記念日はいつか」を問う前に、いま「新たな戦争」を回避し、恒久平和を誓う「国民宣言」が必要な時期を迎えている。

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以前、ウィキペディアなどにもかかれていたとおり、「保守系の国会議員や学者から「沖縄の心がマインドコントロールされている」「二つの新聞は普通の新聞でない」と批判され、更に[[産経新聞]]からも、沖縄で地元紙が98%のシェアを維持しているのは県民に選択の幅を狭めている、改正反対ばかり取り上げて賛成意見はほとんど取り上げないと批判されたことがある」だとか、「沖縄のマスコミの傾向として、長い占領時代のためかいわゆる左派的な記事が多い事が特徴である。これについて、沖縄の"心"を歪めているなどと主張する向きもあるが、現在の沖縄マスコミ体制は県民自身による長年の支持のもと成り立っていることを忘れてはならない。そもそもこれを批判する本土の新聞社は沖縄においてシェアを拡大するわずかな努力すら講じていない」などといった、右派がわとおもわれる無責任で攻撃的な編集がなされていたことは、わすれずに特記しておくべきだろう。

■ともかく、ここにかかれている記述は、事実を事実として淡々とのべているにすぎず、これらの記述に非難がましいルサンチマンめいた心情をよみとる読者がいるとしたら、まさに植民地支配者、統治者の視線で、支配を合理化したいという利害を共有しているからだろう。■いいかえれば、『琉球新報』の社説のように、日米両政府や、それをささえる政官財のエリートたちやそれを擁護したがる両国民の相当数にとって、つごうのわるい正論をのべる議論を徹底的に黙殺する、ないしは、それを極左的であるかのような印象操作するのが、この列島の体質だということだ。

■ともかく、このくにのメディアは、広島・長崎のように被爆地関連のメディアは、反核運動や原発関連の記事に精力をさき、沖縄以外でも米軍基地をかかえる自治体関連のメディアは安保体制に敏感、原発が集中している地域のメディアは原発震災や安全性問題に敏感と、戦争被害や巨大迷惑施設をおしつけられている地域のメディア以外は、きわめて鈍感という構造がある。■国民の相当数は、それら歴史的経緯やリスクが存在することを「リクツ」として、しらないわけではない。おおくのばあい、「そんなこともあったっけ」「そういった問題も実はあるよね」ぐらいの、なまぬるい認識は「共有」されているのである。■まさに、環境社会学が指摘してきた、「受益圏/受苦圏の分離」という、地域間格差=差別の固定化問題にほかならない。もっと一般的な問題としては、環境経済学や社会運動論が話題としてとりあげてきた「NIMBY(Not In My Back Yard)」問題である。
■こういった問題群のなかで、突出した矛盾の集中ぶりというほかない「NIMBY(Not In My Back Yard)」問題こと、安保体制の縮図としての、沖縄島・伊江島なのだ。
■そして、半植民地としての列島と、植民地そのものとしての2島という現実を直視することなく、あたかも「戦争と絶縁した平和で安全な経済大国」といった、調子のいい「自画像」をかきつづけてきた国民の本質を、東北アジアや東南アジアの住民は、ちゃんとみぬいている。鹿児島から500kmも西にいけば(北西なら韓国、南西なら琉球列島)、そこには、日本列島住民の歴史的本質をひややかに観察している住民が実在する。■それは、ファッションや村上春樹やアニメ、日本車などのブランドと充分共存する、ひややかな視線だ。


●旧ブログ「8月15日」関連記事
●旧ブログ「琉球新報」関連記事
●旧ブログ「沖縄タイムス」関連記事
●旧ブログ「軍事 植民地」関連記事
●「NIMBYとYIMBY効果
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